【Review】福島(フクシマ)から長崎(ナガサキ)へ――映画『夏の祈り』を観る text 岩崎孝正

『夏の祈り』より ©supersaurus

 1945年8月9日午前11時2分、太陽のような明るい光はあたりをつつんで一つの街が吹きとんだ。熱線と爆風は数㎞におよび、病院、橋梁、家屋をはじめ先人の築いた英知は一瞬で姿を消した。長崎県松山町の土地の者は故郷を失い、亡骸のあふれる街をさまよった。なかには降下する死の灰を浴びて被爆し、原爆症を発症する者があらわれた。1945年8月15日、日本は終戦を迎えたものの原爆症が治癒することはなかった。彼らは病をかかえて日本の敗戦後を生きなければならなかった。

特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」は、ナガサキの被曝者が入所するホームだ。現在約445名の入所者がいる。創設者は、カトリックのシスターであった江角ヤスだ。江角は原爆投下地点約1.3kmにあった純心女子学園校長であり、勤務中に爆撃を受け重傷を負った。長崎原爆病院で検査入院中、多くの原爆孤老の実態を知ったのがホーム創設のきっかけだという。

長いあいだホームで長時間の撮影が許されることはなかった。だが、今回はじめて許可が降りた。原爆症に苛まれる被爆者たちが高齢となり、人知れず続々と病没していくことが背景にある。

映画『夏の祈り』(12)は、特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」を舞台としながら、入所者である本多シズ子、村上ハルエ、山口ソイ子、長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄の被曝の背景を撮影している。彼らは私たちの生きる現代に、戦後、被爆、平和とは何かを訴えかける。

監督は、20年間で200本以上のTVドキュメンタリーを制作してきた映像作家の坂口香津美。劇映画『青の塔』(2000年)、『カタルシス』(02年)、『ネムリユスリカ』(11年)に続く映画『夏の祈り』は、劇場公開された監督初のドキュメンタリー映画となっている。

『夏の祈り』より ©supersaurus

私は長崎の爆心地の土地を踏んだことがない。冒頭、坂口監督はそんな者を案内するようにタクシーの運転手に行き先を聞く。運転手の後ろ姿と、「恵みの丘長崎原爆ホーム」へ向かう夜道を、まるで「戦後」「ナガサキ」という遠く隔てた時間を遡るようにカメラがとらえる。長崎市内から約1時間、小高い丘の森のなかへ夜道は続く。2009年2月未明のタクシーの車内から、映画『夏の祈り』の撮影は始まっている。

ホームにいる高齢者は車椅子の生活を強いられている。被爆者は白血病や悪性腫瘍をはじめ、全身の力が抜ける(ブラブラ病)など原因不明の症状が出る。苦しみは計り知れないと聞く。70歳を越えた彼らの顔、身体、声に刻みつけられた傷痕をカメラはとらえる。ホームの高齢者はしゃべれない者もいる。あらぬ方向を見たままの者もいる。坂口監督は被爆と戦争の現実から目をそらすことがない。寄りそうようにしてカメラで彼らを追うのだ。

ホームの朝は、朝刊を新聞掛けに綴じることからはじまる。日が昇る前から彼らは目覚め、その後、入所者同士で声をかけあうなどして暮らしている。カトリック信者である彼らは日常的にキリストへ祈りを捧げ、また讃美歌を歌う。ごくごく自然な行為は、尊い犠牲の限りない敬意からだ。弾圧や迫害を受けながらも信仰を守りつづけてきたカトリックは、入所者の生きる拠り所となったに違いない。戦後から60年をへても信仰を絶やさない彼らの姿に、私は胸をうたれる。

本作の主人公である本多シズ子は浦上養育院の孤児だ。今回養育院を訪ね子どもたちと会う。彼女は「懐かしい」と言う。「戦後」という時間が、ゆるやかな日常を生きる現代にも流れ、カトリックの聖地である長崎の養育院で、幼いころから彼女が祈り続けてきたことを私たちは知る。

何気の無いホームの毎日は、夏に上演する劇により白熱化する。年に数度ホームを訪ねて来る小中高生のために、「あの夏の日に遭遇した自らの被爆体験」(パンフレットより)を彼らは上演しているのだ。舞台は爆撃直後のナガサキだ。彼らは自らの降りかかった災禍の原点にさかのぼり、命をふりしぼように演じる。この劇が私には新鮮に映った。

「みずをください」「いたいよ、いたいよ」とセリフを口にする。爆撃直後のナガサキを彼らは歩いていく。「みずはのんじゃいけん」と言う。もはや歩けなくなった脚をさする。また爆撃の音が地割れのように響く――原爆症を生き抜いてきた者の、いつ果てるかもわからない生命が劇に満ちあふれる。劇は〝原爆の被害者の劇〟ではなく、年老いていく生への抵抗の痕であり、つねに死と向きあってきた者たちの絶唱である。爆撃直後のナガサキから遠く隔てても、彼らは、内部で劇化された体験をくりかえし演じている。見る者がことごとく圧倒されるのは、彼らの身体を通して爆撃直後のナガサキが再現されるからにほかならない。本作の主人公である本多シズ子、村上ハルエ、山口ソイ子は、「戦後」「ナガサキ」は過去のものではなく、現代の日本に突きつけられた、終わることのない課題だと言わんばかりに見る者へとつきつける。

