2022年のHot Docsで最高賞に輝き、また同年の台湾国際ドキュメンタリー映画祭でも三冠を制したチャン・ジーウン監督の『Blue Island 憂鬱之島』がいよいよ日本でも劇場公開を迎える。
チャン監督と言えば、2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介賞を受賞した前作『乱世備忘 僕らの雨傘運動』では、2014年に民主主義の普通選挙を求めて香港の街を黄色い傘で埋め尽くした若者たちの79日間を鮮烈に追い続けたことでも記憶に新しい。
最新作となる本作は、それからも続く中国本土との軋轢に揺れる香港が舞台だ。歴史的検証を交え、「香港人」というアイデンティティを求めて闘ってきたそれぞれの時代に生きた人たちの証言や闘争を、同じ土地に生きた違う背景を持った人たちを「再現」させることによって、そこにあった時間や歴史を浮き彫りにしてゆく。
文化大革命とそれに伴う香港逃亡ブーム(1966年)、香港六七暴動(1967年)、天安門事件(1989年)、そして「逃亡犯条例」反対デモ(2019年)といういくつもの世代が交叉しながら紡ぎ出される本作を観る人は、「香港人」というアイデンティティ形成の歴史が、いまなお揺れるロシアとウクライナのスラブ人たるアイデンティティ、また日本における沖縄やアイヌの問題とも重なりあうように感じられるだろう。
冒頭で度々民衆が叫ぶ「時代の革命だ」というスローガンは全世代を覆い尽くす象徴的な言葉として受け入れられたが、本作に登場するデモ参加者の多くは、現在にいたってもまだ拘留などの措置になっているという。彼らの言葉から見えてくる香港の時代とは、どういうものだったのか。
(取材・文=津留崎麻子)
**********
2019年、変化した運動の本質を撮る
――2014年の雨傘運動の時はデモに参加する若者たちと大変親しい目線だったような印象を受けました。実際、カメラを持っていたにも関わらず監督自ら警察から暴力を受けるという非常にショッキングなシーンもありましたね。対して2019年の「逃亡犯条例」反対デモを撮影する時に、現場の緊張感や撮影対象者との距離の違いは感じましたか。
2019年の「逃亡犯条例」反対デモと2014年の雨傘運動は、運動の本質的にも全く違うものでした。2014年の時はみんな顔を隠す必要もなければ、自分の話をしても全然平気だったので、カメラを持って彼らについて行って話を聴くようなやり方が出来たんです。でも2019年の時は香港当局から何をされるかわからないという状況で、みんな顔を隠さなくてはいけないし、自分から話をしたがらない雰囲気だったんです。それに催涙弾やゴム弾が飛び交い、まるで戦場のような事態に陥っていました。なのでもう『乱世備忘 僕らの雨傘運動』のような撮り方は出来ないし、やめようと思ったんです。
――SNSの使い方もだいぶ変化していましたね。
そうですね。あの当時はライブ配信がすごく盛んになってきた頃でした。既に何万人というような人のライブ配信が出回っている中で僕が2014年の時と同じ撮りかたをしてしまうと、他の人たちと似たような表現になってしまいます。彼らのほうがニュースの鮮度も高くなるでしょうしね。つまり運動への参加の仕方自体がもう変わってしまっているので、運動の本質に合わせて2014年とは違った撮り方をする必要があったんです。だからこの作品でのデモ参加者とは近いようでもあり、すこし距離があるようにも感じるかもしれません。
また今作には「歴史を入れる」ということを2017年くらいから決めていました。それによってどうしても、いま目の前で撮影している現実も「歴史の一部」になってしまうんです。
――センシティブなテーマなので、実際に体験した人たちへの取材や再現シーンを演じる俳優さんと出会うのも難しかったのではと思います。彼らとはどのように出会い、作品に参加してもらったのですか。
歴史的事実のドキュメンタリーシーンに関しては、まず実際に体験した人たちが今も行なっている集会に行って話を聞きながら、関係を作っていきました。そういう場所なので、六七暴動や天安門事件など当時のことを非常に雄弁に話してくれるんです。でも彼らは「自分は正しい」という気持ちを信じつつも、今もなお傷ついているように見えました。
