【連載】開拓者(フロンティア)たちの肖像〜中野理惠 すきな映画を仕事にして 〜 第32話,第33話 text 中野理惠

2歳のときの筆者(左、1952年11月)

開拓者(フロンティア)たちの肖像
中野理惠 すきな映画を仕事にして 

<前回 第30,31話はこちら>

第32話 1999年の仕事①「だっせえ」と言われたタイトル

 「だっせえ」に感謝 

『走れ、ローラ』の邦題を聞いた公開劇場であるシネマライズ社長さんご夫妻の息子さんが、「だっせえ」と言ったそうで、一夜にして『ラン・ローラ・ラン』に変更されたと伝え聞いた。

映画のタイトルは宣伝三大要素のトップであり、邦題決定には時間をかける。私の持論は、“カタナカ表記ではなく、漢字と平仮名の組み合わせがベスト”、なので、カタカナのみの邦題に当初はかなり抵抗があった。だが、英語の<ラン>の意味は多くの日本人には、すぐに理解できる単語であり、舌を噛みそうだが、『ラン・ローラ・ラン』の邦題はよかったのではないか、と思っている。『走れ、ローラ』は、当初から太宰治の「走れメロス」のようだ、との声もあり、走る行為に“一所懸命”ぶりが漂うので、チンピラのしでかしたお金の不始末が発端で始まる映画の題名としては、相応しくなかった。


カタカナ題名

邦題といえば、『ビヨンド・サイレンス』(第27話参照)もカタカナ表記なので、ひとこと言い訳を。この作品は公開前にビデオ化権を、某社に売却してあり、その担当者から「カタカナ題名にしてくれ」と強く要望され、当時(1997年)は、ビデオ(VHS)販売からの売り上げが大きかったので、要望に従ったといういきさつがある。個人的にはカタカナ題名は気に入らなかったのだが。
それにしてもヒットさえしてしまえば、<結果オーライ>と、何でもいいことになってしまうものだ。


死んだ子の年を数えても仕方ない

この連載を書いていると、発行した書籍や配給作品の事を思い出し、いい反省の機会になるので、伏屋編集長には感謝している。15年ほど前になるだろうか、某出版社から、この連載のような本を頼まれ、担当編集者と打合せもしていながら、放っておいたことを、しょっちゅう悔やんでいる。当時、もし、書きあげていたら、仕事のとらえ直しをせざるを得なくなり、現在のような<チョービンボー>に喘ぐ日々を迎えず済んだかもしれない。だが、<死んだ子の年を数えても仕方ない>ので、前に進む。

さて、毎回、写真さがしと、ごっちゃなっている記憶を整理するのが一仕事だ。ファイルや手帳を頼りに、記憶を手繰り寄せて整理すると1999年は下記となる。

1999

1月20日 「愉悦のとき 白石かずこの映画手帖」発行

2月20日 特集上映<ロシア映画秘宝展[幻想&SF特集]>をユーロスペースにて開催

4月中旬 バーバラ・ハマーと映画『Devotion小川伸介と生きた人々』の製作準備開始

5月25日 「異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に」 (石原郁子著)発行

6月5日  韓国映画『八月のクリスマス』シネマスクエア東急にて公開

7月10日   ドイツ映画『ラン・ローラ・ラン』シネマライズ渋谷にて公開

7月17日    ロシア映画『こねこ』BOX東中野にて公開

7月15日  「21世紀をめざすコリアンフィルム」(パンドラ編)発行

7月20日 「処女懐胎の秘密」発行(マリアンネ・ヴェックス著/伊藤明子訳)

9月1日     オリジナル健康手帳「月日ノオト2000」発行

9月25日「満映 国策映画の諸相」発行(胡昶 ・胡泉著/横地 剛・間ふさ子訳)

9月25日  ニュージーランド映画『コリン・マッケンジー物語/もう一人のグリフィス』アメリカ映画『知ったこっちゃない』BOX東中野にて公開

10月15日「コリン・マッケンジー物語」(デレク・A・スミシー著/柳下毅一郎訳)発行

10月20日 特集上映<ロシア映画秘宝展[アニメ編]ユーロスペースにて開催

10月 <山形国際ドキュメンタリー映画祭>小川伸介賞審査員

12月18日 ドイツ映画『逢いたくてヴェニス』新宿武蔵野館にて公開

3月、8月、11月が空白なので、もしかすると上記が全てではなく、欠けている書籍や映画、あるいは映画の宣伝受注などもあったのかもしれない。こうして一覧表になると、よくもまあ、と我ながら呆れてしまう。あっちこっちと関心の赴くまま、また、他人から「どうしても」と頼まれると断れない性分の結果でもある。私は楽しんだが、スタッフは苦労したことだろう。


「愉悦のとき 白石かずこの映画手帖」

白石かずこさんの詩は高校生のころ、母が定期購読していた「婦人公論」の冒頭部分のページに掲載されていた詩が強く印象に残り、それ以来、愛読していた。残念なことにその詩の題名は覚えていないのだが、ひらがなで書かれていたと記憶している。湿り気のない、ダイナミックな発想から紡ぎだされる言葉は、自由で日本人離れしていた。白石さんの映画についてのエッセイを一冊にまとめよう、と、いつどういう話の流れで決まったのか記憶は曖昧だが、お宅に通い、原稿を整理したことは覚えている。同じく詩人で映画書籍の編集者であり、当時、パンドラの映画関係書籍の編集を担ってくれていた稲川方人さんが編集である。1999年の手帳の1月18日(月)に出版パーティとメモが残っていた。

「愉悦のとき 白石かずこの映画手帳」の表紙

 さて、1999年については引き続き、次話で<ロシア映画秘宝展>を始め、記憶を手繰り寄せてみる。

第33話につづく>

中野理恵 近況
カンボジア映画『シアター・プノンペン』7月2日の公開初日に、かねてから行きたかった姉川書店の場所を岩波ホールのスタッフの方に教えてもらった。猫本だらけで楽しめる。出口で、思わず買ってしまった「ねこ自身」。発行元は「女性自身」の光文社でした。

「ねこ自身」の表紙

▼第33話 1999年の仕事② “ロシア”に眠るお宝を上映 はPAGE2で!

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