7/20(土)より東京神田・岩波ホールでは、安保闘争をアーティストの視点から斬新に描いた前作『ANPO』(2010)で話題となったリンダ・ホーグランド監督の新作『ひろしま 石内都・遺されたものたち』(2012)が、同じく米国人映画作家のステイーブン・オカザキ監督による旧作『ヒロシマナガサキ』(2007)と併せて特別上映されている。
『ひろしま~』は、『ANPO』にも登場した写真家・石内都氏による、広島の原爆被害者の数かずの遺品を収めた写真を展示した『ひろしま』展の、初めての北米開催となるバンクーバー博物館での展覧会を追った80分のドキュメンタリー。写真家によって「対話するように」撮られたワンピースやシャツたちは、「遺品」という語がイメージさせる物々しさや暗鬱さとは遠く隔てられたあざやかさをいまによみがえらせてやまない。本作が二作目となる監督のリンダ・ホーグランド氏に話を聞いた。
(取材・文=萩野亮、協力=影山虎徹)
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|「なぜ横須賀で撮ったんですか?」
――今回 の作品はNHK との共同制作で、ドキュメンタリージャパンの橋本桂子さんや山崎裕さんもスタッフに就かれています。どういった経緯で進められたのでしょうか。
リンダ・ホーランド(以下 LH) 前作の『ANPO』がバンクーバー映画祭に呼ばれたとき、カナダという中立の場所で石内(都)さん念願の北米での展覧会の実現につながるかなと思ったんです。それでいくつかの美術館も含め、事前に博物館のディレクターに連絡が取れるようにお願いしてあったんです。結果的に彼の針に触れて、丁度その期間の展覧会がドタキャンにあって、じゃあちょうどいいというんでこの『ひろしま』展の開催が決まったんです。
それから数ヶ月後、日本に来て『ANPO』の忘年会を開いたんですよ。そこには、山崎(裕)さんも石内さんもいて、山崎さんに「せっかくの機会なので石内さんの展覧会を映画にしたいんですけど、どうですか?」って聞いたら、「じゃあ、僕が橋本を紹介してあげるよ」って言ってくれたんですね。橋本さんが『ANPO』を気に入ってくれていて、「私がプロデュースしてあげるよ」って言ってNHK に紹介してくれたんです。そういう経緯ですね。
それに山崎さんは石内さんの昔からのファンだし、石内さんも彼にだったら撮られてもOKってところがあったんじゃないかな。
――監督が石内さんにお会いになったのは、『絶唱・横須賀ストーリー』のアメリカでの出版の際にインタビューをされたときが初めてだったと伺いました。
LH ニューヨークの画廊の人が日本の古い写真、60 年代、70 年代の写真集やヴィンテージの写真集を扱っていて、私はそこにお手伝いで入っていたんです。そのときに彼女が最初の三部作を編集し直してアメリカで出版するということになり、そのためにインタビューを頼まれたんです。彼女に会って、そのときはまだ『ひろしま』の写真集はダミーだったんですけど、見せてもらって、私もこれだったら何か違うことができるかなと思ったんです。
――石内さんの写真やご本人についての印象は。
LH 石内さんとはいきなりツーカーの仲みたいな感じで(笑)。似たような視点をいろいろと持っているし、二人ともけっこう言いたい放題だし。やりたいことをやって、ある意味恵まれた場所を自分たちで作ったのか作られたのかはよく分かりませんけど、そういう共通点があるから、お話ししてもお互い気持ちが良かったんです。
インタビューで最初にしたいちばん初歩的な質問は、「なぜ横須賀で撮ったんですか?」だったんです。そうしたら、彼女が若い頃、ベトナム戦争時に米兵が暴れるどぶ板通りにだけは行くな、と言われていたことが理由だったんですね。それを聞いて、私の生い立ちに絶対的な安全が保証されていた理由と、彼女が危険にさらされていた理由が同じだと気づいたんです。それは「米兵」という存在です。それがショックで、そのショックを見て石内さんはリンダを信頼してくださったみたいです。
|作品が一気に過去のものでなくなった
――この作品の撮影で来日されたのが 2011年3 月 11 日の震災の日というのを聞いてびっくりしたんですけれども、どういった心境でプロジェクト始められたのでしょうか。
