【Report】当たり前の自由を勝ち取った「表現の不自由展かんさい」 text 宮崎真子

会場エル・おおさかの入り口前歩道

 「表現の不自由展」がたどった道のり

 7月18日大阪天満橋朝8時過ぎ、既にむっとする暑さ!「表現の不自由展かんさい」最終日。会場のエル・おおさか(大阪府立労働センター)入り口には入場の為の整理券を求める老若男女市民がずらりと並んでいたが、最終日は16時終了の為定員が300人と少なく(※1)8時6分を回ったところで配布打ち止めとなった。入場整理のボランティア達が「整理券配布終了」をお詫びしつつ繰り返し伝える。
 そして早朝から駆けつけた市民、展示と施設の安全を守るため警察官、警備車がずらり、がっちりと施設前の道を固め、道の反対側には愛国・右翼系反対勢力がのぼりやプラカードを掲げ、物申している。そして時折街宣車が、反対車線を罵詈雑言を拡声して通り過ぎる。かんさい展における彼らの抗議対象の大半は、天皇(像)関連であった。
 素朴に何だか大変な、かつ快挙とも呼べることになっている!(の予感にせっつかれたので)筆者は東京より夜行バスで駆けつけたのだが、辛くも鑑賞できる事になった時点で、ああ「表現の不自由展かんさい」は最終日まで無事開催出来ている!と感慨に浸ったものだった(……と言うのも、いつ何時以前の同展の様に中止になる可能性は有ったので)。

 ニュースでも大きく伝えられた様に、3月に「表現の不自由展かんさい」開催の利用許可を出していた施設側は、開催に反発する様々な抗議電話や街宣が多発し、安全を保全出来ないという理由で利用許可を撤回。しかし、対して実行委員会側が起こした処置取り消しの訴訟は7月9日の地裁判決で認められ、一転して開催可能に。続いて高裁も地裁を支持し、7月16日の開催日初日に最高裁への施設側の特別抗告も棄却された。
 表現の不自由展2021は、6月25日東京、7月6日名古屋でも同時多発的に開催が予定されていた。東京展はオンラインで入場券の予約販売も開始していたものの、当初会場として予定されていた新宿区の民営スペースへの過激な抗議や街宣で、周辺住民への影響もあり会場のオーナーが使用を断ってしまう。また、会場変更後も同様の妨害に遭ったため一旦日程を延期し、開催に向け準備が続行されている。名古屋展は「私たちの『表現の不自由展・その後』」というタイトルで、名古屋中区役所内の市民ギャラリー栄で7月6日に開催をスタートしたものの、8日に会場に不審な郵便物が届き、開封したところ爆発物(爆竹?)が入っていたため破裂するという事件が起きる。それを受けた名古屋市は、施設の安全管理を理由にギャラリーを急遽臨時休館にし、中断のまま会期が終了した。  

 そもそも「表現の不自由展」とタイトルされた一連の展覧会は、韓国人写真家安世鴻の、中国に取り残された日本軍朝鮮人慰安婦の肖像写真をテーマとした「慰安婦」写真展の中止事件(2012年)に端を発している。この写真展は東京、大阪で開催が予定されていたものの、会期1か月前に、突然スポンサーのニコン側から一方的に中止を通知された。サロン使用を認めるように求める地裁仮処分申し立てを経て東京展は会期を改め開催、その後2015年末に損害賠償裁判でニコン側に賠償を命じる判決が出た。
 一連のアートや表現活動に対する妨害や検閲的な動きを憂う編集者やジャーナリストなど有志が集い、作家と作品をパブリックに展示しかつ鑑賞する権利、および自由を取り戻す目的で、2015年に東京のギャラリー古藤で開催されたのが「表現の不自由展 消されたものたち」だ。主に公共空間や公共施設で展示を中止されるなど、制限や妨害を受けた作家の作品群が展示され、多くの来場者でにぎわった。
 その後2019年、あいちトリエンナーレ内の企画展「表現の不自由展・その後」として新たな作品を加え8月1日よりスタートする。慰安婦テーマの像や昭和天皇の写真をコラージュした作品の断片的な情報・画像が主にネット上で拡散され、激しい電話・メール抗議や脅迫行為を受けたため、主に安全面の理由で3日目に一旦中止の事態に。その後他のトリエンナーレ参加アーチストや世界各国美術界からの抗議、再開を求める訴訟等を経て、会期終了までの数日のみ再開。国際・国内共にアート・メディア・行政の幅広い分野で大いなる紛糾と論議、検証を引き起こしたことは記憶に新しい。

