2022年6月7日(火)から上演された劇団桟敷童子の新作公演『夏至の侍』は、本当に久しぶりに、我々の存在の基盤を揺るがすような“情熱”に打たれる傑作となった。舞台から発せられる情熱は、人はどのように生きて死んでいくのか、そんな問いかけをしてくれた。未知なるウイルスが時代を変え、世界を変えた。そうして我々は、少しの間立ちどまり考えたはずだ。日常のすぐ隣に「死」があると。我々は常に生きながら死んでいくことを。
時は昭和49年(1974年)、場所は筑豊地域のとある水郷の町。そこで金魚問屋を営む“鍋嶋養魚”の主人である鍋嶋ふみゑ(音無美紀子)、ふみゑの長男・鍋嶋繁の妻である鍋嶋菜緒(板垣桃子)、ふみゑの長女の鍋嶋みちる(長嶺安奈)、同じく次女の鍋嶋わたる(大手忍)たち家族が巨大な台風に襲われるシーンから舞台は始まる。そんな時に、暴風雨をかいくぐり、大切にしていた金魚の様子を見に行こうとした繁は、筑後川の氾濫に飲まれて死亡してしまう。それを境に家族はバラバラになる。みちるとわたるは故郷を後にし、ふみゑと菜緒は共に金魚問屋を支えていく。時は経ち昭和63年(1988年)。みちるとわたるはそれぞれに事情を抱え帰省してくる。しかし、待っていたのは鍋嶋養魚の没落した姿だった。再び揃った家族は、荒れ果てた景色に何を見つけるのだろうか……。
劇団桟敷童子の代表で、作・演出・美術までを担当する東憲司は、本作を“家族劇”だと言う。『夏至の侍』が生まれた経緯について東は「前々作の昭和初期の山村を舞台に幻の蘭に魅せられた男を描く『獣唄2021改訂版』(2021年)と昭和20年(1945年)に福岡県で発生した“二又トンネル爆発事故”を題材にした前作『飛ぶ太陽』(2021年)が僕にとってはものすごくヘヴィーな作品でした。特に後者は、実際に147人がトンネルに貯蔵した火薬の爆発でお亡くなりなった救いようのないお話で、脚本を書いていて自分でも疲れ果ててしまったんです。あまりに心を抉られて今後一切コメディも書けなくなってしまうと思ったほどで(苦笑)。なので今回は、そういったシリアスなお話から少し離れて、僕がこれまで書いたことのない作品にしようと思っていました。そんなある時、実際に金魚問屋に行くことがあって、思わず金魚の美しさに魅せられてしまったのですが、その時に、僕が同時代に生きていた昭和後期を舞台に、金魚の生育に携わる家族の物語を書きたいと思い立ちました」と語った。
たしかに本作は、劇団桟敷童子が得意とする吃驚仰天のマジックリアリズム的な物語が展開したり、緻密でプリミティブな舞台セットや照明で人間の陰影を煌びやかに浮き上がらせることも(もちろん本作も美術は圧巻だった)、東憲司の原風景である福岡県の筑豊地域に住む社会に適応できない群像の「歪んだ過去とそこから顕在化する暴力に侵された現在」が万華鏡のようにゆらめいているわけでもない。本作は、どこにでもいるひとつの家族が、人生が進んでいく過程において戸惑い、もがきながら、それでも果敢に生きていく姿が哀愁を漂わせながら繊細に描写されている。それから、これまであまり描かれることのなかった「個人の孤独な心」と「死の予感」がほんのりと香っている。
これまでにない劇団桟敷童子の舞台になったことについて、東は「僕は57歳で、この歳になるまで考えたこともなかったのに、コロナウイルスの影響で、いつでも誰の人生だって、あっという間に終わりを迎えてしまうんだな、と思いました。ましてやお芝居ができるなんて考える余裕もなくなってしまった。閉塞的な状況が続く毎日で、精神的に弱ってしまって、色々な物事の終わりを悶々と考えるようになったんです。それは人間の『死』であり、劇団の『死』であり……結局人は、ひとりになって孤独と向き合い、生きながら死んでいくのだろうと。僕も残された時間をどうやって過ごしていくのかを深く考えさせられました」と語った。彼は「死」を「生」の延長として、あるいは対比ではなく、ましてや漠然とした総体として捉えるのではなく、個人の生の中に断片となって散らばる多様なファクターの集合体として具体的な「死」を提示したといえるかもしれない。
そうして生まれた本作の物語のダイナミズムは、次第に生きることに諦念を抱いていく家父長的なキャラクターの鍋嶋ふみゑ役の音無美紀子の芝居が懸命に支えている。音無の芝居に関して東は「音無さんは、良妻賢母のような優しい女性のイメージがある方が多いかもしれません。ただ僕にとっての音無さんは、以前、舞台で拝見した時のパワフルなお芝居ができる強い女性だという印象です。彼女のお芝居の力強さを桟敷童子の世界に持ち込みたかった」と語っていた。東が言うように、本作では登場人物たちが直立不動をするシーンが何箇所かあるのだが、音無が両手を真っ直ぐ降ろし、観客席をじっと見つめ、地面を蹴りたてるようにその場に佇むだけで、ふみゑの存在が我々の脳裏に強烈に焼きつけられる。音無は人が生きるための「よすが」として、美しく、儚く、それでいて完璧な居住まいを保っていた。それは“母性”を感じさせる芝居だともいえるだろう。
