【自作を語る】『異国に生きる 日本の中のビルマ人』 text 土井敏邦 (監督)

©Masaya NODA

長年、パレスチナを追いかけてきた私が、「在日ビルマ人」を追うことを思い立ったのは、1988年8月のビルマ民主化運動から10周年迎える1998年の夏だった。遠い異国・日本で祖国の民主化のために闘い続けている青年たちの姿に、私はイスラエルの占領下で解放のために闘うパレスチナの青年たちの姿を重ね合わせていた。彼らを支援するNGO「ビルマ市民フォーラム」から紹介された民主化活動家の1人が、チョウチョウソー(チョウ)だった。

日本でのチョウの生活を追うちに、私が何よりも驚き、心を揺り動かされたのは、その生き方の“真っすぐさ”だった。チョウは私のインタビューの中でこう語っている。

「家族や妻に再会するために、なぜ祖国に帰れないのか。私は自分のためだけに生きることもできます。家族のことだけを考えて生きることもできます。日本でただ働いて、お金を貯めて帰国すればいいのです。でも私にはそんな生き方はできないんです。私にとって、とても大切なことは“他人の痛みを感じる取ること”です。私はお金持ちになれるし、自由になることもできます。でもビルマで暮らす同胞たちは自由も豊かさもありません。私だけ、そのチャンスを独り占めすることはできません」

その言葉は、イスラエル占領からの解放闘争に参加し、貴重な青春・青年期の十数年を獄中で過ごした後、やっと釈放されたパレスチナ人青年が、語った言葉と驚くほど重なりあっていた。私のインタビューに答えて、その青年はこう言った。

「大切な青春時代を獄中で過ごさなければならなかったことを後悔していないかって?とんでもない。自分がパレスチナの解放のために闘い、自己犠牲したことを誇りに思っています。私の家族もそうです。パレスチナ人として最高の青春時代だったと思います。私の幸せは、私が暮らす社会の中にあるんです」

両者に共通するのは“志”の高さとそれを貫く“純粋さ”であり、そして“社会と個人との距離の近さ・関係の深さ”だった。つまり自分の生き方がその社会と、密接に重なり、絡み合っているのである。独裁政権下、占領下という過酷な状況がそうさせるのか、それともビルマやパレスチナが伝統的に育んできた文化、精神的な“土壌”がそういう人生観・価値観を生むのだろうか。そんな彼らの存在は、若者たちが自分の周囲10メートルのことにしか関心を持たなくなったと言われる日本社会の現状の中では、とりわけ新鮮だった。

しかし異国で生きる現実は厳しい。妻や肉親たちとの別れ、政治難民として異国・日本で生きるための闘い、日本政府の「難民政策」いう厚い壁、そして終わりの見えない異国での民主化運動の闘い・・・。その中でチョウは揺れ、迷い、苦悩しながら、20年以上も異国・日本で生きてきた。その姿は、私たちに日本人に、「社会の『幸せ』を願う“志”と個人の『幸せ』のどちらを優先させるのか」「家族とは何か」「守るべき“国”とは何か」「『愛国』とは何か」そして「“生きる”とはどういうことか」という普遍的なテーマを、私たち日本人に突き付けている。この映画は単に、「在日ビルマ人の民主化活動家の記録」ではない。私たち日本人が自身の“生き方”“在り方”を映し出し、自らに問いかける“映し鏡”なのである。

©Doi Toshikuni

【作品情報】

『異国に生きる』
日本の中のビルマ人
2012年/100分/日本/日本語・ビルマ語・英語/カラー

監督・製作:土井敏邦
撮影・編集:土井敏邦/横井朋広 
整音:藤口諒太
写真撮影・デザイン:野田雅也
配給:浦安ドキュメンタリーオフィス

公式サイトhttp://doi-toshikuni.net/j/ikoku/ 

3/30(土)よりポレポレ東中野にて公開 12:40/15:00/17:20
※公開中 土、日を中心にゲストあり

※札幌・蠍座 大阪・第七藝術劇場 名古屋シネマテーク などで順次公開

【監督プロフィール】

土井敏邦(どい・としくに)
1953年佐賀県生まれ。ジャーナリスト。2009年、長年パレスチナ・イスラエルの現地で撮影した映像ドキュメンタリー『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部『沈黙を破る』で石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2012年には『飯舘村 第一章・故郷を追われる村人たち』で「ゆふいん文化・記録映画祭・第5回松川賞」を受賞。続編となる『飯舘村 放射能と帰村』は5月4日から新宿K’s cinemaで公開予定。現在、映画『ガザに生きる』(5部作)を製作中。主な著書に『アメリカのユダヤ人』、『沈黙を破る』(いずれも岩波書店)など。