【Review】「アイロニーに満ちたエロスとタナトスの映画作家、ドナルド・リチーを追悼する」 text 越後谷研

『猫と少年』©タゲレオ出版

『猫と少年』©ダゲレオ出版

「セックスとは小さな死である」という言い回しがある。フランスあたりが起源の俗語で、性行為によってもたらされる恍惚状態が死に近いということから出た、比喩表現だという。次のような映画を見たとき、私の頭に即座に浮かんだのが、この言葉だった。

セミの鳴き声がせわしなく聞こえる、夏の暑い昼下がり。どこからか、へたなピアノの練習曲が聞こえてくる。ひとりの少年(それは青年といったほうがいい年頃だが)が、陽光がふりそそぐ庭に面した部屋にやってくると畳の上にゴロンと横になり、数枚のポルノ写真を取り出す。彼はそれらを見ながら、黒いTシャツの下に手を入れ、ズボンの上から股間をまさぐる。そばには一匹の黒猫。少年の飼い猫であろうその猫は、少年の身体に乗ったり、ひょいと身をかわしたり。恍惚を思わせる少年の表情。セミの鳴き声はますます大きく、ピアノは苛立たしげにミスを繰り返す。やにわに立ち上がった少年はタバコを一服、わずかに口元に笑みを浮かべる。つぎの瞬間、崩れ落ちるようにバタンと倒れる。だが、全体的に黒い画面に映るそのシルエットは、少年なのか、猫なのか…。

わずか5分の実験映画のストーリーを説明することほど馬鹿らしいことはないが、ご容赦願いたい。タイトルは『猫と少年』。監督はドナルド・リチー。1966年のモノクロ作品である。

リチーといえば、映画作家というより映画批評家/研究家として、よく知られているだろう。著名な「小津安二郎の美学」(1978)や「黒澤明の映画」(1979)などを挙げるまでもなく、黒澤明の序文を付して1959年に米で刊行された「The Japanese Film」、1961年のカンヌ国際映画祭における溝口健二回顧上映をはじめとする海外の映画祭のコーディネーター、1969年から1973年まではニューヨーク近代美術館の映画キュレーターとして、早くから多くの日本映画を海外に紹介してきた。1946年に進駐軍として来日。米軍の機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」の映画欄の担当記者となったことが、日本映画との関わりのはじめだったという。

しかし1950~60年代、リチーは批評家であるとともに、優れた実験映画作家だった。8ミリや16ミリで極めて個性的な作品を作る、個人映画作家だった。武満徹や土方巽らと映画をつくり、1960年代から日本でも活発となるアンダーグラウンド・シーンの引き金のような役割を担った。1964年には大林宣彦、飯村隆彦、佐藤重臣らと個人映画の運動体「フィルム・アンデパンダン」を組織、日本の実験映画の先導役を務める。その作品群は、ラディカルな表現を旨としながら笑いと風刺に満ちた娯楽性の高い「楽しめる」ものである。

先に行われた「イメージフォーラム・フェスティバル2013」では、2013年2月19日に亡くなったリチーを追悼して、「ドナルド・リチー 華麗なスキャンダル」の特集タイトルのもと、『猫と少年』を含む短篇数本の特集上映が行われた(東京会場では16ミリフィルムによる上映。また京都会場は上映作品に異同あり)。14人の少年と一匹の山羊をめぐる死の寓話『戦争ごっこ』(1962)では、台風が迫る海岸の荒々しさと無垢な少年たちの残酷さと孤独が融合し、通過儀礼が内包する禍々しさと静謐さが詩的に描き出される。のぞきに取り憑かれた男の滑稽譚『のぞき物語』(1967)では、見る/見られるという関係の相克がユーモラスに描かれるとともに、都市空間とエロスの関係性が暴き出される。高橋陸郎の詩をモチーフにした『死んだ少年』(1967)では三つのシーンがパラレルに展開し、墓地でのセックスやマスターベーション、海岸に置かれた棺桶のなかの男といったモザイクのようなイメージが、性と死の同一性を現出させる。

