【Review】ZAPPAが教えてくれたこと――『ZAPPA』 text 澤山恵次

 ロック界の鬼才と呼ばれ、独特な風貌から繰り出されるギタープレイに特徴があり、現代音楽の作曲家でもあったフランク・ザッパ。彼の作品を最初に聴いたのは、私が大学生の時になる。京都のライブハウス拾得でバンドの演奏をした際に、終了後の店内に『シーク・ヤブーティ』(1979年)が流れたのだ。もともと、RCサクセション在籍時にファンになったギタリストの小川銀次が音楽雑誌に寄稿していた紹介文で強い興味は持っていたものの、この時にようやく出会うこととなった。
 その後、既に入手困難だった『ザッパ”雷舞”イン・ニューヨーク』(1978年)を京都の中古レコード店で偶然見つけ、収録曲「ブラック・ページ」における、テリー・ボジオのドラムの凄さに圧倒された。
 そして私は社会人になり、好きな時代のザッパ作品をCDで買い集め、あるいは、渋谷の専門店マザーズレコードで海賊盤を店主の言われるままに買いまくる時代を経て、現在に至る。ここ数年の間には、行きつけの店での書初め会で「雑葉」と書き、『ホット・ラッツ』(1969年)のTシャツを着て映画祭に関する座談会に出るようなこともあった。また、2011年2月23日に行われたザッパのトーク&ライブイベントに出演していた浦沢直樹に話しかけた時に、彼が一瞬で描いてくれたザッパの似顔絵は私の宝物である。
 フランク・ザッパの曲だけではなく、ザッパに捧げた楽曲にもまた親しんできた。本作で大きく登場するスティーヴ・ヴァイの「フランク」が有名だが、小川銀次の「Zappaが教えてくれたこと」も記憶されるべき楽曲である。

 映画におけるフランク・ザッパといえば、エリック・ロメール『海辺のポーリーヌ』(1983年)でキャプテン・ビーフハートと競演した『狂気のボンゴ』(1975年)のアルバムジャケットが何気なく映ったことが印象深い。ザッパの楽曲が使用された映画にはアルフォンソ・キュアロン『天国の口、終りの楽園。』(2001年)、ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』(1997年)があり、特に後者では、「チュンガの逆襲」「アイ・ハブ・ビーン・イン・ユー」がアルゼンチンタンゴと使い分けられ、効果的に使用されたことは思い出に残っている。

 本作は監督したアレックス・ウインターがザッパ夫人であるゲイル・ザッパに生前に許しを得て映画化していて、ゲイルが望んだフランク・ザッパの52年の生涯におけるエピソードを満遍なく紹介している。そのため、全時代を通して好きな人、特定の好きな時代がある人、全く知らない人、それぞれの観客が新しい発見をする事が出来て、今後の音楽や人生との向き合い方に何かしらの影響を与える構成となっている。
 現在の様に情報を入手することが簡単ではなかった1993年にザッパは亡くなっているので、その「全体像」は相当なファンでない限りは『ZAPPA』で初めて認識することになるだろう。
 とりわけ特定の好きな時代がある人が期待する映像は残念ながら割愛されていて、本人の超絶ギタリストとしての神髄を描くこともなく、特定の人物(リチャード・ニクソン、パンキー・メドウス、ピーター・フランプトン)等に対する辛辣なおちょくり、攻撃に関するエピソードもない。また、洋楽ファンなら誰もが知る、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の歌詞のもとにもなった1971年の火災事故よりも、数日後のロンドン公演での転落事故を重要視している。ファンが期待する細部は、『ベイビー・スネイクス』(1979年) 、『ロキシー・ザ・ムーヴィー』(2018年)の既に発売されている映像ソフトや、今後に現れるであろう作品に求めたほうがいいかもしれない。

 とはいえ、それぞれの時代を象徴する映像は興味深いものばかりである。
 中でも1971年のジョン・レノンとの競演シーンや、『ザ・ギタリスト・パ』(1981年)で名を上げたヴィニー・カリウタのドラムとその後ミッシング・パーソンズで活躍するパトリック・オハーンのベースがタッグしたシーンはとても嬉しい。マンソン・ファミリーとのニアミスや、ザッパがサタデー・ナイト・ライブに出演した際のジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド等とのやり取りとその述懐シーンも記憶に残るものとなっている。