LH まず、機内で「大地震で成田閉鎖」というアナウンスを聞いたときに何も分からなかったんですね。数時間後、東京がどうなってるか何も分からないまま千歳に降りたんですけど、ニュースを聞いた瞬間にビビるかビビらないかどっちかだなと思って、じゃあビビるの止めようと思ったの。それで、それを聞いた瞬間この作品の意味が変わってくるのが分かった。広島で石内さんを撮影したのはそれから 10 日後くらいかな。一気に過去のものでなくなったんですよね、広島が。たぶんそこで映画の方向性も変わったと思うんですよね。
――この作品が興味ぶかいのは、石内都さんのバンクーバーでの展示が始まるまでのメイキング・フィルム、という体裁を採っていないところなんですね。会場の内と外であるとか、写真家本人と地元北米の人とを何度も往復しながら、何か呼吸するようなリズムというのを感じさせます。それが冒頭の息づかいとふくよかに響き合ってくる。作品の構成については、どういうイメージをもたれていたのでしょうか。
LH あの息づかいはあとになってからの発見だったんだけど、イメージとしては写真が見えてきて感想の声が聞こえてくるというのは最初から決めていたんです。ラストシーンの、夜中になってトーテンポールのくちばしの縄が解けて、コンコンコンと語りだして、それで残された者同士でしか成立しない会話で、あの三人がどうやって亡くなっていったかっていうのを語り出すということも、広島で撮影したときから大体決めていたんですね。
だから、バンクーバーで撮影したときもライトを消して秒読みでAD も入れて全部仕掛けて撮りました。実は、学芸員が鍵を開けてくれるシーンも順取りで、ドラマを撮るみたいに山崎さんに綺麗に撮ってもらったんですよね。私、ぎくしゃくしたカメラワークが大嫌いなんです。だから死んでも自分で回さないし、もうみんなプロに任せるっていうのが、私のやり方なんです。
――山崎さんのカメラはものすごく繊細ですよね。リンダ監督と石内さんという二人の女性に挟まれていらしたわけですが、山崎さんとはどういう呼吸で撮影されていたのでしょうか?
LH 『ANPO』から関係は始まるんですけど、なぜ彼が『ANPO』を引き受けてくれたかというと、彼が いちばんはじめに回した映像が 60 年安保だったという記憶があったからなのね。それで、私がノコノコ出てきて「安保についてやりたい」と言ったときに、「分かった」とおっしゃってくれたんです。『ANPO』のときは、私はまだ初監督だったから、最初の一週間は山崎さんについて回って、二週間目から「撮ってちょうだい」って言ったら「もう撮ってるよ」って怒られて、三週間目からは「ちょっと車停めて」みたいなことを言いながら、だんだん「監督」になっていったんです。
山崎さん、とても無骨な方だから、「こうやって教えてあげるよ」とは言わないけど、そうやって教えてくれたんですよね。だから今回の撮影では私のアイデアをかなり出しました。原爆ドームは絶対あおって撮らないとか、山崎さんが入る前からロケハンしたりショットリスト作ったりしていたから、前に比べれば完全に甘えないで、自分の視点や構成とかこういう絵が欲しいとかといものをしっかり持てましたね。
――石内さんが原爆ドームを初めてご覧になったときに「なんて可愛いの」とおっしゃったそうですが、監督が原爆ドームをあおって撮らないということも、そうした感覚にふれあうものですか。
LH 実際に行ってみると、ほんとうに小さいんですよね。「過去」を撮っているんだったらあおって撮るけれども、いまは周りのビルと比べると小さくなっちゃっていて、鉄か何かで支えないと崩れてしまう。そういう意味ではバンクーバーのトーテムポールといっしょ。そういうことも含めて、原爆ドームは絶対にあおらないって決めた。
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|自分の秘密を話してしまっていい空間
――今回の『ひろしま』展の会場は、同じ北米でもアメリカではなくバンクーバだったわけですが、来場者の印象はどのように感じられましたか。