リチーに一貫するテーマは「エロスとタナトス」である(そこに「少年」あるいは「青年」を付け加えてもいいだろう)。そこでの性と死は、いわゆる表裏一体というものとは違う。表裏一体とは、一枚のコインの表と裏というようなイメージで、それは片側を見なければ永遠に見ないで済ますことも可能だからだ。片方は常に片方の裏に隠れている。リチーの場合、それはむしろ、同一のもの、一元のもの、というべきだろう。ちょうど、若い女性の横顔だと思って見ていた絵が、ある瞬間から俯いた老婆の顔に見えてしまう、あの有名なだまし絵のような。エロスとタナトスは常に同一面にある。それを見るか見ないか、見えているか見えていないか。リチーは映像によって、見えないものを見えるようにする。意識されないものを意識させる。

「本当に現実を表現できるのはモノクロでないかと思っています」「はっきり白、黒になっているほうがいい。コントラストをはっきりさせたほうが、見る人の想像力を働らかせることができると思います。モノクロといっても、本当は白と黒だけではありません。そのあいだにグレーも入っています。グレーを使ったほうが現実に近いし、現実をそのまま見せてくれるでしょう。でも、それでは見る人はただ受けとるだけです。逆に、コントラストをはっきりさせると、見る人が想像してそのあいだをつくらなくちゃならない。想像を使うと映画は本当に強くなるんです」

リチーの作品のほとんどはモノクロで撮られているが、この発言にあるとおり、そこにはモノクロ、しかもコントラストの強いモノクロである必然性がある。『猫と少年』のようなプロットをもつ映画が、コントラストを強調した、白の部分よりも黒の部分のほうが多いモノクロで撮られていることに留意しよう。そのモノクロ画面は、白=エロス、黒=タナトスであり(ひょっとしたら、それは逆かもしれない)、少年という生=性にあふれた若々しい存在が、いともあっさり死に至るさまを説得的に支えているのだ。そこに介在するのは、エロスを象徴する猫であり、そのものズバリのポルノ写真であり、つっかえるようなピアノの音だ。痙攣するようなピアノの響きはまるでオーガズムの痙攣であり、生き生きとした流麗さとは真逆のものに聞こえる。セミの鳴き声は、それに応えるもう一方の反応かもしれない。ここにはエロスとタナトスの一元性がある。性が死を誘発する。いや、エロスこそが死なのかもしれない。ここでは、性への欲望と死への欲動は同じものだ。

あるいは、「小さな死」がセックスの際のオーガズムを指すのであれば、女性と男性ではその意味するところに大きな隔たりがある、と考えるひともいるかもしれない。リチーは男ではないか、その映画の主人公も、少年や青年ではないか、と。しかし、男性原理に照らしてみれば、それは決して比喩ではない、文字通りの死だと理解できるだろう。射精の際に放たれた何億という精子は、卵子に到達できたただひとつを除いて、すべてが死を迎えるからだ。それは「小さな大量虐殺」とでもいえるものではないか。

『死んだ少年』©タゲレオ出版

『死んだ少年』©ダゲレオ出版

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リチーには寓話的な作品が多い。パーソナルであるのに一般性を持つのは、寓話的な構造で映画が成立しているからだろう。「実験映画は、とても個人的なものだと思います。そして、できるだけ自分のなかの深いところを見せるべきです」「個人の核となるようないちばん深いところに行きたいわけですから、とうぜんセックスの問題にいきつきます」という発言からもわかるように、人間に普遍的なテーマをアイロニカルに描き出す。それらは、イソップをはじめとする多くの寓話がそうであるように、映画として素直に「楽しめる」ものである。「のぞき物語」は、その典型だ。屋外でのカップルの痴態をのぞき見ることに憑かれた主人公は、同好者に邪魔をされたり、屋根から落っこちたりと、散々な目に遭う。望遠鏡からのぞく光景は、殺人現場だったり虐待現場だったりと、期待はずれのものばかり。映画館でポルノ映画を見るときでさえ、新聞紙に穴を開けてのぞく始末…。マルクス兄弟とジョルジュ・バタイユが融合したかのような、ブラックなドタバタ喜劇が展開する。観客は、ニヤニヤゲラゲラ笑いながら映画を楽しんで、ふと自分がいかに視覚という観念に縛られているか、見るという行為なしにエロスを感得できるのか、などということに思い当たって、ギョッとするのだ。

