【Report】90歳のジョナス・メカスを追いかけて 第2回(全3回)~パリ・後編~ text 小山さなえ

ポスターにサインするメカス

ポスターにサインするメカス

2012年12月15日(土)にパリ、ポンピドゥー・センターで開催された「往復書簡」特集上映のイベント「ジョナス・メカス×ホセ・ルイス・ゲリン対談(Q&A)」。新旧を代表する気鋭の映画作家による映画への愛が熱く語られた貴重なトークの中で、特に面白かった部分を抜粋して紹介する。(メカスはトークでも語り口が詩人のようなので、訳文が難しいため、原文も一部記載)

※1時間半のトークイベントを短く編集するため、一部割愛し、意訳も用いています。(仏語は、仏在住の映画コーディネーター小山内氏の協力を得て翻訳)全編を鑑賞したい方は、ポンピドゥー・センターが提供している下記の動画を是非ご覧ください。
http://www.dailymotion.com/video/xwnf8o_cycle-mekas-guerin-rencontre-entre-jonas-mekas-et-jose-luis-guerin-le-15-decembre-a-17h00_creation

会場になったポンピドゥーセンター

会場になったポンピドゥーセンター

司会:ジョルディ・バリョー氏(バルセロナ現代文化センターの元芸術監督/「往復書簡シリーズ」企画者)
ジョナス・メカス通訳:ピップ・ショドロフ氏(映像作家、「Re:voir」代表)

ジョルディ・バリョー(以下、ジョルディ):「映像往復書簡」シリーズは、互いに個人的には知り合いでなかった映画作家を結びつける、というアイディアから誕生したものです。このプロジェクトは進展しながら次元を拡大し、今日のこの場に至りました。
その中で、もはやジョナス・メカス(以下、ジョナス)とホセ・ルイス・ゲリン(以下、ホセ・ルイス)による往復書簡自体は、元々のアイディアの核心ではなくなろうとしています。孤独であるかもしれない映画作家同士が対話をする、そのことが重要であり核心なのです。今回、両者の全作品のレトロスペクティヴを開催することは、彼らに対話をさせるということであり、これは非常に感動的で、この企画を始めた時には全く想像もしていませんでした。
(中略)
この企画を始める段階で、二人はNYで一度会いました。そのときホセ・ルイスは『ゲスト』の撮影中で、それから9ヶ月後に往復書簡は始まりました。制作期間中、二人が会うことはなかったのですが、私達はそれを重要なことだと考えていました。友情は作品の中にあるべきだからです。これは重要な問題の一つに思うので、ここから対話を始めたいと思います。ジョナスの3通目の手紙の中で、夜中に目覚め、カメラに向かって、ホセ・ルイスに今自分がしていることを話します。そして「My friend in cinema」と語りかけます。映画作家にとって、友情は重要な何かなのか、それを是非知りたいです。

「例え他人を撮っていても、映画の主題はいつも自分自身」

ホセ・ルイス:
芸術と映画による友情、映画による数多くの出会いのおかげで存在する友情というのは、私には初めての経験でした。これは私の欠落している部分なのかもしれません。というのも、ジョナスの周囲には非常に沢山の、世界中から来た映画作家や詩人がいて、彼の作品には多くの映画作家が映っています。NYで彼に会ったときも、ある日一緒に道を散歩していたのですが、その間に少なくとも3人の映画作家に偶然会いました。つまり、懐かしい一種の共同体での生活が今でも本当にあるのです。これは1960年代が残した最後の遺産だと思います。世界中に映画のエコール(流派)があり、映画作家たちが共同声明をしていた時代、「オーバーハウゼン・マニフェスト」や、ブラジルのグラウベル・ローシャなどのシネマ・ヌーヴォ、ヌーヴェル・ヴァーグ、フリー・シネマ、アメリカン・ニューシネマ、など。あの時代、映画作家たちは出会い、議論し、共同で作品を企画していました。ところが今日では、私たち映画作家は非常に孤独であるようです。けど、ジョナスは違います。「フィルムメーカーズ・コーペラティヴ」を作り、映画の記憶を残すという大プロジェクトを抱えています。つまり、共同体があります。ジョナスと一緒にいると、彼と彼の周囲で起こる全てのことが私を守ってくれるようで、私の孤独を少し和らげてくれるように感じるのです。

