【Interview】『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件…そして』伊藤めぐみ監督インタビュー

伊藤02『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件…そして』。タイトル通り、イラク戦争下の2004年にファルージャで起きた日本人人質事件の、当事者の現在を追った作品である。

「イラクから3日以内に自衛隊を撤退させなければ人質を殺す」と武装グループが要求した10年前。アメリカを支持した政府は「人道復興支援」のために派遣した自衛隊の撤退を拒否。拘束から解放された3人は帰国後、「国に迷惑をかけた」「人質になったのは自己責任」の論調で烈しいバッシングを浴びた。

実際、当時多くの人が批判的な目で3人を捉えた。自分は匿名のバッシングのような振る舞いはしなかった! と言い切れる人は多いはずだ。しかしそのなかに、世情を不安にされたような、迷惑に近い感情を覚えた者は皆無だろうか。

事件をどう捉えてよいか分からず、おっかなびっくりでスルーしてきた僕は、ずっと年下のひとがつくったこの映画におよそ10年振りにギョッとさせられた。neoneoの雑誌3号で〈ゼロ年代特集〉の編集に関わった後である。まさにそのゼロの世代から、俯瞰ばかりしてませんか、と問われる気がした。

監督の伊藤めぐみは、1985年生まれ。2011年に有限会社ホームルームに入社し、現在ADとして働いている。『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件…そして』は監督デビュー作であるとともに、番組を通じても初の演出作となる。

一般社団法人全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)は、若手育成事業の一環として製作資金の支援と劇場公開の機会を提供する「ATP若手映画プロジェクト」を2012年に発足した。加盟する全プロダクション(現在124社)に企画を募り、選ばれて製作されたのが、この映画だ。まず2013年12月に新宿バルト9で一週間限定上映され、その反響を受けて、今春から本格的な公開が始まる。
(取材・構成:若木康輔)

イラク戦争の時は高校生でした

——伊藤さんはイラク戦争の時は高校生で、デモに参加するなどされていた。その姿は『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件…そして』のなかにも紹介されています。当時、大人に対して不満の感情はありましたか。

伊藤 それは、ありましたね。もともと環境問題などに関心があるほうで、(どうして世の中はこんなことになっているんだろう?)という違和感というか、後ろめたさみたいものは持っていました。自分は何ができるのか、考えたいといつも思っていて。でも具体的に何をしていいのか分からなかったし、周りにそれほど強い関心を持つ人もいなかったから、グズグズしている時期もあったんですけど。

イラク戦争が起きた時は、自分の住んでいる国が賛成して戦争が始まっちゃったことがすごくショックで。ここで何かしないと、私も戦争に加担しているような気持ちになり、デモに行きました。それが始まりです。

——当時、偏った情報を鵜呑みにしてバッシングをした人と、これは僕も含まれますが、無関心と様子見を決め込んだ人。腹が立ったのはどっちでしょう。

伊藤 うーん。両方ですが、腹が立ったというより疑問でした。あの時は3人の人格論みたいなことになってしまったけれど、大事なのはそこじゃないでしょう? 「自己責任とは?」という議論も可能なのかもしれないけれど、それよりイラクが今どうなっているのかのほうが大事じゃないか、と。3人はイラクに何が起きているのかを見ようとした。そこから出発して考えなきゃ全体像は見られないんじゃないの、とメディアや報道全体に対して思っていました。

——大学では社会思想を専攻されていたそうですね。そして2011年に、番組制作のプロダクションに入社。その間、自分のテーマとして意識し続けていたのですか。

伊藤 常にどこかにあったはずですが、ちゃんと表だって意識はしてこなかったと思います。イラク戦争や日本人人質事件でいろんな疑問や違和感を覚えた一方で、委縮してしまう自分もいたんですね。反戦デモに参加する自分を3人の立場に置き換えてみて、国がやろうとしているのと違うことをすると世間はこんなに冷たい目で見るんだ、物事を発言するのは本当に怖いことなんだな、と感じていたんです。

同時に、デモに参加するにしても思いや勢いだけで、世の中のことをよく知らないまま来ているなと反省もしていたので。ちゃんと違う立場の人にも答えられるようになりたい、いろいろ組み立て直したい、と思って大学では思想史を専攻しました。

でも大学に長い間いると、勉強すること自体が目的になってしまいがちなんです。もともとあの時に感じた疑問や違和感を解決したいと思って始めた勉強が、いつのまにか道に迷ってしまった感じがあって。だから卒業後は勉強したことは活かしつつ、もっといろんな人に問いかけたり、問題提起できる仕事はできないかと考えて、テレビの仕事を選びました。

選んだものの、いろんな人に話を聞く場にアシスタントで付くうち、うまく取材できない自分に気付き始めて。なんというか、自分を隠しているような、セーブしているような。それは何だろうと考えるうち、自分の出発点だったイラク戦争のことを思い出すようになりました。入社して半年ぐらい経ってからです。

——それが、「ATP若手映画プロジェクト」の企画応募につながるのですか?