「ぼくは言葉を信じていません」とリチーは言う。事実、その映画のほとんどに、登場人物が発するセリフはない。これは、現実に言葉が通じない、異国の異邦人という作家のポジションによるものだろう。武満徹、勅使河原宏、安部公房らと付き合って「外国人はひとりだったし、日本語もうまくなかったので、そんなに親しいとはいえなかったけど、とてもおもしろかった。お互いに作品を見せあうのが好きだったんです」とコメントする。異国の他者として、映像が共通言語としてのコミュニケーション・ツールだったのだろう。カメラこそが、映画こそが、言葉そのものだったのだ。ゆえに、彼の作品からは具体的な発話が剥ぎ取られ、ダイレクトな身体表現がキーとなる。そこでもっとも効果を発揮するのは、言うまでもなく喜劇だ。人間のもっとも根源的でポジティブな感情である「笑い」につながる身体性こそが、彼の映画を特徴付けるモードとなっていく。

その意味で私は『シベール』(1968)をこそ、彼の代表作としたい。どこかの森で繰り広げられる、数人の男とひとりの女による異様なパフォーマンス。それは、禍々しい古代の宗教儀式か何かを思わせる。本作には、裸体という強固な身体性とグロテスクな笑いが充満しているが、これはテレビなどのお笑い芸人に見られる、裸になれば手っ取り早く笑いがとれる、という単純なものではない。そこでは、裸体という身体は、ほとんどふざけているとしか思えない動きを徹底することによって大地との融合を果たし、マニエリスティックな過剰さで野蛮な世界を作り出す。それはまるで、まだ未分化だった世界の様相、人間と動物の区別がつかないばかりか、固体と液体と気体の区別すらついていない頃のカオティックな世界を見るかのようだ。

だが、本作を代表作とすることには、異論があるかもしれない。なぜなら、これはハプニング集団・ゼロ次元の儀式(彼らは自らのパフォーマンスを儀式と呼んだ)を捉えた作品であり、脚本もその中心人物であった加藤好弘の手になるものだからだ。共作という枠を超えて、それは「リチーの映画」というよりも「ゼロ次元の映画」という印象を強くするからだ。

ゼロ次元とは、突如街頭に出現しては、異様なパフォーマンスを繰り広げて去っていく、主に1960年代に活動した前衛パフォーマンス集団である。防毒マスクをかぶったスーツ姿の男たちが骨壷の入った白木の箱をもってゆっくりと行進する、ブリーフ一枚の男たちが日の丸をもって踊りながら走る、着衣のまま銭湯に入るなど、それらはアングラ・サイケ、反体制の時代に、ベトナム反戦や万博反対などと連動した、時代の常識を揺さぶる過激なものだった。その姿は、松本俊夫『薔薇の葬列』(1969)、中島貞夫『にっぽん’69 セックス猟奇地帯』(1969)など、いくつかの映画でいまでも見ることができるが、それらと『シベール』には決定的な違いがある。ひとつは、ゼロ次元の最大の特徴である「全裸パフォーマンス」が全編にわたって記録されていること。全裸パフォーマンスは街頭でも行われており、それは宮井陸郎「時代精神の現象学」(1967)などに記録されているが、『シベール』では森のような(それは谷中墓地だという)、一般観衆のないところで行われている。街頭での全裸は当然のごとく警察権力の介入を招くので、長時間に渡る儀式を執り行うことは不可能だからだ(もちろん内容から判断して、そのロケーション設定に必然性はある)。もうひとつの大きな相違は、松本らの作品は長編映画のなかの一部として街頭での彼らの儀式をフィルムに収めたものだが、『シベール』は全20分がゼロ次元のドキュメンタリーとして成立している、儀式の映画だということだ。リチーという記名性よりゼロ次元という記名性のほうが、はるかに強いのだ。そして、アート・テロリストとして社会常識の撹乱を目的としたゼロ次元と、パーソナルなメッセージを旨とした個人映画の作家リチーとは、その表現のベクトルは相反するのではないか、とも思うのだ。