ジョナス:けれど、友情や友だちは、映画作家だけではなく、誰にとっても重要なものです。(それ以外は)全ておっしゃってくださったので、付け加えることは無いです。(会場、笑)

ジョルディ:(冒頭、略)この往復書簡には他の要素も現れます。「何を撮るのか」というテーマです。ジョナスは、意義深いと感じられる現実の要素を、その度ごとに捉えようと発想します。ホセ・ルイスも『ゲスト』でそれと少し同じことを試みたのではないでしょうか。(中略)ジョナスが(映画の中で)最初に語った「react to life」と同じようなやり方で。

ホセ・ルイス:私はこの作品の中でジョナスを、言わば旅の途中で神託を下す神のように扱いました。『ゲスト』は一つの旅のような作品で、全ての旅では神託が下されるはずですから。「気ままに歩く」という発想は、ジョナスの作品は「散歩者の映画」だと考えたことから得ました。そういう原則から出発した為、脚本の執筆の仕方は従来と全く異なるものでした。彼がNYのバーで発した「react to life」という言葉にインスパイアされ、自分のものにしたいと思い、先入観なしに、気ままに出会いを求めて出かけるという原則が出来上がりました。一方で、ジョナスが、ボレックスのカメラが自分を保護してくれると言っていたことも思い出します。『ゲスト』の撮影中、それが真実であることを発見しました。ヴェネチア映画祭の記者会見でメディアに囲まれた時に、直接的に自分を守るためにカメラを使い始めましたーつまりカメラを通して自分自身の視線で質問に答えられることでーそして、カメラは少しずつ「保護」から「相手を知る」ための機能へと成長しました。しかし、それは間違っているかもしれません。というのも私の記憶では、ジョナスは「例え他人を撮っていても、映画の主題はいつも自分自身」と言っていたからです。

ジョナス:ウィ(その通りです)。

ジョルディ:会場から質問はありますか?

ホセ・ルイス:ジョナスが答えますよ。

ジョナス:私たち(ホセ・ルイス・ゲリンと自分)は次の往復書簡のビデオレターの中で話すので、今は何も話しませんからね。(会場、笑)

「アバンギャルド、アンダーグラウンド、インディペンデント、コマーシャルなどの用語を使う、現代の映画議論の仕方は、プリミティブ過ぎる」

観客1:すみません、単なる好奇心で伺います。これまで幾度となく尋ねられていると思いますが……、今回の特集の予告編でも、あなたはアバンギャルドの映画作家と紹介されています。このように表現されるのをどう思われますか?

ジョナス:I am a film maker. I make films. Now is video camera, so now I am a video maker, that’s all.(私はフィルム・メーカーであり、映画をつくる。今はビデオカメラを使うから、今はビデオメーカーであり、それだけだ。)それは、私たちが「モーション・ピクチャー」または「シネマ」と呼ぶものの一部であり、それ以上でもそれ以下でもありません。(後略)

ジョルディ:(前略)ジョナス、あなたは過去の要素を現在の創作のために使いますが、どのようにして現在・未来と同時に、過去のフッテージに興味を持つことができるのでしょうか?あなたの作品の中で、過去と現在の役割は何ですか?

ジョナス:私は過去に撮影した素材で、これまでの作品に使用していないフッテージを保管しています。それは過去の人生の日々の記録であり、その断片がフィルムやビデオという形で残されている。それは実在し、触れられ、観ることもできる。新たに何かをそれを使って作ることも。それは例えるならば、農夫が去年のジャガイモを持っていたとして、まだそれを使って料理できる、ということです(笑)。

