【Book Review】天才の晩年ー『オーソンとランチを一緒に』 text 布施直佐

制作後81年経った今も歴代映画ベストテンの上位に選ばれ続けている『市民ケーン』。若干25歳で同作を監督し、「天才」の名をほしいままにしたオーソン・ウェルズは華々しいデビューとは裏腹に、その後の道のりにはつねに困難がつきまとった。モデルとなった新聞王ハーストが作品公開を妨害したことを皮切りに、2作目以降もスタジオによる作品の短縮・改ざん、資金難による制作中断に生涯苦しみ、自分の思うとおりに完成させた作品はわずかだった。本書は、1973年の『オーソン・ウェルズのフェイク』を最後に映画を撮れなくなったウェルズがその晩年(1983年から亡くなる1985年まで)に、20歳以上年下の友人の映画監督ヘンリー・ジャグロムと毎週ランチの席で交わした会話音源を収録したものである。

会話の内容は多岐に渡り、監督・俳優に関する演出・演技論、ウェルズと交流があった映画・演劇関係者のゴシップ、自作に関する回想から政治家論、人種論まで、ウェルズ独自の(時にはかなり偏った)見解が次々と繰り出される。
会話の中に出てくるあまたのゴシップは、わずかの言葉できらびやかなスターたちの知られざる側面を生き生きと描き出し、ウェルズが語り部としても天才だったことを証してくれる。
自他の作品の登場人物についてなされる、人種・出身地・ジェンダー・体躯・衣装に関する広範な知識に基づいた分析は圧倒的で、ウェルズがとてつもなく広いヴィジョンで作品を理解していたことがうかがえる。彼のような批評眼で眺めれば名作と呼ばれるほとんどの作品が欠点だらけに映るのも容易にうなずける(本書でも「自分の作品を作ることしか興味はない。(…)他人の映画を見ることほど、私にとってつまらない芸術上の営みはない。」と語っている)。

また、「とんでもないことを言うようだけどー『市民ケーン』を超える映画はないと信じている。」と処女作への揺るぎない自信を語る一方で、「『フェイク』は、私が『市民ケーン』以降に作った真に独創的な作品だ。その他の作品は、既成の手法をほんの少し発展させたものにすぎない。」とほかの自作に関しては厳しい批評を下し、『市民ケーン』でいきなり映画というジャンルを「完成」してしまった呪縛から逃れることがいかに難しかったかを率直に語ってもいる。

ジャグロムに執筆中の脚本に関するアドバイスを求められ、小道具やセリフについての具体的なアイデアを即答するくだりは、ウェルズが子供にチェスの戦法を手取り足取り教えているようで、当人が興に乗っていることも伝わり、読んでいてとても愉しい。ジャグロムのちょっとした一言から発想を次から次に展開し、作品がみるみる彫琢されていく様が伝わり興趣がつきない。

「食料品の勘定も払えないんだ。抜き差しならない局面まで来ていて、気が狂いそうだ。」と自らの窮状を嘆きながらも、長年温めてきた「リア王」の企画にフランスのテレビ局が出資する話が浮かぶと、撮影地や制作方法に関しては頑として自分のやり方を通そうとし、亡くなる最後まで芸術上の妥協を拒み通していた。
天国でウェルズは未完のままこの世に残した数々の作品を自分の思う通りに仕上げていることだろう。

各章の章末には会話に登場する人物・出来事に関する訳者の行き届いた注がついており、読者の理解を助けてくれる。
巻末の日本語版付録ではウェルズの監督・出演作だけでなく、ラジオ・舞台作、遺稿脚本、ウェルズに関する劇映画・ドキュメンタリーの約50ページにも及ぶ詳細な紹介がなされ、ウェルズのこれまで知られていなかった一面を知ることができる。

【書誌情報】

『オーソンとランチを一緒に』 

オーソン・ウェルズ、ヘンリー・ジャグロム[述]、ピーター・ビスキンド [編/ 序文]、赤塚成人[翻訳]
定価:6380円(税込)
刊行:2022年6月30日
判型:A5判並製函入 本文2段組424頁・図版170葉掲載・オーソン・ウェルズ特製栞つき
発行:四月社 発売:木魂社

ISBN 978-4-87746-120-1

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784877461201

【執筆者プロフィール】

布施 直佐(ふせ・なおすけ)
サンパウロ在住の映画研究者。neoneo 愛読者。
1965年東京都出身。2005年よりブラジル在住。現地邦人向けフリーペーパー「月刊ピンドラーマ」を発行。
以下で誌面とブラジルの情報を発信しています。
https://note.com/pindorama/ https://www.pindorama.info/