【Report】公開直前!『台湾萬歳』台湾の撮影地、台東・成功鎮で現地試写会リポート text 田中美帆

さつまいもの形をした台湾の東南部に、カジキの突きん棒漁で知られる港がある。町の人口はおよそ1万5,000人の台東県成功鎮だ。

『台湾人生』『台湾アイデンティティー』と日本統治時代も含めた激動の台湾史を、日本語教育を受けた世代の証言記録として撮った酒井充子監督が、台湾三部作の最終章となるドキュメンタリー映画『台湾萬歳』の撮影地に選んだのは、この成功鎮だった。

2017年7月1日現地時間の夜7時。舞台となったこの町で、一般住民を対象とした「成功鎮特別試写会」が開催された。

場所は、国立成功商業水産職業学校活動中心、つまりは高校の体育館だ。日本と同じように、全体でバスケットコート1面ほどの広さで、正面には緞帳の下がったステージがあり、2階の観客席がぐるりと取り囲む。

緑色の床には、観客用の椅子のほかに、会場の両側には扇風機が合計12台置かれ、来場者には入り口でしっかり冷やされたペットボトルの水と、うちわが渡された。7月はじめの台湾は、すでに夏まっ盛りだ。前夜に降った雨は上がったものの、晴天になったこの日の気温は33度を超える。

この日を迎えるため、町のあちこちに、映画のポスターが貼られ、試写会の告知がなされていた。ショッピングセンター、漁港、ゲストハウス、ここまでは想像ができるが、街中を走るゴミ収集車にも貼られていたという。ゴミを収集場所に持っていけばいいだけの日本方式と違い、台湾では、台湾のゴミ収集車の登場に合わせて、住民が自分の手でゴミを車上の収集員に渡さなければならない。だから、ゴミ収集車は住民の誰もが必ず目にする。台湾の人の動きを熟知した告知方法だった。

夕日も落ち、あたりが薄暗くなり始めた頃、三々五々、体育館に人が集まってきた。

7時過ぎ。試写の前に、地区のお母さんと子どもたちがステージに上がり、台東新港キリスト教会の劉炳熹牧師が自ら歌詞を書いた台湾語の1曲「心驛耕新的故鄉」(意味:心に新たな故郷を育てよう)を合唱。温かい拍手の手が止まると、映画が始まった。

映画『台湾萬歳』は、2015年11月から合計100日に及んで撮影されたドキュメンタリーだ。台湾は、1895年から1945年まで、51年という長きに渡って日本の統治下にあった。第二次大戦を経て国民党政権時代、二二八事件、白色テロ、戒厳令発令に言論統制など、幾度となく時代の荒波が襲いかかった。本作では、そうした時期を通り過ぎ、現在の台湾で、畏敬の念を抱いて大自然と向き合い、時に格闘しながら暮らすこの地の人々の、強く、しなやかな姿が描かれる。監督は言う。

「前2作に登場した方は、元日本兵としてシベリア行ったり、二二八事件に巻き込まれて弟さんが殺されたり、自分自身が監獄に行ったり、時代に翻弄された人たちばかりでした。その人たちが自分の人生を語る時、恨みがましくないし、未練がましくない。むしろ清々しささえ漂わせていました。それはどこから来るのだろう、と思っていました。台湾の人ってとても明るいし、強いし……その源を知りたい、と。考えながらハタと気づいたのは、激動の時代と並行して変わらない台湾もあり続けてきた、ということです。今回は、そういう人たちの姿を見たいという気持ちでした」
日本語世代に生まれた85歳のおじいさんは日々、小さな畑を耕し、年末年始には各地に散った家族が一緒に過ごし、先住民アミ族のご夫婦は日本時代から伝わるカジキの突きん棒漁を営み、儀式のように神々しい先住民ブヌン族の男たちはキョンを狩り……試写で画面いっぱいに朝焼けの海が映し出されると、会場のあちこちに小さなため息が漏れた。

海、山、家族、友人、そしてハレとケの食事。映画には、台湾の片田舎で連綿と繰り返されてきた暮らしがぎっしりと詰まっている。象徴的だったのは暮らしの中にあふれる音の豊かさだ。監督は言う。

