【Review】歴史受け止め、アイデンティティ取り戻す営為『シアター・プノンペン』text 小林蓮実

©2014 HANUMAN CO. LTD/パンドラ配給

それぞれの人生から見つめる、歴史や社会の「真実」

映画に限らず、社会派の作品では、主張のみを強調するものも少なくないかもしれない。だが実際、そこに生きるのは1人ひとりの人間であり、人にはそれぞれのドラマがある。そして人生は、歴史や社会と無関係ではいられない。

本作は、カンボジアのクメール・ルージュの暴政を経て残された映画作品と、それにまつわる母と娘を中心としたファミリー・ヒストリーが描かれた劇映画だ。

近年の作品では、土人形に自らの人生を託して描かれた『消えた画(え) クメール・ルージュの真実』(リティ・パン監督)がまず想起される。リティ・パン監督といえば、『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』などのドキュメンタリーで知られていた。一般的な劇映画としては、ラブストーリーを通じてパレスチナ問題の厳しさを浮かび上がらせた『オマールの壁』(ハニ・アブ・アサド監督)が、劇中劇のラブストーリーと主演だった母のラブストーリーにもからめてクメール・ルージュを捉えた本作と、手法として近いかもしれない。また最近では、第二次世界大戦下のアメリカを舞台とする『リトル・ボーイ 小さなボクと戦争』(アレハンドロ・モンテベルデ監督)も社会の影響が色濃く表れ、アメリカの視点が伝わってくる。『ペレ 伝説の誕生』(ジェフ・ジンバリスト&マイケル・ジンバリスト監督)ですら、ブラジルのアフリカ移民の歴史と結びついているのだ。さらに、ポルトガルに暮らすアフリカ移民の人生を虚実の皮膜に描いた『ホース・マネー』(ペドロ・コスタ監督)もある。

ドラマ化によって、その時・その場所でカメラをまわすことができずとも「真実」をあぶり出し、また歴史や社会の影響を1人ひとりの人生から見つめさせることだって可能だ。

国民の4分の1にのぼる大虐殺の被害者・加害者と次世代、三者の共存

クメール・ルージュは、1975〜79年、ポル・ポトによる独裁を支えた武装組織。91年の武装解除・内戦終結後も、90年代の終わりまで、クメール・ルージュらによる混乱は続いた。ポル・ポトと彼が率いるクメール・ルージュは、スターリニズムによる大規模な粛清で、800万足らずの国民の4分の1にものぼる170万人とか200万から300万人近くを虐殺したと伝えられる。解放時の85%が14歳以下であり、ほとんどの大人が殺されたともいえるのだ。教員や僧侶などの知識人にいたっては、伝統文化の破壊を目的に、6割以上が殺されたという。また、ジャーナリストの木村文氏によれば、「庶民への影響力を敵視された多くの芸能、芸術関係者が殺害された」そうだ。

本作では、プノンペン在住の大学生ソポンが映画館で、若き日の母親ソテアが主演するクメール王国を舞台にした作品を目にする。映写技師のソカは、内戦によって最終巻が失われたと、ソポンに語る。ソポンはソテアにうり二つの自分が演じることでこの映画を完成させることにより、ソテアの病を癒し、前時代的な考えから母親が輝いていた当時の感性へと彼女を解き放ち、生きる糧をもたらしたいと考えた。実は映画制作時に育んだソテアとの愛を内戦に奪われたソカは、このソポンの提案を受け入れる。そしてソポンは、クメール・ルージュの時代の事実を知ることとなる。

ソト・クォーリーカー監督は、初監督作品は「自分や自分の国をテーマにしたい」「いつか、カンボジアの歴史と家族がテーマの映画を作りたい」と思っていたという。現在クメール・ルージュについて、カンボジアの若者は学校でも概要程度しか教わらない。また、「カンボジア人であることに誇りを持っていないように思え」「過去を乗り越え、未来に向かうことができない」そうだ。試写の挨拶では、「カンボジアの人々は、家族として会話ができていない」とも口にしていた。

