【Report】当たり前の自由を勝ち取った「表現の不自由展かんさい」 text 宮崎真子

 奥に続く少し小さい第二室は、表現の不自由展の“象徴的”な3作家による展示が中心。「重重―中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たち」(安世鴻)「平和の少女像」(キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻)は旧日本軍の慰安婦問題、「遠近を抱えて」「遠近を抱えてⅡ」(大浦信行)は昭和天皇の写真をモチーフに取り込んでいる事で、さまざまな抗議や展示妨害のターゲットになって来た。

 「平和の少女像」はかつて旧日本軍により連れ去られ、中国で従軍慰安婦となった朝鮮の少女が静かに椅子に座る像、その後韓国内で差別され孤独に生きる老婆を象徴する、背後の床にある白い影、また隣に鑑賞者が座ることのできる空席の椅子で構成された参加型の作品である。今回は安世鴻の慰安婦ポートレートは大判の一点のみだが、「平和の少女像」と対になる作品と言っていい。あいちトリエンナーレ2019の時同様、子供連れ含む多くの鑑賞者が座って記念撮影をするなどなごやかな雰囲気だった。「平和の少女像」は世界各地の日本大使館前に設置されるなど、日韓間の歴史認識政治係争のアイコンでもあり、また、韓国の慰安婦運動組織の内部における不正問題など複雑な状況もあり、いちアート作品としてのみでは論じられない面もあるのは確かだが、旧日本軍に限らず、戦争により性被害に遭った女性の存在を訴えるこの作品を直に観て、平和の重要さを考える機会が封印されるべきでは無いと思う。
 この作品や展示そのものに反対する層の主張は、旧日本軍従軍慰安婦の存在自体を認めない歴史認識にもとづいている(しかし今回は大阪という、多くの在日韓国人が住む土地柄か、反対・攻撃の対象に殆ど上がっていなかった。一方多様性を謳ったTOKYO2020開催期にも関わらず「相変わらず」だった東京!)。

 映画監督でもある大浦信行の映像作品「遠近を抱えてⅡ」は作品中挿入された昭和天皇の写真が燃えるイメージが右翼団体からの攻撃対象となった。しかしそれは作品の断片的な一場面で、そもそも一般上映もほぼ行われていなかったので、作品全体を観ている人はごく限られていたはずだ。
 さらに言えば、作品中の燃える昭和天皇像は、正確には大浦の新作長編映画「遠近を抱えた女」(※2)から引用されたシーンに含まれたものである。炎に包まれるのは大浦の代表作で昭和天皇像をコラージュした版画連作「遠近を抱えて」中の一点であり、いわゆる御真影写真では無い。主人公の19歳の従軍看護婦が戦地=死地に向かう前夜、母への決意の手紙を読み上げる姿と燃え上がる作品がオーバーラップする。今回かんさい展ではこの作品のみ(※3)撮影NGとなっており、多くの観客が長く留まっていた。

大浦信行《遠近を抱えて》

 手前には「遠近を抱えて」の中から一点が展示される。実はこの作品こそが(事実上)燃やされたアート作品の象徴なのだ。話は1986年、「遠近を抱えて」も展示された富山県立近代美術館のグループ展「’86 富山の美術」にさかのぼる。美術館は「遠近を抱えて」連作14作中4点を購入するが、展示の終了後、自民党の県議員から「県民の感情からして不快」と異議が申し立てられ、またこれを契機として、右翼団体の街宣が美術館に押し寄せるようにもなる。美術館はこれらの抗議におおむね屈して購入作品4点を売却し、かつ他の作家作品も含む図録500部弱を密かに焼却処分してしまう。いわゆる「大浦コラージュ事件」だが、これは間違いなく公的文化施設による都合の悪いものをなきものにする「焚書」である。以後作家の表現・および作品の公開と観客の鑑賞の権利が裁判で争われるが、最高裁棄却で敗訴となった。
 1949年生まれの大浦自身は戦後生まれながら、NYでの70-80年代にかけての10年余りの滞在中に、日本人の自画像として無意識に刷り込まれている昭和天皇像をコラージュした作品を制作したという。映画作品では「靖国・地霊・天皇」(2014)など、天皇をはじめ日本のタブーとされる問題に更に切り込んだ作品を制作している。

 また嶋田美子の《焼かれるべき絵》は、先述の焼却処分問題への抗議を表明する作品だ。昭和天皇と思わしき肖像が燃やされ、顔の部分が消失している。「平和の少女像」に呼応した《日本人慰安婦像になってみる》は、少女像が設置されたソウルやロンドン日本大使館前や、カナダの公園等で敢行された、嶋田自身が日本人従軍慰安婦に扮し、椅子に座るパフォーマンスの映像作品(旧日本軍の従軍慰安婦には日本人が1-2割程含まれていた)。

 日本では早くから現代アートの潮流である多様性・ジェンダーに対する問題意識が鋭く、特に女性蔑視に対する鮮烈な問題提起を表明し作品を発表して来た作家だ。

 「表現の不自由展かんさい」は如何にして「無事」全日程開催できたのか?