「この三部作では初めてスタッフに録音マンが入ったんです。特に今回は、生活を撮るということに重きを置いていましたので、音がきちんと撮れたのは、大きかったです」


海外の監督が、自分たちの街や日常を映画にしようとしている、そのことを、町ではどんなふうに受け止められたのだろうか。試写会の2日後に、牧師になるための勉強をするため成功鎮を離れるという若い女性は言った。「外からこの町の姿を『いい』と言ってもらえる。それは、自分たちの町のことを肯定する力になる」。彼女はそこに意義を感じ、ボランティアとして日々、試写会の準備に奔走していたという。

台湾2,300万人のうち、台東の人口は22万人とわずか1%に過ぎない。人口の3割は先住民で、「台湾でいちばん予算が少ないのが台東」といわれる。北側にある花蓮までは、タロコ(太魯閣)渓谷など内外に知られる観光名所があり、訪れる人も多い。しかし、台東はそこまで目立った名所が発掘されておらず、交通手段も限られるため、往来が不便で観光客は少なかった。

だが、だからといって街に良さがないのではない。新幹線が通り、台北や台南のような大都市を抱え、すっかり都市化してしまった台湾の西側にはない光景が、東側にはたくさん残されている。

実際、撮影の始まった2年前から、「この街のことを知ってほしい」と制作に関わった地元住民がいた。「陳韋辰という成功鎮在住のプロデューサーです。彼の力が本当に大きいですね。県政府への助成金申請などを担当しました。彼は土着の人としていろいろな人脈を持っていて、台東で起こることのすべては彼が担ってくれました」(酒井監督)

試写会の運営に当たったのも、陳プロデューサーが働きかけた台東新港キリスト教会の信徒であるボランティアたちだった。

台東で先住民の撮影を続けている日本人カメラマンの五味稚子さんは次のように言う。「成功鎮には3、4回しか行ったことがありませんが、その数回で人をたくさん見かけることはなかったので、あの日、いかに多くの地元住民が集まったか、それだけ受け入れられているのだと感動しました」

試写会の2日後、劉牧師がフェイスブックにこんな投稿をしていた。

「たとえ何年たっても、みんなこの日のことを忘れないだろう。何かいいものがもらえるとか、メリットがあるからなどではなく、ごくシンプルに自分たちの物語を見てみたいという気持ちで校門をくぐった日のことを。極限まで暑くなった体育館が、少しも不快ではなかったことを。500人を超える観客がひしめき、大きな声で「成功が大好きだ、台湾バンザイ!」と叫んでいたことを。皆さんに胸を張って、この映画の本当の主役は、私たち成功人であり、台東人です、と言いたい」

人間は、他者を通じて自分を認識する動物だ。それは、個の話だけではなく、きっと町という集合体でも同じこと。だから、映画が、過疎の町を客体化し、ああ、これが自分の生きる町の素敵なところだったのだ、と思える。『台湾萬歳』、この映画は、そんな力を多くの人に与える1本だといえる。

(取材・文=田中美帆/写真=松根広隆)

【作品情報】

『台湾萬歳』
(2017年|日本|DCP|カラー|93分)

監督:酒井充子
出演:張旺仔、オヤウ(許功賜)、オヤウ・アコ(潘春連)、Sinsin Istanda(柯俊雄)ほか
撮影:松根広隆
録音・編集・整音:川上拓也
音楽:廣木光一
制作:今村花
タイトル:張月馨
製作:マグザム、太秦
配給:太秦

公式サイト:http://taiwan-banzai.com/

2017年7月22日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

©『台湾萬歳』マクザム/太秦

【執筆者プロフィール】

田中美帆 Tanaka Miho
ライター。1973年愛媛県生まれ。創価大学文学部日本語日本文学科卒業。
1997年アルクに入社し、雑誌書籍など計113冊を担当。
2013年に退職後、台湾大学に語学留学。翌年、国際結婚。
上阪徹のブックライター塾3期生。
台湾での仕事に、エバー航空機内誌『enVoyage』編集、
ポプラ社Web*asta連載「たいわんの本屋」取材執筆など。
2016年台湾国際ドキュメンタリー映画祭にボランティア参加。