クメール・ルージュの時代について明確に語られてこなかったのには、複雑な背景がある。日本の原爆資料館同様、カンボジアにも虐殺博物館がある。日本でも加害に関する事実ほど明確にされない問題はあるが、カンボジアでは被害者に手をかけた国内の加害者も多く、問題はぐっと複雑になっていた。前出の木村氏は、「国際的な評価を受けた社会派作品は国内ではほとんど上映されていない」とも語っている。監督の取材時にも大量虐殺やそれへの加担を認めない人々がいた。監督は、父親がクメール・ルージュに殺害されたことを14歳になってから知るが、彼女はあえてソポンの父親を軍人として描く。「みな誰かにあてはまり、加害者、被害者、キャラクターそれぞれの感情を盛り込んでいる」と監督は説明する。周囲に嫌悪されながら生きるソポンの父親の苦しみを描くことで、実際の父を殺した敵を許さなければ、監督は前に進めなかった。そして監督は、人々のコミュニケーションを促そうとしたのだ。

また、映画制作を題材としており、クメール・ルージュによって失われた文化についても踏み込んで描く。作品を完成・上映させようとする情熱でひとつのドラマが成立しており、そこに厳しい過去の現実が突きつけられる時に胸が痛む。ちなみに、ソポンの母親ソテア役のディ・サヴェットは1960年代から活躍するトップ女優で、75年にフランスに亡命後、香港を経て93年に帰国するまで、カンボジア映画の「大使」として女優活動を続けた。まず弾圧されるのが文化であり、失われれば取り戻すことが大変困難になるものだ。そして、文化こそがアイデンティティの源である。

事実を知り、ここから歩き出すカンボジア

人は社会や歴史の影響を強く受けている。そこに目をつぶることは、現在の自らの人生をごまかし続けることにほかならない。だが、過去を変えることはできないのだ。
事実を認め、きちんと「絶望」しなければ、希望を抱いて歩くことなどできない。事実を受け止めれば、かえりみたり、自らができることを実行にうつすことができる。

アイデンティティの喪失、歴史や文化の否定は、たとえばウィリアム・フォークナーの小説『八月の光』などにもみられるように、「人生を生きる」力を奪う。これらはもちろん、わたしたち1人ひとりにあてはまることだろう。

筆者が本作に感じたのは「監督の決意」であり、このタブーを扱った作品は封切り2週間でカンボジア史上はじめて5週間もの長きにわたって上映された。観る人たちに、その決意が伝わったのだろう。本作は、社会派に慣れた視点からはものたりなく感じられるかもしれない。現在、アジアの3人の監督によるオムニバスの企画が進行しており、ソト・クォーリーカー監督がその1人に抜擢され、日本が官民あげて完成させたプノンペンの川にかかる橋をモチーフに劇映画を制作中だという。カンボジア社会のより自由な文化の受容、また監督のさらに踏み込んだ次回作に期待したい。

【映画情報】

『シアター・プノンペン』
(2014年/105分/カンボジア/クメール語/カラー)

©2014 HANUMAN CO. LTD /パンドラ配給

監督/プロデューサー:ソト・クォーリーカー
脚本/プロデューサー:イアン・マスターズ
プロデューサー:マレー・ポープ
エグゼクティブ・プロデューサー:ロイド・レヴィン/タン・ソト/ニック・レイ/クリス・ホイールドン
キャスト:マー・リネット/ソク・ソトゥン/ディ・サヴェット/ルオ・モニー/トゥン・ソーピー

製作:Hanuman Films Co., LTD
配給:パンドラ

公式サイト:http://www.theater-phnompenh.com/

岩波ホールにて公開中、以後、全国順次公開(詳細は公式HPをご覧下さい)

【執筆者プロフィール】

小林蓮実(こばやし・はすみ)
 1972年千葉県生まれ。フリーライター、エディター。フリーランスのための「インディユニオン」書記長で、組合員には映像やWeb制作者も多数。友人にも映画関係者が多く、個人的には、60〜70年代の邦画や、ドキュメンタリーを好む。近年、『週刊金曜日』『紙の爆弾』『労働情報』や業界誌などに映画評や監督インタビューを執筆したり、映画パンフレットの制作などもおこなっている。

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