ホセ・ルイス:
先程の「アバンギャルド」についての回答に、付け加えさせて下さい。ジョナスは、アバンギャルド映画に関心のある他の前衛映画作家たちと違って、自身の著書のなかで常に、アバンギャルドと呼ばれる映画以外にも同じ位、大きな関心を示してきました。だから彼は、ロベルト・ロッセリーニやマックス・オフュルス、ロベール・ブレッソンについて、スタン・ブラッケージについてと同じ方法で書くことができるのです。つまり「私はこの流派の作品にしか興味がない」というある党派の作り手ではなく、映画をより大きく寛大なやり方で思考しているのです。また一方で、アンダーグラウンドや実験映画の時代に誕生した小さくて脆い映画を救わなければいけない、守る必要がある、という意識を持っていました。ジョナスは、映画について(常に)大きなパースペクティヴを持っているのです。

ジョナス:映画を「アバンギャルド」「アンダーグラウンド」「インディペンデント」「コマーシャル」などの言葉で今日議論するのは、とてもプリミティブだと思います。文学では、そのような言葉では議論しません。用いられるのは、小説、詩、短編小説、俳句、ソネット、など。文学でも勿論プリミティブな表現を用いる時もありますが、それが意味する範囲は限定的です。現代の映画の議論のされ方は、余りにもプリミティブ過ぎると私は思います。

「『シネマ』という木がより多くの枝を張り、従来の大きな枝とは、もっと異なる映画の可能性を広げるような枝が広がり始めている」

観客2:こんばんは。「往復書簡」についてお尋ねします。往復書簡をするというアイディアにどのように取り組まれたのか、お話頂けませんか?他の作品と比較し、その経験は映画的にどのように特別だったのでしょうか?

ホセ・ルイス:まず企画のアイディアをとても気に入りました。通常、映画は複数の観客に向けられますが、今回は(手紙として)ジョナス一人に向けて作るわけで、その着想に興味を持ちました。ジョナスとのやり取りを通じて観客の皆さんに話しかけるという、三角関係。このことが、異なる構造の親密さを作り出し、観客とのコミュニケーションを個人的なものにするわけです。そして私の場合は、もしもこの手紙がジョナスではなくモンテ・ヘルマンやシャンタル・アッケルマンなど別の映画作家に向けられていたら、また違った色調を帯びたでしょう。偶然が強烈に介入する装置を作り出すということも素晴らしい。というのは、必然的に、ジョナスからの返信が次の手紙の創作に介入するからです。これは活き活きとしたプロセスで「さあ、ジョナスは何を送ってくるだろう?」と考えますし、驚きを期待もします。だから私にとって本当に新しい体験であり挑戦でした。最初は、クリス・マルケルの『シベリアからの手紙』やゴダールの『フレディ・バウシュへの手紙』など、手紙とその返信であるかのような作品のことを考えましたが、これらの作品は、小さな映画を作るために手紙のレトリックを使ったもので今回の試みはそれとは異なります。もう一人の手紙への「反応」であるからです。私はそうやって取り組みました。

ジョナス:「ビデオレター」という点で語るならば、俄然話は面白くなります。なぜなら、映画の新しいフォームを作り出す必要があるからです。ビデオレターとまで行かなくても、ビデオポストカードと考えれば、それは今広く世界中で、インターネット上でやり取りが行われています。「シネマ」という木がより多くの枝を張り、それは「ナラティブ」「ハリウッド」「西部劇」「フィルム・ノワール」といった大きな枝ではありませんが、もっと異なる映画の可能性を広げるような枝が広がり始めていると言えます。

観客3:こんばんは。ジョナスに質問をします。作品の編集の際に削っていくことについてのインタヴューを聞いたことがあります。作品が創造される瞬間というのは、映像を撮影している時に訪れるものでしょうか?それとも、むしろフッテージを編集するときでしょうか?

ジョナス:I don’t create.(私は「創って」いるわけではありません)かつてボレックスで撮影した時、多くのストラクチャーは撮影している時に出来上がっていました。ビデオでは、より長時間撮影することができるため、編集する素材が格段に増えました。よって多くの時間を(その素材の中から)非常に重要な瞬間を抜き出す作業に費やします。それは、人とシェアしたいものである場合もあれば、自分だけのものにしておきたいものもあります。

「たった一人で独り言のような作品を作り始めた最初の人は、僕にとってはジョナスです。まさに『フィルム・メーカー』です」

ジョルディ:マイクが届くまでに、ひとつ質問したいと思います。この往復書簡の企画について話し合っていたとき、これには一種のシステムのようなものがあると気付きました。つまり、相手の映画作家を選ぶということです。