『シベール』©タゲレオ出版

『シベール』©ダゲレオ出版

しかし、それはおそらく杞憂に過ぎない。全編にわたって儀式を記録したゼロ次元主体の映画として、加藤好弘自身による『いなばの白うさぎ』(1970)があり、私は未見だが『シベール』とはかなり趣を異にする作品だという。その評を信じるならば、「シベール」はリチーという映画作家が作った、れっきとした作家の映画ということになるだろう。しかしそれを考慮せずとも、ブラックな笑いにつながる全裸という圧倒的な身体性はリチーの手法と通底するものだし、仮に脚本を書いたのが加藤好弘であれ、エロスとタナトスというテーマは明らかにリチーのものでもあるのだ。

画面の左右から何人もの全裸の男たちが踊るように出てきて、画面中央でぶつかって倒れるがすぐに起きあがって帰っていく、ひとりの女が男たちの尻の穴に線香の束を差し込んで火をつけるなど、徹底的にバカバカしい行為が、荘厳なバレエ音楽とともに描かれる。この狂気的な映画の爆笑度は、並大抵のコメディでは追いつかないほどだし(ただし、シモネタに拒否反応を示すひとは要注意)、それがいつの間にか残酷なものへと変容していく構成は、リチーの集大成といっていいだろう。

これは例えば、『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964)が、ビートルズの映画であると同時に、リチャード・レスターという個性が作り上げた映画である、主演者と映画作家の才能が幸福な化学反応を起こしたところにあの作品が生まれた、ということと同じと考えていいかもしれない。

そして、ここから想像できるもうひとつのことは、これはリチーにとってある種の変化だったのではないか、ということだ。個人映画作家リチーは、『シベール』で全面的に他者を導入することによって、新たなステップに進もうとしていたのではないか、と思うのだ。誤解のないように付け加えておくが、私は個人活動より集団活動のほうが実りがあるとか、個を貫くより他を導入したほうが表現として優れてる、などといいたいのではないし、ましてや個人映画/自主映画より産業映画/商業映画のほうが「上」だ、などといいたいのでもない。それは「進化」や「進歩」などではなく、単なる「変化」であり、可能性の追求だということだ。もちろんそれが結果として「進化」や「進歩」になっても、あるいはそれを目指しての「変化」であっても問題はないが、ひとつの可能性として、個人映画作家ではなくなったリチーの映画が「シベール」の先にあったのかもしれない、ということだ。それはそれで、興味深いことだと思うのだ。

しかしリチーはこの傑作を撮った1968年頃から、映画製作をパタリと止めてしまう。米国に戻ったことも関係しているのだろうが、フィルモグラフィによればこの後は1975年に「テレビ会社のためにつくった」という「映画監督:黒澤明」があるのみだ(私は未見)。これはいかにも残念であるが、そう思うのは私の誤解なのかもしれない。小津や黒澤など、リチーの日本映画/日本文化に関する本が多く日本で著されるようになるのが、この後からだからだ。異国の異邦人として、いやでも向き合わざるをえない他者性という問題は、批評/研究という形で具体化していったのかもしれない。

なお、リチーには個人映画作家/日本映画研究者以前に、過激なアメリカ批判者としての顔があり、それについては、高崎俊夫「日本映画の他者、ドナルド・リチー――占領下における反=啓蒙者の肖像」(「映像表現のオルタナティヴ――一九六〇年代の逸脱と創造」森話社・所収)に詳しい。一読をおすすめしたい。

3

ところで、「イメージフォーラム・フェスティバル2013」の会場では、2001年に行われた「ドナルド・リチー映画回顧展」のパンフレットが販売されていたのだが、そこにはリチーの映画は見たことがないという、大島渚のエッセイが掲載されていた(1989年に書かれたものの再録)。その映画の評判を耳にし、本人とも親しく交友したが、映画そのものは未見だという。これは、いささか意外な事実だった。それは、大島がリチー同様エロスとタナトスをテーマとした作品を多く作ったから、というばかりではない。1960~70年代には多くの先鋭的な映画作家が、それを題材とした作品を発表した。半分以上がそうだった、といってもいいかもしれない。私が意外に思ったのは、大島が積極的に外部の影響を取り入れて映画を作っていった作家だったからであり、1970~80年代は「ぴあフィルムフェスティバル」の審査員として多くの個人映画作家の発見に関わってきたからでもあり、やはり何よりも「愛のコリーダ」(1976)を作った当人だからである。何故「愛のコリーダ」とリチーが結びつくのか。それは「シベール」が、男根切除というモチーフと切っても切り離せない古代神をベースに置いているからである。