LH 展示に興味がある人はすぐ分かりましたよね。興味がない人はぐるっと見て、「全く分からない」というそぶり。ドキュメンタリーは、どこかにある「客観的な真実」を描写するものって勘違いされている気がするんだけど、私はそういうものじゃないと思うんですよね。カメラがその部屋に入った瞬間から全てが変わるんですよ。ディレクターだっていて、ストーリーテリングの手法を考えて、お膳立てして。それがディレクションだと思うんです。今回は「追悼と贖罪」という私のビジョンにかなう人だけを選びました。「戦争はひどいですね」なんて言葉は使えないので、興味を持っていそうな人にインタビューをお願いしました。いちばん好きな写真を選んでもらって、「なぜこの写真を選んだんですか?」と。なかには親密なお話も聞かせていただけた。
――来場者の方々がみなさんご自身の話をし始めるんですよね。それがとても面白いところです。対話というか、親密なダイアローグの空間になっている。
LH 広島の遺品を写したあの写真たちそのものは、「情報」を一切提示してないんだけど、一種の鏡みたいになっていたんです。 ある種の「聖なる場所」というか、自分の秘密を話してしまって安全な場所。たぶん自分よりひどい経験をした人がここにいるからということだと思うんですけどね。
ところで、私にはこの映画のなかでいちばん好きな瞬間があって、それは『マザーズ』の写真が出てきてマンドリンの音楽がかかるところ。やっぱりあの音楽があるとないとで全然違う。それと、あのシルエット。あの音楽と石内さんの写真がこの映画の原点なのかなとも思う。亡くなった人を思うときの、レクイエムとも微妙に違う、亡くなった人を呼び寄せるような。
――マンドリンを弾かれている武石聰さんは、普段はどういった活動をされている方なのでしょうか。
LH 普段は、全然儲からないアヴァンギャルド音楽の世界の第一人者なんですけどね。だけど、アヴァンギャルドのパーカッションっていうとお客が入って 30 人って感じなんで、まあジャズもできるからいろんなことで稼いでますよ。バークレーミュージック学校を出てて何でもできる。この映画を作るときに、まずは過去のニュース映像を一切排除して、それでついでにバイ
オリンとチェロも排除した。だけど、遠慮深いマンドリンが欲しいって言ったら、eBay でマンドリン買って、自分で二週間でマスターしてあんな音楽作ったのよ。 あのマンドリンは全て自分で弾いてるの。天才ですよ。
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|頭のなかで字幕を訳しなおしていた
――本作の「監督からのメッセージ」に、次のような文章があります。
「4年生の授業で、先生が黒板に白いチョークで「アメリカ」と「原子爆弾」と書いた時、私はクラスでただひとりのアメリカ人だった。40人の日本のクラスメートは、一斉に振り返り、私を見つめた。その瞬間は、映像というよりはむしろ心情として、記憶に強く焼きついている」。
この箇所に私はとてもこころを動かされました。その記憶からのひとつの出口が今回の作品であると文をつづけられていますが、そのあいだには短くない時間が横たわっています。
LH 大学を出て、映画の仕事をしたかったんですよね。それは自分のユニークな生い立ちがきっかけで、他の人には見れないものを見てきたという確信があったんです。だけど、ハリウッドに行く気はなかったし、あの頃は日本映画界に入り口がなかったんですよね。だから、かろうじてフジテレビのニューヨーク支社に入ったんです。そこで、ニュースや報道を作る経験して、生中継というものに慣れたんでしょうね。映画撮るときはリテイクとかあるの? みたいなことも思って、それも良い勉強になりましたよね。一回で撮らなきゃいけないときは撮る、というような。
それからフジテレビを辞めて、アメリカのインディペンデント制作で「アメリカ横断ウルトラクイズ」とか「NHKスペシャル」とかのバイリンガル AD をやってたんですけど、だんだん日本のテレビが面白くなくなって、映画の字幕を入れ始めたんです。実は、そのときは分かっていなかったけど、映画作りの修行になっていたんですよね。字幕を入れるということは、一週間くらい一本の映画と時間を過ごすわけだから。
そんなことをやってるうちに、リサ・モリモトから『TOKKO−特攻−』のプロデューサーを依頼されたんです。蓋を開けてみたら、お爺ちゃんたちの日本語が難し過ぎて、彼女には理解できなかったんですね。六ヶ月間彼女と一緒に編集をやっているうちに「私も撮れる」と思って『ANPO』を作った。
――監督はどういう映画を観て来られたんですか?
