【Book】ベストセラーの『永遠の0』を読んでみました text 小室準一

7月20日公開の宮崎駿監督の新作『風立ちぬ』。

実在の人物、堀越二郎をモデルにその半生を描いています。堀越二郎は航空機の設計者、あの「ゼロ戦」の設計者です。なぜ、今、「ゼロ戦」の堀越二郎なのでしょうか。

そして今年の12月公開予定の『永遠の0』。期せずしてこれも「ゼロ戦」をモチーフにした映画です。『永遠の0』は山崎貴監督で実写映画化されるのですが、山崎貴といえば私たち昭和生まれが喝采した名作『ALWAYS 三丁目の夕日』の監督。特に第2作『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の冒頭のゴジラや日本航空のDC-6Bが飛行する場面などでは、宮崎駿監督に負けず劣らずのこだわりを見せてくれた監督です。特にDC-6Bの飛行シーンはミニチュアかCGなのですが、エンジン音がやたらリアルでびっくりしました。これは録音スタッフが、同形機が現在も運航されているアラスカまで行って本物の音をわざわざ録音してきたからです。こういうこだわりのスタッフが『永遠の0』のゼロ戦の機体や栄エンジンをどう再現するのか、今から楽しみです。

百田尚樹『永遠の0』講談社文庫

そんな訳で、評判の良い百田尚樹著『永遠の0』を文庫本で読んでみました。

私たち昭和の世代(私はもうすぐ還暦ですが)にとって「ゼロ」という言葉は特別な意味を持った言葉です。私が小学生の頃、次々に発刊された「少年サンデー」「少年マガジン」「少年キング」。父が毎週買ってきてくれた漫画雑誌を創刊号からむさぼるように愛読しました。1週間で3冊じゃ勉強どころではないですよね。もちろん「少年画報」「冒険王」などの月刊誌はいわずもがな。そしてこれらの雑誌の特集は決まって「ゼロ戦」「大和」。「ゼロ戦」「大和」のプラモデルはかならず売れた時代でした。

そして今、私たちの世代の特別な「ゼロ」を描いた小説が、若い世代を巻き込んで累計売上が約180万部(13年7月現在)のベストセラーになっているのです。

多くの方が御存知の通り、『永遠の0』は2006年に刊行された百田尚樹氏のデビュー作。2009年に文庫本化されてからも息長く売れ続け、2013年5月6日付オリコン“本”ランキング文庫部門では発売から3年9ヵ月で初の首位を獲得しています。

実は、今は亡き私の父が旧日本陸軍のパイロットだったこともこの本にひかれた要因のひとつです。

私が中学、高校生の頃はベトナム戦争のさなかでした。物心のついた若者は皆「反戦」という時代。父を「パイロットとして尊敬」するが、反面「戦争の加担者」じゃないのか、と疑う後ろめたい気持ちやジレンマで、この頃から私は父との距離を置くようになりました。今思えば父は「戦争の加担者」ではなく「戦争の被害者」だったのです。

父たち、二十歳前後の若者は有無を言わさず戦場に送られました。阿鼻叫喚の地獄。砲火の中で傷つき、戦死、病死、餓死、次々と死んでゆく戦友たち。そして終戦。運よく助かって復員してきた若者たちを待ち構えていたのは民主主義の日本。軍国主義から180°舵を切ったこの国は、敗戦と同時に掌を返したように彼ら兵隊を冷たくあしらったのです。

父は戦争の事はほとんど語りませんでした。戦後の平和教育や民主主義がかえって戦争体験者の口を重くした、と思っています。今にして思えば貴重な証言を直接聞けたのに……。残念です。

 『永遠の0』の百田氏も同じような思いがあったのでしょう。

『永遠の0』を書き始めるちょっと前に叔父の一人が亡くなって、また親父もかなり重い病気で、あまり長くないな、という状況でした。そのときに戦争体験者がこうやって日本から消えていこうとしているんやな、と実感したんです。書くなら今しかない、と思って、戦争というテーマを選びました。
(みんなのミシマガジン「本屋さんと私」 第45回 ハッと気づいたら50歳だった

http://www.mishimaga.com/hon-watashi/045.html

 

