【Review】進化系・演劇――鵺的第8回公演『毒婦二景』 text 夏目深雪

鵺的の新作である『毒婦二景』は、「阿部定」をモチーフとした長編『定や、定』『昭和十一年五月十八日の犯罪』2編の同時上演で成り立っている。『定や、定』では岡田あがさ、『昭和十一年…』ではハマカワフミエが阿部定を演じる。というと、『暗黒地帯』から始まって『カップルズ』『荒野1/7』と続く、人間の暗黒部分、というよりは人と人との間に時として開いてしまう、ぽっかりとしたブラックホールのような暗黒を描き続けてきた鵺的の規定路線を想起して、ほの暗い期待に目が眩む人も多かったろう。だが、期待に反して、なんとこの2作はかなり「笑える」喜劇であった。

Aプロの『定や、定』は事件時のみを除き、事件前と事件後の阿部定を、彼女の生涯を通して「腐れ縁」であった男とのやりとりのみで描く。そこで描かれる阿部定は、美人だが蓮っ葉で、移り気を抑えようともせず、男から男へと渡り歩く、淫乱ではあるが可愛い女性だ。事件後もさして石田を絞殺したこと、男性器を切り取ったことを後悔する風情も、悪びれる様子もない。事件についての本が出るとその嘘八百ぶりに憤り、著者と出版社を告訴したり、事件を舞台化した芝居で自ら阿部定を演じ拍手喝采を浴びたり、その天真爛漫さは見ていてこちらが痛快に思うほどだ。

でも、Aプロの阿部定はこちらが全く想像していなかった何かがあったかというと、それはなかった。確かに高木登と岡田あがさが構築した「阿部定」はそこに神々しく、美しく存在したが、それは大島渚の『愛のコリーダ』から逸脱した阿部定ではあるものの、想定内の範囲であった。喜劇、とはいっても猟奇的な事件が下敷きにあるので、どこかやけっぱちで危うく、それを二・二六事件から3か月後、第二次世界大戦勃発の3年前だという世相、キナ臭さと閉塞感から来る狂騒を、今の日本の世相とも通じるように描いているところはさすがである。3.11をしごく真面目に転換点として受け止める劇団が多いなか、関東大震災の揺れのなか、情交にはしゃぐ男女の嬌態を描くのは天晴(あっぱれ)としか言いようがない。とことん人間の闇を見つめる作風だけではなく、こんな「ダークな」喜劇も出来るのだ、という事実はこの劇団の伸びしろになるだろう。だが…、というのが率直な感想だった。

『定や、定』 (c)鵺的 撮影:石澤知絵子


Aプロは初日に見たのだが、たまたま知り合いの演劇サイトの編集女史と隣席になり、鵺的について少し語り合った。私が自分にとっての鵺的を、「もともと主宰の高木さんが映画畑の方なので、演劇歴の浅い自分のなかでは一番長く見ている劇団」だと語ると、彼女はこう言った。「そうなのよね。演劇のダメなところがないのよね、鵺的は…」。

Bプロ『昭和十一年五月十八日の犯罪』を観ながら、その言葉を思い出していた。Bプロは、事件後の取調室での阿部定を描く。しじゅう毅然としていて、若い刑事に「変態」と罵倒されても動じず、切り取った一物を、力づくで奪われようとしても決して手放さない阿部定は、Aプロの阿部定よりも「純愛」が強調されている。同じように男から男へと渡り歩いた阿部定であるはずなのに、ハマカワフミエのつんとした美貌のせいもあるのか、「一物を切り取った」という行為がむしろ彼女の「貞操」を感じさせるのは不思議だ。刑事たちのあの手この手の恫喝や説得にも、毅然と受け答えをする阿部定は、少なくとも下半身で考えているようなAプロの阿部定より、愛(そして、それに付随する性愛)に生きている、聡明とまでは言えないものの一貫性があり、感性が豊かな女性に見えた。2編は違う女優が演じているし、どちらも創作が入っているのだから、違う女性像であって然るべきだろう。でも、2人とも阿部定なのだ。

『昭和十一年五月十八日の犯罪』 (c)鵺的 撮影:石澤知絵子


「演劇のダメなところ」、それは何だろう。例えば、このような2本の長編同時上演を、通常の演劇がこのような形でやるだろうか? 女優競演、或いは演出家競演にして、話は同じであることが多いのではないだろうか。そこでは、観客は「違い」を味わうのである。それぞれの女優の演技の違いを、それぞれの演出家の演出の違いを。演劇の最も強い魅力である、「今、そこで演じている、という現在性」に依拠し過ぎた態度とは言えないだろうか?