本作には米国戦略爆撃調査団が撮影したという貴重なフッテージがある。谷口稜曄が子どものころに負った背中一面の大やけどの傷は、赤々として痛々しい。彼はいまも胸の骨が腐り肺を膨らますことが出来ず、また呼吸もままならなない。大きな声を出せないのだ。

彼は長崎平和公園の原爆落下中心碑へ行き、青々とした木々のなかの碑の前に立つ。往来があるなかで、おもむろに自らの上着を脱ぐ。背中から臀部にかけての傷は、まるで塗りこめられた絵画のように映る。私たちは言語や表現をこえて、彼が「戦後」や「ナガサキ」を抱えるように生きてきたことを知る。養育院を訪ねた本多シズ子とともに、彼は碑の前で自らの「戦後」に立っているに違いないのだ。

ここまで書いてふと気がついたのだが、坂口監督は、本作の登場人物へ戦争体験をあまり喋らせていない。むろん撮影はしていたのかもしれないが、ひんぱんに言葉で語らせることをさせていない。戦争体験を語らせていくドキュメンタリーはたくさんあるが、坂口監督は、言葉よりも、彼らの身体や、モノをとらえる。本作は、戦争体験を語ることよりも雄弁な身体を、劇化され、実演された映像によってとらえている。「戦後」「ナガサキ」が、映像によってリアルに私たちの目の前に迫るのはそのせいだ。

さて、「戦後」を知る者は高齢となった。彼らの姿を見ることの出来る世代は限られる。映像によって彼らが生きてきた痕跡を知ることは、私たちや後続の世代にとって、彼らからの貴重な贈り物に違いない。

『夏の祈り』より ©supersaurus

私は『夏の祈り』を見ながら3・11を思い浮べていた。長崎の爆撃直後の倒壊した町や被曝の恐怖はそのまま、震災と津波によって倒壊した集落や、原子力発電所の爆発による放射線の拡散のパニックや差別と重なる。時と場所が違うとはいえ、彼らの「戦後」は、私たちの「震災後」と重なっている。もっと言うのなら、「戦後」や「ナガサキ」から遠く隔てても、私たちは、彼らの「戦後」と同じ時間を生きている。

福島第一原子力発電所の事故後、放射線の被害は周知となった。福島に生きる土地の者は被曝の恐怖や不安をかかえて生きている。低線量の内部被曝は日常的に人体を蝕む。被曝により、今後どのような症状が出て来るのかは不明である。メディアが報じないだけで、被ばくが原因で亡くなったのではないかという者も複数いる。「ヒロシマ・ナガサキ」の被曝者の実態の調査は、現在の被曝のしきい値に反映され、私たちは彼らの被曝のデータをもとに安全であるのか、安全ではないのかをはかっている。未だ国外で原子力発電所は稼働中であり、私たちは原子力(核)と縁を切れない状況にある。事故後のケーススタディとして、記憶の風化とともに、なし崩しに原子力発電所が稼働されるのではないかと私は危惧している。

長崎で原子爆弾による傷と老いとともに生き、また自らの体験した劇を演じる「夏の祈り」を見るとき、私たちは新たな「戦後」(震災後)のはじまりを彼らから学ばなければならないことに気がつく。戦後の政策であった核の平和利用は、残念ながら隣国や国中の被爆とひきかえられてしまった。対応能力もなく右往左往する政治は、まるでリアリティのない陳腐で、はた迷惑な劇のように幕を閉じた。3・11は、身体性のない幻の戦後の終わりだったのだ。

福島の土地の者は、貞観・慶長・東日本大震災の災害を、百年から千年の単位で語り継ぐことが必要になるだろう。長崎で祈り続けるホームの者たちの老いと、痛みを遠く隔てたものではなく、身近に想像出来たことを噛みしめながら。

『夏の祈り』のラストは、ホームの屋上から長崎の土地と町の風景が映される。まるで、爆心地ではないような整然とした街へむかい「み母マリア」を少女が歌う。彼女はこの地で聖歌を歌いながら亡くなったというシスターや、学徒動員された女学生たちの姿と重なる。彼女は、まるで東北や福島(フクシマ)で、祈ることは可能なのかと問いかけているように、歌うのだ。

『夏の祈り』より ©supersaurus

【作品情報】

『夏の祈り』
2012年/95分/カラー/英題:Atomic Bomb

監督・撮影・編集: 坂口香津美
プロデューサー・編集: 落合篤子
音楽: 日高哲英/音響デザイン: 長嶌寛幸/ピアノ演奏: 小林愛実
フルート演奏: 新村理々愛/語り: 寺島しのぶ/英語字幕:リンダ・ホーグランド
製作・制作 株式会社スーパーサウルス/配給 株式会社ゴー・シネマ

公式サイト:http://www.natsunoinori.com/
次回作「シロナガスクジラに捧げるバレエ」クラウドファウンディング中
http://motion-gallery.net/projects/shironagasukujira

 【執筆者情報】
岩崎孝正(いわさき・たかまさ)
1985年福島県生まれ。フリーライター