キルギスは天山山脈とそのまわりに広がる高原からなる中央アジアの人口600万人の国であり、そのなかでキルギス人は約300万人といわれる。名匠アクタン・アリム・クバトは、世界でもっとも知られているキルギスの映画監督である。これまで5本の長編劇映画を手がけており、最初の『あの娘と自転車に乗って』(98)と、第2作『旅立ちの汽笛』(01)、それに『明りを灯す人』(10)は日本でも公開された。最新作の『馬を放つ』は、監督がみずからが主演して、文化的アイデンティティーを失いつつあるキルギスの現代社会に問いを投げかけた問題作だ。そこにはソ連崩壊後のキルギスがイスラーム化していくありさまも捉えられている。騎馬遊牧民の時代からキルギスに伝わる伝説を信じる主人公の男を描き、演じたクバト監督に、これまでの映画人生と新作をつくった意図を語っていただいた。
(構成・写真=金子遊)
映画監督になるまで
——映画監督になるまでの人生を簡単に教えていただけますか。
クバト わたしはキルギスのキントゥー村という小さな村に生まれ、ごく普通の子どもでした。ただ絵を描くのが好きで、小さな頃から落書きばかりしていたので、同級生たちからは「将来は絵描きになるのではないか」といわれていた。ビシュケク美術専門学校を卒業したあとに、若い頃はプロダクション・デザイナーとして働いていました。たまたま映画撮影所におけるデザインの仕事をするようになり、映画の現場で美術監督をやるところまで行った。ところが、キルギスでつくられている映画にはあまり良い作品がないという不満があったので、1990年に自分で短編のドキュメンタリー『A Dog Was Running(英題)』を撮ったのが、監督としてのキャリアのはじまりです。
自分が映画監督になって映画を撮るようになったのには、主に3つのところからの影響があると思います。1つ目は『あの娘と自転車に乗って』にも詳しく描いていますが、自分が家族のなかで養子であったこと。2つ目は、自分の容姿がどちらかといえば「不細工」であったということ。3つ目は、兄が不良っぽい若者だったことの影響です。要するに幼少の頃から、これら3つのコンプレックスを抱えていることが自分にとって大問題でした。反対にいうと、そのコンプレックスをバネにして美術の世界に入り、クリエイティブな仕事をしたいと願い、またそれを実現してきた半生だったといえます。おそらく別の世界でも作家やアーティストと呼ばれる人たちの仕事の裏には、そのようなコンプレックスの問題があるのではないか。自己満足することがないから、まわりを批判的・批評的に見る目が養われて、それによって自己を成長・発展させていくという面があったのでしょうね。
——若い頃に影響を受けた画家とか、映画監督はいるんですか。
クバト 誰かひとりの画家の名前をあげることはできないのですが、印象派の画家たちからは強い影響を受けました。映像の撮り方、空間のつくり方、人物の描き方などを参考にしてきました。わたしの映画を観た専門家たちのなかからも、何度か「印象派に近い映画作家である」という指摘を受けたことがあります。印象派の画家の特徴として、空気を描くことと、原色を好んで使ったということがあげられるでしょう。それから、自分のまわりにある自然というものを、そのままリアリズムで再現するのではなく、自分が自然の風景から受けた印象を表現するという手法ですね。
わたしのような映画監督でもそれと似ていて、自分自身の人生そのものを映画で描こうというのではないのです。自分の人生に影響を与えたものとの関係性をこそ表現しようとしている。それから、自然の風景の空気感や風が好きなので、わたしはほとんどセットは使わずに、ロケにおいて自然を撮影することを好みます。目に見えない風を映像で描くためには、印象派的な息吹をそこに吹きこむことが必要になってくる。わたしはそのようにしようと努力しますが、映画を観てくれる観客の人がそのような印象を受けるかどうかは、また別の問題になりますね(笑)。
『あの娘は自転車に乗って』『旅立ちの汽笛』
——最初の長編劇映画となった『あの娘は自転車に乗って』(98)についてお聞きしたいのですが、まさに監督自身のように、もらわれてきた養子の男の子が主人公ですね。村ではいろいろな悪い噂もされたり、同年輩の女の子と恋に落ちたり、少年期の多感な時期における複雑な心理を描いていますが、あの物語をどのように発想したのでしょうか。
