【リレー連載】列島通信★山形発/映画祭の舞台裏〜YIDFF 2013閉幕 text 畑あゆみ

still1bYIDFF2013 ウェルカムパーティーにて/エヴァ・ヴィラ監督(中:『ジプシー・バルセロナ』)と エラ・プリーセ監督(右『何があったのか、知りたい(知ってほしい)』) 提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭

2013年の山形国際ドキュメンタリー映画祭も無事閉幕した。映画祭を支えてくださった全ての方にまずは心より御礼申し上げたい。ご協力、本当にありがとうございました。

今年のヤマガタも例年通りの充実したプログラムが揃い、本サイトでもリレーインタビューが掲載された各プログラマーの、完璧を目指す情熱と興奮がそのまま反映された、熱いラインアップではなかったかと思う。私自身は今回から本格的にインターナショナル・コンペティションの担当となり、15作品の選定と上映、来日監督のケアなどコンペに関わるあらゆる事項が滞りなく進むよう管理し、場を作り上げていくという大きな役目を担わせてもらった。満足とはほど遠い運営ぶりであったが、周りに支えられつつなんとか授賞式まで走り切ったことに、とにかくほっとしている。

このような仕事を経験している人というのは他の映画祭にももちろんたくさんおられるのだが、他業種と比べるとやはりそれほど数は多くないだろう。映画祭で働いているというと、自動的にプログラマーやキュレーターのような華やかな仕事をしている、と思われがちだ。けれどもちろんそれ以外にもたくさんの表に出ない仕事がある。例えば助成金申請や協賛、寄付集めなど、映画祭開催のための資金調達とやりくり、会場や本部の設営、上映素材の手配、映写機材の調達と素材に合わせた割り振り、ゲストのケア、映写技師や旅行会社、通訳会社との連携、ボランティアさんたちの募集とオリエンテーション、山形市内および国内外への広報、カタログの製作、式典準備、弁当の手配や運搬、映画祭後の会場撤収・清掃・精算など、仕事は膨大。力仕事も多いし、もちろん期間中はゆっくり座っている暇などなく走り回っている。映画祭という一つのイベントを作り上げるのだから当たり前で、規模が大きくなるにつれこれらの裏方作業は増えていく。予算もない中、少ない人数でいかに効率よく運営できるか、毎回試行錯誤の連続だ。山形事務局では、毎年地元山形大学の学生がインターンとして事務局に通い仕事を手伝ってくれるのだが、彼らの助けも今では不可欠なものとなっている。

期間中各方面にご迷惑をかけた長い言い訳のようになってしまった。ともあれ、プログラマーの仕事、つまり上映作品や審査員を選び、特集上映やレトロスペクティブを企画する、そのために世界の映画人と交流し、情報を仕入れネットワークを作ることは、自分たちの映画祭の個性をかたち作る上でもちろん欠かせない。だが同時に祭りの現場を支える大小さまざまな裏方作業もまた、大事な映画祭の仕事であることを改めて知って頂ければ幸いである。

こうした苦労の果ての疲労、達成感、高揚感をごちゃまぜに抱えながら、晴れて開幕を迎えるわけだが、今年のインターナショナル・コンペティションの会場には、嬉しいことに例年になく多くの方が見に来てくださった。15作品の中に世界の他の映画祭でも引っ張りだこの超話題作が多かったこと、また既に評価の高いベテランの新作が見られる、などの理由があったのだろうと思う。今回は『物語る私たち』のサラ・ポーリー監督と『庭園に入れば』のアヴィ・モグラビ監督が諸事情により来日できなかったが、その他の監督たちは全員参加、というのも大きかっただろう。彼らは長時間の質疑応答やインタビューに喜んで参加し、会場を沸かせてくれた。また今回は釜山国際映画祭の日程とヤマガタのそれとがちょうどよいタイミングでずれていたこともあり、各作品のプロデューサーや製作関係者だけでなく、各国の映画祭関係者、配給、プレス関係者が釜山から山形へと流れてきたため、特にコンペまわりの賑わいが増していたようだ。

会場でスタンディングオベーションが出かねないほどの喝采を浴びた『ジプシー・バルセロナ』のエヴァ・ヴィラ監督は、上映後すぐに海外と国内の配給会社数社からアプローチを受け、めでたくともに配給が決定したと聞く。見ていると思わず体が動き出してしまうこの作品は、今後世界中の映画館で上映され観客を興奮させ続けるだろう。国内での配給決定作品は、その他に『物語る私たち』『殺人という行為』があり、観客賞を取った『パンク・シンドローム』は現在交渉中とのこと。どれも秀作であり喜ばしい流れだが、日本を除くアジアの作品への配給アプローチが少ない、という点が少し残念ではある。配給のついていないコンペ上映作品について、製作者側との合意のもとで、上映素材の非劇場貸出しを行なっている映画祭事務局としては複雑な立場ではあるが、それでもやはり素晴らしい作品は広く国内で見られてほしい、劇場公開されて監督の利益となってほしいと願っている。

