8月18日から26日まで、北京市郊外の宋荘にて第九回北京独立影像展が行われた。これは栗憲庭電影基金が開催してきた中国紀録片交流週(中国ドキュメンタリー映画祭)と北京独立電影展(北京インディペンデント映画祭)の2つの映画祭を合併したものである。昨年の中国紀録片交流週が第八回だったので、その歴史が続いているという意味で第九回と名付けられている。
昨年の中国紀録片交流週が政府の圧力により中止に追い込まれたことは、neoneoのメルマガ170号に書かせていただいた。私はあれから栗憲庭電影基金を離れ、その他のスタッフも入れ替わったのだが、中国政府はその後も栗憲庭電影基金に圧力をかけ続けており、昨年10月の北京独立電影展も表立っての開催はできず、事務所内でゲストだけに向けて内部上映することしかできなかった。今回もまた、開幕前からたびたび中止するよう警告されていたようだが、あえて開催に踏み切ったらしい。
私は今回、招待客のひとりとして参加した。政府の人間が大勢睨みをきかす中、18日の開幕式は無事に行われ、これまでにないほど観客が入って盛り上がりをみせていた。だが、それに続くオープニング上映の途中で突然会場が真っ暗になった。電気を止められたためである。そして、役人はあれこれと理由をつけ、イベントを中止するよう命令した。
だが、こんなことは主催側も予想していた。2時間とたたないうちに事務所は2つの臨時映写室に改装され、密かに上映が続けられた。そこには政府の人間も入り込んでいて、映画祭が続けられていることは彼らも知っていたのだが、対外的には開催中止と伝えたことで、彼らも目をつぶっていたようだった。一般客を入れられなかったのは残念だったが、ゲストや身内だけでも相当な数がいたので、小さな上映室はいつも人で溢れており、上映後も熱心な意見交換が行われた。
2つの映画祭が合併したとあって、作品数は多く、長短編合わせて100本を超える作品が上映された。映画祭はドキュメンタリー、劇映画、実験映像の3部門からなっており、それぞれに賞が設けられている。ドキュメンタリーは全部で42本あり、そのうち15本がコンペティションの対象になっていた。いずれも2011年以降に作られた新作である。興味深いのは、今回初めて中国以外に台湾のドキュメンタリー2本が、コンペの対象に含まれていたことである。主催者に聞くと、作家自らが応募してきたとのことであった。台湾でも宋荘の映画祭が知られるようになったということだろう。
また今回は台湾の紀録片工会(Documentary Media Worker Union)の紹介で、コンペ以外にも台湾の作品が数多く上映された。『T婆工廠』(陳素香監督)や『沈黙之島』(黄信尭監督)など、最近台湾で話題になった作品が中心だ。台湾からのゲストも多く、ドキュメンタリーの作家が8人も参加した。中国でこれだけ台湾の作家が出席した映画祭も過去に例がないのではないだろうか。
台湾ドキュメンタリーの中には、鳥インフルエンザ拡散の実態が政府によって隠蔽されていることを告発した『不能戳的秘密』(李恵仁監督)や、台湾塑膠集団による公害の問題をクローズアップした『福爾摩沙対福爾摩沙』(柯金源監督)など、社会運動的なテーマで作られている作品が多かった。ダイレクトシネマを好む中国の監督たちは、こういう映画の必要性は認めながらも、あまり気に入っていない様子であった。一方、台湾の若手作家が作ったセルフドキュメンタリーは受けが良かったようだ。
逆に台湾の作家たちから見ると、中国のドキュメンタリーは倫理観という点でかなり常識外れに見えたようだ。これは中国人から見ても同様だったようで、今回行われたドキュメンタリーについての討論会では、倫理についての意見が多く飛び出した。例えば今回上映されたものには、宗教的倫理から撮影が許されていないチベット族の鳥葬を隠し撮りしたものがあったり、娼婦を長期にわたって撮った作品では覚せい剤を使用したり生まれて間もない子供を売る場面を撮ったりしており、見るに耐えなかったという人もいた。しかも後者については、製作者が覚せい剤を与えて使わせていたらしく、事情を知る人がこんな作品を映画祭で選ぶとは大問題だと激怒していた。中国ではこういう議論の場で必ずといっていいほど倫理のことが話題になる。結論が出ないのだから議論する意味がないという作家も多いが、それだけ問題視される作品が多いということでもあろう。
さて、映画祭6日目になり、政府からこれ以上基金の事務所で映画祭を継続すると、事務所も停電するぞと警告を受けた。やむなく、形ばかりの閉幕パーティーを行い、翌日からは近所にある芸術家の個人宅にこっそり会場を移して、最終日まで上映が継続された。
最終日には各賞の発表が行われ、ドキュメンタリー部門では『遍地烏金』(黎小鋒監督)、『京生』(馬莉監督)、『吃飽的村子』(鄒雪平監督)が受賞した。『遍地烏金』は炭鉱と石炭を運ぶトラック運転手を撮ったもの、『京生』は中央政府に直訴するために地方から北京にやってきた人たちを6年に渡って追ったもの、『吃飽的村子』は呉文光が行なっている民間記憶プロジェクトに参加している作者が、故郷の村で老人たちに1960年前後の飢餓の時代について聞き取りをする過程を撮ったものである。社会派の作品を好む、宋荘らしい審査結果であったと言えるだろう。
今後も北京の映画祭は予断を許さない状況が続くと思われるし、最近では他の地域の映画祭や上映イベントにも圧力が及んでいると聞く。だが、これに屈することなく、大いに頑張ってもらいたいし、私も彼らとともに活動していきたいと思っている。
【執筆者紹介】
中山大樹 なかやま・ひろき
中国インディペンデント映画祭代表。中国に滞在しながら、インディペンデント映画の上映活動や執筆をしている。ブログ『鞦韆院落』は http://blog.goo.ne.jp/dashu_2005