【Interview】『標的の村』三上智恵監督インタビュー



標的 カントク写真

2012年秋、米軍普天間基地に新型輸送機オスプレイが初めて配備されたことは、多くの人が記憶に新しいだろう。しかし、そこに至るまでにどれだけ粘り強い反対があり、住民と軍・県警との間に激しい衝突があったか。沖縄以外に住む大部分のひとは詳細を知らなかったと言っていい。

米軍のヘリパッド(簡易離着陸場)が沖縄県北部、東村(ひがしそん)・高江を囲むように建設開始されたのは2007年。それから一貫して反対する住民の座り込みを取材し続けてきた琉球朝日放送(QAB)のニュース映像が、『標的の村』という映画になった。去年の年末に初放送され、テレメンタリー年間最優秀賞、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞を受賞するなど、高い評価を受けた1時間枠(46分)の番組を、ほぼ倍の91分にした劇場版だ。

前置きはこれぐらいで。どう控え目に言おうと、今年の劇場公開ドキュメンタリー屈指の作品である。

三上智恵監督には、映画の背景となる戦後の軍用地買い上げの経緯などを縦横に語って頂いた。その要素をほぼ割愛せず掲載している。見る前は前半のみ、見た後に後半と分けて休み休みでよいので、全て読んでもらいたい、と願っております。

(取材・構成:若木康輔)

描きたかった構図―県民同士を対立させてしまう力はどこから来るのか

――『標的の村』、本当に見てよかったです。言いたいこと、言うべきことは全て出して紡いでいるんじゃないか。そう感じましたが、いかがですか。

三上 私の技量でどれだけ見てくださる方に伝わっているのかを考えると、とても出し切ったなんて言えませんけど……。

でも、構図は何重にも見せているつもりです。沖縄県民同士が対立してしまっているけれど、そこには基地を押しつけ続ける力がある。その力はどこから来るのか、という構図です。私はそこを見てもらいたい、考えてもらいたいと思いながら基地問題に関する番組を何本も作り続けてきましたから。

 ――三上さんは琉球朝日放送(QAB)の社員。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターをつとめながら、取材と番組制作を続けていますね。

三上 番組を作っていて、私がよく言われる意見は「反対派ばかりを描いていて偏っている」なんです。テレビにはそういう妙な中立論があるでしょう? そこにいつも左右されているから、テレビからはなかなか面白いドキュメンタリーが生まれにくいというジレンマがある。

ふつうのニュースの場合でも、両論併記が成立しない事象のほうが圧倒的に多いと思うんですよ。AかBかと主張の両論を明確に立てられることのほうが少ない。三次元的にいろいろなものが絡み合っているものですし、実は送り手の経験値や世界観、取材力の差でどうにでも変わるものです。

具体的な例で言いますと、現在、普天間飛行場代替施設の候補地になっている辺野古のことをNHKが取り上げる場合。辺野古のなかの賛成派と反対派の両方を描くことで何かバランスを取っているように見せることを報道においてもよくやっていますけど、こういうのが私は、一番嫌なんです。

辺野古のなかに基地反対派はれっきとして存在しています。だけど、賛成している人なんていないんですよ。いるのは容認派なんです。賛成派と容認派は、全く違うんですよ。「お金が欲しいから容認したんだろう」と人は決めつけるけれど、そんなことを言われる筋合いはぜんぜん無い。言ってみれば、先に折り合った人達なんです。

だって、太平洋戦争が終わった時には何もかも失い、焦土になってしまった。命があったかどうかも分からないようなところにアメリカ軍が入ってきて、マッチ箱一つ分のようなタダ同然の値段で土地まで奪われて。「その代わり基地という産業が生まれるがどうか?」と選択肢が与えられたわけでもない。今では「軍用地主はうらやましい」と言われるまでになった人がいるのは確かですが、それでも、軍用地料はみなさんがイメージしているほど高額ではないんですよ。何十年も味わった苦しい思いに見合う金額では決してありません。そんな人達を、基地に反対しない側、とひとくくりにしてしまうのはずいぶん残酷な話でね。


©琉球朝日放送



土地が軍用地にされていった過程―基地の「賛成派」なんて存在しないんです

 ――戦後、島民の土地が軍用地にされていった過程は、映画の背景をよく理解するうえでもちゃんと知っておきたいことです。『標的の村』の内容に入る前に、もう少し教えていただけますか。