クバト まず、わたし自身の話になりますが、自分が養子であるとわかったときには大変ショックを受けました。「生きている人間の子どもをどうして物みたいにあげたりもらったりできるのか」「生みの親にそんなに嫌われてしまったのか」とものすごく悩みました。いま振り返ってみると、自分の運命として、この『あの娘は自転車に乗って』という作品を撮り、映画監督になるためには、養子になるという不幸が自分の人生にとっては必要だったのだと思えます。年をとってから考えると、養子もそれほど悪くないことだと思うようになりました。ある家庭には子どもがあふれるほどいて、他の親戚の家庭には子どもがひとりもいない。どのみちキルギス人の親戚はかたい絆でつながっているので、育ての親が誰になってもいいのではないか、と。そのようにずっと自分の境遇について考えてきたことが、この映画も物語の源泉になっています。
——最初のシーンで、村の女性たちが「赤ん坊が健やかに育つように」と伝統的な儀式をしますね。この映画のなかには、キルギスの村の伝統的な慣習が描かれていますが、これは監督の少年時代の記憶からきているのでしょうか。
クバト 大都会はだいぶ変化していますが、キルギスの田舎の生活は昔からそれほど変わっていなかった。子どもの頃から、さまざまな儀式や慣習などを見ながら育ちました。
ところが、やはり少しずつこのような伝統習慣が失われてきているという実感があり、それがわたしが映画をつくることの動機になっていますね。
『あの娘と自転車に乗って』(1998)
——『旅立ちの汽笛』(01)では、青春時代を描いていますね。先ほどお兄さんが不良だったというお話も出ましたが、高校を卒業してからソ連の軍隊に入るまでの時期を扱った物語です。パーティではツイストを踊ったり、主人公が白人の女の子と恋に落ちたり、キルギス人とロシア人が混在して暮している情景が印象的でした。キルギスのロシア化の問題もあるのかと想像されますが。
クバト そうですね。『あの娘は自転車に乗って』では、キルギスの田舎における伝統的な生活や習慣について語ろうとしました。ですが、実際にわたしが生まれ育った時代は、ソビエト連邦の時代であり、キルギスはソ連のなかのひとつの共和国でした。ですから、最初の作品とは対照的に『旅立ちの汽笛』では、そのような自分が経験してきたソビエト時代の歴史について語りたいと思いました。自分の故郷の、自分の国の異なる側面を物語化しようとしたわけです。主人公はわたし自身の分身です。そして、実生活では兄が不良だったわけですが、この映画のなかではそれを出来の悪い父親像に仮託しました。主人公が10代後半で、父親が中年ですから年の差もできて、その方がストーリーとして語りやすかった。この映画はかなり自伝的な作品になっています。
『旅立ちの汽笛』では、キルギスの独自の文化であるような要素はほとんど見られません。ソビエトの時代にはこのようにキルギスの文化は抑えこまれていました。キルギス人の文化的なアイデンティティの象徴であるカルパック(キルギスの帽子)も含めて、よほどの大行事でもないかぎり、ソビエト時代には民族衣裳を着ることすらできなかった。教育が無料だったり良い面もありましたが、その時代にキルギスの民族的なものがすべて失われました。わたしが「不細工」というのは、外見上の問題だけではなくて、そのようにキルギス人としての文化や伝統を何も持っていないという意味で「不細工」といっているのです。この映画に見られるように、ソビエト化やロシア化をしていくなかで、キルギス人たちは酒を飲み、タバコを吸い、ディスコで踊るといった悪癖ばかり身につけていった。そこには精神文化が何もありません。そんな空虚さを描こうとしたんですね。
『旅立ちの汽笛』(2001)
『馬を放つ』
——最新作についてお訊ねします。『馬を放つ』の主人公であるケンタウロスという中年男性は、現代のキルギス社会において時代を逆行するような人物ですね。キルギスの古い伝説を信じていたり、夜な夜な馬を解放するために盗みに入ったり。どうしてこのような登場人物を中心に据えたのでしょうか。
クバト ケンタウロスは自分たちキルギス人の民族としての記憶、わたしたちがたどってきた過去の歴史を忘れてはならないと考えています。とはいっても、過去のなかだけに生きている人間ではありません。むしろ民族の未来を先取りしようとしている人といってもいい。未来のためには、過去のできごとをきちんと伝えなくてはいけない、過去の世代から現在の世代へ、現在の世代から未来の世代へと継承していかなくてはいけないと思っている。キルギス人は300万人しかいないので、もし地球上から消滅しても誰も気づかないかもしれない。だけど、わたし個人にとってはかけがえのない民族であり、何とか伝統文化を残していきたいと思っています。ケンタウロスも同じように考えているのでしょう。
