【Report】暗中模索、見えてくる光。韓国独立映画界と日本自主制作映画界の交流 ~福岡と釜山の事例から text 大塚大輔

写真3bfidff授賞式で。後段右から3番目はチャ・ミンチョル釜山独立映画協会会長。4番目は犬童一心監督。5番目は独立映画監督、DKキム・テギュン氏。(2012 年)

韓国の「独立」映画界

日本と韓国のインディペンデント映画事情は大きく異なる。日本では芸術系大学や専門学校で映像を学ぶ学生が多いが、韓国では全国の総合大学に映画・映像学科があり、毎年そこから多くの人材と作品が生まれている。そして、韓国では日本のインディペンデント映画・自主制作映画に当たるものを「独立映画」と総称しているが、主要地域に「独立映画協会」の名を冠した組織があり、各地域のインディペンデント映画を集めた独立映画祭や上映会を開き、配給や制作支援も行うなど活動の幅を広げている。「インディープラス」、「アリランシネ&メディアセンター」などの「独立映画専用映画館」もソウルには存在し、映画を志す若者や学術関係者によって普及活動が日夜続けられている。このように、韓国の「独立映画」界は組織化が進んでいると言って良いだろう。

そのような韓国独立映画界からは、ドキュメンタリー『牛の鈴音』(2009、 監督:イ・チュンヨル)や『息もできない』(2008、監督ヤン・イクチュン)などが登場し、日本でも注目されたように、いつどんな才能が出てくるかわからないのがその面白さだ。一方で、日本は各地に制作団体やインディペンデント作品を紹介する映画祭は存在するものの、各地方の映画団体がその地域の自主制作者をとりまとめる、という現象は見られない。日本と韓国の映画界は、底辺からまず異なる構造を持っている。

地理的にも近く、メジャーでも交流の多い日本と韓国の映画界。その中でも自主制作・インディペンデント映画界の交流にどのような意義や問題点があるのかを、2009年から交流を続ける釜山独立映画界と福岡インディペンデント映画祭の事例を通して見て行こう。


福岡インディペンデント映画祭の誕生

韓国第2の都市・釜山と九州の「主都」福岡は、海を隔ててわずか200キロほどの距離にある。飛行機で40分、高速船でも約3時間の近距離で、自治体同士も姉妹都市だ。福岡には福岡アジア映画祭、アジアフォーカス・福岡国際映画祭というアジア映画に特化した映画祭があるが、それらに加えて、2009年には映像制作者の交流と上映機会の拡大を目的に福岡インディペンデント映画祭(以下、fidff)がスタートした。この映画祭は、かねてからアジア映画研究、映画祭の調査を通じて韓国映画界と独自の人脈を築き、自らもインディペンデント映画を制作していた福岡在住の西谷郁氏が発起人となり、福岡周辺の自主制作者やアーティストたちと共に立ち上げられた。成り立ち自体も、正に「インディペンデント」だ。回を重ねるにつれ全国からも作品の応募が増え続け、2013年度は応募作129本、来場者総数2471名のイベントへと成長した。

2012年からは入場料収入も加わったが、運営資金としては応募者による出品料、日韓文化交流基金、福岡文化財団、福岡市文化芸術財団(2013年実績)の助成金を活用している。会場は、公共施設である福岡アジア美術館をメインに、周辺のアートスペースや映画館の協力も仰ぎつつ、毎年形態を少しずつ変えながら映画祭の形を模索している。


釜山「独立映画」界の状況

一方、釜山では1980年に始まった「韓国短編映画祭」が、名称変更を経ながら現在は「釜山国際短編映画祭」(以下、BISFF)となり、毎年活況を呈している。1996年に始まった「釜山国際映画祭」は今やアジア最大の映画祭へと成長したのはもちろん、1999年に発足した釜山独立映画協会が主催し、釜山で活動する映画人に対象を絞った「メイドイン釜山独立映画祭」(以下、MIB)も2013年に15回目を迎える。このような独立系映画祭も釜山の映画界においては重要なイベントとなっている。

また、釜山独立映画協会は独立映画作品の釜山地域での配給も手掛けるほか、「海雲台区映画祭」など更に狭い範囲でのイベントも主催している。2011年に釜山に開館した大型シネマテーク「映画の殿堂」や各大学の映画映像学科も独自の企画を市民向けに開いたりするなど、釜山というひとつの街の映画界は、現況をフォローするだけでもかなりのエネルギーが必要になるほどだ。

写真1MOUに調印する西谷郁fidff代表(左)と、キム・イソク釜山独立映画協会会長(右・当時)(2011年)


