入管法「改正」案は廃案になったが、今年3月にはスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが施設収容中に死亡、中国人男性の死亡も発覚するなど、入管(出入国在留管理局)の非人道的な行いに注目が集まっている。抗議運動や署名活動など市民運動が激しさを帯びていくなか、クルド人の青年2人を5年間取材し続けたドキュメンタリー映画『東京クルド』が7月10日より緊急公開される運びとなった。
監督は日向史有さん。番組制作会社・ドキュメンタリージャパンのディレクターとして、昨年はYouTube動画「ウーマンラッシュアワー村本大輔がアメリカに行くまでドキュメンタリー」の2本が「東京ドキュメンタリー映画祭」で上映されるなど、媒体を問わず活躍している彼だが、社会的弱者の取材はライフワークとなっており、この『東京クルド』も短篇版やテレビ版を経て、ついに劇場公開用の長編を完成させた。映画を通して、改めて「仮放免」の立場として日本で生活している彼らの何を伝えたかったのか。日向監督に話を聞いた。
(取材・構成 植山英美)
ーー まずクルド「難民」たちを取材対象に選んだ理由をお聞かせください。
日向 2011年頃からシリア紛争が起きて、ヨーロッパにどんどん難民が増えていきました。国境線を歩く長い人間の列や小さな船にすし詰めにされる人たちの映像を見ながら、漠然と彼らはどこに行くのだろうと考えていたんです。そして、日本にも難民がいるのは、事実として頭の片隅にあったんですが、それがどういう人達だろうと単純に知りたくて「そもそも難民とは、どんな人たちだろう」と疑問に思って取材を始めました。
ーー 難民とひと言で言っても、日本には多くの国から難民として逃れた人々がいる中で、どうしてクルド人を取材することになったのですか。
日向 難民について調べ始めた頃、取材を兼ねて日本クルド文化協会に遊びに行った時、若い子たちがいました。「日本にいても夢も希望もないから、IS(過激派武装勢力“イスラム国”)と戦うために現地に行きたい」と言う子が多くて、「平和なはずの日本に逃げてきたはずなのに、なぜ戦地に行きたいの?日本の何がそんなに彼らを追い詰めるんだろう」とまず疑問が沸きました。彼らのことがとにかく気になって、取材を始めたんです。
クルドの人たちは、仮放免(※1)の立場の人が多くいます。仮放免とはどういう意味かというと、月に一回など定期的に入管に行く必要があり、入管施設に収容される可能性もあるということです。このような状況でクルドの人たち、特に若者が追いつめられている現状を知ったというのが大きかった。他方でクルド人は国を持っていないが故に、アイデンティティを強烈に確立していて、そこも魅力を感じました。
ーー 東京近郊に1500人以上いるクルド人の中で、オザン君やラマザン君たちを撮影するに至った経緯は?
日向 ラマザンは2015年にトルコ大使館前で、トルコ人とクルド人の乱闘事件があって、映画本編でも観ていただけると思うのですが、記者会見で大勢の記者の中で発言していました。まだ18歳のラマザンが毅然と自分の意見を言っていて、とても印象に残っていました。彼をいつか取材したい気持ちは長い間あって。その後、何人かのクルドの若者たちと会って、その中で圧倒的に魅力的だったオザンを取材したいとなったんです。
鷲掴みにされましたよね。ある種の暴力性が垣間見えたりもするのに、壊れてしまいそうなくらいの繊細さも持ち合わせていて。オザンを取材させてもらうことにしたら、気になっていたラマザンが、彼とトルコ時代からの幼馴染ということがわかって「2人を取材したい」と。
ーー 劇中に登場するメメットさんは、危うく亡くなったスリランカ人女性と同じ運命になりかけていたように思います。これだけ大きく報道され、注目されたのは大きな一歩だったのでは。
日向 もちろん、同じ運命になっていた可能性もあると思います。ウィシュマさんの事件で、かなり報道されるようになりましたが、入管で収容者が死亡する事件はずっとあったことですよ。2007年以降、亡くなった収容者の人数は17名、自殺者も5名いる。メメットさんも亡くなっていたとしても不思議はないし、オザンの従兄のイボも、収容中に自殺未遂をした。人間性が壊されていくんですよ、あの中で。取材をしていて一番辛かったのが、メメットさんとの面会で、本人こそが大変というのはわかっているんですけど、4ヶ月弱の間、取材の為でなく週に3回くらい面会に通っていく間に、どんどん精神が不安定になっていったんです。収容中、イボはカレンダーに毎日毎日バツ印を付けていってた。仮放免は申請すると2ヶ月くらいで結果が出ます。仮放免が認められたら入管から解放されます。要するに仮放免が認められないから、収容される状態が続くんです。収容が解かれるイコール仮放免の許可が出る。皆、入管の中で何回も仮放免の申請をするんです。結果がダメだったら、もう一度出す。2ヶ月待つ。またダメでした。今度こそはと2ヶ月待つ……。それをずっと繰り返すわけです。収容期間の上限は定められておらず、2019年当時は7年以上収容されている人もいた。こんな非人道的なことがあるのかって。
ーー 許可されなかった理由もない?
