【Review】光の系譜の終焉に向けて――「森村泰昌 レンブラントの部屋、再び」展 text 影山虎徹

森村泰昌の作品を観ると、思わず笑みを漏らしてしまう。展示会ともなると壁一面に展示された作品の全てに作者がいるという光景には独特の趣きがある。しかし、すぐにこの悪ふざけにも似た行為は何なのだろうという疑問が私たちを襲う。その欲求につられ、作品を注意深く凝視すると愛嬌に満ちた森村と目を合わすことになる。

都内にある原美術館で12月23日まで、「森村泰昌 レンブラントの部屋、再び」展が開催されている。この展示会は、1994年に森村が日本の美術館で行った初の個展でもある「レンブラントの部屋」展の再現となっており、当時の作品が一堂に展示された森村の表現世界を堪能できるものとなっている。

|森村泰昌とセルフポートレイト

森村の作品は、セルフポートレイトという技法によって作成されている。日本語にすると「自画像」となるが、森村は、自分自身を作品の中に挿入する行為は、写真や、彫刻、映像など様々な芸術の中で行われるのであるから、それらを一括りにして、直訳の「自我像」のほうが適切ではないかと述べている(『美術の解剖学講義』、1996)

彼は、私たちが一度は目にしたことのある著名な絵画、写真、ときには映像のなかに自らの身体ごと入り込み、作品を構成する。美術史からの引用をもとにした彼の作品は、既成の「美術史」を手放しで評価し、それを受け入れるのではなく、「美術史」という規範、歴史を切り裂く。彼の身体が作品内に入り込み、固定された規範や、歴史といった足枷を外すことで、それらから解放させ、その作品の持っている本質的なものを引き出すことに森村作品の面白さがある。

森村は同じセルフポートレイト作品を手掛けるアメリカの写真家、シンディ・シャーマンと共に語られることが多々ある。イギリス国立メディア博物館クリエイティブディレクターを務めるシャーロット・コットンは、制作者と受け手の双方が、その文化的コードを明確に認識するように促したポストモダニズムの写真の中で2人の美術家は生まれてきたと考察し、双方に共通して図像とアイデンティティの追求と西洋的な美や魅力が作品の前提にあると述べた(大橋・大木訳『現代写真論』、2010)

しかし、森村の作品は、具体的な過去の作品まで遡ることが可能であるのに対し、シャーマンの場合には、私たちがなにか観たこのあるイメージの段階に留まり、どこまで遡っても具体的な作品に到達することはない。双方の作品は、依拠しているものが歴史であるか、鑑賞者の持つイメージであるかというところに決定的な違いがある。

また、シンディ・シャーマンの場合は、「もし、私がこの時代に生まれて来なかったら、こういった表現形式を使うことはなかったでしょう。そしてもし私が男なら、このような方法で、私自身の経験を基にした作品を生み出すことはできなかったでしょう」(「シンディ・シャーマン展」カタログ、1996)と彼女自身が語るように、彼女が育った環境や文化、性別が作品に大きく影響を与えているのに対し、森村の場合は、既成の作品への価値の問い直しが大きなウェイトを占めている。

|森村×レンブラント

さて、今回の展示は「森村泰昌 レンブラントの部屋、再び」と銘打っているように、17世紀のバロック時代にオランダで活躍したレンブラントの部屋を題材に扱った森村の作品が展示されている。レンブラントは、生涯を通じて多くの自画像を残しており、作品のなかに「自我」を投影することに作品の重きを置く森村にとって、数多くの「自我像」を描いてきたレンブラントは、無視できない存在であっただろう。

レンブラントは、「明暗遠近法」という、闇を背景にして光の当たる部分を立体に浮かび上がらせる技法を用いた「光と闇の画家」としてよく知られている。例えば、彼の代表作『トゥルプ博士の解剖学講義』で、その「光と闇」の卓逸したバランスを目にすることができる。レンブラントの光の効果は、劇的効果を演出させ、線として描かれる輪郭をぼやけさせるような効果を生んでいる。さらに、彼の関心は技法だけに留まらず、描かれる対象にも及んだ。(この絵では、身体の内部という光が当たらない部分に「解剖学」という光を当てている)。

レンブラントの作品は、それまでの絵画の見るもの=描くもの、見られるもの=描かれるものという境界を曖昧にした。後に、レンブラントは、その解剖台に自らを乗せていくことになる。レンブラントのセルフポートレイトを若かりし頃から見ていくと、単純に自分自身を描く事の好奇心から、自分との素直な対話へ移行していくのが見て取れる。