ここで鵺的がやっていることは、もっと豊かなことである。淫乱で男に頼るしか能がなく、行き当たりばったりに生きてきた阿部定も事実であり、自分を罰しようとする刑事にも自分を見物しようとする大衆にも、毅然と自らの愛と行為の正当性を説く阿部定もまた、事実なのである。このような視点の多様性は黒澤明の『羅生門』の例を出すまでもなく、映画が最も得意とすることであろう。鵺的は、岡田あがさとハマカワフミエという眩暈のするような美女を前にしても、彼女らの存在には頼りすぎないのである。いったい事実は? 阿部定は本当はどんな女性だったんだろう。観客は、2人の阿部定の見せる多面性のなかで迷子になり、その隙間で現在と過去との時空を行き来し、男と女の間にある溝に思いを馳せる。その豊かさは、映画の脚本家としても活躍する高木の、豊かな着想と、堅牢な構成力から来ていることは疑いがない。

鵺的の新境地ではないだろうか。ぜひ劇場に駆け付け、その「進化系・演劇」とでも呼べるものを味わってほしい。

 ―

|公演概要

鵺的第8回公演『毒婦二景』
◆Aプログラム『定や、定』 ◆Bプログラム『昭和十一年五月十八日の犯罪』

作・演出 高木登 
上演期間:2014年6月12日(木)〜6月23日(月) [※上演中]
会場:下北沢 小劇場楽園 03-3466-0903 
全席指定:前売3,200円/当日:3,500円
ABセット券:5,800円 学生:2500円
セット券・学生券はJ-Stage Naviのみで発売
J-Stage Navi http://j-stage-i.jp 03-5957-5500  (平日11:00〜18:00)
鵺的公式サイト  http://nueteki.org/

Aプログラム『定や、定』
少女阿部定は不良であった。自宅から金を持ち出しては浅草で遊び、男出入りも絶えなかった。見かねた家人は十七の定を遠縁の女衒に売り払う。この男がAである。高村光雲の弟子で、木彫り業を営むかたわら女衒をしていた男。定を犯し、脅し、もてあそんではヒモのようにつきまとった男。事件後は親身に定の世話をし、「お父さん」と呼ばれ、晩年は保険業のかたわら金融業も営んでいた男。この数奇な人生を歩んだ男Aと定との生涯の腐れ縁を二人芝居で描く。

出演:岡田あがさ、寺十吾(tsumazuki no ishi)、碓井将仁(劇団レトロノート)、藤岡豊

Bプログラム『昭和十一年五月十八日の犯罪』
事件発生から三日間の彷徨ののち逮捕された定は、すぐさま捜査本部の置かれた尾久署に移送され、取り調べがおこなわれた。定と刑事たちが全員笑顔でいる非常に有名な写真は、逮捕当日の夜、警視庁婦人独房への移送の際に撮影されたものである。猟奇の果てにあの朗らかな笑顔にたどり着くことができたのはなぜか。取調室における定と刑事たちとの攻防を描く。

出演:ハマカワフミエ、瀧川英次(七里ガ浜オールスターズ)、平山寛人(鵺的)、谷仲恵輔(JACROW)、碓井将仁(劇団レトロノート)、藤岡豊

タイムテーブル
6/12(木)19:30 A
6/13(金)19:30 B
6/14(土)14:30 A/19:30 B
6/15(日)14:30 A
6/16(月)19:30 B
6/17(火)19:30 A
6/18(水)19:30 B
6/19(木)14:30 B/19:30 A
6/20(金)19:30 A
6/21(土)14:30 B/19:30 A
6/22(日)14:30 B
6/23(月)14:00 A/19:00 B

|プロフィール

夏目深雪 Miyuki Natsume
批評家・編集者。共編書に『アジア映画の森―― 新世紀の映画地図』『アジア映画で<世界>を見る 越境する映画、グローバルな文化』(作品社)。2011年F/T劇評コンペ優秀賞受賞。「批評」と「編集」によって世界を切り取ろうと奮闘中。