日向 分からないんです。
ーー 取材を通して、入管のこと以外に辛く感じたことは?
日向 対象者と喜怒哀楽を共にしたいと思っています。例えば、オザンがタレント事務所に断られたり、ラマザンの学校入学が進まない理由が差別的であったり。悪意なく自然に出てくる日本人の差別や、18歳の若者が自分自身を虫けら以下だっていうまでに、自己肯定ができなくなる。そういう場面で一緒にいることが何度かあり、それは辛かったです。
ーー 入管法「改正」が通らなかったのはある意味、最悪の事態を回避できたわけですが……。
日向 こんな改定案が出てくるなんて、夢にも思わなかったから、心がへし折られました。怒りを通り越して悲しみしかない。だって、改定前からずっと酷くて、規制もどんどん厳しくなる。そこで出た改定案が……。
ーー 難民申請の回数を制限し、強制送還を可能にするっていう……。
日向 長期収容の問題を改善するために、難民申請者を国に帰す? もう意味がわからない。締めつけがどんどん厳しくなる中で、さらに入管庁が裁量を強め、排除の方向に向けて法案を出すこと自体があり得ないですし、言葉がない。
ーー『東京クルド』を観てくれた観客が、クルドの方々がなぜ日本に来ているのか、理由がよくわかるのではないかと。生命の危険を感じて逃げてきているわけで。
日向 もちろん殺される可能性も、拘束される可能性もあります。ただ、クルド人はトルコにもたくさんいて生活して、制約の中で生きている人もいるから、全員が全員、生命に危険を感じているわけではないとは思います。でも、クルド語の放送、出版などの自由が制限され、クルド語での教育や公の場での会話すら禁じられた時代もあったのは事実です。生命に危険が及ぶまで行かなくとも、民族性を理由に本国から不利益を受ける人がいるならば、日本に来ても僕は保護すべきだと思う。また「経済難民」という言葉も本当に嫌いです。民族や政治的な発言、宗教、人種を理由に本国で差別され、就労の選択を極端に制限される人がいる。そこから逃れ、まっとうに生きるために、仕事をしたいと考える人に対して「経済難民だ、金稼ぎに来ただけだ」と言う人がいる。その理屈が嫌いです。選択が狭められる境遇にいる人が、別の国に逃れたいと思うのは当然で、迫害されて仕事に付けないのだから、他国に逃れ仕事をしたいのは当然です。2018年、世界ではトルコ国籍の難民申請者の46%近くが認定を受けていると聞きました。日本はゼロです。これはどう考えてもおかしいんじゃないかって思います。
ーー 子供たち、例えばメメットさんの息子さんたちやオザンの妹たちは日本で生まれて、ここで育っている。
日向 日本語で教育を受けているし、トルコに送還されたとしても、クルド語やトルコ語より当然日本語の方が得意です。子供だからうまく順応できると言う人もいるけど、冗談じゃない。
ーー オザンやラマザンも含めて、子供たちは日本の公立の学校に通っています。クルド人は主に埼玉県の川口市や蕨市に集住していますが、近所の人々は、彼らの存在をどう受け止めているんでしょうか?
日向 住民の女性に聞いた話ですが、公園を走るのが日課で、そこに毎日クルド人が 3、4人たむろしていたそうです。ある日、クルド人のうちの一人が電話に出て「あ、もしもし、俺」みたいに、全く訛りのない日本語を話したのを聞いて、その女性は「あ、クルド人も日本語を話せるんだ」とある種当たり前のことに気がついたそうです。日常同じ地域で生活していても大きな壁が横たわっていて。例えばクルドの男の子がナンパ目的でちょっと強引に声をかけたら、女の子はびっくりして泣きながら家に帰ったり。まったく悪気がなくても、殴られるんじゃないか、と思われたり、話しかけられたら怖いと思われたり。同じ場所で暮らしていてもまだ相互に理解し合ったり、交流したりすることは少ないと感じています。
ーー 反面、ラマザンの家族の食事の場面などで、お箸を使ってクルド料理を食べていたり、うまく日本の文化に馴染んでいるのを見て取れました。
日向 お父さん世代も日本社会に溶け込もうとしているし、メメットさんも東日本大震災や熊本地震の時にボランティアとして現地に行くなど、日本が大変な時は自分たちも同じように悲しもうという気持ちで行動しています。もちろん「自分たちクルド人は悪い人間ではない」というアピールもあるでしょうが、今自分たちが生きている日本で人々が苦しんでいるなら、それを分かち合おうという気持ちが自然にあるのだと思います。
ーー「東京クルド」短編は多くの映画祭で上映されましたが、海外での反響は?
