【Interview】『夢と狂気の王国』砂田麻美監督インタビュー

砂田007スタジオジブリの今を捉えたドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』が東宝配給作品として、宮崎駿監督作品『風立ちぬ』の後、そして高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』の公開直前に封切られる。しかも監督は、2011年のデビュー作『エンディングノート』のヒットも記憶に新しい、砂田麻美。
発表されたニュースにワクワクしたりソワソワしたり、敏感に反応する人は特にドキュメンタリー好きの間で多かった。自分が愛着を持つ分野に新たな注目の作り手、つまりホープ的存在が現れてほしい願い。そして実際に現れたとなると妙にうろたえ落ち着かなくなる気持ち。どちらも人情としてよく分かる。と、こうして平静に書いている僕も、取材が決まったと聞かされてからは、けっこうソワソワしたのだ。
公開数日前に試写で見た『夢と狂気の王国』は、たのしく、チャーミングでいて、芯は骨太な映画だった。多くの人の期待通り、しっかりと砂田麻美監督作品だった。
そういうわけで、このインタビューでは新進作家の演出に興味を絞っている。「監督することになった経緯」などの定型や、「間近で接した宮崎さんはどんな人物?」といった取材対象への興味寄りの質問はあらかじめ用意しなかった。よそさまの記事でたっぷり読めることになるはずなので、ご了承ください。
(取材・構成:若木康輔/neoneo編集室)


笑ってほしい、が編集の絶対命題


――いちばんお聞きしたいのは、砂田さんの持つユーモアの資質についてなんです。どれぐらい意識されているものなのか。

砂田 映画全般を通して、見ている人達に笑ってほしい。これは編集の時に絶対命題として考えています。

――『エンディングノート』の時から?

砂田 そうです。『エンディングノート』の時は被写体が完全に誰も知らない、まったくもって無名の人達なので、そこは『夢と狂気の王国』の何十倍も意識しました。
今回は、今のユーモアの分量が構成上の限界でした。私自身の欲で言えば、もっと笑わせたい気持ちはあります。

――その限界とは、映像素材の制限という物理的理由でもあるのですか。

砂田
 いえ、素材だけならおもしろい場面はたくさんあるんです。でも全部を編集してひとつの筋道を立てていくと、おもしろいものだけを詰め込めないので。紡いでいきながら、おもしろいけど落とさざるを得ない場面がいくつもありました。

だから、試写の席でけっこう笑いが起きていたと聞いた時には、ホッとしました。ああ、笑ってもらえる瞬間があるんだって分かって。関係者のみの試写では、あまり笑い声は出ないものですから。

――砂田さんが初めて書かれた小説『音のない花火』(11・ポプラ社)を読むと、デートで彼女の指示に素直に従う男の子を「親戚のおばさんに連れて来られた子供のように」と書くなど、形容のおかしみが随所で絶妙です。しかしそれは多分に文章ならではの手法で、映画ではその代わりカットバックやインサートを活かしていますね。ユーモアの表現方法をどのように捉えているか、もう少しお聞きしたいです。

砂田
 そうだなあ、ユーモアの出し方。難しいな……。編集する時、意識的にどうしているかということですよね。

――例えば、「主演は庵野(秀明)では?」という鈴木敏夫さんの提案が琴線に触れて、宮崎駿さんが急に高揚する会議の場面。同席した人達の少し困ったような、判断のつかない表情に切り返すことで、大胆なアイデアをものにする二人のパワーがユーモアをまじえながら引き立ちます。具体的に僕が感心したのはそういう呼吸であり、間のセンスです。

砂田 いわゆる「おもしろい発言」を映像のなかに入れると、ほとんどが、おもしろくなくなるものだと思っているんですよ。テレビ番組の場合なら、それはおもしろいことなんだと親切に補足する演出によって一緒に笑えるようになるわけですけど。

私がおもしろいと思うものは、例えば一般的な会議のように、笑いなぞ起きなかったところにあったりします。それは、自分で素材の中から見つけていくしかないんだろうなと。その場にいた人ですら気付いていないような、ある種のシュールさが生まれている瞬間を、第三者、もっと言えば神の視線で映像で見せてあげる。家族であってもスタジオジブリであっても、そういう物の見方で編集する意識は同じです。