さて「永遠の0」、知り合いの女性が「涙した」と言い、Amazonのカスタマーレビューやネットでも「号泣した!」の絶賛が多数。一体どんな本なんでしょうか。

プロローグ、米軍の空母から見た「カミカゼ・アタック」の悲惨さが描写され「悪魔のようなゼロ」という言葉がこの物語の入り口に……。これが後で効いてきます。本のテーマから「硬派」の文体を予想していましたが、ちょっと拍子抜けするほど易しい文体でした。このへんが、この作品が万人に支持される理由だと思います。

死んだ祖父・宮部久蔵の過去を調査する健太郎と姉、新聞記者たちのキャラクターは紋切型、ちょっと薄っぺらい感じがしました。肝心の宮部久蔵の人物像もかなり曖昧なまま物語は進行します。まあ、宮部の人物像は証言者によって徐々に確定される、という設定ですからこれは致し方ないとは思いますが。

しかし、この作品の魅力は圧倒的な戦争の描写。実際の戦闘と宮部を巧みにからめて実感たっぷりに描写しています。百田氏の年齢(1956年生まれ)や放送作家という忙しい仕事を考えると、よくリサーチしてうまく構成しているな、と感心しました。
実は私もかつてDVDソフト『太平洋戦争』(ユーキャン・半藤一利氏監修)の制作に1年間取り組み、そのための膨大な資料(映像、戦史、戦記)を前に途方に暮れたことがありました。この時、真っ先に学習した本が児島襄著『太平洋戦争(上・下)』(中公新書)でした。戦争の全体像を客観的に知ることができる格好の入門書ですが、やはり軍事用語などが多くかなり読みづらかった記憶があります。

古色蒼然とした戦記物は数多(あまた)ありますが、戦争を題材とした小説で『永遠のO』ほど今風な感覚の作品は見当たりません。ナビゲーターを現在の孫の健太郎にしたのが功を奏したのでしょうか。

それでも気になったのは祖父の宮部久蔵が「臆病者」だった、という設定です。当時、戦闘機のパイロットは選りすぐりの超エリートで、今でいえばF1レーサーのように旺盛な闘争心と冷徹な頭脳を兼ね備えた存在ですから、これはちょっと苦しい。例えばワールドカップに挑むサッカー日本代表のなかに「臆病者」はいないでしょう。豪胆な者、慎重な者、様々な曲者たち、要は『七人の侍』みたいな戦闘集団が戦闘機のパイロット達だったのです。

もう一つ、気になる点ですが、宮部を知る証言者の老人が太平洋戦争の大局を延々と説明するくだり。これはあり得ないかな。戦争体験者の手記を読むと、ほとんどの人は自分たちの身近で起きた戦闘や作戦命令などをもとに記憶をたどっていますから。

最前線に向かう兵隊には命令以外の情報は軍事機密なので知らされないのです。たとえばニューギニアで戦死した兵隊18万人のほとんどは、自分はどこの国のジャングルで戦ったか知らずに死んでいったはずです。運よく生き残った者だけが戦後になってはじめてそんな遠くで戦ったのかと知ることができたのです。

また宮部達の会話も現代風でちょっと違和感がありました。

「あなたは妻を愛しているか?」というように「愛」という台詞が度々でてくるのですが、我々の世代から見てもちょっと面映ゆい部分です。

当時、帝国海軍には様々な隠語が存在しました。「妻」は「KA」と呼びました。「かかあ」の頭文字「か」をアルファベットにして「「KA」。「うちの「KAは別嬪だぞ!」なんてね。面と向かって「愛」なんて言えなくても、「自分はKAのためなら命を捨てても惜しくない!」となら言えたと思います。

ともあれ、いろいろ細かなディテールで気になる部分があるにせよ、そういうものを凌駕してわたしたちを感動させる『永遠の0』の圧倒的なパワーはなんでしょうか。

学生(映像の専門学校)の時の「シナリオ」の授業で「劇映画の脚本で『大きな嘘』をつくためには『小さな真実』を丹念に積み重ねなさい」と教わった記憶があります。

この作品の成功は、宮部たちが転属する部隊や基地航空隊が実在し、軍隊の組織や考証が確かな事で、説得力のあるフィクションとドキュメントのリアリティーがうまく融合しているところにあります。

