【Monograph】地域映画と映像教育の文化史 第1回 藤川治水と熊本映画サークル運動(1)text 佐野亨

藤川治水の著書『映画地方論』(左)と長年にわたり寄稿し続けた「くまもと映画手帖」

藤川治水と熊本映画サークル運動(1)

本稿は、2009年9月刊行の「シネリテラシー vol.1 映像文化の未来を考える」(日本映画学校監修・早美出版社)に掲載された文章に、2012年11月以降、加筆修正を施したものである。当初、「シネリテラシー」は隔月発行の学校機関誌として企画されたものの、諸事情により2号以降は発行されぬまま、休刊となった。それにともない、日本各地の市民映画と映像教育のかかわりに焦点を当てた本連載も、発表された初回(拙稿)と書きかけの第2回原稿を残して永久凍結されることとなったのである。
このたび、若木康輔氏の進言もあり、このneoneo webにて連載を再開させていただくことができた。若木氏にお礼申し上げる。

藤川治水(ふじかわちすい。本名は同じ漢字で「ふじかわはるみ」と読む)という批評家のことを、はたしていま、どれだけの人が記憶しているだろうか。
夫人で詩人の緒方惇の言葉を借りれば、「学校の先生をしながら映画評論を書き、マンガ論を書き、それより何より熊本という地方を、熊本人をムチャクチャに、一方的に愛してハタ迷惑もわからない男性」(『地に棲む記録』所収「綿々たる情念の遊行」)であった藤川治水の活動は、肥大化しつづける映画産業を地方の視座から捉えなおし、同時代の映画ジャーナリズムのなかで相対化しようとする試みにほかならなかった。

昭和5年(1930年)、熊本県熊本市に生まれた藤川治水は、熊本大学教育学部在学中より映画サークルに所属し、昭和34年に雑誌「映画評論」が主催する第1回映画評論賞を受賞。以後、熊本市内の小中学校で教鞭をとるかたわら、映画批評、漫画批評の分野で精力的に執筆活動をつづけた。また1960年代には、「思想の科学」の会員として、山口昌男、佐藤忠男らとともに同誌の中核を担う書き手でもあった。

映画ジャーナリズムに接触してまもない頃から、治水は、たびたび映画を取り巻く状況への不満や苛立ちを表明していた。特に、「地方」をないがしろにする、その排他性について。

<もともと、地方とか中央とかを意識しすぎる馬鹿馬鹿しさについて、随分と経験してきたつもりなのに、またまた、この本をまとめあげる段階で話題にさせねばならなかった。しかし、ここでは地方を座敷牢に追いこみ、ガン細胞みたいに増殖させることで、地方性を逸脱し、普遍的話題になるよう、純粋培養でもしてみたらと考えたつもりである>(『映画地方論』昭和41年・熊本風土記発行所)

こうした治水の批評精神は、やがて、映画『あつい壁』(70)の制作運動へと結実してゆく。
『あつい壁』は、熊本市郊外のハンセン病療養所「恵楓園」に入所している子どもたちが、同市内の黒髪小学校に転入しようとしたさい、巻き起こった反対運動(黒髪校事件)に材をとった劇映画である。熊本の映画人、文化人、ボランティアが協力して制作を進め、全篇熊本でロケ撮影がおこなわれた。

発起人は、やはり熊本で生まれ、当時、日活撮影所の助監督をつとめていた中山節夫。のちに『兎の眼』(79)『やがて…春』(86)などの教育映画で評価を得る中山にとって、本作は第一回監督作品となった(ちなみに、脚本は、中山と横田与志、そして長谷部安春という日活3人組によって共同執筆された)。出演俳優も玉名郡出身の笠智衆をはじめ、多々良純、小松方正、富田浩太郎ら錚々たる顔ぶれが揃っている。

『あつい壁』制作の背景には、ハンセン病に対する偏見と差別を糾弾しようという意図だけでなく、緒方惇(彼女は事務局長をつとめた)によれば、「全く企業化した映画界の現状を地方から告発する意味がこの映画化の根底にあった……」(前掲「綿々たる情念の遊行」)。
後年、治水は、その目的を以下の5つの点にまとめている。

1.地方文化のなかでの映画蘇生を願う運動
2.地方から中央への文化逆現象を考える運動
3.熊本から各地方への文化創造アピール運動
4.地方における自給自足的な文化運動→日本における文化共和国的体制づくり
5.多くの差別問題への突破口となる文化創造運動
 (『樫本慶次の映画手帖』昭和54年・葦書房)

そのうえで、治水は、いずれの試みも「結果においてすべて満足には達成されなかった。いや、その一部にやっと到達したに過ぎない」と総括している。

完成した映画『あつい壁』は、熊本市内で最も古い常設映画館である熊本電気館で上映されたのを皮切りに、県内の公民館、学校などを巡回。市民映画の可能性を示唆するモデルケースとして、当時の新聞マスコミでも注目をあつめた。
一方、それと相前後するかたちで、熊本ではいくつかの映画サークルが勃興しはじめていた。治水は、それらを足がかりに、さらなる地域文化運動の活性化を図ってゆく。

(つづく)

『あつい壁』初公開時のフライヤー

参考文献
藤川治水『映画地方論』熊本風土記発行所(1966)
藤川治水『熊本シネマ巷談』青潮社(1978)
藤川治水編『樫本慶次の映画手帖』葦書房(1979)
藤川治水『お母さん 子どもの作文読んでますか』熊本出版文化会館(1993)
椋鳩十編『地に棲む記録』ダイヤモンド現代選書(1973)
熊本大学・映画文化史講座編『映画この百年―地方からの視点』熊本出版文化会館(1995)
「くまもと映画手帖(映画手帖)」くまもと映画手帖社(1955-93)
田中純一郎『日本映画発達史I~IV』中央公論社(1957-68)

資料提供:熊本映画センター

【執筆者プロフィール】

佐野亨(さの・とおる)
編集・執筆。1982年東京都生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒。出版社勤務を経てフリーランス。編書に『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』『教育者・今村昌平』(キネマ旬報社)、『ゼロ年代アメリカ映画100』『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。

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