日向 さまざまな国で上映していただきましたが、まず「日本は外国人に優しい国のはずなのに、 なぜここまでひどいことをするのか」という感想が多くありました。それと単純にクルド人が日本に難民として逃げて来ているという事実を知らない人が多かったです。「なんで人々がISに加担して行くのか、逆の視点でわかる」という意見もあり、興味深い反応だなと心に残りました。実際クルド人はISと戦ったので、逆の立場だったのですが、個人が個人として生きられなくなった時、民族性という大きな主語に自分の身を委ねていく気持ちになって、戦いの地に身を置きたいとまで思い詰める。日本に逃れてきても入管に収容されたら命が危なくなった人もいるような状況で、果たして日本は本当に安全なのか。
ーー 短編を経て長編を製作し、緊急公開が決まりました。
日向 今回、映画の公開にいたるまでには約5年の時間がかかりました。この映画に出演してくれた人たちは、さまざまなリスクを背負いながら、それでもカメラの前で自分自身をさらけ出してくれました。そうした彼らの覚悟に応えるためにも、どうしても映画公開をしたいと思ってきたんです。少しでも多くの人に、日本で生きるクルド人について知ってもらいたいと思っています。そして、彼らを取り巻く環境が少しでも良い状況に変化することを望んでいます。
私たちの生活の中には、今後どんどん外国人が増えていきます。コンビニや駅のホーム、歩道。彼らと行き交う時に、私たちがどんな目を彼らに向けて、どんな言葉をかけるのか。そんな小さな関わりが、10年後、彼らがどんな「目」を私たちを向けてくるのかに繋がるのだと思っています。
※仮放免
「仮放免」は在留資格のない外国人が、入管での「収容」を一時的に解かれた状態のことを指す。就労は 許されず、生活保護も受けられず、健康保険も適用されない。居住する都道府県外への移動も制限される。 2カ月に一度など、仮放免許可の期間を延長する申請のために入管へ出向かねばならない。出入国在留管理庁の資料によれば、2019年6月末時点で仮放免者は2,303人で、そのうち5年以上~10年未満の人が849人、10年以上暮らしている人が150人となっている。
【作品情報】
『東京クルド』
(2021年/日本/103分)
監督:日向史有
撮影:松村敏行 金沢裕司 鈴木克彦
編集:秦岳志
カラーグレーディング:織山臨太郎
サウンドデザイン:増子彰 MA:富永憲一
協力:日本クルド文化協会
映像提供:#FREEUSHIKU
技術協力:104 co Ltd.
クルド語翻訳:チョラク・ワッカス
助成 文化庁文化芸術振興費補助金 映画創造活動支援事業
独立行政法人日本藝術文化振興会
プロデューサー:牧哲雄 植山英美 本木敦子
制作:ドキュメンタリージャパン
配給:東風
https://tokyokurds.jp/
監督:日向史有(ひゅうが・ふみあり)
1980 年東京都生まれ。2006 年、ドキュメンタリージャパンに入社。 東部紛争下のウクライナで徴兵制度に葛藤する若者たちを追った 「銃は取るべきか」(16・NHK BS1)や在日シリア人難民の家族を 1 年間記録した「となりのシリア人」(16・日本テレビ)を制作。 本作『東京クルド』(21)の短編版『TOKYO KURDS/東京クルド』 (17・20 分)で、Tokyo Docs ショートドキュメンタリー・ショー ケース(17)優秀賞、Hot Docs カナダ国際ドキュメンタリー映画祭(18)の正式招待作品に選出。また、ドホーク国際映画祭(18)にて上映、DMZ 国際ドキュメンタリー映画祭(19)コンペティション部門にノミネートされた。テレビ版「TOKYO KURDS/東京クルド」(18・テレビ朝日・30 分)は、ギャラクシー賞(18)選奨、ATP 賞 テレビグランプリ(18)奨励賞。近作に「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」(21・BS12)