世界でも人気の作品がいくつか入った今回のコンペだが、これは全くの偶然だ。15本の作品選定はここ数年、地元の一般市民を含む10人の選考委員による合議により行なわれており、10人の「この作品をヤマガタで紹介したい」という思いが凝縮したラインアップとなる。委員それぞれの評価基準は異なるが、ベテランの作品であろうと若手であろうと、人を惹き付ける力のある作品、内容と形式の面で新たに目を開かせてくれるような作品、そして、映画、映像というメディアのもつ力に自覚的であり、かつ作品作りにおいて熟慮を重ねた結果が見出せる真摯な作品が残っていく。選考時には意見が割れ、難しい選択を迫られる場面もあるが、結果ふたを開けてみると、一流の国際審査員に見せて競わせるに値するわくわくするような15本となり、そしてそのいくつかが結果として海外の映画祭でも評価を得ているものであったりするのだ。

ヤマガタに初めて参加する国際審査員はたいてい、映画祭の顔ともなるコンペのラインアップが、一般市民を含む選考委員による民主的な合議で選ばれている、ということに驚嘆する。だが日本各地で毎月のように行なわれているレトロスペクティブや特集上映の数、そしてネット上に日々氾濫する感想ブログの質などを鑑みれば、普通の市民が選考に混じることはもはやさほど不思議ではないだろう。いわゆる一般人であっても、その知識や映画体験の量と質は、他国のそれとは比較にならないはず。また映画業界だけでなく他分野からの異質な見方も、選考の場ではとても有益な刺激となる。今後もこの体制を継承し、挑戦的なラインアップを目指していきたい。

still2b『殺人という行為』 提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭

さて、これを書いている日の前日(1/16)、ちょうど米アカデミー賞ノミネート作品の発表があり、長編ドキュメンタリー部門に『殺人という行為』が選出された。同時に候補リストに挙げられていた『物語る私たち』は惜しくも選に漏れた。賞自体は時の運であり、個人的にそれほど興味はないが、やはり今年2013年度に欧米のドキュメンタリー映画界を席巻したのはこれらの作品ということになるだろうか。特に『殺人という行為』は、内容がショッキングである以上に、大量殺人のような圧倒的な暴力と、近代の発明である映画という表象メディアが直接、深く結びついているという事実を、最も強烈かつ分かりやすい形で捉えた作品であった。

ジョシュア・オッペンハイマー監督と研究者兼プロデューサーであるJ.T.Brink氏による共著「Killer Images」(2013)の導入でも触れられているように、民族虐殺、大量殺人をテーマとしたクロード・ランズマンやリティ・パニユといった作家たちの作品では、大量殺人の「証拠」や「目撃者」としての映像イメージの可能性と限界、といった論点が問われ、起きたことやその恐怖の「表象不可能性」が問題となっていた。だがそうした映画と倫理の問題を語る際忘れがちなのが、加害行為それ自体の内側にも既に映像イメージが潜んでいるという事実であり、暴力の発動に直接及ぼす影響の大きさである。人の意識や記憶と分ち難く結びつく映像文化そのものの原罪が、ここでは問われているのだ。

『殺人という行為』では、しかし、両者の関連があまりにも分かりやすく切り取られ、殺人者やその周囲の人間のありようが単純化され過ぎているのでは、という疑問もなくはない。インドネシア本国ではネット上で膨大な回数の視聴がなされ、NGOや大学などで地下上映され続けているようだが、ともあれ、かの国で60年代に実際何が起きていたのか、その一端を知る上で重要な作品であることは確かである。そして私たちの日常の行動や考え方、想像力にいかに映像/映画が関与し、それらを規定しているかについて考える契機となる作品であることも間違いない。日本では116分の劇場版が4月から公開予定とのこと。映画祭での159分版とどう印象が変わるのか、そちらも興味津々である。

・山形国際ドキュメンタリー映画祭 公式サイトhttp://www.yidff.jp
・「neoneo web」特集★山形映画祭2013

【執筆者プロフィール】

畑あゆみ(はた・あゆみ)
山形国際ドキュメンタリー映画祭山形事務局勤務。2014年度は、昨年の山形映画祭「ともにある Cinema with Us 2013」のシンポジウムで識者と会場の皆様に議論して頂いた震災記録映画のアーカイブスプロジェクトが、いよいよ始動。またこちらでも追々ご報告していくつもりです。