LH 小学生のときは『橋のない川』(69/今井正)を観て、「外人でなくても差別されるんだ」とか、『心中天網島』(69/篠田正博)を観て驚かされたりとか。やっぱり日本の映画は好きでしたね。でも、観ていると(英語の)字幕があまりにも私のなかに浮かんでくる英語と違うので、昔は映画館で訳し直してましたよね。だから、映画館から出ると疲れて(笑)。 いちいち自分の頭のなかで訳し直してたんですね。だから、その延長線上に『七人の侍』(53/黒澤明)の字幕入れ直しの仕事があったんでしょうね。私にしてみると、日本の現代語でよく書かれた台詞の翻訳は、呼吸のようなものですからね。ごく自然に湧いてきます。 役者さんが、その言葉の原動力を理解していればかなりナチュラルな作業になりますね。
――字幕を作るという作業を通して、映画の演技から、演出から、編集から全部を学ばれたということですね。
LH 見えちゃうね。だから 100 本目くらいまでは映画は一体化して私に向かってきたんだけど、それ以降くらいから、別々に見えてきたのよね。脚本と演技と演出と編集と音楽が、一体じゃなくなってきたの。これは演技が良いんだとか、これは脚本が良いんだとかっていうのを分けて見れるようになってきましたよね。
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|アートには歴史の断片が残る
――『TOKKO』、『ANPO』、そしてこのたびの『ひろしま』と、監督の作品歴にはある一貫性があると感じます。アメリカと日本の、たとえば「加害者/被害者」というような単純化された二元構造を、とりわけ監督作の二本では「アート」を通じてズラそうとしている、別の視点を与えようとしているように感じられます。
LH 作ってみちゃったらこうなっちゃったし、もう 三部作で戦争は終わりだよ。貧乏になるために映画を始めたんじゃないから、次はもうちょっと商業性の高い映画をね(笑)。次の映画は、ほとんどできちゃってるんだけど、テーマは「動物」ですよ。「鶴の恩返し」の紙芝居を使うんですけど。
……う〜ん、日本の美意識に影響を与えられたのかな。あんまりよく分かんない。分かんないけど、戦争物を扱うにはやっぱりアートの要素が重要なんですよ。アートって見たくなるじゃん。だから、テーマが辛くても、そこに良いアートがあるとそこに引っ張られちゃうみたいな。そういうのがあるかもしれないよね。『ANPO』の場合は、私は写真と映画からあの歴史を知ったから、素直にそれを使って、作品を使おうということになった。だから、アートって歴史の断片が残るのよね。だから、客観的な見方よりそっちの方に興味があるんだと思う。
――ちらと話が出ましたが、次回作は「鶴の恩返し」の映画化なのですか?