福岡と釜山の交流の始まり

さて、発足当初から海外の映画祭・映画人との交流を目指していたfidffは第1回映画祭で、既に運営陣同士で交流があったBISFF(注;当時は「釜山アジア短編映画祭」)と「人材交流と作品の相互上映」を約したMOU(了解覚書)に調印する。2010年のBISFFはfidff作品を初めて招待上映し、以後2013年まで4年連続でfidff推薦作がコンペティションとは別枠で継続的に上映されている。

そして、2011年にfidffは釜山独立映画協会と「人材交流と作品の相互上映」を約し、「姉妹映画祭となる」旨を盛り込んだMOUを調印。11年、12年と2年連続で、ドキュメンタリー映画『祝の島』や、2013年春より単館公開が始まった『かしこい狗は、吠えずに笑う』を含むfidff推薦作がMIBで5本ずつ上映され、2013年も11月に上映を控えている。

一方、fidffでは2009年に釜山アジア短編映画祭のセレクション8作品を日本語字幕付きで上映したのを皮切りに、2010年にはBISFF・MIBのセレクション7本、2011年は同様に5作品、2012年は9作品、2013年にはMIBセレクションとして11作品を上映した。(この周辺の経緯については、井上康子さんによるシネマコリア:Report に記されている。)当然、監督を含む作品制作者もゲストとして、あるいは自費でお互いの映画祭を行き来している。このように、福岡に集まる自主制作者・作品と韓国の独立映画界との交流は年々実績を積み上げている。
写真2b                                  fidffに招待されたミン・ビョンウ監督(左端)、キム・ソヨン監督(右端)(2011年)


言語の壁と予算の問題

無論、全てが順調に進んでいるわけではない。困難の原因には福岡側の都合もあり、釜山側の都合もある。例えば、2回目までfidffでは日韓翻訳ができる人材が不足していたため、十分な日本語字幕が付けられないまま韓国作品が上映されていた。この点は3回目以降に人材の補充で解決されつつあるが、外国との映画交流ではまず「言葉」が障壁となる。これはメールでの事前交渉でも同じで、度々言葉による齟齬が生じ、その解決にはエネルギーと時間が必要になる。

また、釜山国際短編映画祭は韓国作品を含め、ほぼ全ての作品に英語字幕を付けて上映しているのに対し、fidff上映作は制作者が英語字幕を付けたものに限られ、韓国からのゲストは日本作品をなかなか楽しめないというギャップがある。映画祭相互での日韓・韓日翻訳作業は年々改善されているものの、上映環境も含め、多くの人に開かれた映画祭という面では国際映画祭には及ばない。

そしてお金の問題がある。韓国からのゲスト招聘には財団からの助成金を活用し、交通費と宿泊費に関しては福岡側が負担するが、上映に関するギャラは発生しない。翻訳・通訳に関わる人材は、お互いの言語に堪能な韓国人と日本人スタッフが映画祭内にいるため外注はせず、費用はやはり財団からの助成金を活用している。ただし、「映画」での国際交流によって地方財団から助成を得ることや、日韓交流に特化した財団からも連年で助成を受けることが難しいという制約もあるため、ゲスト招聘や作品上映にかかるコストを安定してどう捻出するかも大きな障壁となる。その点は、文化芸術関連の国際交流事業への公的支援が手厚い韓国に比べて難しい点とも言える。


運営組織の継続性の問題

一方、釜山側では映画界内部の人事問題が時に問題として噴出し、それが福岡との交流にも影響を与える。「釜山アジア短編映画祭」が2010年に「釜山国際短編映画祭」(BISFF)へと変わった後、2010年末から運営陣が劇的に入れ替わった。その余波で2009年に調印されたfidffとのMOUが更新されず失効するという事件が起き、一時は交流の継続が危ぶまれる事態となった。釜山側ではfidffとの交流の必要はないとする意見も出ていたという。しかし、その後の当事者の対話と努力によりBISFFとの交流は継続している。BISFFは当地の映画・大学関係者の実績やポストにも関わる一大イベントであり、そのためにセンシティブな状況もあることを体験することとなった。

そのような経験から、メンバーが流動的な映画祭よりも安定した団体との交流を進めようと、2011年9月の映画祭では釜山独立映画協会とのMOU調印に至った。しかし、釜山独立映画協会も釜山の独立映画人を統一しているわけではない。他組織との関係や、トップの交代によって方針がドラスティックに変化することもあり得る。組織化が進んでいるからこその問題点や難しさもある。