三上 辺野古に住んでいる人は、当然みんな最初は基地建設に反対だったんです。でも、伊江島と宜野湾にある伊佐浜が土地闘争のすえ、先に取られてしまったんですね。

沖縄を統治していたアメリカ軍が軍用地の強制使用を定めた土地収用令を公布し、各地で土地の接収を強行し始めたのは1953年です。伊江島と伊佐浜では、まず測量が行われました。統治下でアメリカ軍に「明日、村を測量したい」と言われたら村では断れないし、さしあたって断る理由もありませんよね。測量に当たって地主の人達の了解が欲しいと求められて、捺印もした。ところが、これが土地買い上げの書類だったんですよ。そういう騙し討ちの形で、1955年のほぼ同じ時期に、伊江島と伊佐浜の土地は取り上げられたんです。ようやく作物も育ち飢えもしのげるようになったところで、病人が住んでいる家まで追い出され、取り壊され、畑は焼き払われました。

まもなく辺野古にも測量が入ることが分かり、すでに米軍のやり口を知っている村の人達は震え上がったそうです。リーダー達はこの時さっそく、反対している伊江島と伊佐浜にバスを乗り継いで情報収集に出かけ、何百人もの応援が座り込んでも結局、土地を取られてしまったことを知ります。

反対闘争をしたとしても、北部の山の中にある辺野古では、那覇からの沢山の応援はとても期待できない。一方で米軍は毎日のように来て「今日は山を取る」「明日、話に応じなければ村のここまでを取る」「その後に来ても応じなけれは村ごと取る」と脅すように迫る。これは反対を続けても絶対に負けると悟った辺野古のリーダー達は、その代償をしっかり求めることにしたんです。電気・ガス・水道を基地に引くならば辺野古にも引くこと、軍用地料は上げること、雇用は辺野古の人間を中心にすること、などです。この要求を通して、初めてアメリカ軍との間で折り合いをつけたんです。

しかしこの時期は、「一坪たりとも渡さない」をスローガンにした〈島ぐるみ闘争〉が高まった時期でした。そのために辺野古は「金に目がくらんだ」「自分達だけ町が整備されて栄えている」と、沖縄のなかではしばらく軽蔑と嫉妬の対象にされてしまった。

辺野古のリーダー達は、自分達の選択は間違っていなかった、子や孫のために辺野古を守った。言いたい者には言わせておけばいい、という自負を持っています。辺野古ではクリスマス会や運動会、ハーリー(競漕の伝統行事)や相撲の大会もアメリカ軍と一緒にやっているんですよ。そうやって少しずつでも地域と基地とのあいだの摩擦や事件を減らす努力をしてきました。酸いも甘いも噛み分けた、清濁併せ呑んできた彼らを辺野古の人達は尊敬しています。

これが「住民の多くが基地賛成派」と紹介されがちな辺野古の経緯です。

辺野古の人達をそう扱うことと、〈基地反対派=平和を愛し金銭よりも命を大事にする尊い人達〉と描くことは、一面的な点では同じです。見ている人は全く自分が痛まない。自分がこの問題とどう関わっているのか、加担者になっていないか、と全く考えさせないし、考えなくても済むようになっている。

商工会も知事も防衛大臣だって、個人では「どうしても辺野古に基地を作りたい」と願っているわけではないですよね。だから、基地賛成派を対論として置かないとバランスが悪い、とする論理自体がおかしいんですよ。ドキュメンタリーはそういうものじゃないと思っています。賛成派に相当すると思われるグループのいくつかを取材して編集に混ぜても、バランスの成りすましでしかない。

もっと言えば、日米安保条約の恩恵を受けながらその体制について考えたことも無いし、被害だけ受ける人達のことを知ろうともしない、投票などの行動に結びつけてもいない有権者は全員、国策に加担していると私は思っています。原発も基地も、国策の負担を過疎地に押し付ける構図においては変わらない。そのことを問題視して行動する人はずっといましたし、マスコミも量は少ないけれど紹介してこなかったわけじゃない。耳を貸さず、投票もしなかった人が今になって政府が悪い、電力会社が悪いと言い立てるのはどうなのか、と思うんです。政府を動かしているのは、ひとりひとり1票を持っている国民ですから。

長くなってしまいましたけど、これが番組を作る度に「反対派ばかりを描く」「どうして賛成派が出てこないんだ」と意見されることへの、私の答えです。基地賛成派なんて存在しないし、出すつもりもない。「アメリカ軍にも取材すればよかった」なんてしたり顔で言われるとね、つまんない意見だなーと内心思いますよ(笑)。4軍(陸・海・空軍と海兵隊)の司令官を訪ねて「なぜ沖縄に基地を置き続けるんですか」と聞いたところで、答えはあらかじめ想像できますよね? それを出してアメリカ軍は傲慢だ、と見る人が思うようリードするとかえって焦点がボケてしまう。

