【連載②】 『究竟の地 岩崎鬼剣舞の一年』 text 若木康輔

♯2 『究竟の地 岩崎鬼剣舞の一年』
2012年2月7日 映画美学校試写室


山形国際ドキュメンタリー映画祭2009出品版は、10年の秋、ポレポレ東中野《ドキュメンタリー・ドリームショー》で見ている。161分の長尺だった。
劇場公開版は128分。再見のつもりでいたのに、ほぼ初見に近い印象なのが新鮮だった。短くて見やすくなった生理的理由以上の変化がある。鬼剣舞を他県のひとたちが学ぶようすを思い切って刈り込んだのが、再編集の大きなポイントらしい。カットするとそのぶんのパーセンテージがそのまま消える、という単純なものではない。短くする作業の過程でまた別の流れと意味が生まれる。編集の面白さを改めて感じた。

鬼剣舞は、岩手県北上市で約1300年の歴史を持つ伝統芸能。市内の各地域に団体があり、それぞれ型や所作が違うという。そのなかのひとつ、岩崎の鬼剣舞に密着したのが本作。岩崎に部屋を借りて移り住み、ひとりでカメラを回して映画をつくったのだと監督の三宅流に聞いた。




©Kousuke Wakaki

まず感心するのが岩崎鬼剣舞の、深い根のおろしかた。冠婚葬祭などあらゆる場で踊りが求められる。かつて踊り手だったシニアは現役の踊り組を見守り、現役は小中高で鬼剣舞を習う子どもを指導する。多くは兼業農家なので仕事との両立で忙しいが、充実している。芸能の伝承が地域の各世代をつないでいるさまがありありと伝わる。その上で誰か、カメラは明らかにこの人に惚れているなという対象がいない物足りなさは感じるのだが。
どのポジションのひとも同列に見て総体を浮かび上がらせる狙いなのだろう。それでも突出しているのが庭元。ガキ大将のようなリーダー振りで目立つあたりは、さすがです。酒席の濃さが胃にもたれるか楽しそうに見えるかで、見るひとの民俗学的な興味の角度はずいぶん違ってくると思う。

ロング・バージョンでは、踊りの稽古と披露の間に農作業があるようにやや見えた。現実には土地があって暮らしがあって踊りがある。春夏秋冬の田と鬼剣舞は密接どころか、同じひとが耕し育てているもの。劇場公開版は岩崎での1年に視点を絞ったことで、それがより伝わる。主役は土地。この映画はそこをよくわきまえているから、東京公開の前に東北巡回上映を優先させてきた。鬼剣舞とは古来より災いを払い、地の清浄を念じて踊るものだからだ。

 

『究竟の地 岩崎鬼剣舞の一年』
監督・撮影・編集/三宅流 
ナレーション/豊川潤 製作/愛知芸術文化センター
2008年/日本/128分 カラー
5/5(土)から5/11(金)まで オーディトリウム渋谷にて限定モーニングショー  公式サイト

【執筆者プロフィール】
若木康輔(わかき・こうすけ) 
68年、北海道生、日本映画学校卒。ライター。メインは放送/構成作家業。07年より映 画評を執筆。最近参加した仕事のうち一番大変だったのでPRしておきたいのは、キネマ旬報社編「現代日本映画人名事典・女優篇/男優篇」