祖父母の経営していた保育園の保母さんたちと(1953年)
前列左から 祖父 姉 筆者(3歳半)保母さん 後列左から 母 間の四人は保母さん 右の和服は祖母
開拓者(フロンティア)たちの肖像
中野理惠 すきな映画を仕事にして
<前回 第32,33話はこちら>
第34話『こねこ』——猫が舞台挨拶!?
「中野さん、これは難しいねえ」
えっ、と驚いたが、SJ(前話でSNさんと書いたのは誤りです)さんとは『こねこ』が初めての仕事でもあったので、
「ああ、そうですか」
と引き下がってしまった。一年後だったら、
「何よ、ずっと眠っていたじゃない。ダメッ、やるの!」
と押し切っていたことだろう。
そう、SJさんは上映中、私の隣の席で白河夜船だったのである。今はもうヘラルドさんも解散したので、SJさんの連絡先がわからないのが残念だ。
猫の舞台挨拶
さて、その後、あっちこっちと封切り劇場探しをするのはやめて、BOX東中野の山崎支配人にすぐに見てもらい、『こねこ』は公開劇場が決まった。朝11時から一回だけ上映のモーニングショーであるが、少額の宣伝予算しかないこともあり、注文をつけずに承諾した。ところが、マスコミ試写を開始したところ、予想以上に好評である。では、と、当時飼っていた、猫の二十日(はつか)が、映画に登場する猫の<チグラーシャ>と同じような毛並だったので、現在の東京テアトルの試写室でのマスコミ試写に、冒頭の挨拶のために連れていくことにした。
立派な宣伝マン
お披露目の日、緊張で身を固くした二十日を自転車の荷台から降ろし、抱き上げると、びっしょり濡れている。緊張と恐怖のあまりおもらしをしてしまったのだ。その後は、試写時の挨拶はやめたのだと思うのだが、公開初日には、性懲りもなく電車に揺られて東中野まで連れて行った。この時にはおもらしもせず、私に抱かれて、しっかり舞台挨拶を務めた上に
「この仔がモデルなのですか」
「触っていいですか?」
と撫でに来る多くのお客さんに嫌がりもせず、愛敬を振りまいてくれた。ちなみに「朝日新聞」に小さな新聞広告を出したのだが、猫の写真は、二十日である。
成猫になった<二十日>
『こねこ』は一日1回上映の予定が2回に
『こねこ』は大好評で、観客が入りきれなったために、すぐに朝9時(だったと思う)の回を増やすことにした。映画評論家の川本三郎さんは、試写を見た段階で、たいそう気に入ってくれて、宣伝スタッフだった増川さんが、会う度に、「川本さんが『こねこ』はいいねえ、とおっしゃっている」、と言っていたのを覚えている。また、同じころだったと思うのだが、ロシアから『こねこ』製作に協力した猫のサーカス団が来日し、銀座テアトルの芝居小屋で公演した際に、姉と一緒に見に行ったところ、ロビーでばったり川本さんに会った。ほんとうに猫好きなようだった。
『こねこ』より<チグラーシャ>
『こねこ』は、だがビデオ化やテレビ放映などに考えが至らず、公開宣伝を楽しんだ後、ロシア映画社さんにお返ししたのだが、後に知ったところでは、公開により、話題となり、他社がビデオ化をして、今に至るも売り上げを出している。まったくビジネス音痴だと、思う。
バーバラ・ハマーのこと
さて第32話で<1999年の仕事>に記したように、『こねこ』公開より2か月ほど前、米国人女性フィルムメーカー、バーバラ・ハマーとの共同製作を開始していた。『Devotion 小川紳介と生きた人々』である。
『ナイトレイト・キス』
バーバラとの出会いは、1995年に遡る。同年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に審査員として彼女は来日していたが、直接知り合ったのは山形ではない。審査員作品として、レズビアンの恋愛を描いた『ナイトレイト・キス』の上映後、壇上から客席に降りて、女性器を自分で見る器具とその使い方を自ら披露した時、観客は度肝を抜かれたのだろうが、皆、シーンとしていたのを覚えている。私はこの映画を見た後、最終日前に東京に戻っていたのだと思う。
「小川プロについての映画をつくりたい」
映画祭終了直後、会社にバーバラから電話が入った。東京駅の<八重洲ブックセンター>2階のカフェに、通訳を伴って現れた彼女は、会うなり、
「山形で小川プロの事を知った。共同体で映画をつくるとはすばらしい。たいへんに興味を持ったので、小川プロについての映画をつくりたい。ついては、誰か日本人にプロデューサーをお願いしたい、と相談したところ、あなたを紹介された」
どうして私に??
「えっ!?よりによって、私が?どうして???誰が私を推薦したの?だいたい、私が小川さん(小川紳介監督の事)をどう思っているか知っているの?あなたは、小川プロのことをどれだけ知っているの?」
私の勢いに気圧されたのか、バーバラは
「小川プロのプロデューサーだった伏屋さんと、山形映画祭の小野聖子さんから紹介された」
と躊躇なくすらすらと答える。
male chauvinist
「あの二人が!?私が小川さんに批判的だったのを二人は知っているはずなのに、どうして?小川さんってメール・ショーヴィニスト(male chauvinist)だよ 」
「えっ・・」
話し込むと、彼女は、「考える」と言って、帰って行った。その後、連絡がないので、諦めたのだろう、と思っていた。だが、一年以上後だったと思うのだが、バーバラから連絡を受け取った。
(つづく。次回は9月15日に掲載します。)
中野理恵 近況
親の顔を見たい!
7月20日(木)、夜の9時頃帰宅すると、後ろから少年が入ってきて、二人でエレベータを待つ。「6年生?今まで塾なの?」と話しかけると「はい、6年です」と素直なお返事。
「遅くまで大変ね」と言うと、小さな声で
「みんなそうです」
4基あるエレベータの内、最も大きな凾が降りてきたので、乗り込んだ。乗客は私たち二人だけ。私が最寄り階のボタンを押すと、すぐさま少年が大きな声で、
「12階!」と言うではないか。<ナヌ!>、と一瞬ひるんだが、すぐさま
「自分で押しなさい!」と言うと、
「はい」と言って、素直に押す。更に、降りる際に、
「お先に、おやすみなさい」と言うと
「はい、おやすみなさい」と素直に答えるではないか!
すきな映画を仕事にしてしまった友人たちと(2016年7月16日)
左から植草さん(「キネマ旬報」元編集長)、丹羽ちゃん(パイオニワシネマディスク社社長)、筆者、川嶋さん(シネマディスト代表)