また歴史の再現シーンを演じる俳優さんに関して言うと、最初は事務所などを通してプロの方達を募集していました。でも話が進むにつれ事務所的にもNGが出たりして、最終的に決まることはありませんでした。そこで2019年に香港の若い人たちの間で流行っていたTelegramのグループ内で、素人の人たちに向けた募集をしてみたんです。そうしたら僕のプロフィール欄から『乱世備忘 僕らの雨傘運動』の監督であるということが広まって、相当の応募人数が届きました。またこの撮影時期の2019年から2020年の頃は香港情勢として消極的で落ち込んでいた時期で、冗長的に気持ちが落ち込んでいる状態の人たちが集まってきたんです。彼らの中には、法廷と向き合わなくてはいけない、刑務所に入るかもしれない、もしくは香港を離れようかと考えている人たちがたくさんいました。でもそういう背景を持つ人たちだったからこそ、演じてもらうかつて香港で闘争していた人たちと、気持ちが重複してくるのを感じました。彼らには「演技」をしてもらうのではなく、自らのいまの気持ちを「パフォーマンス」してもらうことにしたんです。演技経験がないことから最初は難航したりもしましたが、最終的には彼らにしか出せない臨場感のあるシーンになったと思います。
「歴史」と「個人」
――映画を拝見してまず印象的だったのが、映画のモチーフである香港と中国の関係性を定点ではなく、時代や立場によって違うストーリーや正義を抱えていることを描いている点です。香港と中国がそれぞれ持つ「物語」「正義」の違いは確実に存在していると確信しました。
僕は歴史と個人の記憶との曖昧な境界線や食い違いが物語に与える影響に大変興味を惹かれていて、それがこの映画を作るきっかけにありました。人は誰でも、たとえ自分たちが覚えていると思っていても、20年後、30年後、40年後、記憶というものは曖昧になっていくものなんです。もし自分の中では覚えていたと思っていても、他人から見ると違うという部分もあります。特に忘れたいことは忘れてしまい、覚えておきたいことは覚えておく。そういった自己都合になってしまうということが記憶の中にはあるのではないかなと思います。そんな中で、直接その人たちに聞くのではなく、過去を「再現」することで間接的にとらえるという撮り方をしてみました。自分たちの記憶が間違っているのか合っているのか。そういう答え合せのような、自分たちを見直すという行為で、記憶との曖昧な線を繋ぎ合わせることが出来たのではと思います。
――文化大革命の時代の再現シーンで、毛沢東の思想を声高に唱える集会に参加している老人が、自分の体験した集会とは異なっていると訂正する場面がありましたね。現代に生きる私たちが歴史的事実として教えられてきたことが、時間によって歪みが生じているということをこの場面から教えられました。
おっしゃる通り、ひとつの大きな国の長い歴史と、そこに住む個々人の思想には確かな差異があると思います。このシーンでは、実際に集会を体験した老人チャン・ハックジーさん夫妻と、彼らの若い頃を演じる俳優さんが同じ場面に並んで登場します。チャンさん夫妻は文化大革命の時代に中国本土から海を渡って香港へきた人たちで、中国と香港両方の時代を体験している人物です。チャンさんたちは自分たちを演じる俳優さんたちに向かって「実際はこんな感じではなかったんだけどね」と自身の記憶を語り始めます。僕たちが歴史として伝えられてきた物語と実際に体験した人間の記憶はとても曖昧なものだということを、ここで表現出来たのではないかと思います。歴史的な物語と個人の中の記憶、縦軸と横軸が交差することで、見えてくる真実があるんだと思います。
――歴史的な物語と個人の記憶の交錯は、この映画の大きな特徴だと思います。イギリス植民地下の親中派によるデモ「香港六七暴動」でかつて投獄されたレイモンド・ヤンさんを、2019年に逃亡犯条例反対デモで拘束されたケルビン・タムさんという正反対の主義を持つ人間が演じていることもその挑戦が表れていますね。