 現場を訪ねてみて、観客やボランティアの方たちとやり取りをすると、彼らがそれぞれの立場で展示の実現に参加し、かつ、彼らにそれぞれの立場で展示に立ち会えた事への幸福感が感じられた。アートをテーマとした市民運動の、比較的稀で幸福な結果だったとも言える。
 どんな風に展示企画が立ち上がり実行されていったのだろう?実行委員会の方達に開催・運営の事実関係以下3点をお訊きし回答頂いた。

①実行委員会は、大阪を中心にしたアートや表現活動に関心のある市民活動、地域運動、外国人の人権活動、労働組合の関係者で構成された。またボランティアもそれらの関係者と一般市民の自主参加による。
②運営資金は3日とも満場(500×2+300人)となった入場料とカンパによって賄われた。また、使用許可に対抗する訴訟費用や出展作家の変更等による追加でかかった費用については、クラウドファンディングによって充当された(約120万円達成)。
③当日会場で待機していた「見守り」弁護士チームは、準備段階から延べ30人以上のボランティアで構成されていた。直前になっての施設管理者(後にSNSでも上げられた開示記録によると行政主体、大阪府からの圧力である模様)からの使用許可取り消しに対する訴訟へもスムーズに移行出来たという。3日間の入場者のうち、会場で暴力的言動をした3人のみを主催者権限で退出させた。日の丸シャツ、日の丸マスク姿の入場者も居たが普通に鑑賞をし退場したという。

 こういったアート・表現に対する攻撃・妨害や検閲については、以前より各出展作家や企画者が訴訟等で戦ってきたが、誰もがSNSやネット情報にアクセスし依存する今現在、かつてないスピードで「気に食わないもの」に対する攻撃・破壊力も大きくなっているとひしひしと感じている。しかしそんな中で妨害にも打ち勝ち、警察による保安協力も万全に得て開催を敢行できたかんさい展は、今後政治や思想面で先鋭なアート・表現活動の発表、および展示に対する(自主)検閲・妨害に如何に立ち向かってゆくかのポジティブな実践例になったと思う。可能であれば、新たな作品、作家を加えるなど同時代に随時呼応したアートのあり方を見せてくれる発展型プロジェクトになってくれればと希望する。

参考情報: かんさい及び各地の不自由展の詳細は https://fujiyuten.com/exhibition/

 最後に。筆者在住の東京でアートユニット「キュンチョメ」の個展「クチがケガレになった日、私は唾液で花を育てようと思った」が日本橋のアートスペースでNICAで好評により延長の上9月12日まで約一か月半開催された。
https://www.kyunchome.com/2021smr

 2011年3月の東日本大震災、および原発事故を契機にホンマエリとナブチによって結成されたキュンチョメは、あらゆる意味で“更に失なわれた10年”の間、福島、石巻、沖縄、香港、ベルリン等国内外を問わずさまざまな都市に中~長期に滞在して、自らの感性と嗅覚を研ぎ澄ませ、その場所のリアルと歴史、軋轢に直に対話・アクションして、詩的かつポップなスタイルで主に映像作品を作り続けてきた。

 個展のメインである映像作品「トラを食べたハト」は、2018年から20年にかけて、香港で滞在と継続訪問を経て制作された。あいちトリエンナーレの参加アーチストでもあったキュンチョメは、表現の不自由展の中止に抗議し、再開と問題検証をアーチスト達が目指したReFreedom_Aichiでは中心メンバーとして活動。その後民主化運動の黒煙渦巻く香港へコロナ感染拡大による入境封鎖まで度々訪れ、コロナ禍後初の新作を完成させた。
 自由都市国家であったはずの香港を制圧しようとする中国軍は、現地ではかつて香港を侵略した旧日本軍と重ねられていた。「トラを食べたハト」は国家権力の象徴の虎と平和と自由を体現する鳩が対比され、コロナ禍やオリンピックまでに連なる渦巻く呪いを祈りに昇華させる。
 様々に隠蔽されて来た不自由・不正・格差・差別等があちこちで露呈し崩落している日本、表現・アートどころか基本的な自由と安全が最早ブラックホールと化している香港……。
 本稿の締めくくりにキュンチョメを紹介したのは、彼らが被災地、沖縄の米軍、香港の反政府デモ等センシティブな素材・テーマを魅力的なアート作品として昇華し、インディペンデントな展示方法も併せ「表現の自由」を実践してきているからだ。今年3月から4月に横浜の民家2軒で開催された、10年に及ぶ現地への継続的滞在による東日本大震災関連16作品の大規模展示「ここにいるあなた」も圧巻だった。

(※1)コロナ対策で鑑賞時間は50分に区切られ、また10分毎に入れ替えとなっていた。3日の会期中16日・17日は10:00−20:00、最終日の18日は16時まで。また妨害威嚇行為等防止もあり、予め当日分の定員分整理券を朝から配布の方式が取られた。
(※2)山形国際ドキュメンタリー映画祭2019連携イベントで先行上映。ブリュッセル独立映画祭オープニング作品。2020年コロナ禍下で期間限定配信され収益の半分をミニシアター支援へ寄付。
(※3)あいちトリエンナーレ2019では撮影OK、SNS投稿はNGの措置がとられた。実際には会場で個人的に撮られた映像・過去の作家作品の紹介記事の画像からの投稿がネット上に乱れ飛んだ。

【執筆者プロフィール】

宮﨑 真子 Maco (Mali) studioscentcat
主にアート・カルチャーとローカルライフを訪ねて、国内外の現場とそこに居る人に会いに忙しなく出入りして来た。少々移動不自由なこの頃は、逆に居住地東京、国内の今がとても興味深い日々。