ジョナス:今回の「往復書簡」を撮影する前に、私たちは一度だけ会い、一緒に呑み、話し、互いに撮影しました。楽しいひと時でした。ただ、今回は互いにあまり相手を知らなかったため、パーソナルな感じにはなりませんでした。それで良いと思っています。ただ、次回ビデオレターを交わす時は、もう少しお互いを知った状態で撮るので、より別の形の、よりパーソナルなものになると思います。

ジョルディ:同じ話の流れでもうひとつホセ・ルイスに質問させて下さい。相手の映画作家を選ぶ上で、最初からあなたはジョナスを希望し、それが可能になるまで1年待ちさえしました。確かに、ジョナスは全ての映画についての議論と問題に関わっているように誰もが思います。しかし、これはあなた個人のキャリアの中でも特別な時間、つまりジョナスとのやり取りを、自身について考えるために必要なものとして捉えたのではないでしょうか?

ホセ・ルイス:大抵の場合、自分の好きな過去の映画と対話をするのが私は好きです。私自身がアバンギャルド映画作家であるとは思いませんが、アバンギャルド映画の中には、ドイツ表現主義や他の形式の作品と同様、私にとって重要な作品が数多くあります。一方、たった一人でカメラを携え映画を作るという選択肢は、ニューテクノロジーによって可能になったもので、私自身もそれをやってみたいと思っています。集団での映画作りも続けるつもりですが、独り言のように映画をつくるのも大好きです。仏語で「独り言」という言葉はありますか?

観客席:ありますよ!

ホセ・ルイス:たった一人で独り言のような作品を作り始めた最初の人は、僕にとってはジョナスです。まさに「フィルム・メーカー」です。50年代のジョナスの写真をご覧ください。カメラを抱えた彼は、まさにフィルム・メーカーです。カメラを持っているというだけで十分なのです。この素晴らしい映画作りと関係を持ってみることは、非常に興味深いと思いました。そして勿論、ジョナスは、非常に重要な文化であるビートニクの代表的存在です。いや、それ以上でしょう。彼はヴェルヴェット・アンダーグラウンドやビート・ジェネレーションの詩人たちを撮影し、私にとって非常に重要な60年代NYカルチャーのコンテクストと切り離せません。私は当時、彼の映画は見ていませんでしたが、「映画日記」は読んでいました。彼の体の中には、フランス映画のアンリ・ラングロワとアンドレ・バザン、ゴダールが共存しているのです。彼は映画作家であると同時に理論家であり、新しいアメリカ映画の流派の数多くの作家の擁護者であり、映画のアジテーターであり、そして記憶でもあります。アンソロジー・フィルム・アーカイヴズ(以下AFA)を創設したというのは凄いことですが、これはラングロワ的な面です。彼はフランシスコ会の禁欲的な修道士のような容貌をしていますが、非常に重要な人です。

「150年近く人類の記憶を記録してきたフィルムやビデオをきちんと保存する幾つかの施設が全ての国にあるべき」

観客4:ジョナスに質問です。今回上映されていたあなたについてのドキュメンタリーの中で、あなたは少しだけご自身のテクノロジーとの関わりについて触れていました。しかも、単に映画作家としてだけではなく、AFAというプロジェクトに関わる立場からも。つまり、映画作家として、作品を保管し保存し続けるということが非常に重要だと唱えるプロジェクトの企画者として、あなたとテクノロジーとの関わりについて、お伺いしたいのです。

ジョナス:そもそもテクノロジーがなければ、映画は存在しません。カメラはテクノロジーの一部であり、プロジェクターも、ビデオも私が使用しているテクノロジーの一部です。例えば、カメラは私の道具であり、全ては映画を作る上での道具と言えます。それはこれと同じです(突然笛を吹き出す)……音を作り出すための道具と同じように。AFAでも、コピーや保存のために、あらゆる道具を使用し、つまり100%テクノロジーに依っているとも言えます。

観客5:今の質問を少し掘り下げたいです。ホセ・ルイスさんは、先日ご自身の作品が35ミリではなくデジタルで上映された時、とても悲しそうでした。上映の状態はとても良かったのにも関わらず、です。つまり、今後何が残っていくのかという今日的な問題があります。電子信号は非常に移ろい易く、10年後に存在しているかも分かりませんが、一方フィルムは100年以上も保存可能です。フィルムで上映することはあなたにとって大事なことなのだと思いますが、それについて少しお話いただけますか?