夫に先立たれて鍋嶋養魚を支える慎ましい鍋嶋菜緒役の板垣桃子について、東は「板垣(桃子)は劇団の旗揚げ(1999年)から信頼関係が出来上がっているので、彼女に対してはあえて外連味が溢れる役を脚本に書くことが多かったんです。ですが今回は、本人も言っていましたが、家族にそっと優しく寄り添う菜緒役が好きみたいで伸び伸び演じていますね」と語ってくれたが、板垣の淡いグラデーションをつけた多彩な透き通る声と、それを活かしながら大地に根付いたブレない芝居が役にハマっていて観る者の心を揺さぶった。
「劇団椿組にいる時から拝見していて、兼ねてからご一緒したかった」と東が共演を切望していた鍋嶋みちる役の長嶺安奈は、親に反抗し、世間にあかんべーをして不良少女というレッテルを貼られながらも、理不尽な時代や他者の支配にNOを叩きつけながら、家族を献身的に支えようとする強い意志を感じさせる熱烈な芝居が見事だった。鍋嶋わたる役の大手忍は、語り部をこなしながら、僅かながらの影と純朴さを併せ持つピュアな芝居を見せて素晴らしかった。そんな彼女たちは、惑星を回る衛星のように、音無の芝居から溢れる「母性=肉体の有機性」に惹かれていくのだ。音無を中心に据えて描かれるのは、近いようで遠い、遠いようで近い絆で結ばれた純然たる家族そのものだったと思う。
ここまで東の話を聴き物語に触れると、本作を家族劇にしたのは必然性がある気がする。普遍的な家族を描くことは徹底的に「現実」を活写することでもある。「現実」が家族のあり方を規定するのと同時に、未来への幻想を共有した“共同体=家族”の為す行為の総和が「現実」の世界を作り出すからだ。もともと東憲司は、土俗的な人々の「生へのもがき」をユーモアやアイロニー、時にはルサンチマンさえも操って描きながら、図らずも「死」を過激に作品に持ち込むことで人々が経験してしまう「現実の残酷さ」を叙情的に描くことができる稀有な作家だと思っている。本作は、コロナ禍という「現実」を目の当たりにし、自覚的に「生」に内在する「死」を家族という共同体を通して表現できたのだと思う。そのために、観客にカタルシスを与えるラストシーンは、叙情に対する自らの鋭敏な感受性をひたすら具体的な世界に解放しようとする東憲司の志向のひとつの到達点に達していたと思う。幸か不幸か、コロナ禍という時代が、己の実存の在処と作家性を意識させ、本作を作り上げる必然に繋がったのではないだろうか。
ならば本作を描くことで東憲司、ならびに劇団桟敷童子はどこに行こうとしているのか。そう東に尋ねると「コロナによって桟敷童子がどうなっていくのかという“結論”を考えるようになりました。今まで漠然としていましたが、いつかやってくる『死』の瞬間まで頑張るしかないと。その『死』が僕らにとって何を意味するのかまだわからないけれど、桟敷童子にいる劇団員は現在のところ黄金メンバーなので、これからも5年、10年と一緒にお芝居を作っていきたいと改めて思いました。僕たちは前を向いて僕たちらしいお芝居で出来うる限り時代を突き詰めたいと考えるようになりました」と力強く語ったように、予期せぬ時代の変化が彼らを強固に団結させた。まさに本作で描かれている鍋嶋家そのものではないか。
最後に2022年の12月に上演が予定されている新作公演『老いた蛙は海を目指す』について聞いてみると、東は「ゴーリキーの『どん底』をモチーフにしています。色々なことで鬱屈としていたので、アングラチックな作品にして、“BANG!”とアングラ演劇が醸し出していたような凄まじいエネルギーをお見せしたいですね」と笑って答えてくれたが、その発言を聞くと『夏至の侍』は劇団桟敷童子にとって分水嶺になったと確信できる。本作は劇団の歴史、さらには東憲司の人生を底からさらって、彼ら自身を批評し解体した「劇団桟敷童子の終わりと始まり」を告げる作品でもあるのだ。
タイトルの「夏至の侍」は、夏至の日に水堀の水門を開くと再び住処に戻ってきた傷ついた金魚のことをいうそうだ。まさに劇団桟敷童子は、現実に傷つきながらも、再び観劇の喜びを観客に伝えるべく演劇の世界に戻ってきた。彼らは歯を食いしばって目の前に青空が広がっていると信じてこれからも己の道を進んでいくだろう。そんな彼らに盛大な拍手を贈りたい。
【公演情報】
劇団桟敷童子
『夏至の侍』
2022年6月7日(火)〜6月19日(日)すみだパークシアター倉
作:サジキドウジ
演出:東憲司
美術:塵芥
出演:
板垣桃子 稲葉能敬 鈴木めぐみ
川原洋子 山本あさみ もりちえ
大手忍 三村晃弘 柴田林太郎
増田薫 羽田野沙也香 吉田知生
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音無美紀子
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水内清光
瀬戸純哉
原田大輔
長嶺安奈
公式サイト:https://www.sajikidouji.com
【執筆者プロフィール】
竹下力(たけした・つとむ)
1978年6月27日、静岡県浜松市生まれ。静岡大学卒業後、日本ジャーナリスト専門学校に入学。卒業後、編集プロダクション、出版社勤務などを経て現在フリーライター。主に演劇関係の取材をしている。