 一連の「表現の不自由展」に出展された作品の幾つかは、筆者はこれまでに鑑賞機会があったものの、あいちトリエンナーレ2019の時は目まぐるしい中止・再開で機を逸した。それだけに今回大阪に駆けつけこの目で確かめたかったのは、如何にして表現の不自由展の開催が実現され、会場で作品がどのように受け止められていたのか、だった。作品中の断片的な慰安婦/天皇像と言った画像やイメージが一人歩きして攻撃され、開催を巡る紛糾やトラブルのみが注目を集めたが、肝心のそれぞれの作品のテーマや企画意図は置き去りにされていた事にも素朴に、かつ大いに違和感があったのだ。

 会場の様子と展示作品

 最終日朝10時の開場少し前にエル・おおさかに戻り、エントランスロビーで金属探知機のセキュリティと荷物検査のチェックを受け、エレベーターで9階の展示ギャラリーへ。入場カウンターで来場者はアルコール消毒を経て入場料1000円を支払い、予約時間ごとに入場が受け付けられる。出口側には鑑賞後の来場者が自由に書き込めるメッセージボードや関連グッズ物販、右側にはトラブル発生時対応の為弁護士チームが椅子に座り控えている。

 会場は二つに分かれていて、入ってすぐの大きい第一展示室は、幾つかのモニター上映作品と写真作品、オブジェ等の展示が真ん中のソファーを挟んで両面に展示されていて、各作品まんべんなく数人~十人ほどの鑑賞者がゆっくりと鑑賞している。
 今回新たに加わったフォトジャーナリスト豊田直巳の「叫びと囁き フクシマ:記録と記憶」は福島の2015年8月の双葉町原発アーケード撤去時、同町防護服の作業員の立つ中心地、飯舘村汚染土壌廃棄場の前での村祭り、福島第一原発の4点の写真によって構成されていた。一群の作品は、同タイトルの個展でも展示妨害等の対象にはなっていないが、原発事故を忘却によって「なきもの」にさせないという強い意志が感じられる。
 岡本光博の「表現の自由の机」は元々、2017年に沖縄うるま市伊計島の島おこしアート展において、「落米のおそれあり」のタイトルで商店街のシャッターに描かれた作品。交通標識「落石の恐れあり」を、当時頻発していた米軍ヘリの市街地への墜落事故を受け、米国旗が欠けて軍機状の塊が落下してくる注意標識の図へとパロディ化した。この作品は自治会が基地反対とみなされるのを恐れ、公開前にベニヤ板を打ち付け封印された(最終日のみシャッターごと剥がされ別の場所で展示)。あいちトリエンナーレ2019では現物が展示されたが、今回は3Dプリントのミニチュアサイズのシャッターのコンパクト版となっている。新作「サクラ」シリーズは、韓国の政治的緊張やサブカルチャーアイテム、慰安婦像(を思わせる)や原発汚染水タンク、日本伝統工芸和紙等様々なオブジェと混在するメッセージを巧みに小箱の中にあしらった作品。

岡本光博「サクラー38度線」

 この「サクラ」シリーズは、もともとは東京の現代アートギャラリーeitoeikoで開催された2021年のグループ展「桜を見る会」第2回の為の作品である。言うまでも無く不正を隠蔽し、うやむやのうちに取りやめとなった例の会への批判が込められたネーミングで、様々な批評性や現代を先鋭的に描く作家達の作品で注目を集めた展示だった。岡本は沖縄や台湾で制作もしており、国民的キャラクターを水死体に見立てた「ドザえもん」シリーズや、カップ焼きそばを同名の未確認飛行物体に見立てた「UFO墜落」などポップアイコンやブランド製品をユニークな手法で取り込んだ作品で知られ、故に抗議や展示中止等にも度々対峙しており、「表現の不自由展」にふさわしいエッジな作家と言えよう。