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日本では女性の映画監督が珍しかった1960年代から今日まで、道を切り開きながら自分にしかできない映像を追求したドキュメンタリー映画監督・渋谷昶子(のぶこ)さんが、さる2月1日に亡くなられました。
彼女の思いを映像で知ることで、ささやかな追悼としたいと思います。
●渋谷さん関連記事 『pangaea映画学校』
http://homepage2.nifty.com/pangaea_film/pangaeaeiga/shibuya/shibuya_index.html
●「neoneo web」関連情報
【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第25話 text 中野理惠
【日時】2016年3月19日(土)18:30—20:30
【場所】渋谷区女性センターアイリス <地図>
(渋谷区文化総合センター大和田8F)
渋谷区桜丘町23-21
【料金】参加費無料 カンパ歓迎 先着50名
※事前予約の必要はありません
主催:映像女性学の会
問い合わせ:映像女性学の会・小野 ycinef@yahoo.co.jp 090-9008-1316
【上映作品】
『挑戦』
(1963年/33分/カラー/電通映画社)
ディレクター:渋谷昶子 ナレーション:宇野重吉
制作:多田 忠 撮影:関口敏雄 照明:秋山清幸 音楽:池野 成 効果:浅沼幸一
※1964年カンヌ映画祭 短編部門 グランプリ受賞
「東洋の魔女」と言われた日紡貝塚バレーチームが大松博文監督のもと、東京オリンピックを目指した死闘の練習風景を撮ったドキュメンタリー。カメラ7台を駆使し、徹底的な反復練習を劇的な躍動感で捉え話題となり、カンヌ映画祭短編部門グランプリを受賞する。
『大連と私』
(2013年/38分/カラー)
監督・制作:渋谷昶子
大連に生まれ、15歳まで過ごした渋谷監督が、2012年にその地を訪れる。後の生き方に大きな影響を与えた大連の、のびのびした女学校教育。自身は無事帰国できたが、過酷な体験をした引き揚げ者たちへの申し訳ないという思いは強く、どうしても映像にしなくては、という決意のもとで制作された、渾身の遺作。
渋谷昶子(しぶや・のぶこ)監督プロフィール
1932年大連生まれ。中学校1年の時に敗戦、帰国後は鹿児島で育つ。中央大学を中退し、スクリプターとして五所平之助、山本薩夫、新藤兼人、今井正などの現場に参加。29歳の時に監督を志望し、PR映画の企画・脚本などの仕事をはじめる。一貫してフリーの立場で、ドキュメンタリーのテレビ番組や映画を数多く手掛けた。
代表作に『挑戦』(1963)『鏡のない家に光あふれ』(1996)『Kaneko』ー兼子ー(2004)など。2016年2月1日没。