ただし、「特攻隊ってテロリストらしいわよ」というアザトイ台詞には思わずムカッときました。このへんは百田氏の思うつぼですかね。

太平洋戦争には本当に膨大なエピソードがあり、百田氏がどのような話をチョイスするのかも興味深いところです。百田氏は開戦から破竹の勢いの日本軍が最初に躓いたミッドウェー海戦にかなりページを割いています。この戦い以降、日本は坂道をころがるように敗戦を重ね無益な戦いの泥沼にはまってゆきます。

印象的なシーンですが、ミッドウェー海戦で米軍の旧式鈍足雷撃機(ダグラスTBDデヴァステイター)が日本の機動部隊を襲い、艦隊上空直援の百戦錬磨のゼロ戦に赤子の手をひねるように落とされる描写があります。彼らは新米パイロットで、真珠湾後、リクルートで学生から志願した若者が多かったそうですから日本のベテランパイロットに敵うわけがありません。

米軍は日本の機動部隊発見と同時に護衛戦闘機が間に合わないのを承知でこんな鈍足な雷撃機に出撃を命令しました。「特攻にも等しい」攻撃。しかも、彼らは僚機が落とされても、落とされても、ひるまず果敢に決死の突撃を行い、ほぼ全滅でした。しかし、この雷撃隊が囮の役割を果たすことになります。もともと「見敵必殺」を旨としていたのは日本帝国海軍のほうなのですが、偵察が失敗して「敵機動部隊発見」の情報が錯綜。「ミッドウェー島攻略」と当初の目的である「敵機動部隊攻撃」のどちらを優先するか、首脳部が混乱。そのため爆装、雷装の転換に手間取りました。しかも日本の機動部隊はすべての準備が整うまで攻撃機の発艦を待機させたのです。ここで完全に勝負はつきました。

米軍の雷撃機は海面に近い高度で突撃します。このため艦隊上空直援のゼロ戦が我先にと降下してしまったため、爆弾をとりかえている空母の上空ががら空きになってしまったのです。艦隊上空の雲の切れ間から降ってくる急降下爆撃機(ダグラスSEDドーントレス)。数発の爆弾で充分でした。空母の飛行甲板上の燃料を満載した航空機と爆弾、魚雷が誘爆してあっというまに3隻の空母が撃沈されました。結果として、勇敢な米軍雷撃隊の若者たちが歴史を変えることになったのです。百田氏はこの米軍側の若者にもフェアに目を向けています。


翻って戦争末期のわが特攻隊の勇敢な若者たちはどうだったのでしょうか。

ほとんどが無駄死にでした。ここが百田氏の一番訴えたかった部分です。彼は軍部と現在の官僚たちには一脈相通じるところがあると言います。

一向に戦果があがらない、無駄と分かっている特攻作戦を継続したのは軍部、大本営です。一度決まったものは、それが有効でない、あるいは間違っていても規定路線となってしまう。今の無駄な公共事業や原発問題と一緒です。戦争の止め方を知らず、ずるずると問題を先延ばしにして、その間にも次々と若者を死地に追いやる思考停止と無責任。かつての軍部の参謀たちは今の官僚たちと少しも変わらないのです。

もうひとつ、興味深いエピソードがありました。

それは特攻機のモールス信号です。飛び立った特攻隊は目標が近くなると「ト・ツ・レ」の信号を発信。さらに敵の艦隊が見えれば「ト・ト・ト」のモールス信号が発せられます。そして突撃。彼らは無線のキーを押したまま艦隊に突っ込みます。「ツー」という信号が途絶えた時、それは彼らの戦死の瞬間なのです。

パイロットは3次元空間を操縦します。左手にスロットルレバー(速度)、右手に操縦桿(上下左右)、両足でフットバー(左右傾き)を操作。空戦中は超人的にこれらを瞬時に操作します。だからこそ戦闘機のパイロットは選ばれた者たちなのです。しかし悲しいかな、特攻隊員は空戦はせず爆弾を抱えて急降下することが与えられた使命でした。急降下中、速度が出ると機体は浮き上がります(揚力が発生)。それを抑えるため操縦桿を懸命に押さえつけますが、速度が出れば必然的に操縦桿も重くなります。舵も利かなくなります。しかも猛烈な対空砲火の恐怖。そんな必死の状況下でモールス信号を押し続けなければならなかったなんて。ただ急降下だけを訓練された新米パイロットはどんな気持ちでコクピットにうずくまっていたのか、悲しく哀れです。