『標的の村』も、見終った後にモヤッとした、すっきりしない気持ちが残るという人達が一定数います。「それで結局、誰が悪いの?」と。問題の根本が描かれていないように受け取る人が多いのです。テレビ番組は落としどころを用意している番組構成があまりに多いので、「こっちはいい人。じゃあ、よろしくない人は誰?」と画面を見ながら探すクセがついてしまっているみたい。そういう映像を作ってきてしまった、パターン化した商品ばかりを提供してきた我々テレビ側の責任でもあるんですけど。

 ――とりあえずの答えをドキュメンタリーに求める要求は確かにありますね。僕自身、主張を立てるために一元的な〈視える敵〉を作る考え方は、ふだんでも苦手なので、仰ることは少しでも分かる気がします。

実は、さて『標的の村』はどんな目線の映画なのか、と思いながら拝見したのですが、前半、ヘリパッド建設現場で座り込みをしている住民のひとりが、裂帛の気合で防衛施設局の局員に怒りをぶつけながら、スッと相手の立場を慮りますね。「米軍も可哀想だよ、あんな飛行機(欠陥が問題視されているオスプレイ)に乗って」「あなたは任務かも知れない。(反対する)我々はここでの歴史的な任務だよ」と。

三上 「もう昼食の時間になるから休戦協定を結ぼう」と言ってね。

 ――そうそう。ああいう情のある言葉を持つ人物がいて、ああいう場面を使っていることに、僕はジーンときたんです。あそこから、ああ、これは襟を正して見なきゃダメだ、と思いました。ちゃんと作ってるぞと(笑)。

角が立つことを言ってしまうと、社会派ドキュメンタリーの少なからずが、力作でも人の心を深いところで打てずに終わる理由のひとつに、こういう場面の有無があります。国家権力をモンスターのように描き、我々の生活と関係ないところから襲ってきたように仕立てると、見る人の「許せない」という思いは掻き立てられるけれど、それはどこか気持ちがいいんですよね。実は、怒ることで問題がうまいこと消費されてしまう。

三上 そうなんです。国を巨悪に仕立て上げて、そこにみんなで怒ってみても、何も始まらない。みんなで同じ方向に怒って泣いてすっきりされたら、問題は置き去りにされてしまう。「国はひどい」「アメリカ軍はひどい」という話をするつもりはないんです。巨悪と戦うのではなく、どちらかというと自分の中の無関心とか、やり過ごす弱さ、民の弱さと葛藤する力を身につけないと、この国はまずい、と思っています


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©琉球朝日放送


「非暴力・実力行使」―座り込み、訴えるだけでは工事は止まらない

――『標的の村』の映画版は番組の尺から約2倍になっていますが、三上さんがプロダクションノートで触れている、テレビでは流せなかった「非暴力・実力行使」の場面とは、具体的にどこでしょうか。賛否が分かれるかもしれないと書いてらっしゃいますが。

三上 ヘリパッド建設現場のクレーンのフックに住民がしがみついているところです。

現実には、どれだけ旗を立ててメガホンで訴え、座り込んでも、それだけでは工事は止まらないんですよ。土嚢を運び込むのをスクラムを組んでブロックする場面が前半にありますね。カットしたんですが、土嚢を局員が投げ入れたら中から投げ返すこともあったんです。一日中、延々と土嚢をパスし合う。最後にはお互いにハアハアゼエゼエってなりながら「ほら、たっぷり仕事したでしょう。私達は貰えないけど、あなた達はちゃんとお給料を貰って帰りなさいね」って(笑)。こんなユーモアがある場面でも、テレビで流すと、威力業務妨害の証拠映像を提出するようなことになってしまう可能性があるんです。

――ああ、そうか!

