【Report】東京国際映画祭で見つける!ドキュメンタリー(中編)text 中村のり子

『最後の羊飼い』©Anna Godano / Gagarin / BBProductions / Marco Bonfanti 

28日に終幕したTIFFだが、今年はドキュメンタリーばかりを上映する部門があった。トヨタがスポンサーにつき、環境問題に関わる作品を取り上げる「natural TIFF」だ。こうした切り口でドキュメンタリーを見せることは、お勉強的な側面を強調するようで正直言ってあまり惹かれない。しかしプログラムを調べると、環境問題を口実にして選んだと思われる風変わりな作品も入っているようなので、2作品見に行ってみた。

『最後の羊飼い』(マルコ・ボンファンティ監督/2012)は、イタリアで数少ない羊飼いとして生活するレナートという男とその家族にカメラを向けた作品だ。山小屋でのびのびと過ごす彼をドラマティックに演出した冒頭の時点で、ビジュアルの構築を重視した作品であることが伝わってきた。その印象は全編通して変わることはなく、レナートの息子がミラノの街中で羊の大群を率いる幻想的なシーン、山の中でレナートが馬に乗って雄大にかけていくシーンなど、作家の膨らませたイメージが美しく映像化されている。

上映後のQ&Aで、そのスタイルに対して“やらせ”という言葉が引き合いに出されてもいたが、本作の場合はもっと違った発想で受けとめるべきだろう。レナートと家族たちは、むしろ進んで自分自身をデフォルメして演じているように感じられた。カメラ目線で自己紹介をしてポーズをとったりするのは、撮影に積極的に関わっていく行為だ。そのようなショットを取り入れ、監督と出演者らが共にエピソードをつくり上げていったと言える。

ボンファンティ監督によれば、当初なかなか撮影の承諾が出なかったが、レナートの妻・ルチーアの理解を得たことで一気に距離が縮まり、レナートも乗り気になったという。羊飼いを見たことがないミラノの子どもたちと出会うというクライマックスは、もともと監督の考えだったが、最終的にはレナート自身の夢と化したのだそうだ。そこまでの意気投合があって初めて、あの個性の強い人物を穏やかな表情で記録することも可能になったのだろう。

短編のフィクション制作を経て、初の長編であえてドキュメンタリーを手がけたという監督は、当初この題材をもっと社会的な側面から描くつもりだったが、結局それよりも人間の精神性に触れた方が観客の心に届くのではないか、と考え直したのだという。「フィクションとドキュメンタリーの融合した作品を目指している」という監督の言葉を聞けば、前述したような演出法についても納得するところが少なくない。

ただ、その上で惜しまれる点を挙げるなら、実在するキャラクターである彼らの素顔の面白さまで、美しさと滑らかさ優先の編集で包み込んでしまったことだ。時々垣間見える親子の会話などにもっと見てみたいと思わせる面があったし、ミラノ市街のドゥーモ広場で羊たちと子どもらが対面するシーンでは、音楽よりも子どもらの生の声を聞きたかったと感じた。そして、その撮影現場が実際にニュースに取り上げられた沢山のテレビ番組の模様をエンディングに据えたということが、少し複雑である。このエピソードは作り手側に構想があって実現させたもので、ある種のフィクション感覚で撮られている。その結果、現実のニュースになったという驚きがトピックとして前面に出ることは理解できる。しかしこうした背景を考えずに作品を見た時の印象では、せっかく監督の個人的視点からレナートたちの活動を追っていたにも関わらず、最終的には公のメディアと同様の物差しに収斂してしまったかのように見えた。この違和感は、ドキュメンタリーとフィクションの要素を共存させる制作方法に対して、監督自身の意識がやや混乱しているために生じたのかもしれない。

もう一つは『ヨーデルは夢をみる』(ベルナルド・ヴェーバー、マルティン・シルト共同監督/2012)という作品である。スイスで大人気となったヨーデルクラブの男たちが、酪農や大工の本業とヨーデルの出演依頼との間で葛藤する群像劇だ。こちらの作品は『最後の羊飼い』とは対照的に、セッティングしたような場面はほとんどなく、彼らの日々の活動や仕事を地道に追っている。説明的なシーンも少なく、歌にしても会議にしても、表情のクローズアップによって心情をあぶり出そうとする手法が臨場感を生んでいた。またコンサート本番の様子を思いきってカットするなど、音楽ドキュメンタリーが陥りがちな安直な記録性に頼らず、あくまで彼らの内面に焦点を当て続ける態度も明確だった。

しかし、そうなると一番の見どころとなるのは出演者らの人間性への眼差しだが、そこはさらに掘り下げ甲斐があったのではないかと感じた。一人ひとりへの介入に大差がないため、後半に入っても主要なキャラクターの顔と名前が印象に残らず、感情面で深く入り込むのが難しかった。それは、かなり込み入った感情の摩擦があったと予想できる彼らの人間関係に対して、監督らが一歩手前でとどまったためとも取れるし、映し出される状況の停滞に相反してテンポの良すぎる編集スタイルのせいとも考えられるだろう。

両作品とも基本的には、それぞれ魅力的な瞬間を少なからず捉えていて、映画として惹きつける点が十分あった。と同時に、一人ひとりの人間を真正面から、あるいは全方位からカメラにおさめて観客に訴えかける作品は容易に生まれないと、あらためて思い至った。

【作品情報】

『最後の羊飼い』 
イタリア/2012/81分/カラー/イタリア語

監督/脚本:マルコ・ボンファンティ
撮影監督:ミケーレ・ダッタナシオ
音楽:ダニロ・カポセノ
編集:ヴァレンティーナ・アンドレオーリ
録音:クラウディオ・バニ
音響:ステファノ・コスタンティーニ
プロデューサー:アンナ・ゴダーノ、フランコ・ボッカ・ジェルシ、パオロ・ペリッツァ
出演:レナト・ズッケリ、ピエーロ・ロンバルディ、ルチア・ズッケリ ほか

『ヨーデルは夢をみる』
スイス/2012/88分/カラー/ドイツ語

監督/撮影監督:ベルナルド・ヴェーバー
共同監督/撮影監督:マルティン・シルト
製作総指揮/録音:ロベルト・ミュラー
撮影監督:シュテファン・クティ、ペーター・インデルガント
編集:シュテファン・ケリン、ミヒャエル・シェーラー、デイヴ・レインズ
録音:ディーター・マイヤー
音楽:パンサ・デュ・プリンス
音響:ロランド・ヴィドマー、ギド・ケラー