物語も終盤、気がつくとこの作品、フィクションの部分の宮部のストーリーが極端に少ない事が気になりだしました。どのように物語を収束させるのだろう。しかし百田氏は意外な結末を用意していました。

様々な証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿。

特攻に志願した宮部、喜界島に不時着した零戦、そしてそのパイロットの名前は。ストーリーは急展開します。

そしてエピローグ。「悪魔のようなゼロ」が……。

誰も知らなかった宮部久蔵の最期を米軍側から描写しています。

ここで不覚にも涙! 「軍人勅諭・死は鴻毛より軽しと心得よ」帝国海軍が虫けらのように送り出した特攻隊員。戦争末期の彼らは「戦果」よりも「死ぬこと」を求められていました。米空母に突入する「悪魔のようなゼロ」。それは宮部の操縦する「ゼロ」だったのです。あれほど生に執着した男が火だるまとなって空母を襲います。超絶の飛行技術。恐怖に慄く米兵。突入! しかし爆弾が不発で甲板上に飛び散る「ゼロ」。無残にちぎれた宮部の遺体が転がる。この一人の「名もなき勇敢な戦士」を敵側の米軍が手厚く葬るラストに、やられました。涙!

小室イラスト

イラスト:筆者

実はこれも実話があります。

百田氏は明言していませんが『戦艦ミズーリに突入した零戦―米海軍水兵が撮影した決定的瞬間』(光人社NF文庫)をもとにしていると思われます。

昭和20年4月11日、九州鹿屋基地から神雷部隊 第五建武隊の13機の零戦が飛び立ちました。目指すは沖縄上陸作戦に参戦中の戦艦ミズーリ。零戦は次々に撃墜され、14時43分、遂に最後の一機が米戦艦ミズーリに突入。しかし爆弾は不発。ミズーリ艦長ウィリアム・キャラハン大佐は回収された特攻機のパイロットの遺体を、乗員の反対を押し切って海軍葬に処しています。

また、『丸メカニック「一式戦闘機・隼」』(潮書房)には元陸軍パイロットのこんな談話があります。

自爆というのは非常に難しくて新米は突っ込む瞬間、反射的に操縦桿を引いてしまい失敗してしまうのだそうです。しかしベテランは突っ込む瞬間、確実に突入するために機体を裏返すのだそうです。「生涯たった一度しか使えない、死ぬための技術」がある、という悲惨な話です。

二度とこんな馬鹿げた戦争は御免です。いずれにせよ、あの戦争を戦ったのは、ほとんどが20代の若者たち。辞世の句を詠み、淡々と死地に向かったのです。信じられないことですが今の渋谷・原宿あたりを歩く若者と同世代ですね。たった70年前の事実です。私たちは彼らのこの国を守ろうとした勇気を忘れてはいけないと思います。戦争体験者がいよいよ消え、身の回りの記憶が消えてゆく今、歴史書には残らない、しかし貴重な個々の証言を私たちはどのように語り継いでゆけばよいのでしょうか。

ところが。この文章を書いた後、百田氏の「従軍慰安婦」の発言を知って愕然としました。これだけ戦争を勉強されても「ネット右翼」のような発言をされるのは困ったことです。「過去の日本人を美化する為」の『永遠の0』だとしたら残念です。その軽々しい発言から(ちょっと天狗になってない?)所詮は流行放送作家なのか、と思わざるを得ないのです。(放送作家の方々、他意はございません。)

一句! 百田氏に 梯子はずされ 宙返り ……おそまつ。


【執筆者プロフィール】

小室準一(こむろ じゅんいち) 
映像ディレクター。1976年、千代田芸術学園放送芸術学部映画学科卒。サンライズコーポレーション制作部などを経て、83年よりフリーに。95年、有限会社スクラッチ設立。http://www2.ocn.ne.jp/~scratch7/

番組、PRビデオ、イベント映像、CM、歌手PVなど多数手掛ける。
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