三上 辺野古で櫓を作ってボウリング調査を阻止するために、櫓の上の、海上での座り込みがずっと続いた時期があります。うちは毎日取材していたのになかなか全国ネットのニュースにならなくて、それが悔しくて『海にすわる』というドキュメンタリーを作りました。

――『海に座る~辺野古600日の闘い~』(06)。ギャラクシー賞テレビ部門、地方の時代賞審査員選奨などを受賞した作品ですね。

三上 辺野古の座り込みが一番厳しかった600日間を、何百本もテープを回して撮ったものです。『標的の村』でも盛り込んでいますが、どうして辺野古に基地を作られては困るのか、ということは『海にすわる』でより詳しく掘り下げています。

ここでも、櫓のパイプを引き上げたら外して落とす、機械を挙げたら降ろす、ということを繰り返し、思い余った建設業者が反対派住民の首を絞めつけるといった場面があります。非暴力の反対運動と言いながら、これはどうなんだと思われるかもしれない映像がよく出て来るんですよ。

もちろん、そう捉えられることが私達の本望ではありません。反対運動を取材すると言いながら、事件性があると判断され本人が特定できるような映像を放送したら、もう現場に来ないでくれと言われても仕方ない。実際には、今は沖縄防衛局も海上保安庁も業者も、みんなビデオを回してるんですよ。私達だけでなく相手側も何かあったら訴えるために映像を記録していて、反対運動の現場にいつも20台位ビデオカメラがある。時には闘っている人よりビデオを回している人のほうが多いぐらい(笑)。相手も撮っているんだから、いいと言えばいいんだけど、テレビではそういう映像は流さないと配慮しなければいけないんです。

それでも映画版では見せようと決めたのは、もっと基地反対運動の現場を理解したいと映画館に足を運んでくれる人はあの場面を見て、どこまでの抵抗が許されるのか、ちゃんと自分で考えると思うからです。その信頼を前提に「非暴力・実力行使」の、実力行使の部分がどんなかを見てもらいたかった。

――お話を伺って、三上さんが逡巡された意味がずいぶん分かりました。『標的の村』を見れば、警察も米軍兵も一般市民に対してそれはどうなんだという態度をとっている。お互い様だろうとシンプルには思いますが、取材する側はやはり、幾重にも神経を使う必要があるところなんですね。

三上 私達の放送によって個人が不利益を被るようなことがあってはならないことが大原則です。報道の性質上、避けて通れない問題だと思いますが、それでも避けたいですから。だから今回、フックにしがみついている人には映画にするにあたって了解を取りました。


©琉球朝日放送

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やられている側以外に、沖縄の放送局が立つ場所はない

――改めて聞きますが、『標的の村』は、反対派の側に立つ姿勢が鮮明です。

三上 国家権力を化け物のように単純に想定するのは私も嫌いです。でも、ずっとやられ続けている沖縄の側より他に、沖縄の放送局が立つ場所がありますか? やられている側の目線に立つとこからしか、風景は広がっていかないですよね。

――そこが、QABさんの報道はこうなんだという部分が、非常に感動的でした。普天間基地封鎖の現場で揉まれながら必死で体を張る若い男性リポーター、小柄な女性記者……。胸を衝かれました。是非ご苦労様でした、とお伝えください。そうお願いしたいぐらいで(笑)。

三上 それはぜひ彼らに伝えてほしい! 私もこれを自分で見て、QABってかっこいいよなあ、日本にもこういう放送局があるんだぞって、自分の仲間達を誇らしく思うんですよ。

ただ、『標的の村』を映画にしたことについては、今のところ社内での反応は薄いんです。映画にした、しなければいけなかった理由を私は幾らでも言えるんですけど。前例がないこともあり、社内ではスタンドプレーに思われてしまうところがあって。

――去年、このサイトの鼎談記事でお会いした東海テレビ放送のプロデューサー・阿武野勝彦さんも、同じ苦労を、ほぼ同じ口調でボヤいておられました。

三上 アハハ、阿武野さんもですか!

――それでも、エリア外の人に東海テレビの存在を認知してもらうことは大事なんだとも仰ってましたね。「最終的には映画作品を持つことが会社のプラスになると確信している」と。

三上 ああ、阿武野さんの気持ちは、自分のことのようによく分かる。一度じっくりお話させてもらいたいと思っているんですよね。

本当は全国ネットでなかなか流れないんだから、このテープを持って全国の公民館やホールで上映して回りたいぐらいだったんですよ。それが映画館で実現するんだったら、やってみないと。一般的な映画を作る行為とは動機は違うかもしれませんが、政府が辺野古の埋め立てを県に申請して、オスプレイの配備も新たに増えて、日本中から助けに来てもらいたいぐらいの状況がこれから沖縄で発生するんですから。

それに、地域の人達がこれだけ必死に闘っている姿を我々は撮っているわけですよね。なのにそれを1度しか見せられない。再放送も1回あればいいほうです。何か放送とは違う方法があるんじゃないかと考えた結果が、映画にする新しい試みです。本当に全国の人が見に来てくれるのかなとか不安はたくさんあるのですが、今これを見せないでどうするの、という気持ちだけでやっています。

 ――県外の多くの人に見てもらうには映画にする手がある。そう発想したきっかけはいつなんですか?