LH そうでもないんですけど、最近さかんに行なわれている人間が捨てた動物のレスキューについてをやろうかなと思っています。アメリカはスケールが大きくて、たとえばトラとかライオンとかオオカミとかを 300 頭くらいを広大な草原で育てたりするんですよ。そういう実写を何シーンか撮影して、それを「鶴の恩返し」のオリジナル紙芝居イラストレーションでつないでいくんです。また珍しい発想でしょ? プロデューサーの橋本さんには首を傾げて「何言ってるの?」みたいなこと言われたんですけどね(笑)。 そのイラストがこれなんですよ(写真)。
レイヤーで描くからそよ風が吹けばなびくし、羽はパタパタと動くの。だから、アニメーションじゃなくてアフターエフェクトを使った「少し動く」紙芝居(笑)。実写のシーンへの出入りに光とか山とか影を使って、おとぎ話から出たり入ったりするようにするんですよ。それで結果的には「全部おとぎ話の世界でした」みたいな作り方をしています。鶴の実写もあるんですけど、それは見てのお楽しみに。
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|アートで闘うしかない
――作中で石内さんも福島での原発事故以降、「広島・長崎」の意味が変わってくるだろう、また当時から日本が全く変わっていないということに愕然とする、と言われています。監督はこの作品を通じて現在、またこれからの日本をどのように感じていますか。
LH 私も撮影をしていて途中までは、作品を「過去」に持っていこうとしていたんだけど、撮影をしていて、これは「いま」なんだな、「未来」なんだなっていうのを感じたんですね。まあ、運命の呪縛かな? 人類が兵器や原子力発電所なんてものを作っちゃったから。
『ANPO』の場合は、要するに米軍基地。ひと言で言えば、銃を持ったほうが勝ちなのよね。でもだからといって、こっちは拳銃持てないし、もちろん持ちたくもないからアートで闘うしかない。アートのほうが勝ちだって言ったら、石内さんに「勝ち負けなんてないよ」って怒られるんだろうけど、アートのほうが残るのよね。戦争や原発や核兵器にも、やっぱりアートで対抗するしかない。生きる姿勢かな? 死ぬまでの間に何ができるか。向こうが破壊するんだったらこっちは想像=創造。こっちのほうが楽しいよって『ANPO』のときも言ったんだけど。向こうは、あんま楽しくないような気がするけどね。 (了)
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|作品情報
『ひろしま 石内都・遺されたものたち』 Thing Left Behind
監督:リンダ・ホーグランド|統括プロデューサー:小谷亮太、リンダ・ホーグランド
プロデューサー:橋本佳子、浜野高宏|撮影:山崎裕|音楽:武石聡、永井晶子
製作:NHK、Thing Left Behind Film、LLC|配給:NHKエンタープライズ
2012|アメリカ、日本|80分
© NHK / Things Left Behind, LLC 2012
●公式サイト http://www.thingsleftbehind.jp/
『ヒロシマナガサキ』 White light / Black Rain (※同時上映作品)
監督:スティーブン・オカザキ|共同プロデューサー:後藤太郎、繁沢敦子
|配給:シグロ、ザジフィルムズ
2007|アメリカ|86分
★7/20(土)より岩波ホールにて全国順次公開!
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|監督プロフィール
リンダ・ホーグランド Linda Hoaglund
アメリカ人宣教師の娘として京都に生まれ、山口、愛媛の小中学校に通う。エール大学を卒業後、ニューヨークをベースに活動。1995年以降、字幕翻訳者と して宮崎駿、黒澤明、深作欣二、大島渚、阪本順治らの作品を始めとする200本以上の日本映画の英語字幕を翻訳する。2007年、映画『TOKKO/特 攻』(監督:リサ・モリモト)をプロデュース。2010年には長編ドキュメンタリー映画『ANPO』で監督デビュー。同作品はトロント、バンクーバー、香港など多くの国際映画祭で上映された。本作が監督第2作である。
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|取材・文
萩野亮 Hagino Ryo
本誌編集委員。映画批評。編著に『ソーシャル・ドキュメンタリー 現代日本を記録する映像たち』。立教大学非常勤講師。