【News】特報!7/20〜23 neoneo meets!vol.03「はじめての小川紳介」開催


小川プロ特集 表裏面

ドキュメンタリーカルチャーマガジン『neoneo』02 連動企画
小川紳介の映画が、今もあなたを挑発する。
観なきゃ損!の“血湧き肉踊る” 厳選プログラム!

「neoneo meets!vol.03! はじめての小川紳介」

2013年7月20日(土)〜23日(火)渋谷オーディトリウムにて

激動の1960年代から80年代に、時代と並走しながら数々の傑作を産み出した小川プロダクション。撮影対象は、三里塚闘争や山形の農村へと変容しつつも、土地に根づき、集団生活をしながら制作するスタイルを貫徹。ドキュメンタリーの可能性と活気を求め、スタッフらは自主制作・自主上映運動を続けました。主宰である小川紳介は、小川プロダクションを猛烈に率いながら、55歳の短い生涯を精一杯生きました。

1992年に小川が没してから21年、その作品群は現在の私たちの目にどのように映るのでしょうか。本特集では、あえて時系列を追わずに小川プロダクションの作品の中から各時代を代表する作品をご紹介、“日本ドキュメンタリーの巨像”に迫ります。「ぶつかってますか!」と問いかけてくる渾身の作品群、是非ご覧ください!

むかし激動、いまも激動。観なきゃ損々、小川紳介またきてどっこい!


【日程&ゲスト紹介】
※ゲストは都合により変更の可能性もあります。ご了承下さい。

7月20日(土)
13:00~『1000年刻みの日時計-牧野村物語』(1986/16ミリ/カラー/222分)

      ゲスト:山本政志(映画監督)

パンク映画監督同士!?の知られざる交流秘話
『闇のカーニバル』(82)『ロビンソンの庭』(87)などの名作で知られ、今は『シネマ★インパクト』を主宰する山本政志監督は、実は小川紳介監督の大ファン!1987年、ベルリン映画祭に共に招待され意気投合、92年に小川が亡くなった時は、葬儀で弔辞を読んだほどでした。『観ずに死ねるか!傑作ドキュメンタリー88』(鉄人社)でも紹介されたパンクな監督同士の知られざる関係が、今明かされる!

20:30~『牧野物語・養蚕編』(1977/16ミリ/カラー/112分)
      ゲスト:深田晃司(映画監督

若手劇映画監督から見た「小川プロダクション」
『東京人間喜劇』(09)『歓待』(10)などで注目される若手劇映画のホープ・深田晃司監督。『独立映画鍋』の一員でもあり、インディペンデントの立場から映画製作の予算やネットワーク作りを真摯に考える監督のひとりでもあります。小川プロといえば、まさに「自主製作・自主上映」で何作もの映画を積み上げてきた大先輩。「作りたい映画を作る」ためのノウハウの歴史と未来が交錯する!

7月21日(日)
13:00〜『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』(1970/16ミリ/モノクロ/50分)

14:10~『三里塚・第二砦の人々』(1971/16ミリ/モノクロ/143分)
      ゲスト:原一男(映画監督)

小川プロと原一男、その意外な接点
『ゆきゆきて、神軍』(87)などで知られる原一男監督も、若い頃、小川プロの作品をよく見ていた監督のひとり。『さようならCP』(72)で監督デビューする以前には、新宿区の公会堂で行われていた「三里塚シリーズ」の上映会に足繁く通い、実際に小川プロの事務所を訪ねたこともあるそうです。いずれの作品も強烈なインパクトを持つ原監督が映画を志すにあたり、先輩監督・小川紳介から受けた影響とは?