三上 2009年に製作した『サンゴが消える日』がアースビジョン地球環境映像祭でアースビジョン賞を頂いた後、「映画にしませんか?」とお話をもらったことが考えた最初かな。その話自体は育たずに終わったんですけど。

私はもともと新卒で大阪の毎日放送に入って、QABが1995年に開局した時に退局して移ったんですが、毎日放送の同期の男性が自分のドキュメンタリーを映画にしていたんです。当時はフィルムで。応援はしていたけど、お金はかかるし大変だな、とても私には映画は出来ないな……と思っていました。ところがアースビジョンがきっかけでお話を伺った時、今はビデオ作品でもキネコなどをせずそのまま映画館で上映できる、昔とは環境が変わりましたよ、と教えられて、そうなのかと。

直接的には、今年の座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルですね。『標的の村』のテレビ版がコンペティション部門で上映されたのですが、前日のシンポジウムが聞きたくて早目に東京に来たんです。テレビ番組の劇場公開など、越境的になってきた制作状況について話し合うのがテーマのシンポジウム。東風代表の木下繁貴さんもパネリストで出席されていました。そこで「映画にしたいと会社を説得するにはどうしたらいいんですか」と会場から質問したりしました。それぐらい、どうしていいのか、何から手を付けていいのかも分からなかったんです。

コンペで大賞を頂いて、また「映画にしたらいいのに」と言われて、ようやくそこからですね。自分達には映画のノウハウは無いので、そこは東風さんにおんぶにだっこで。

「ベトナム村」の事実―今の高江が置かれている状況の恐ろしさ

 ――では、『標的の村』の具体的な製作の話をお聞きします。映像はみな三上さんが所属する報道のニュース素材と考えてよいですか。それとも、単発のドキュメンタリー番組として製作費は別に計上されていた?

三上 いえいえ、そんな余裕はなくて、日々のニュースの蓄積です。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」の特集コーナーで定期的に追いかけている題材が何本かあって、私は太平洋戦争や基地、サンゴなどをが得意分野。高江や辺野古の基地問題はそのひとつです。

ウチの場合、「テレメンタリー」という、テレビ朝日系列の全国24社が共同で制作、週替わりで各局が担当している枠があります。企画が通ったものに、各局が出し合ったプール金を製作費として出す方式です。何かまとまったものが出来そうな場合は、この「テレメンタリー」に企画を出して、会議で企画を散々叩かれた末にようやく製作費を貰えるんです。地方局はこういう枠が無いと、単発のドキュメンタリーを作ることは難しいんですよ。

でも、30分枠の「テレメンタリー」用のものを作ったら大体、倍の長さのバージョンは出来ます。それをローカルで放送する。地方の民放局の1時間枠のドキュメンタリーは大方こういう、やりくりの手法で作られています。もちろん、スポンサーとして名乗り出てくれる企業さんなどのお話があれば別なんですが。

――ベトナム戦争時、農村襲撃訓練用に作られた「ベトナム村」で、高江の住民がベトナム人役を演じさせられていた事実。この報道は、スクープだったのではありませんか。

三上 内容はスクープと言えば言えるかもしれませんが、「ベトナム村があった!」とそこを強調して報道する雰囲気ではありませんでしたね。歴史的事実を伝えるより、今の高江が置かれている恐ろしい状況を炙り出すために「ベトナム村」の事実を調べ、裏を取って傍証として提示することのほうが主な意図でした。

「人民」という、アメリカ軍の検閲を受けずゲリラ的に出していた沖縄人民党の機関紙だった新聞に、当時の記事はあるんですよ。写真も無いかと思っていましたが、映画で紹介している通り、公文書館に残っていて。

日本人を狩り出して訓練の標的にする。アメリカ軍はそんな人権侵害を本当にしてきたと明らかにしておかないと、高江の人達の、自分達の集落が標的、目印にされているという訴えが大げさに聞こえてしまうでしょう? 私自身、最初は大げさに聞こえ、実感として理解するまでに何年もかかりました。沖縄に住んでいる人でも、高江がヘリパッドに囲まれることには関心が薄いんです。

次頁へ続く)