この映画の始まりには、中国人ではなく「香港人」としてのアイデンティティというものがありました。1967年の若きヨンさんが尋問を受ける再現シーンがあるのですが、「香港で生まれイギリスの教育を受けたのになぜ香港に反抗する?」という検問の質問に対し、演じるタムさんに「僕は中国人だ」と答えさせています。続いて差し込まれたメイキングのドキュメンタリーパートでは、2020年の現代に生きるタムさん本人に「中国本土の教育を受けたのにどうして中国に対抗するのですか?」という制作スタッフの質問に、彼は自分の意見として「僕は香港人ですから」と答えています。この二人の立場は違いますが、「自分は正しい」という主張を貫こうという姿勢は同じなんです。
――その二人が時を超えてひとつの拘置所の中で向かい合う場面からは、主義や立場の違う人間同士が対話することの難しさと大切さを感じました。監督はこのシーンにどんな想いを込めたのでしょうか。
まず拘留経験のあるヤンさんとタムさんに、刑務所に入った時の感覚を感じてほしいと思ってそれぞれの収監シーンを設定しました。また最初は二人を同じ檻ではなく別々の撮影をしていたのですが、それぞれと対話を続けていくうちに、同じ檻で対話をさせてみたらどうなるだろうかということになり、このシーンを設定しました。
最初は年長者であるヤンさんがずっと自分の話をしていて、タムさんはとりあえずうんうんと相槌を打ちながら話を聞いている風でした。自分と思想や政治的立場が全く違いますし、年長者を立てて大人しくしているようにも見えました。それで休憩を挟んだ時に僕がタムさんに「自分の話をしてみたらどう?」と提案して、撮影再開後からはタムさんが口を開いて自分の話をするようになったんです。その時タムさんが最初に「実は10月1日に逮捕されたんです」という話をしたら、ヤンさんはそれを知らなかったようで、自分と正反対の立場の人間が逮捕されたという事実に大変驚いていました。続いてタムさんが「それでも自分のやったことは決して間違っていない」と言った時、それを見たヤンさんはかつての自分を振り返っているかのように見えました。「自分が間違っていない」という信念を通して、(立場は全く違いますが)強く自分を信じ続けていた若き自分と現代のタムさんの姿が全く同じであるということに気付いた瞬間でした。どんなに立場が違っていても、お互いが自分の思想や信念は間違っていないと信じ続けているというその事実を通して、彼らはこの時初めてコネクトしたのかなと思います。
【映画情報】
『Blue Island 憂鬱之島』
(2022年/香港・日本/カラー/DCP/5.1ch/128分)
監督・編集:チャン・ジーウン
プロデューサー:(香港)ピーター・ヤム アンドリュー・チョイ/(日本)小林三四郎 馬奈木厳太郎
撮影:ヤッルイ・シートォウ
音楽:ジャックラム・ホー ガーション・ウォン 美術:ロッイー・チョイ
字幕:藤原由希 字幕監修:Miss D 製作:Blue Island production 配給:太秦
画像はすべて©2022Blue Island project
公式サイト:blueisland-movie.com
7月16日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開
【監督プロフィール】
チャン・ジーウン/陳梓桓
香港を拠点に活動する映画監督・脚本家。1987年に香港で生まれ、長編ドキュメンタリー第1作『乱世備忘 僕らの雨傘運動』(2016)は、2014年に起きた大規模な市民占領運動「雨傘運動」を検証した映画である。この作品は香港と中国本土の不安定な関係性を探ったドキュメンタリーであり、山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介賞を受賞し、台北金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた。初期の短編映画『The Aqueous Truth』(2013)と『Being Rain: Representation and Will』(2014)は、いずれも香港の政治状況をテーマに、計画的なプロットとモキュメンタリー方式で切り込んだ作品である。『Blue Island 憂鬱之島』は2作目の長編映画となる。