20:30~『三里塚・岩山に鉄塔が出来た』(1972/16ミリ/モノクロ/85分)
       neoneo編集室メンバー数人のトーク

neoneoスタッフが語る「三里塚のいまを報告!」
「neoneo」2号を発行するにあたり、今春、編集室のスタッフ数人で現在の三里塚を見て回ってきました。現在も残る岩山の鉄塔の痕跡。かつて小川プロが居を構えた『辺田部落』…巨大な空港は未だ完成に至らず、映画の舞台となった三里塚は、この40年の日本の矛盾が凝縮されているかのような土地でした。駆け足で巡ったその模様を、写真を交えてレポートします。

7月22日(月)
13:00〜『ニッポン国古屋敷村』(1982/16ミリ/カラー/210分)

20:30〜『三里塚の夏』(1968/16ミリ/モノクロ/108分)
      ゲスト:大島新(テレビディレクター)

テレビドキュメンタリストが語る小川紳介
映像制作会社「ネツゲン」代表として数多くのテレビドキュメンタリーを製作し、映画『シアトリカル』(07)の監督でもある大島新さん。ドキュメンタリーに強いこだわりを持ちながら、これまで小川プロの作品を観る機会に恵まれなかったそうです。父親である故・大島渚監督が「もっとも尊敬する作家のひとり」として名前を上げていた小川紳介の作品を、現役テレビディレクターの大島さんは、どのように語るのでしょうか?

7月23日(火)
13:00~『青年の海 四人の通信教育生たち』(1966/16ミリ/モノクロ/56分)

14:20 ~『パルチザン前史』(1969/16ミリ/白黒/120分)

20:30~『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』(1967/16ミリ/モノクロ/105分)
       ゲスト:想田和弘(映画監督)

観察映画vs小川プロ映画!?
現在、新作『選挙2』が絶賛公開中の想田和弘監督。「観察映画」という独自の撮影スタイルは有名ですが、最近は日本の政治状況にも積極的な発言を続けています。小川紳介が名をあげた1960年代は“政治の季節”。小川もまた、その中で独自の映画手法を確立し、ヒトの生きざまを描いていったのです。ふたりの接点を探りながら、ドキュメンタリー映画の未来を探ります!

【料金】
1回券 1200円/3回券3000円(シニア、学生、各種割引はございません)
※『1000年刻みの日時計』『ニッポン国古屋敷村』は1500円 
3回券ご利用の場合は+500円でご入場いただけます

主催:neoneo編集室  http://webneo.org/
問合せ先:090-8108-7971(neoneo編集室・佐藤)

【会場】
オーディトリウム渋谷 
渋谷・文化村前交差点左折 
渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F 
TEL:03-6809-0538
HP:http://a-shibuya.jp/


【上映作品紹介】

1000年刻み7月20日(土)13:00~ 
『1000年刻みの日時計-牧野村物語』
1986/16ミリ/カラー/222分

監督:小川紳介 助監督:飯塚俊男 撮影:田村正毅 録音:久保田幸雄、菊池信之 製作:伏屋博雄

すべてが破格!十三年かかって穫れた、映画のコスモロジー

小川が13年間住み続けた牧野村を、稲の成長や自然との闘いを捉えた記録映像と、村に伝わる民話を基に描いたドラマを交錯させて描いた、前代未聞の壮大な“映画”。エロティックな稲の開花の微速度撮影にはじまり、縄文土器あり、道祖神あり、民話あり、ドラマありの構成は、小川プロの映画術の集大成。役者のみならず村人が総出で演じる百姓一揆の再現や、大団円のラストシーンは何度観ても圧巻!
 ※ゲスト:山本政志(映画監督)

 養蚕篇7月20日(土)20:30~
『牧野物語・養蚕編』

1977/16ミリ/カラー/112分

監督:小川紳介 助監督:渡辺孝明 撮影:原正 録音:瓜生敏彦 編集:福田克彦 製作:伏屋博雄、飯塚俊男

チャーミングな養蚕教室は小川プロ転換期の重要作

山形に移住した小川プロのスタッフが、米作りと共に手掛けたのが養蚕。1977年、近所の「お蚕さま育ての名人」木村サトさんの指導の下で、蚕の飼育に取り組んだ。蚕の世話は、村では代々女性の仕事。その飼い方を記録することは、サトさんの人生の軌跡を共有することでもあった。8mmフィルムを16mmにブローアップした質感と相まって、小川プロ屈指の「柔らかさ」を持った、隠れた名作。
※ゲスト:深田晃司(映画監督)


三日戦争7月21日(日)13:00~
『三里塚・第三次強制測量阻止闘争』
1970/16ミリ/モノクロ/50分
監督:小川紳介 助監督:福田克彦 撮影:田村正毅



激しさをます闘争現場、糞尿爆弾が炸裂する!