また、双方共通の問題としては、fidffでの釜山招待プログラム、釜山でのfidff招待プログラム共に、観客数が明らかに少ない、という点がある。映画祭ではどうしてもコンペ部門が優先されるため、互いに有効な手が無いのが実情なのだ。

写真4b      メイドイン釜山独立映画祭でGVに立つ渡部亮平監督(『かしこい狗は、吠えずに笑う』)。(2012年)

交流の意義

しかし、諸々の困難を考慮しても、やはり福岡と釜山の交流の意義は大きい。まず第一に、海外で作品を観てもらえること、評価が直に聴けることで、双方の作品の上映機会とモチベーションの拡大につながる。特にfidffには2012年・2013年と韓国で人気の高い犬童一心監督が来場し、釜山からの招待作を観賞した。釜山の若手監督たちは積極的に自作への評価を犬童監督に尋ね、そのレスポンスに緊張した面持ちで熱心に耳を傾けていた。同様に、釜山に出品された日本作品の監督たちも、上映後の質問や反応の多さに驚くことが多い。また、昨年のBISFFでは、現地のある青年がfidff推薦で参加した短編作品の監督に「監督の作品が楽しみで来ました。今年の秋には軍隊に入らないといけないんです。それまでに監督の新作が観られたら嬉しいです」と切実な表情で語る、という場面もあった。そこには裏側の諸事情とは関係ない、純粋な映画人同士の交流がある。何よりもまず、全てはこのためにある。

第二に、交流から生まれるアイデアが新しい作品を生み出すことだ。2009年からのfidffと釜山との交流によって、福岡県行橋市を拠点に活動する橘剛史監督は、釜山から女優イム・ジユル、プロデューサーに西谷郁fidff代表を迎えて、短編映画『ダイエットのうた』を撮影。2011年のアジアフォーカスなど各地の映画祭で上映された。また、2011年に招待作品ゲストとして訪れた韓国のミン・ビョンウ監督は、映画祭期間中に北部九州を旅しながらスマートフォンで撮影した素材で、帰国後に10分の短編映画『Time Traveler』を制作。2012年のfidff開幕作に選ばれ、その創作性とスマートフォンムービーの可能性を来場者に強く印象付け、交流の成果が形となる好例となった。

第三に、自主制作のシステムや映画祭運営の違いから学ぶことはお互いに多い。日本の映画人は韓国の組織的な独立映画活動に驚き、大学や各地の映画協会などを通じて人材や機材を融通できるシステム、公募による自主制作への助成システムに関心を抱く。そして映画祭に来る客層・ボランティアが総じて若く、活き活きとしていることに気付き、「映画の殿堂」の上映環境の素晴らしさにも舌を巻く。韓国の映画人は、日本の自主制作者の「組織に縛られない」奔放な活動スタイルやアイデアの多様さ、そして福岡の街自体に関心を持つ。更には、老人たちも楽しそうに映画祭を訪れていることに驚く。また、2013年のfidffでは、MIBの「青少年映画特別招待上映」にヒントを得て「福岡ティーンズ映像プロジェクト」を企画した。このように、より良いプログラムの研究・質の向上にも交流は寄与している。

第四は、映画以外での人材育成につながる点だ。双方の映画祭の作品・人材交流によって、映画に強い日韓・韓日翻訳・通訳者、そして文化芸術コーディネーターが実践を積んで成長する。映画祭に限らずとも、このようなノウハウは他の文化芸術関連の交流事業でも活用可能となる。


更なる映画人同士の交流の促進を

釜山と福岡を拠点にした独立映画・自主制作映画界の交流は、始まって約4年が過ぎた。この間、釜山側も福岡側も変化と交流の実績を重ねてきた。しかし、その基盤はまだ安定しているとは言えない。福岡-釜山間の交流に焦点を当てるだけでなく、並行して独立映画・自主制作映画自体への関心を高める努力を、お互いに当地で推進することがまず肝要となるだろう。ちなみに福岡側も釜山側も、次の点では一致している。「両国の政治状況に関係なく、交流は続けます。」

写真5b                    fidffに招待されたMIB招待監督たち(2013年)

【映画祭情報】
福岡インディペンデント映画祭
※例年9月上旬開催 2013年は8月30日~9月1日、9月5日~9月10日
公式サイト:http://fidff.com/

【執筆者プロフィール】

大塚 大輔(おおつか・だいすけ) 
1980年生まれ。2008年から韓国語通訳として映画祭に関わり始めたのを皮切りに、通訳・字幕翻訳・企画・審査などで九州内各地の映画祭に関わる。2013年は福岡インディペンデント映画祭、ゆふいん文化・記録映画祭に参加。