【Review】「生きる」こと、「戦う」こと-土井邦敏監督『“記憶”と生きる』text 成宮秋仁

カン・ドクキョンさん© 安世鴻

第一部       分かち合いの家

1994年12月、韓国。

ナヌム(分かち合い)の家から、6人の年老いた女性たちが出てきて、坂を下り、バスに乗る。辿り着いた先は、日本大使館前。彼女たちは「水曜デモ(日本軍『慰安婦』問題解決全国行動)」に参加するために来たのだ。

水曜デモは、太平洋戦争時において日本軍「慰安婦」にされた韓国人女性たちが日本政府から公式謝罪と法的補償を要求するデモであり、1992年1月から毎週水曜日に日本大使館前で行われている。6人の年老いた女性たちは、かつて、「慰安婦」だった。

彼女たちは、デモの中で感情を示そうとはしていない。それぞれ無表情を貫いている。何か複雑な気持ちを宿しているようにも想像する事はできるが、真意は分からない。自分たちが元慰安婦だったという事実について、それぞれ何を考え、何を感じているのか、読み取る事は困難だった。

そんな彼女たちが初めて笑みを見せるのは、皆で囲んで食べる食事の時である。白い雪が降り積もるナヌムの家で、彼女たちは分担して料理を作り、皆で食べる。他愛のない話をしている内に笑いが出てくる。緊張がほぐれたように、彼女たちは自然に笑う。

ナヌムの家は、日本軍「慰安婦」だった韓国人女性たちが共同生活する施設であり、1992年10月に韓国の仏教団体によって開設された。「ナヌム」とは朝鮮語で「分かち合い」を意味する。50年以上、慰安婦であった記憶を独りで背負ってきた痛みや悲しみを、お互い「分かち合って」暮らしていこうという願いを込めて名付けられた。

慰安婦にされた女性たちは、戦争が終わって帰国した後も、満足な家庭も築けず、老後を過ごす家もなく借家を転々とし、貧困と病苦の中での生活を送ってきたという。ナヌムの家にはボランティアの医師が定期的に往診に来る。彼女たちは、皆高齢という事もあり、それぞれ疾病を抱えているようだった。

ナヌムの家に集まったお年寄りたちは、いったいどのような人生を歩み、現在に至ったのだろうか。画面は、一人ひとりのお年寄りへのインタビュー映像に切り替わっていく。

インタビューを受けたのは、孫判任(66歳)さん、李容女(70歳)さん、朴玉蓮(76歳)さん、朴頭理(72歳)さん、金順徳さん(74歳)の6人。

本作の監督を務めた土井敏邦監督は、彼女たちにインタビューを行うことで、彼女たちの慰安婦時代の記憶に触れ、その凄惨な体験を通じて傷つけられた心の痛みに寄り添っていく。映像には特に気を衒った映し方はされていない。彼女たちの日常の様子や素顔、談話やインタビュー中に見られるありのままの感情表現だけが正直に映し出されている。

そこには慰安婦にさせられた屈辱や悲しみ、戦後に被った慰安婦に対する他者からの軽蔑の眼差しや差別、そして本人たちが抱える男性恐怖と世間への後ろめたさなど、複雑な感情や思いが交錯していた。

インタビュー映像を通じて、また彼女たちの声によって、その痛ましい記憶があるがまま語られることで、彼女たちの「存在」はより立体的に浮かびあがる。そこには彼女たちが、間違いなくこの世に存在した人間であることを映像として記録しようとした、土井監督の強い決意が窺えた。

そのため、彼女たちの自国や日本に対する複雑な心情もぼやけることなくはっきりと映し出していた。それは彼女たちの怒りの矛先が、日本人ではなく、日本政府であることが具体的に語られていることだ。また、かつて日本政府に協力していた韓国政府に対する怒りの気持ちも同様に語られている。

例えば、金順徳さんのインタビューでは、彼女は日本人の事は嫌いではなく、むしろいい人たちであると語る。金さんは慰安婦時代に、ある一人の日本人に世話になった事があり、それが生き残る事ができた一つのきっかけになったと説明している。

また戦時中、朝鮮は日本に協力している一面があった事も、彼女は話す。彼女がいた場所には朝鮮の役人も役所も存在していた。私たちは、彼らにも騙されていたと語った。また、慰安婦として連れて行かれた女性たちは、皆貧しい農家の生まれで教育を満足に受けられなかった女性ばかりだった。これは本作のインタビューに答えた女性たち全てに共通している。裕福な家庭で生まれた人や都会育ちの人は誰もいなかった。

慰安婦にされた女性たちの怒りは、そこにあったのかもしれない。しかもその辛苦を背負わされたのは、政府にとって、政治的に影響の少ない貧困層だ。こうした一般に語られることがなかった歴史の一面を、元慰安婦だった女性の記憶を辿って見事に浮き彫りにした。

1995年1月17日、日本の阪神地方で起きた大地震のニュースがナヌムの家にも飛び込んできた。阪神・淡路大震災である。テレビの前で、彼女たちは茫然としていた。中には涙を流す人もいた。「早く復興して欲しい」という声も聞こえた。約3年間休む事なく続けられた水曜デモは、ここで初めて中止された。この時、彼女たちは日本に対し、何を考え、何を感じていたのか。それらがはっきりと明示される事はなかった。

本作で一貫しているのは、映画としての結論を求めていないことだ。あくまでそこにあるのは、過去に慰安婦だった人たちの記憶に寄り添い、その複雑な心情や思いを記録に残そうとする確固たる姿勢だ。あるがままの彼女たちの存在を映し抜いた映像を通じて、私たちに「戦争」がもたらした痛ましい悲しみを、改めて考えるための余地を与えている。