 本作はフランク・ザッパの魂を本人自身が語っていた映像と共に、ゲイル夫人を中心にそれぞれの時代にザッパと関わった人たちが証言している。
 ザッパ自身の発言としては、オープニングでのザッパの公での最後のギター演奏となった1991年6月24日のプラハでのMCが印象深い。
「言うまでもないけど、この国での新しい未来はこれからです。これから起こる新しい変化に立ち向かいながら、この国の独自性を保つように努めてください。他の何かに変わるのではなく、ユニークであり続けてください」
 チューニングで終わり、演奏シーン自体をバッサリ省略するのが本作の特徴だが、ザッパのこの言葉から、ひいては革命を迎えていた当時のチェコの状況から、今起きているウクライナへの軍事侵攻を想起する向きもあるだろう。
 チェコとの関わりや晩年取り組んでいた歌詞検閲問題等で、ザッパの政治家的な動きも浮かんでくる。大統領選挙出馬も検討していたらしいが、もしザッパが存命であったなら、今何をしていただろうか?
「俺の願いは単純だ。作った曲全てのいい演奏といい録音をする、そしてそれを家で聴く。聴きたい人がいたら素晴らしい」
 ザッパの率直な思いが現れた言葉だが、この言葉は同時に本作の限界を示しているようにも思える。ザッパが自身の音楽を完成させるためにだけ集めた腕利きのミュージシャンたちが、彼の人間関係の多くのウェイトを占めているため、本作における証言者は限られるのかもしれない。多数のアルバムジャケットのアートワークを担当したカル・シュンケルの証言や、ピエール・ブーレーズが指揮した『ザ・パーフェクト・ストレンジャー』(1984年)に関するエピソードが無いのは残念である。

 そんな中で、様々な紆余曲折を経て、亡くなる前の病床でザッパと向き合うことが出来たパーカッショニストのルース・アンダーウッドの証言は感動的で、数少ないフル演奏シーンであるルースとジョー・トラバースのドラムによる「ブラック・ページ」には涙が止まらない。
 エドガー・ライトの『スパークス・ブラザーズ』(2021年)での登場シーンが印象深かったパメラ・デバレス(シルヴァーヘッド、ディテクティヴ、パワー・ステーションのボーカル・俳優のマイケル・デバレス元夫人)がここでも証言している。パメラはザッパ家のベビーシッターだった。『ホット・ラッツ』のアルバムジャケットに映っているザッパがプロデュースしたGTO’s仲間のクリスティン・フルカが早逝しているだけに、その70年代前後を振り返る話は貴重なものとなっていて、改めて当時を描いたキャメロン・クロウ『あの頃ペニー・レインと』(2000年)を見直したくなる。
 晩年に闘病しながらザッパが取り組んだ最後の作品『イエロー・シャーク』(1993年)からザッパの指揮のもと演奏された感動的なラストの後に流れる、「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」の美しく物哀しいギターメロディもまた、心に沁みた。それは私が鑑賞時に、青山真治監督の訃報を知ったこともあるだろう。私と同世代であり、作品によって感動の落差はありながらも、稀有な監督だった青山真治の早過ぎる死が予想以上に堪えたのだ。52歳で亡くなったフランク・ザッパはもちろん、58歳で亡くなった小川銀次も、57歳で亡くなった青山真治も、まだまだやり尽くしていないものがあったと思えてしまうだけに……。

 最後に、本作ではゲイル以外の遺族の証言は皆無で映像とクレジットのみだが、ザッパの唯一のヒット曲「ヴァレー・ガール」の立役者である長女が本作について語る記事を見つけたので、ここに一部を記すことにする。本作の登場人物のアンバランスさに気付いた場合には、このコメントから遺族の人間関係が、本作の出演者の顔触れにも影響したのではないかと想像させられる。まさにフランク・ザッパのロックアルバムとしての最後の名盤である『ゼム・オア・アス』(1984年)というタイトル通りの構図となっているのだ。日本のとある起業家の遺族同様に修復困難な悲しい現実を感じた。
「彼女は母から死の床で許しを請うたが、何を許せと言われたのか分からなかったと彼女は回想している。彼女は母が次男と次女を父に関する権利の責任者にしたことを後で知ったのであった」

【映画情報】

『ZAPPA』
(2020年/アメリカ/原題:ZAPPA/128分)

監督・製作:アレックス・ウィンター
製作:グレン・ジッパー
プロデューサー:アーメット・ザッパ、ジョン・フリッゼル
製作総指揮:ロバート・ハルミ、ジム・リーヴ、セス・ゴードン
編集:マイク・J・ニコルズ
撮影:アンゲル・デッカ
音楽:ジョン・フリッゼル
出演:ブルース・ビックフォード、パメラ・デ・バレス、バンク・ガードナー、デイヴィッド・ハリントン、マイク・キニーリー、スコット・トゥニス、ジョー・トラバース、イアン・アンダーウッド、ルース・アンダーウッド、スティーヴ・ヴァイ、レイ・ホワイト、ゲイル・ザッパ
提供:キングレコード
配給:ビーズインタナショナル

画像はすべて©2020 Roxbourne Media Limited, All Rights Reserved.

公式サイト:https://zappamovie.jp/

シネマート新宿・シネマート心斎橋ほかにて全国順次公開中

【執筆者プロフィール】

澤山 恵次(さわやま けいじ)
1964年生まれ京都育ち。関西学院大学卒業。百貨店退職後ライブハウス勤務。コロナ禍以降職業不定。各種映画祭に顔を出し、現在東京ドキュメンタリー映画祭スタッフ(長編部門担当)。映画検定1級。学生時代にリュミエールに短評を投稿していたせいかTwitterの140字と相性が良い。