ホセ・ルイス:その映画が作られたオリジナルの素材で上映されることが理想です。それは普通の映画館では経済的な理由で今後難しくなるでしょう。だからこそ、オリジナル素材での上映を存続する努力をすることは、シネマテークの重要な役割だと思います。ところで、驚きつつ非常に面白いと思ったのは、今日は誰もが自分のセルロイドフィルムをニューテクノロジーに変換したいと思う時代であるのに、シネマテークの映画保存政策はその正反対であるらしいのです。つまり、デジタル技術で作られた最も美しい作品を選び出し、セルロイドのフィルムに焼き付けているらしい。というのも、ビデオで撮られた脆い素材が今後どうなるかわからないからです。つまり、二つの異なる論点があります。これは、映画上映がニューテクノロジーに対応するための方針について、ニコル・ブルネーズが最近話してくれて知ったことです。映画作家なら誰でも、自分のフィルム作品がニューテクノロジーに対応すれば喜ぶはずですが、それとは別に、映画保存では光学フィルムの方がはっきりと優れているという問題があるわけです。そして、オリジナル素材での上映を守るという理想があります。これは、AFAの方針でもあるはずです。映画を保存すると同時に、上映のプログラムをし、映画文化を振興するということが、ジョナスの始めたことです。AFAでは、オリジナル素材で上映するという原則を守っているはすだと思います。

ジョナス:フィルムはフィルムでのみ保存されるべきで、ビデオはビデオで、8ミリは8ミリで、16ミリは16ミリでのみ保存されるべきです。そして早いうちに、ユネスコや文化庁のような全ての団体は、我々が今後も新しいプリントが作れるよう、フィルムストックを制作するラボを作る必要があります。それは映写機などの機器も同様です。150年近く人類の記憶を記録してきたフィルムやビデオをきちんと保存する幾つかの施設が全ての国にあるべきです。

ジョルディ:これがお金の問題なのかはっきりわかりませんが……。ジョナス、あなたはやらなければいけないことがあるのならば、なんとしてもやってしまうのでしょうか? 障害となるものを(妥協して)受け入れることはできるのでしょうか? それとも、撮影したいという欲望はその障害となるものよりも強いのでしょうか? つまり、あなたの創作活動においてのお金の役割が何かを教えて下さい。

ジョナス:何の役割も果たしません。なぜなら私にもお金が無いからです(笑)。ただ人は誰でも何時でも、何かをしてお金を稼いで得ることができるし、たったの3~4ユーロで1本のビデオカセットが買え、60分のビデオが作れるのです。お金で映画は作れません。

ジョルディ:色々なお話、興味深いです。為すべきことは為すべきだ、ということですね。映画の世界では、金銭的な駆け引きに多くの時間を費やされてきましたが、確かに、何を為すべきかは明白です。(以下、省略)

客席から見たトークの様子

客席から見たトークの様子

「失われた映画共同体―今日の映画作家の関心はギルドを作ることであり、思想のためではない」

観客6:ジョナスに質問です。私は映画の仕事に長く従事していましたが今は辞め、もうあまり関心もありません。しかし、一週間ほど前にラジオで聞いたあなたのインタヴューで話していた内容は、映画についてここ数年聞いた話の中で、最もダイナミックで興味深かったです。私の質問は、NYのあなたの周囲にいる20代~40代の若い世代についてです。60年代当時の即興的に映画を撮るというダイナミズムを、今の若い世代はあなたと共有しているのでしょうか?