彼は、〈見る—見られる〉の関係に亀裂を生じさせ、そのふたつを同時に行為することを意識した画家であった。若き日の希望に満ちた自画像、銅版画による一連の表情研究、自己破産をする直前の絶望、メランコリーに満ちた自画像、死を前にした穏やかな面持ちの自画像など、彼の作品は、まさにそのときの自分自身を反映したものであったと言っていい。

同じセルフポートレイトの制作者であるとしても、レンブラントが、「自分とは何者であるか」を問う〈自己探求型のセルフポートレイト〉であるとすると、森村は、「自分とは何者でありうるか」を実験する〈変身型セルフポートレイト〉であると森村自身が指摘している(前掲書)

〈自己探求型セルフポートレイト〉は、まず「真の自分、本当の自分」というものがあるという前提のもとにそれを探しにいく、その「真の自分、本当の自分」をキャンパス上に描こうとすることである。それに対し、森村の〈変身型セルフポートレイト〉は「真の自分、本当の自分」の存在を前提としていない。「真の森村、本当の森村」がゴッホやマリリン・モンローに変装しているのではなく、ゴッホやマリリン・モンローに変装した森村も森村自身であるということになる。「真の、本当の」という形容はもはやなく、その場その場で森村泰昌は出来上がり、その様は変化、変身していくということなのである。つまり、レンブラントの自分自身という確固としたものを追求した〈自己探求型のセルフポートレイト〉に〈変身型のセルフポートレイト〉として入り込む森村の作品は、揺るぐことの許されなかった画家の自画像に揺さぶりをかけ、新たな変化への生成を生む活発な生の場としているのだ。

|なぜ今「レンブラントの部屋」なのか

森村がレンブラントに扮して原美術館の壁面を飾った1994年から、20年を迎えようとした今、なぜ再び森村—レンブラントが登場したのか。

それは、展示会場2階の最も奥の部屋に展示されている作品『白い闇』に集約されていると思わずにはいられない。この作品は、レンブラントの『屠殺された牛』を題材にした作品であり、白い蛍光灯に照らされた白い部屋の中央に展示されている。森村が『屠殺された牛』を観て、レンブラントの作品で制作しようと思ったと言うほど、本展示において重要な作品である。

レンブラントの絵画に顕著に現れる「闇から光へ」という主題は、現実世界において蝋燭からランプへ、それから白熱灯、蛍光灯へ、更には、原子爆弾へととどまることを知らずに増大していった。もはや見ることすらできない強烈な光すら存在している。それらは、溢れんばかりの光で、世界を真っ白に照らした。森村は、1994年の展示の際に「レンブラントに始まった光の時代は、その光量を極端に増大させ、行き着くところまで行った。そして今、その終焉に立ち会っているように感じる」と述べている(『森村泰昌 レンブラントの部屋』、1994)

しかし、この発言を裏切るように、このときは未だ「終焉」は訪れていなかった。現在では、溢れ出る過剰な光は、私たちがものを明瞭に見るためのものではなくなり、私たちを包みこむようになった。光に包まれた私たちは、光の中に入ることにより、ものが見えない状態にある。過剰な光は、見えないもの――森村は20年前に過剰な光のもたらすものとして放射能を例に挙げている――による世界そのものの崩壊を引き起こす。

森村が危惧した過剰な光は、光を利便的に操作していると思い込みを持つ私たちを麻痺させ、いつからかその光の中に巻き揉まれた存在者と変えていった。『白い闇』の住人は、『屠殺された牛』のようにグロテスクに身体を切り開かれ、無防備に光をあて続けられる存在でしかない。『屠殺された牛』の横に凛として立つ森村は、森村にあてられる光の先を見つめている。それは、私たちを麻痺させ、音も立てず包み込む光に立ち向かうように、過剰な光を生んだ私たち自身の自省をしているかのように、そして、過剰な光の暴走を今度こそ「終焉」させようではないかと導くように。森村泰昌が20年前に感じた世界の違和を、私たちは改めて受け止めなければいけない。

【開催情報】

「森村泰昌 レンブラントの部屋、再び」展
会期 2013年10月12日~12月23日
会場 原美術館 http://www.haramuseum.or.jp/

【執筆者プロフィール】

影山 虎徹 Kotetsu Kageyama
1990年静岡県生まれ。愛知大学文学部人文社会学科西洋哲学専攻を経て、現在は立教大学大学院現代心理学研究科映像身体学専攻前期課程在籍。 ロラン・バルトのイメージ論を中心に、映像イメージについて研究している。