1970年9月30日、空港公団は3回目の測量を強行。ヘリが空を舞い、黒煙の中、突入する機動隊。農民たちは老いも若きも女も子供も、全身を震わせ激しく抵抗する。自らの身体に糞尿をまとい、大地に打ち込まれた杭にしがみつく者もいた。反対同盟代表・戸村一作氏の抗議の言葉も過激さを増す。その結果、1週間予定の測量は3日で打ち切られたが…。ニュース性を重視し短期間で作られた、シリーズ第3作。

no27月21日(日)14:10~
『三里塚・第二砦の人々』
1971/16ミリ/モノクロ/143分
監督:小川紳介 助監督:福田克彦、湯本希生 
撮影:田村正毅

 

笑い闘い生きている。シリーズ白眉の“傑作活劇”

三里塚シリーズの4作目。放送塔が立ち、バリケードが張り巡らされた丘の上の「第二砦」が舞台。木に鎖で体を縛り「殺せ!」と叫ぶおっかあの姿にはじまり、公団や機動隊と徹底抗戦する農民たちが描かれる。しかし砦に密着したカメラは、地下に張り巡らされた塹壕の中で寝泊まりの様子を喜々と語り、時に腹を抱えて笑う彼らの姿を映し出す。伸びやかに映るその空気が、スタッフとの距離の近さの、何よりの証拠だ。
 ※ゲスト:原一男(映画監督)

岩山7月21日(日)20:30~
『三里塚・岩山に鉄塔が出来た』
1972/16ミリ/モノクロ/85分

監督:小川紳介 撮影:田村正毅 
現場録音:湯本希生 整音:浅沼幸一


滑走路の前に塔を立てろ! 開港阻止の一大ミッション

三里塚シリーズの第5作。滑走路の先端・岩山地区の農民は、飛行審査を阻むべく、60メートルの巨大な鉄塔の建設を決定。全国から鳶が集まり、村の若者や学生たちと協力しながら、わずか半月で巨大な手作り鉄塔を完成させた。スリリングなその過程を、カメラもまた建設中の塔の上に昇って、とことん記録する。ラスト。村を去る鳶の青年の表情が眩しい、三里塚版・『プロジェクトX』。
 ※ 伏屋博雄(neoneo編集長・小川プロプロデューサー)ほか、neoneo編集室スタッフによるスペシャルトークあり


ニッポン国古屋敷村7月22日(月)13:00
『ニッポン国古屋敷村』
1982/16ミリ/カラー/210分

監督:小川紳介 撮影:田村正毅 現地録音:菊池信之 助監督:飯塚俊男 見角貞利 製作:伏屋博雄


風・土・水、そしてヒト…村に刻まれた昭和の歴史

山形に移住して6年目の1980年。牧野に近い古屋敷で起きた大凶作。小川プロのスタッフは、古屋敷村に流れる冷気が稲に与える影響を徹底調査する一方で、村で暮らす人々の姿を生き生きとカメラに収める。模型やグラフを駆使したサスペンスタッチの科学映画が一転、古老たちの鮮やかな昔話を巻き込んで、抱腹絶倒の小川流・ニッポン国の歴史絵巻が繰り拡げられる!ベルリン映画祭国際批評家連盟賞受賞。

三里塚の夏 7月22日(月)20:30~
『三里塚の夏』

1968/16ミリ/モノクロ/108分

監督:小川紳介 撮影:大津幸四郎、田村正毅 録音:久保田幸雄 演出助手:神公平 松本武顕 吉田司


一声、関東に不平あり。小川プロの三里塚、ここに始まる

周辺住民の同意を得ないまま、公団によって始められた成田空港の建設。農民たちは武力闘争も辞さない覚悟でこれに抗った。小川プロのカメラは、武装を決断する村の青年行動隊を中心に、農民の立場から闘争の内部に入り込む。「全ショットを農民の列中から撮り、権力側とは向き合って、対面から撮る」小川の手法は、それまでのドキュメンタリーの方法論を根本から覆した。三里塚シリーズの記念すべき第1作。
※ゲスト:大島新(テレビディレクター)