ジョナス:フィルムからビデオへと(メディア)が変化したことで、様々な異なるデジタルテクノロジーが使えるようになり、人々は今、あらゆるやり方で映像を撮影し、やり取りをしています。人々の映像への熱い思い(enthusiusm, excitement)などは、もはや測ることが難しくなりました。かつては、どちらかというと垂直的な広がりだったものが、グローバルなレベルで水平的に広がり、一般的には皆映像の様々な可能性に熱い思いがありますが、それは60~70年代の時のそれとは別のものだと言えます。

ジョルディ:あなた(ホセ・ルイス)にとっても継承の問題は重要のはずです。若い映画作家たちとは、どのような関係を結んでいますか?あなたは彼らと単に共同作業するだけではなく、真の意味での交流をしていると思います。自分は孤独な映画作家であり、この往復書簡は孤独でなくなるための試みであるとさえ最初におっしゃいました。(中略)しかし、あなたの映画を見ることで、別のタイプの映画が可能だと学んだ沢山の人々もいます。あなたは、この共同体の問題をどう感じていますか?

ホセ・ルイス:私が話したのは、今日の映画作家の一般的な状況についてです。私が孤立しているという神話をつくりたいわではないのですよ(笑)。かつての映画作家は、互いに会って話をし、議論していました。しかし今日の映画作家の関心はギルドを作ることであり、思想のためではないのです。ゴヤ賞やセザール賞のような陳腐なもののためでしかなく、私は一切興味がありません。たまに未来の映画作家たちのために授業をすることがありますが、そのときも私は教師ではなく、古典的な意味で常に映画作家であり続けています。例え彼らがまだ映画を一本も撮っていないとしても、彼らは映画作家であり、その彼らと話すのが好きなのです。私にとって映画作家であるということは、何よりも考える方法であり、この世界に存在する方法なのです。ずいぶん長い間、映画を作らなかった時期がありましたが、その頃も私は、一日中、完全に映画作家であると感じていました。「映画の夢想者」になるのです。授業をするとき、私は生徒たちとの時間をとても楽しみます。映画について一緒に話し、一緒に夢見るからです。そういう対話をしているのです。


「時間をかけるということは、現在の社会において大きなタブー。時間をかけることは、最も大きな挑戦なのです」

ジョルディ:リスボンでジョナスと会って、初めて往復書簡について話した時のことを覚えています。そのときジョナスは、「映画作家同士で往復書簡をしたことは一度もない」と言いました。けど、私はそれは変だと思いました。彼はずっと映像による手紙を撮ってきたと思っていたからです。改めて質問しますが、本当に初めてだったのですか?

ジョナス:そうです、初めてでした。

ジョルディ:(前略)ジョナスは、往復書簡の2通目で、これでお互いのことを知り合ったので、(次の手紙は)異なる結果になるだろうと言っていました。一方、1通目をつくるときは、敢えてそれ以上お互いを知ろうとしないという考えがあったのではないですか?

ホセ・ルイス:それは違います。私はジョナスのことを知ってましたが、ジョナスは私のことを知りませんでしたから。関係自体も違いました。

ジョルディ:けど、ジョナスは彼の映画を観てたでしょう?

ジョナス:ええ。

ホセ・ルイス:一本だけ、『工事中』だけですよ。

ジョルディ:ジョナスのプロデューサーのベンが(この会場に)います。往復書簡ではいつも、彼が果たしてくれたような手紙を送り受け取る配達員の役割が非常に重要です。正確には、私がその役割を果たしていたわけでなく、仲介をしてくださった方々がいます。送った手紙に相手の映画作家が気がつき、次の手紙をつくるときを待っている。ある意味、内なる手紙に反応しているわけです。往復書簡のやり取りでは、時折ある手紙は忘れられて、後になってその内容が取り上げられる。手紙を送り受け取ることの間にある緊張が、一連の手紙の中に刻み込まれているのです。相手の反応を待つということが、ある独自性をもたらしているのです。

観客7:こんにちは。私が気になったのは、往復書簡をするという行為は、ある意味、時代遅れではないか、ということです。過去に手紙をもらった相手に向け、時間をかけて手紙を書いて送り、さらにその後、観客がそれを作品として見る。しかも、今日の消費社会では、映像は即時的な何かであって、メールで送ることも可能です。現在私達が携帯メールやEmailで文通をするというやり方は非常に即時的な何かです。今回の文通をしながら、この行為はずれていると感じたことはありませんでしたか?