——『馬を放つ』のなかでは地元の権力者がイスラームに傾倒したり、主人公のケンタウロスがモスクでイスラーム化に異を唱えるような行動に出ますね。
クバト ソビエト連邦が崩壊してキルギス共和国が独立してから、すでに26、7年が経っています。たった300万人しかいないキルギス人の哀しみ、600万人程度しかいない小国の哀しみなのかもしれませんが、それでロシア化をまぬがれたと安心していたら、今度はアラブ人がやってきてイスラームの宗教や文化を広めています。今度はキルギス社会のアラブ化が問題になってきている。人びとがどんな宗教を信奉してもそれは自由だと思いますが、ロシア人にしてもアラブ人にしても、どうして外国にやってきて自分たちの影響力を拡大しようとするのでしょうね。これは理解できないことです。
わたしたちにはキルギス語という母語があるのにもかかわらず、イスラームのお祈りや神と対話するためにはアラブ語を使わなくてはなりません。それに対してケンタウロスは違和感をもっている。いったい彼はどうしたらいいのでしょうか。政治家に苦情を申し立てればいいのか。しかし、政治家は選挙になれば人気取りに走るので、地元経済の有力者やイスラームの宗教的な権威とつながっている。政治、経済、宗教の権力は裏でひとつになっているわけです。わたしは映画監督ですから、そのような自分が感じた違和感を、映像と物語を通して伝えるというのが自分の仕事だと思っています。
『馬を放つ』(2017)
——キルギスの外側から入ってくる外国文化に対して、ケンタウロスが自分の文化的なアイデンティティを目覚めさせていく過程が心を打ちます。
クバト ケンタウロスは平和的な人間なので、その抵抗のあり方はせいぜい騎馬遊牧民の象徴である馬を馬屋から放つといった、とても静かなものです。彼は力づくで何かをなそうとしても、うまくいかないことを知っている。ひとりの一般市民として、キルギス人としてのルーツや文化的アイデンティティのために、静かにプロテストをしながら悩んでいる。しかし、現実社会では、グローバル化のなかで経済的な豊かさを享受することに夢中になり、そのようなことを全然考えてないキルギス人もたくさんいます。「ケンタウロス」は人間と馬が混血した神話上の人物ですね。わたしがいまのキルギス人を見て頭にくるのは、彼らは人間でもないし、馬などの動物ですらないことです。単なる消費者にすぎず、お金さえあれば、食べるものさえあれば、それで満足している。それでは良くないと思います。わたしは消費する人間ではなく、記憶でも歴史でも文化でも物語でもいいのですが、何かを抱える側の人間でありたいと常に思っているのです。
『馬を放つ』(2017)
【映画情報】
『馬を放つ』
(キルギス=フランス=ドイツ=オランダ=日本/2017年/89分)
監督・脚本:アクタン・アリム・クバト
撮影:ハッサン・キディラリエフ
出演:アクタン・アリム・クバト、ヌラリー・トゥルサンコジョフ、ザレマ・アサナリヴァ
配給:ビターズ・エンド
公式サイト www.bitters.co.jp/uma_hanatsu/
2018年3月17日(土)より、岩波ホールほか全国順次公開!
岩波ホール創立50周年記念作品第2弾!
【監督プロフィール】
アクタン・アリム・クバト
1957年生まれ。キルギス、キントゥー村生まれ。90年代に短編ドキュメンタリーで監督デビュー。1998年、長編劇映画『あの娘と自転車に乗って』が数々の国際映画祭で受賞を重ねる。2001年には第2作『旅立ちの汽笛』を発表。10年、監督と主演をつとめた『明りを灯す人』が国際的に高い評価を得る。最新作の『馬を放つ』でもメガホンを取ると同時に、熱い信念を秘めたケンタウロスという男を熱演。アカデミー賞外国語映画賞のキルギス代表に選ばれた他、ベルリン国際映画祭パノラマ部門アートシネマ連盟賞を受賞。
【執筆者プロフィール】
金子遊(かねこ・ゆう)
批評家、映像作家。近著に著書『混血列島論 ポスト民俗学の試み』(フィルムアート社)、共編著『映画で旅するイスラーム』(論創社)など。neoneo編集委員。