【特別寄稿】特集上映『大島渚のドキュメンタリー』に反射的に挙手 text 冨永昌敬

 

『小川プロ訪問記』より

川崎市市民ミュージアムにて開催中の『追悼特集 大島渚のドキュメンタリー』では、
18本もの大島渚監督のドキュメンタリー作品を見ることができる。僕はその最終日にあたる5月26日に開催のトークショーに参加させていただくことになっていて、少し前からそのことで頭がいっぱいなのだが、そのうえ嬉しいことに、こちらのneoneo webさんからも一文のお誘いをいただいたことで、さらに頭の中が混乱してしまった。26日にお話をする事柄とこちらに書く事柄を、どう区別すべきかわからなくなっているのだ。なのでこちらのページには、その混乱を整理する意味でも、トークショーでご一緒する予定のテレビディレクターの大島新さんと市民ミュージアム学芸員の濱﨑好治さんにどういったお話を訊くべきか、そのあたりを簡単に書かせていただくことにしたい。もちろん、このページに偶然目がとまったという方が市民ミュージアムに来てくださることも期待しながら。

大島新さんは、ご存知のように大島渚監督の次男で、毎日放送の『情熱大陸』などに多くの人物ドキュメンタリー作品を発表されている。濱﨑さんは生前の大島監督とも、大島監督にドキュメンタリーを撮る機会を用意した牛山純一氏とも親交が深かったそうだ。こういうお二人に、たくさんの大島ファンを差し置いてお話をうかがう大役を得たのだから、これはたいへんに光栄なことであるし、また僕自身も映画を撮っているので、もちろん自分のためにこの機会を大事にしたいと考えている。余談だが、なぜ僕が参加することになったのかというと、3月のある日、別件で市民ミュージアムのIさんと打ち合わせをしていたら、大島新さんのトークショーの相手をちょうど検討中だというので、反射的に立候補してしまったのである。

まず濱﨑さんには、1960年6月15日について訊いてみようと思っている。というのも、ドキュメンタリー作家としての大島渚を準備したのが、全学連デモ隊による国会突入事件の起こったこの日だったといえそうだからだ。

数千人の学生と機動隊の衝突によって東大生の樺美智子さんが命を落としたというニュースは、ちょうどその日、東京神楽坂の旅館で『太陽の墓場』のシナリオを書いていた大島監督を強く刺激した(青土社刊「大島渚1960」175頁)。脚本家の石堂淑朗氏、松竹京都助監督部の森川英太朗氏とともに街へ飛び出した大島監督は、そこである光景を目撃した。路上で慶應大学の旗を拾った慶應出身の森川氏が、おそらく応援の意を含みつつ、それを後輩の学生に渡してやったのである。この場面はよほど大島監督の印象に残ったのか、同じ年に撮られた『日本の夜と霧』(1960)の、野沢(渡辺文雄)が太田(津川雅彦)に旗を渡すシーンに再現されている。

現実に体験した出来事を再現してみせるというのは、劇映画の作り手としては珍しいことではない。よくあるといえば、たいへんよくあることだ。しかし大島監督は、6月15日について「いろいろなことがあった日」と回想しているとおり、そのとき映画のもうひとつの方法、ドキュメンタリーを強く意識するに至ったのではないか。なぜなら大島監督はこの日、目がまわるほど忙しかったはずの60年のなかでも敢えて特筆するほどの貴重な出会いを得ていたからだ。つまり神楽坂の旅館を訪ねてきたその相手というのが、のちに日本テレビ『ノンフィクション劇場』のプロデューサーとなる牛山純一氏だったのである。

この時点ではまだドキュメンタリーを撮ったことのなかった大島監督は、実際の旗の一件にキャメラを向けることができなかった(もし撮影機材を持参していたら撮っていたと思うが)。『日本の夜と霧』のなかで再現したとはいえ、あとで「あのとき撮っておけばよかった」くらいのことは思ったのではないだろうか。そしてこの一件が大島監督に、牛山氏からの『ノンフィクション劇場』のオファーを受けさせる一因になったのではないかと憶測せずにはいられない。

これはまったくの仮説だし、濱﨑さんだってその場に居合わせたわけではないのだから、突っ込んで訊いたところで確実な回答が得られるわけではないだろう。しかし大島監督とも牛山氏とも親交があった濱﨑さんならば、ご両名との生前のやりとりのなかで何か聞いたりしているのではないか。以上のような次第から、濱﨑好治さんには、ドキュメンタリー監督としての大島渚の誕生秘話とでもいえそうなところを、ぜひ訊いてみたいと考えている。