ホセ・ルイス:これはもしかしたら私とジョナスとの違いかもしれません。ジョナスは「ビデオレター」と言いますが、私は例えビデオで撮っても「フィルムレター」という言い方をしたいのです。私は映画から文化を学び、美学を得たからです。私はある意味古いのかもしれませんが、即時性を好みません。即時性というと、私はいつもテレビ、生放送と結びつけて考えていました。この分野で繰り広げられていることには注意を払っていますが、私は映画のイメージはテレビよりも優れていると思いますし、思考し、推敲する可能性があると思っています。そのことが私は好きなのです。私は「テレビ映画」という言い方が好きではありません。テレビ向けに作られた素晴らしい作品を沢山見たことがありますが、それは大スクリーンでテレビを見たということでは決してありません。つまり、技術的媒体に関係することであり、私はむしろ思考の仕方のほうが大きな問題だと思うのです。テレビは軽薄なプラカードでしかありません。映画にはもっとそれ以上のものがあり、良い映画は何度でも見返すことができます。映画は意味論的に豊かであり、だから、推敲や仕事に時間をかけることが好きです。もしかしたら私は古いのかもしれませんが、私はそれが好きなのです。

ジョナス:映像を撮る上での全ての道具は、それぞれの特性に合ったコンテンツやフォルムを有します。フィルムで出来ることは、ビデオでは出来ませんし、逆もしかりです。広く使用されているデジタルテクノロジーも同様で、フィルムやビデオカメラで出来ることを出来る訳ではありません。全ての道具は、現実を違った角度で見つめるという行為を可能にするための小さな窓を開けるような役割を果たすだけです。なので、我々が行ったビデオレターも、インターネット上で交わされているものとは異なるのです。

ホセ・ルイス:勿論です。ただ、私はやはり興味を惹かれないのです。インターネットでのやり取りに、自分が本当に気に入ったものを入れたくない。私は美の秩序の中に何かを探していますし、ある筋立てのなかに何かを作ることが好きなのです。速くコミュニケーションをするという考え、即座に何かをインターネットで送るということは、私は非常に陳腐であると思います。私はそれでもニューテクノロジーを使いますし、その技術的かつ意味論的な可能性を探ることもします。ただ、私の思想や美学的教養は、全く別のところからきているのです。それは映画であり、さらにもっと古い絵画の歴史であり、文学です。往復書簡をし、相手の返事を待つという古いやり方についての先の質問にお答えしますと、私はこの休止、熟考と推敲の時間は必要だと思うのです。時間は必要です。時間をかけるということは、現在の社会において大きなタブーになっていると感じます。時間をかけることは、最も大きな挑戦なのです。何事かを為すために時間を必要とすること。もし私が古いのなら、それでも構いません。

ジョルディ:最後に何か言い残したことがあれば?

ジョナス:興味深い話でした。

ジョルディ:それではここまでにしましょう。お話頂き有り難うございました。この往復書簡は継続することが予告されていますが、本当に実現することを願っています。はじめに申し上げましたように、私は映画作家同士の対話は、時間やラジカル性と同様に、魅力的で大切なものと改めて強く感じています。おいで頂き有り難うございました。

(続く)

トーク後、2人によるサイン会。ファンの列はいつまでも絶えなかった。

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「日本にまた行きますよ!」と言ってくれたホセ・ルイス・ゲリン。

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【次回予告】
90歳のジョナス・メカスを追いかけるヨーロッパの旅、第3回目はロンドン篇です。
ロンドンでは初めてとなった個展の題名は『ある幸せな男の人生の未公開シーン』。新作のプレミア上映を含めた大規模な企画展では、メカスのどんな姿が見られたのでしょうか?
掲載は7月下旬を予定。お楽しみに……!

【執筆者紹介】
小山さなえ(こやま・さなえ)
1978年生まれ。慶応義塾大学卒業後、(株)リクルートで広告営業等を経て、映画配給会社で映画バイヤー等を数年経験後、フリーランスで国内外の映画祭広報・コーディネート・アテンド・翻訳、通訳業などに携わる。海外放浪癖あり。