【Review】なんのためにいのちをなげうつかー『ラッカは静かに虐殺されている』 text 井河澤智子

『ラッカは静かに虐殺されている』ショッキングなタイトルだが、これは2014年にラッカを制圧した「IS」に対抗すべく、密かに市民によって結成されたジャーナリスト集団の名称である。

2011年以降混迷を極めるシリア内戦。2014年、ISがラッカを制圧した。はじめはアサド政権から市民を解放するという「ヒーロー見参」的な口上で現れた。我々が来たからもう大丈夫だ。そう言った途端に(おそらく体制側の)人を並べて頭を撃ち抜く。その残虐性は瞬時に市民に向けられた。ラッカは情報統制され、過激な思想と武力で深刻な抑圧を受けた。町の広場は公開処刑の場と化し、現地に入ったジャーナリストも数多く犠牲となった。その処刑の一部始終が記録映像としてインターネットで公開されたことをご記憶の方もいらっしゃることだろうーもっとも、筆者は残虐な映像が苦手であるため、あえて見ることはなかった。今後もないだろう。
海外のメディアはシリアから手を引いていた。

ISの情報戦略は驚くほど緻密である。厳重な情報統制を敷いた上で、インターネット上には恐怖心を植え付ける動画を公開し、また志願者の誘致にはアクション映画のヒーローにでもなれるかのような映像を公開する。その手法はナチスのプロパガンダに似ている。
ISメンバーの周りには子どもが群がる。まるでハーメルンの笛吹き男である。笛吹き男についていった子どもは消えてしまったように、子どもたちは集められ、自爆要員として教育される。ISの規則では、すべての戦闘に自爆者が必要だからだ。

ナチスに対して対独レジスタンスが存在したように、統制下のラッカではアンダーグラウンドな市民ジャーナリスト組織が結成された。それが、「ラッカは静かに虐殺されている」(以下RBSS)である。
学生、教師、彼らの経歴は様々である。英語が堪能な者もいる。高い教養を持った彼らは、身を隠しつつ、ISが発信しない、そして海外のメディアも入ってこないためになかなか国外に伝わりづらいラッカの現状、そして、ヒロイズムの皮を被ったISの正体を密かに発信し続けた。彼らの手段もまた、インターネットやSNSである。彼らの活動が国外メディアに取り上げられ始めると、ISに気付かれる。あとは誰が発信しているのか突き止められ、待っているのは拷問と死である。
メンバーの逮捕・投獄、殺害。残された彼らは、国内組と国外組に分かれた。国内組は国外組に情報を送る。国外組はそれを整えて発信する。ラッカの貧弱な回線をなんとか辿って。

ISの追跡はやまない。身分を明かさない国内組は徹底して捜索され、国外組のメンバーの親兄弟は処刑され、その映像が送りつけられてきた。

RBSSの安全地帯はどこにもない。居場所を突き止められ、転々とする不安定な生活。ドイツでの活動が知られたメンバーの元にISから不吉な予告が届く。ドイツの警察も身柄の保護を申し出る。「恐怖はない」彼はそう言って断るが、それは本心か? おそらく全く逆であろう。
また、ドイツ国内で高まってきた、難民に対する排除の空気。「ヨーロッパにタブーはない」そんなことは決してなかった。難民排斥のデモが熱い冷たさでもって牙を剥く。
そして彼らは「匿名のシリア難民」から、一人の人間としてその姿をはっきりとあらわし、インターネットでの情報発信に加え、講演会やシンポジウムなどで祖国の現状を訴え続ける道を選んだ。それは極めて危険な行為だ。シリア独立旗をまとった「戦士」の姿がそこに浮かぶ。

戦士。イスラムの教えには「ジハード」という概念がある。よく知られたことだ。ジハードとはイスラム教における信徒の義務であり、「神の意志に従い、正しい行いをなす」「悪と闘い、より善き行いによって社会に貢献する」大雑把に言うとそういう意味らしい。
しかし、同じクルアーンに基づいても、その解釈は様々である。アッラーの教えに基づいた暮らしをしている者たち同士の激しい抑圧と抵抗があるのだ。