リチーは前出のパンフレット中の作品解説において、この作品の下敷きになっているのは「恋人と結ばれた後、その恋人を殺してしまう古代の女神シベールの物語」であると書いている。これには補足が必要だろう。神話の世界というのは複雑に錯綜していて解りづらいのだが、各種神話事典によると、シベールとはキュベレ(英語表記はどちらもCybele)という名で知られる小アジアの大地母神で、複雑な経過をたどってギリシア神話に組み込まれたのだという。そのため多くの異説があり、決して著名な女神ではないとのことだが、あらましを述べれば以下のようになる。キュベレは美青年アッティスに恋をするが、彼は別の娘との結婚を進める。そのためキュベレは激しい嫉妬にかられ、アッティスは発狂し、自ら去勢して命を断つ。キュベレとアッティスには子供がいた、あるいはアッティスがキュベレの愛を受け入れると約束しておきながらこれを反故にした、という説もある。キュベレはもともと両性具有の神で、神々によって男根を切除されて女神になった。また、キュベレ神を信仰する信者は自ら去勢する、ないしは去勢した者だけが信者の資格を得る。その祭では、信者は狂ったように叫び卑猥な言葉を吐き、武器などを打ち鳴らして踊り狂う――。これらは「シベール」の内容とそう遠くないように思われるし、映画には男根切除を連想させる描写もある。リチーは先の解説文の末尾で「我々誰しもが、その内面にシベールを抱えているという暗い一面を明らかにする。暗黒の女神の儀式であり、全ての人々の共通する運命の儀式である」と書くが、まさか男根切除の欲望をすべての人が抱えている、と考えているわけではあるまい。それは、恋人を深く愛するがゆえにその人を殺すまでに至る、嫉妬の狂おしさ、狂的な愛、究極の愛のことだろう。「シベール」はゼロ次元の儀式の記録であり、古代の神の儀式を描いたものだが、「愛のコリーダ」の密室で行われる愛の行為もまた、二人きりで行われる儀式、死に至るまでの愛の儀式である。私は大島が、シベール=キュベレ神話から阿部定事件の映画化を思い立ったとは考えないが、ここに二人の映画作家の奇妙な一致を見ることは可能だ。

「セックスは小さな死」という言葉を愚直に援用すれば、大島にとっては「セックスは大きな死」であった。人間存在の根源であり、国家、民族、血脈、天皇という問題に直接つながるからこそ、性を扱ったときそれは「巨大な死」とリンクしなければならなかった。『白昼の通り魔』(1966)で、戦後民主主義の幻滅を生き延びていくのは女のエロスだった。『新宿泥棒日記』(1969)では、主人公男女の性行為のあとに暴動=革命が始まった。『儀式』(1971)の血脈によって構成される一族の姿は、そのまま戦後日本の縮図だった。

しかし大島は『愛のコリーダ』において、そのような観念を否定する。さきごろ、川崎市市民ミュージアムでテレビ・ドキュメンタリーを中心にした大島の追悼上映が行われたが、『愛のコリーダ』の撮影現場を取材した『裸の時代 ポルノ映画・愛のコリーダ』(1976/監督:野田真吉)で、大島は率直に「いままでの作品は観念的すぎた」と語っている。大島が『愛のコリーダ』のもっとも有名なシーン、吉蔵が定とこもっていた密室から解放されて往来を歩くときに兵士の隊列とすれ違うシーンを、自ら否定する発言を繰り返しているのは、よく知られた事実だ。それはこのシーンに、従来の大島映画に顕著だった観念が溢れだしているからではないか。大島は、それまでの自作を縛っていた観念を突き破るものとして、ハードコアという身体性、肉体性を必要とした。だから、エロスと「大きな死」を結びつけるこのシーンを否定し、意味を否定するのだ。「あんなシーンを良いといってはダメだ」とインタビュアーを怒鳴りつけ、2000年に復元バージョンを監修する際も「やっぱり要らなかっただろう」と、助監督を務めた崔洋一に言うのだ。

