2013年1月、横浜美術館で始まった写真展「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」では、「ロバート・キャパ」という名前が彼の恋人であったゲルダ・タローと共同で使用された架空の人物名(ペンネーム)であったことを前面に出して、この忘れられた女性写真家の功績に焦点を当てた。その翌月、この写真展を引き継ぐかのように、あのキャパの代表作『崩れ落ちる兵士』はタローが撮影した写真であった、とする沢木耕太郎氏の推察をNHKスペシャルが取り上げ、注目を集めた。こうして、「キャパ」に対する関心がにわかに高まりつつあるなかで、今月末にはドキュメンタリー映画『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』が公開される。
ギャング映画に登場するかのような、どこか秘密めいた「メキシカン・スーツケース」とは、キャパとタロー、デイヴィッド・シーモアの3人がスペイン内戦で撮影した後、行方不明になっていた4500枚ほどのネガが入った小さな紙箱のことであり、2007年になってメキシコで発見された。なぜ70年も経ってからメキシコで見つかったのか、そこに何が写されていたのか、それらを誰が保管していたのか。この映画はそうした謎に迫っていくのだが、その過程でスペイン内戦とその後のスペイン人が辿った過酷な歴史に光が当てられる。そこでは「メキシカン・スーツケース」に残されたキャパの写真を紹介することよりも、「メキシカン・スーツケース」と共に移動した人たちの物語に比重が置かれており、彼の写真に興味を持って来場した観客は題名との落差に少し戸惑うかもしれないが、それがこの映画の魅力であることに気付くだろう。
戦争写真家(戦場カメラマン)という職業があるとすれば、それは危険を顧みず、銃弾の飛び交う前線に赴き、緊迫した兵士の様子や路上に転がる死体、砲弾で破壊された建物、そして(それらとモンタージュして戦争の悲惨さを強調するために)女性や子供、植物を撮影する仕事である。彼らは冒険家・旅行者であり、戦争が起これば、世界中のどこにでも出没し、一枚の写真によって名声と大金を掴む。キャパは戦争写真家として最初に成功した人物であり、ハンガリーで生まれたユダヤ人の彼はベルリンからパリ、ニューヨークへと拠点を移しながら、第二次世界大戦が始まるとヨーロッパの戦場を転々とし、終戦後にはイスラエルや日本を訪れ、ベトナムで人生の幕を閉じた。彼のような戦争写真家にとっては、国境とは通り過ぎるものでしかない。
しかし、彼らに撮影された一般の人たちにとって、家族を連れて祖国を離れ、外国で難民(亡命)生活を送ることは容易ではない。1936年に勃発したスペイン内戦ではフランコ将軍の率いる反乱軍と人民戦線政府が戦ったが、外国勢力が深く関与し、前者をナチス・ドイツとイタリアが、後者をソ連が軍事的に支援し、さらに世界中の左翼文化人もスペインに集まって、義勇兵となった。しかし、彼らが加わった政府軍が敗北するとスペインを脱出し、祖国に戻って反ファシズムの戦いに備えることになる。(ゲルダ・タローはこの内戦で命を落とすのだが、キャパはパリに戻った。)その時、忘れられたのが、人民戦線政府についたスペイン人の「その後」である。例えば、フランコ政権からの弾圧を逃れて、国境を越えた人たちにもフランス政府からの冷酷な仕打ちが待ち受けていた。現在、海水浴場として知られるフランス南部のアルジュレスに設けられた強制収容所では、鉄条網で囲まれた、天井もない粗末なバラックの中に数万人のスペイン人が隔離され、一万人近くの人が亡くなったと語られる。その後、一部の人たちはメキシコに亡命するのだが、こうした悲劇の旅を共にしたのが、「メキシカン・スーツケース」だったのである。
映画の冒頭はスペイン山中に集団埋葬された元兵士たちの遺骨を考古学者が慎重に掘り起こす場面であり、そこでは一人の女性が祖父の遺骨が見つかることを願って、その作業を見守っている。その発掘作業の様子は何度も映画のなかに挿入されるのだが、それは内戦を語ることが禁じられてきたスペイン社会において、その歴史を掘り返すという象徴的な意味が込められている。つまり、この映画は内戦で敗北したスペイン人の歴史=物語をスペインの国民の歴史の中に位置づけようとするスペイン映画である。
この映画の終盤、『メキシカン・スーツケース』展がニューヨークで開催された時、そこに一人の女性が来場し、若い頃の祖母の姿を見つける場面がある。有名な写真家が残した、高い値段で取引される「作品」であっても、そこに記録された人物が特定された時、その写真は一般性(象徴性)を失い、その人物の写真へと変化する。遺族にとっては家族の写真となり、それまでの様々な記憶が結びつき、写真のイメージに彼らの人生と関係した、なんらかの意味を与えるだろう。観客も女性の姿を通して、彼女に近い視点から写真を見つめることになる。それは写真家が独占してきたイメージを撮影された人たちと共有することであり、戦闘で殺害され、集団で埋められた遺骨を掘り返し、その一つ一つの人物を特定し、匿名性(歴史の闇)から救い出すことと共通しているのかもしれない。その意味では、この映画は写真家によって撮影された人たちに寄り添ったと言えるだろう。
このように『メキシカン・スーツケース』はスペイン内戦で敗北したスペイン人の物語を中心とした映画であり、「スーツケース」を密かに作った寡黙な暗室助手の人生など、興味深いエピソードにも事欠かない。ただ、過去から現在、スペインからメキシコ、米国に至る、あまりに多くの出来事と関係者を取り上げたため、駆け足になり、写真のイメージではなく、歴史家や専門家のインタビューに頼る場面が目立った。とはいえ、キャパが名声を確立したスペイン内戦で撮影された人たちがどうなったのか、キャパとは異なる軌跡を辿り、写真家とは異なる視点から写真の持つ力について考えさせてくれる、興味深い映画である。
【上映情報】
『メキシカン・スーツケース』<ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実
2011年/メキシコ/英語・スペイン語/カラー&モノクロ/86分
監督:トリーシャ・ジフ 撮影:クラウディオ・ローシャ 編集:ルイス・ロペス
音楽:マイケル・ナイマン、ヘラルド・パストール
配給:フルモテルモ×コピアポア・フィルム
協力:マグナム・フォト東京支社 宣伝:カプリコンフィルム
2013年8月24日(土)より 新宿シネマカリテほか 全国順次公開
公式HP:http://www.m-s-capa.com/index.htm
劇場情報:http://www.m-s-capa.com/theater.htm
【執筆者紹介】
藤田修平 ふじた・しゅうへい
1973年神戸生まれ。台湾で映画制作を始め、日本と台湾の歴史を扱ったドキュメンタリー映画の制作に取り組む。手掛けた作品は『寧静夏日』(2005、監督)、『緑の海平線』(2006、企画・制作)など。『緑の海平線』はゆふいん文化・記録映画祭で第1回松川賞大賞を受賞。
関連記事:【Report & Interview】ゆふいん文化・記録映画祭~地方の映画祭の可能性を探る