カン・ドクキョンさん© DOI Toshikuni

第二部 姜徳景

姜徳景さんは、まだ60代でナヌムの家では最年少である。晩年には絵画の才能を開花させ、「絵画で体験を表現する元慰安婦」として広く知られるようになった。

第二部の冒頭の映像では、自身の表現方法に対するこだわりが窺える場面があった。独特な感性の持ち主で、どこか人を引き付けるような若々しさと、光り輝くような力強い眼差しが印象的な女性である。

姜さんは初め、労働力不足を補うため女子挺身隊として動員された。しかし、厳しい労働生活に耐えられず脱走。その後、軍人に捕まり強姦され、慰安婦生活を強いられるようになったという。彼女は学校教育も受けていて、日本語も話す事ができた。インタビュー映像では、女子挺身隊での過酷な日々と、慰安婦として生活した凄惨な日々を話した。

彼女の力強い眼差しは生命力に溢れ、話し方も実にパワフルだった。自身の記憶を呼び起こしていく毎に、彼女は時に朝鮮語で話し、時に日本語で話した。朝鮮半島にいた時代と、日本にいた時代を、記憶の中で行き来しているようだった。

その中で浮かび上がってくるのは、慰安婦にされた事に対する悔しさと、戦争に対する憎悪、そして自身が抱く罪悪感だった。戦後、姜さんは慰安婦時代に子供を宿したが、家族にその事を責められ、孤児院に預けた子供が、後に病死した事を知った彼女は、何度も自ら死を願うようになったという。

ナヌムの家に入ってから、自らの記憶を辿りそこで体験した出来事や印象を絵画に表現するようになった姜さんは、絵画に生きる価値を見出したように窺えた。毎日を慰安婦として生きた悔しさ、子供を失った悲しさを絵に表現する事で、彼女は自分の記憶を再認識していき、新たに「生きる」事を望んでいたのかもしれない。

彼女は絵という才能を持ち寄り、自分自身と必死に向き合い、さらにかつて慰安婦だった自分たちの存在意義を国家に、現在を生きる人たちに伝え続けた。

しかし彼女は、インタビューの約2年後、肺癌のため68歳で病死した。カメラは、彼女の死の間際までドキュメントを続ける。体中に管を入れられ、あの力強い眼差しが閉じるまで。最後まで彼女は、日本政府の謝罪を望みながら亡くなった。その様子は、以前のインタビューで彼女が話した「もっと絵を書いていたい」という本心の声よりも、根の深い複雑な痛みがあり、映像を圧迫した。

姜徳景さんの死には、慰安婦問題よりもさらに根が深い「戦争」の醜い本質があったように窺える。その人がその人らしく生きられない、無理矢理自由を奪われてしまい、その人がその人でいられなくなる。それでも彼女は自分自身の記憶と向き合い、必死に生きた。

姜徳景さんが眠る墓には、写真家の安世鴻さんが撮影した姜さんの写真が刻まれている。白黒で顔や皮膚の輪郭がはっきりと映った写真からは、何か重く冷たいオーラがあった。それは彼女が人生の中で積み重ねてきた記憶の重みが写真に込められているからかもしれない。しかし彼女の精気に満ち溢れたあの力強い眼差しはいつまでも印象に残る。彼女が必死に、戦争を生きたという証がそこにあったように感じたからだ。

本作の映像には、慰安婦問題に対する問題提起や史実検証の意図は込められていない。ただ、そこにかつて慰安婦だった過去を持つ彼女たちが、確かに存在した。そして、彼女たちは自分たちが体験してしまった凄惨な記憶に苦悩し抗い、そして自分たちなりの考えや思いを持って、生きたのだ。

2015年の現在、インタビューに答えたナヌムの住人の女性たちは全員亡くなっている。残されたのは彼女たちが眠る墓と、この記録映像だけだった。土井敏邦監督が、本作を今になって映画化した背景には、彼女たちがそれぞれ抱える苦しみや悲しみと必死に戦って、生きた事を、はっきりと伝えたいという意思があったのではないか。そして慰安婦問題の背景には戦争があった。戦争のせいで慰安婦が生まれ、彼女たちの人生が狂ってしまったのではないか。彼女たちも戦争の犠牲者である。土井監督が、慰安婦として生きた彼女たちがどういう風に生きて、亡くなっていったのかをありのままにドキュメントして本作を製作した動機には、慰安婦問題を通して戦争そのものを問い直そうとする信念があったように窺えた。

ナヌムの家でのハルモニたち© 安世鴻

 【映画情報】

『“記憶”と生きる』
2015年/日本/215分(124分+91分)

第一部       分かち合いの家(124分)
第二部       姜徳景(91分)

監督・撮影・編集:土井敏邦
編集協力:森内康博
整音:藤口諒太
配給:きろくびと(info@kiroku-bito.com)

★渋谷アップリンクにてロードショー中!ほか全国順次公開

連日ゲストトークあり http://www.uplink.co.jp/movie/2015/37458

【執筆者プロフィール】

成宮秋仁 Akihito Narimiya
1989年、東京都出身。介護福祉士&心理カウンセラー。専門学校卒業後、介護士として都内の福祉施設に勤める。職場の同僚が心の病を患った事をきっかけに心理学に関心を持つ。心の病に対して実践的な効果が期待できるNLP(神経言語プログラミング)を勉強。その後、心理学やNLPをより実践的に学べる椎名ストレスケア研究所の門戸を叩く。その人が元気になる心理カウンセラーを目指し、勉学に励む毎日。映画は5歳の頃から観始め、10歳の頃から映画漬けの日々を送る。
これまでに観た映画の総本数は5000本以上。文筆活動にも関心があり、キネマ旬報「読者の映画評」に映画評が何度か掲載される。将来の夢、映画監督になる。
neoneo_icon2