次に大島新さんには、大島渚監督に関するお話に加えて、新さんご自身のドキュメンタリー作家としての姿勢についてうかがってみたい。じつは僕と新さんは、ほぼ同時期に同じ人物をそれぞれの作品に撮ったという素敵な関係なのである。で、われわれに撮られたその素敵な人物というのは小説家の川上未映子さんなのだが、僕のほうは『パンドラの匣』(2009)という劇映画のヒロインに彼女をキャスティングし、新さんは『情熱大陸』のために『作家 川上未映子』という作品を撮ったというわけだ。

ではなぜ二人とも川上さんを選んだのか。僕のほうの経緯をあらかじめここに明かしておきたい。大島渚監督はたくさんの名言を残していて、映画のキャスティングに関する過激なものとして「一に素人、二に歌うたい、三四がなくて、五に映画スター。六七八九となくて十に新劇」というのがある。僕は始終これに影響されているわけではないけれど、これを裏づける「俳優は、その人間の実質以外のなにものでもない」という大島監督の大テーゼには、どう頭をひねっても従わない理由が見つからない。端的に、だから僕は『パンドラの匣』のヒロインに川上さんを指名させてもらった。そしてそんな映画の現場にまさに川上さん(人間の実質)を取材するためにやってきた人というのが、偶然にも大島渚監督の息子の新さんだったというわけだ。それを知ったときの僕の驚きがどれほどだったか想像してほしい。

だから今回反射的に立候補してしまったのには、このような伏線が僕のほうにあったのが影響している。僕と新さんは、同じ人物を媒介として「人間の実質以外のなにものでもない」を共有したのかもしれなかった。そのうえ新さんの場合はドキュメンタリーであるから、なおさら「人間の実質」に対して直截的であったはずだ。そしてあのときの話を新さんにうかがってゆくうちに、きっと大島渚監督の話にまでたどり着くにちがいないと考えている。

以上のような事柄を僕はお二人と話してみたいのだが、新さんにも濱﨑さんにも、それぞれ話してみたいことがあるはずだから、トークショーはまったく異なる内容で充実するかもしれない。もしそうなった場合は、また別な機会に寄稿させていただきたいと思っている。

【イベント紹介】

追悼特集 大島渚のドキュメンタリー

5月18日(土)

12:00- ノンフィクション劇場「忘れられた皇軍」/ノンフィクション劇場「青春の碑」/生きている人間旅行「ごぜ・盲目の女旅芸人」 計:90分
13:40- トークショー
ゲスト:田原総一朗(ジャーナリスト)
15:00- 20世紀アワー「大東亜戦争(前・後)」(98分)

5月25日(土)
11:30- すばらしい世界旅行「南アフリカの旅 黒人国家誕生」/すばらしい世界旅行「ジョイ!バングラ」/生きている人間旅行「ベンガルの父 ラーマン」 計:75分
13:10- 火曜スペシャル「巨人軍」(75分)
14:45- 特別番組「伝記・毛沢東」(66分)
16:15- 小川プロ訪問記(61分)

5月26日(日)
12:00- ノンフィクション劇場「映画詩 氷の中の青春」/ノンフィクション劇場「ある国鉄乗務員-4.17スト中止前夜」/ノンフィクション劇場「反骨の砦-蜂の巣城の記録」 計:75分
13:25- トークショー
ゲスト:大島新(テレビディレクター)、冨永昌敬(映画監督)
15:00- 知られざる世界「生きている日本海海戦(前・後)」/知られざる世界「生きている海の墓標-トラックの海底をゆく」/知られざる世界「生きている玉砕の島-サイパンの海底をゆく」 計100分

*すべて無料上映

 会場:川崎市市民ミュージアム 
〒211-0052 神奈川県川崎市中原区等々力1-2
TEL 044-754-4500

南武線・横須賀線・東横線武蔵小杉駅下車 バス約10分

【執筆者紹介】 

冨永昌敬 とみなが・まさのり
1975年生まれ。映画監督。生前の大島渚監督とは一度だけ面識があります。3年前、雑誌「SWITCH」が大島渚特集(2010年2月号)の取材で藤沢の大島邸を訪問するさいに同行させてもらいました。このときもやはり、反射的に「僕も連れてってください」と編集部に頼んだような気がします。