リチーも『シベール』に関して、似たような発言をしている。「シベール」はヨーロッパでは「アウシュヴィッツと同じだ」として、全面的に否定されたのだという。イギリスではフィルムが燃やされまでしたのだと。これはリチーには予想外の反応だった。「そんなつもりじゃなかったんですよ。アウシュヴィッツのことなど少しも考えてなかった」「この作品がコメディだということがだれにもわからなかった」と。

全裸の男たちとひとりの女による儀式は、グロテスクな爆笑を巻き起こしながら、次第に残酷な様相を呈していく。女は男たちを次々と蹴り落とし、窪地に落ちた男たちは死体のように折り重なって倒れる。その光景はまるでジェノサイドの再現であり、「夜と霧」の光景に重なる。「小さな大量虐殺」を超えた、アウシュヴィッツのアレゴリーにほかならない。もっと最近の例として、イラク戦争時におけるアブグレイブ刑務所の捕虜虐待の映像を連想するひとも、いるかもしれない。しかしリチーはそのような見かたを否定する。

何故私たちは、セックスを即物的に描いただけの映画(『わいせつ、なぜ悪い』)に、戦時色一色の体制に背を向けてエロスで「個」を貫いた女性の物語を見るのだろうか。グロテスクな愛の儀式に、戦争の光景を見るのだろうか。それは、私たちが観念なしには生きられない動物だからだ。人間は、無意味という不条理に耐えられない。物事に意味を見出さずにはいられない。だから人間は、宗教をつくり、イデオロギーによりかかり、芸術に美を見出し、物語をつくってきたのだ。無意味を排除してきたのだ。それが、称賛も否定もしようがない人間の弱さであり、業である。そしてそれは、作品を作ってしまった作家自身にも当てはまることではないだろうか。

およそひと月の時間をおいて、相次いで亡くなったドナルド・リチーと大島渚。1月15日に亡くなった大島の追悼上映は、すぐさま複数の企画が行われ、DVDのレンタルも容易だが、リチーの追悼上映は「イメージフォーラム・フェスティバル2013」程度で、DVDもリリースされてはいるが、高額なうえレンタルはされていない。もともと見られる機会の少ない実験映画だが、もっとその機会が増えればいい、と切に願う。多くの人に、ドナルド・リチーという映画作家を知ってほしい。

Richie-photo

ドナルド・リチー(1924–2013)©ダゲレオ出版

※リチーの発言は特に明記していない限り、西村智弘によるインタビュー「反逆とユーモアの詩的映画の世界」(「イメージフォーラム」2000年冬季号所収)より。修正を加えた抜粋が「ドナルド・リチー映画回顧展」に再録されているが、引用は元雑誌に従った。

【DVD情報】
『ドナルド・リチー作品集』

収録作品
『戦争ごっこ』Wargames 1962/16mm/b+w/22min
『熱海ブルース』Atami Blues 1962/16mm/b+w/20 min
『猫と少年』Boy with Cat 1966/16mm/b+w/5min
『死んだ少年』Dead Youth 1967/16mm/b+w/13 min
『五つの哲学的童話』Five Filosophical Fables 1967/16mm/b+w/47min
『シベール』Cybele 1968/16mm/b+w/20min

発売・販売:(株)ダゲレオ出版

http://www.imageforum.co.jp/richie/vdo.html

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【執筆者プロフィール】

越後谷研(えちごや・けん)
1965年生まれ。映画ライター、DTPオペレーター。元雑誌編集 者。主な関心分野は、20年代の無声映画、戦時中の日本のプロパガンダ映画、60年代の日本映画、実験映画。7月 27日(土)に行われる「黙壺子フィルム・アーカイブ・トリビュー ト上映会」が気になる。リチーも大島も、まんざら無関係ではないし。