――その手応えは撮影している間に感じるものですか。それとも撮っている間は気付かず、編集しながら見つかるのか。

砂田 半分は撮影している間ですね。これはうまく編集すればすごくおもしろい場面になるんじゃないかな、と撮りながら思います。もう半分は、延々と素材をいじり続けているうちに発見します。
砂田001Bスタジオジブリは、ふしぎの国

――8月に放送されたNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀~」の『宮崎駿スペシャル 「風立ちぬ」1000日の記録』と、同じ場に居合わせているところがいくつもあります。ディレクターさんと現場では紳士協定というか、ルールのようなものがあったのですか。

砂田 それは全然なかったです。どっちもクルーを引き連れてではなく、1人だけでカメラを回していました。ああ、今NHKの人が行ってるなと思ったら私は行かなかったりしたし。キャスティングで庵野さんの名前が出た場面などでは同じ場所にいますけど、お互いのカメラに入らないようにしていました。それぐらいです。

ただ、やっぱり気は使いましたね。それはお互いそうだったと思うんですけど。

――同時期に同じ人と場所を撮りながら、「プロフェッショナル」で描かれたスタジオジブリはマイスターの厳しい修練の場のようであり、『夢と狂気の王国』では、また違う空間の貌が現れます。それは何か。砂田さんがこれを映画にする、できる、と思った切り口を教えていただけますか。

砂田 スタジオジブリを1日だけでも訪れた人の多くが、「この独特な雰囲気はなんだろう」と口を揃えるんですよね。こんなに都心に近いのに、違う空気に包まれている。みんな首をかしげながら戻っていくんです。

私自身も最初に訪れた時に謎の空気をはっきりと感じたので、「こういうものです」と言葉にはできないと思うけど、全編にわたって最後まで見せたいなという気持ちはありました。

――その空気とは居心地のいいものですか、ピリピリと痛いものですか。

砂田
 居心地がいいものなんです。まるで、ふしぎの国に迷い込んだような。都心に戻ってしばらくすると、(本当にあの場所は存在していたんだろうか?)と思っちゃうぐらい。

でも、そのふしぎな空間のなかで生きている人達は非常に人間くさかったり、生々しかったり、ある種浮世離れしていたりする。そういう意味では、スタジオジブリという場所をひとつのお伽噺のように描きたかったんですよね。観客の多くは実際にジブリのなかに入ることはできませんから、桃源郷を訪れた人間の味わう気持ちが伝わるようにしたかった。

――宮崎さんや作画スタッフがラジオ体操をしている場面と、鈴木さん達がキャラクタービジネスの会議をしている場面のカットバックはものすごくおもしろい、序盤早々のハイライトです。みなでひとつの理想を追うコミューンのような場でありつつ、お金の話もしなければいけない、複雑な営みの場である。そういう複眼的な視点の提示だと受け取ったのですが。

砂田 ラジオ体操とあの会議は違う時間に行われているのですが、カットバックにすることで、この不思議な制作集団にはどちらの面もあると表現したかったんですよね。アニメーターがみんな一斉に立ち上がってラジオ体操をする、ああいう姿なんて、大きな工場以外ではなかなか見られない光景だと思うんですよ。それを何のためらいもなく、一生懸命やる人達がいる。一方でそれを当然のように受け入れながら、全く別の職種としてビジネスの話を進めている人達もいる。

鈴木さんは「数値で分かるの?」と問いかけたりしていますけど、会議の場面にそんなにカリカリした様子は見られないでしょう? よくよく見ると、みんなポワーンとしていて、誰かが誰かを叱責するような雰囲気でもないんですよ。鈴木さんのショーが始まりますという感じで(笑)。

宮崎さんを中心としたショーと、鈴木さんを中心としたショーが、演目といってもいいかもしれませんけど、1日のうちに同時多発的に起きている場所なんだと思います。
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