青年の海 7月23日(火)13:00~
『青年の海 四人の通信教育生たち』
1966/16ミリ/モノクロ/56分

監督:小川紳介 撮影:奥村祐治 スタッフ:大津幸四郎、川名満雄、久保田幸雄、栗林豊彦ほか


資金も無く撮り始めた「長期取材・対象密着」の原点

少しほろ苦い味わいのある、小川紳介のデビュー作。大学の通信教育制度の改悪と闘うために、4人の青年が立ち上がる。しかし闘いは行き詰まり、なぜ苦労して働きながら学ぶのかを、彼ら自身が突きつけられる。小川もまた、映画が行きつく先の悩みを抱えながら、手探りで次の闘いへと走る彼らと共鳴し、カメラを向けて走りだす。両者が並走するラストシーンが美しい。

パルチザン前史7月23日(火)14:20~
『パルチザン前史』
1969 /16ミリ/白黒/120分

製作:小川プロダクション演出:土本典昭 堤稚雄  撮影:大津幸四郎 一之瀬正史 録音:久保田幸雄


盟友のため全面協力した唯一の「小川・土本」共闘作品

水俣病の映画で知られる土本典昭監督が、小川プロで製作した唯一の作品。土本は、京大全共闘議長・滝田修の革命運動や軍事訓練の様子を追いながら、家庭を持ち、予備校の教壇で大学解体を唱える矛盾を率直に語る滝田の人柄に魅了されていく。ゲバ棒、火炎瓶、燃え上がる車…日に日に激しくなる闘争とは裏腹にどこか滑稽さを含んだ当時の学生運動。それを取り巻く空気をリアルに伝えた傑作。

圧殺の森 7月23日(火)20:30~
『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』
1967/16ミリ/モノクロ/105分

演出:小川紳介 演出助手:神公平 撮影:大津幸四郎 録音:久保田幸雄


大学闘争の内部に入って核心を見つめた初期の代表作

大量の裏口入学が発覚した高崎経済大学。怒った学生は学校側と対立、学園ホールを占拠し、立てこもる。カメラもまたバリケートの中に入り込み、同じ場所から彼らの模様を記録する。クローズアップや長回しを多用し、相談相手として小川も画面に登場。たたかう若者の姿を現在進行形でドラマチックに描いた、その後の小川ドキュメンタリーの基礎となる記念碑的な作品。
※ゲスト:想田和弘(映画監督)


【小川紳介と小川プロダクションとは?】

小川紳介1936年東京生まれ、能弁多弁で評判の助監督だった小川紳介青年が岩波映画から独立したのは64年。『青年の海』『圧殺の森』で研ぎ澄まされた、大学闘争の中で剥きだしにされる人間の気高さへの追及が、必然的に成田空港建設反対闘争に向かう。1968年、自主上映を手伝う若者達を中心に小川プロダクションを設立。宿舎を三里塚に置いて撮影を開始する。77年『三里塚 五月の空 里の通い路』まで計七作、徹底的に土地を奪われる側に立った<三里塚シリーズ>は映画史上不滅の金字塔に。しかし同時に、土を知らずに土に生きる人々を撮れるのか?と疑問が増し、70年代半ばから山形県上山市牧野村に新たな拠点を置いてスタッフ皆で稲作りを学び、映画作りを根底からやり直す。日常と撮影の区別なく農村そのものに迫る小川プロの巨大な試行錯誤は『ニッポン国 古屋敷村』、そして『1000年刻みの日時計』で結実。さらには89年、今も続く『山形国際ドキュメンタリー映画祭』の開催を提唱、アジアの映画人との連帯を志した。壮大なコスモロジーに達した先に切り拓かれる新作を世界中の映画人が待ったが、ガンの転移による肝不全で、小川、92年に55歳で死去。その名前は山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア千波万波部門グランプリに『小川紳介賞』の名で引き継がれている。