アッラーの教えに従わない者を服従させることが「ジハード」だ、と、例えばISのような過激派は解釈する。それが正義であり、そのために戦う、彼らは「戦士」だ。
しかし、ISの「正義」は、それ以外の社会においては「悪」、テロリズムとして認識される。ISは危険な組織だ、と認識される。
ISの目的はどこにあるのかはどうも判然としない。彼らがテロ行為も辞さないのはなぜか、なぜ占領した地域の住民を恐怖によって支配しようとするのか、その目的はどうもはっきりしない。しかし、彼らは彼らの主張に基づき、正しくないものを服従させるために「ジハード」を行うだけのことであり、彼らにとってのジハードは、他の社会においては「テロ」と目される行為である。そこで殉教することはアッラーの意に沿うことで、正義であり、喜びである、とも考えられる。
こんな曖昧な、幽霊のような集団が、国家樹立を宣言できるほどの組織力を持ち、その凶暴性によって国内外に大きな影響を与えるとは、不気味であるとしか言いようがない。

しかし彼らの行為を告発し続けるRBSSも、アッラーを信じる者である。自らの「善」をなすために、命を危険にさらし、ジャーナリズムのフィールドで闘い続ける。RBSSもまた「戦士」であろう。
その地域の支配者を自認するISにとって、RBSSの行為は「正しくない」。ISは正しくない者に対して自らの方法で対峙する。
善悪とははっきりと対立した概念だが、その拠り所が実は曖昧なものなのだ。
自らの「善」に忠実に死すことが「殉教」であり、殉教者は天国へ行けると教えられているという。せめてまともな死に方がしたい、とRBSSのメンバーが呟く。それはまともな死に方ができない可能性が高い者の切実な言葉である。自らの信念に基づいた行動の結果、殺害されたなら、天国へ行ける。
殉教をこの上ない喜びとする者、殉教者は天国に行ける、と慰めのように呟く者、「殉じる」の意味は同じようでいて異なるのかもしれない。暗殺されたRBSSメンバーの葬儀で巻き起こった「アッラーは殉教者を愛す」の合唱は、そうでもしないと神も仏もない、という切なさにも似ている。
どちらにしても「死」に意味を与えなければやりきれない「生」である。

この映画の原題は『CITY OF GHOSTS』。ゴーストとは何を指すのだろうか。その目的をはっきりさせないまま虐殺を繰り広げるISの不気味さだろうか。彼らから身を隠しながら街の現状を発信し続ける市民たちのことだろうか。それとも、ISに殺された数多のジャーナリストたちの、静かな気配、生き残った市民ジャーナリストたちを駆り立てる気配のことだろうか。

 

【作品情報】

『ラッカは静かに虐殺されている』
(2017/アメリカ/92分/英語・アラビア語)

監督・製作・撮影・編集:マシュー・ハイネマン
製作総指揮:アレックス・ギブニー
配給:アップリンク
©2017 A&E TELEVISION NETWORKS, LLC AND SUNSET PRODUCTIONS LLC

2018年4月14日(土)より
アップリンク渋谷、ポレポレ東中野ほか全国順次公開

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/raqqa/

 

【執筆者プロフィール】

井河澤智子(いかざわ・ともこ)
ことばの映画館メンバーです。残虐映像は出来るだけ避けて通りたいチキン野郎です。この作品観といてなにぬかす、と言われるかもしれません。たしかに、この作品には数多くの射殺の瞬間や蹂躙された遺体があらわれます。が、おそらく「映画として公開するに耐えない」ものは周到に取り除かれているのではないでしょうか。ひょっとしたらですが。わかりませんが。また、カメラや編集といったフィルターを通すと、それはどこか非現実的なものにも思えてくるのかもしれません。観ていてそんなことを思いました。