伊藤 入社2年目の時、高遠菜穂子さんに個人的に連絡をとってヨルダンまで会いに行ったりしていました。ATPの企画募集があると知ったのは帰ってからなんです。(ホームルーム代表・本作プロデューサーの)広瀬(凉二)が「何か出したらどうだ」と勧めてくれて。少し迷ったんですが、出すならこれかなと。

——少し話題を戻しての質問です。高校生の頃はメディアのあり方に疑問を感じていた。そこから、テレビの世界によく入ったなと思います。もうよくご承知の通り、例えばインディペンデントの映画づくりと比べると縛りの多い世界ですから。ジレンマのようなものは無かったのですか。

伊藤 高校生のとき、確かに報道に疑問を持っていたけれど、すごく丁寧に取材している記者さんの姿も見ていましたからね。正直に言うと入社当時はいろんなことをすっかり忘れていたんですが(笑)、面白そうな仕事だという思いはどこかに残っていたかもしれません。実際に番組づくりの難しさを感じるようになったのはつい最近です。 

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高遠さんと今井さんの10年、自分や映画を見る人にとっての10年

——『ファルージャ イラク戦争日本人人質事件…そして』を見て、この映画の監督さんは、しらべものが好きな人じゃないかと想像しました。論文を書くように構成して、参考文献を引用するようにアーカイブがインサートされる。とても折り目正しい作り方だと。

伊藤 その想像、当たっていると思います(笑)。資料を「読み過ぎ」と言われたりしますね。集めるだけ集めて読んでいないこともあるんですけど、まずいろいろ分かっていないと、話を聞く相手に失礼じゃないかと思いますし。納得しながら進めていかないと自分自身が気持ち悪い部分もあるんです。

——伊藤さんはひとつのテーマを追求するタイプ、いろいろな題材を手掛けていきたいタイプ、どちらを目指していますか。

伊藤 アンテナはいろいろ広げていきたいです。こうしてイラクに関わったので今後もつなげていきたいとは思っていますが、イラクの問題のみをやり続けようと決めているわけではありません。

ただ、日本の社会に関係することはやり続けたいな、とは少しずつでも思っていますね。特別なひとの特別な物語ではなく、見る人が(ああ、自分も同じ社会に生きているんだ)と実感できるようなテーマ。抽象的なんですけど。

——そうした伊藤さんの考えは、今回の映画でもよく出ていると思います。今見ると、単に10年前の記憶喚起に留まらず、現在の日本をボンヤリと包む内向きの空気はこの頃から始まっていたのか……と気付かされます。

それに、人質になった3人のうち高遠さんと今井紀明さんの2人に取材しているわけですが、現在の活動と生活を粘って見せて、現状説明以上の何かを浮かび上がらせようとしている。

伊藤 高遠さんや今井さんはこんな人で、こんな苦労があったけれど現在こうして頑張っています、だけで終わらせるつもりはもちろんありませんでした。2人は「自己責任」を今、とっているのかどうかということでもない。それに、イラクではこんな悲惨な現実があるんです、と訴える話にするつもりも無かったし。今言ったことは全て描く必要はあるんですけど。

その上で映画を見る方それぞれに、この世の中に生きている自分にとってこの10年間は何だったんだろう? 高遠さんや今井さんはこう生きているけど自分はこれからどう生きていくんだろう? と考えてもらえるといいな、と思って作りました。

実は撮影や編集の途中で2人に私自身が寄り過ぎて、ヒューマンドキュメンタリーのようになりかけることもあって。そのたび、周りに「もっと大きく見よう」と引き戻してもらいました。

高遠さんからは「長いよ」と言われたのですが(笑)、自分に引き寄せて想像してもらうためには必要な尺だったと思っています。

——プロデューサーの広瀬凉二さんは、様々なドキュメンタリー番組を手掛けてきた大ベテランです。いまだに語り継がれる1993年のNHKスペシャル『あなたの声が聞きたい』を演出した方だと聞くと、それだけで僕は緊張して背筋が伸びてしまう(笑)。しかし伊藤さんは、広瀬さんの意見でも譲らないところがあったそうですね。

伊藤 例えばで言いますと、2人の家族を取材するかどうかがそうでした。広瀬は「自己責任論」の一番の被害者は家族なのだから、家族の話を聞かなければと言っていました。でも私は批判でどれだけ苦しんだかという話ではなく、どうしてこのような批判が出て来たのかを辿りたいと思ったんです。最終的には高遠さん、今井さんから家族にこれ以上、負担をかけたくないと言われて取材しなかったのですが、広瀬とはいろいろ議論しました。

他にも広瀬には今の日本という国に対して言いたいことがあって、そこをちゃんと表現したいと考えていたようなのですが、はじめからそれを強く出すのでは見る人を狭めてしまうと思って、それで行ったり来たりはしばらくありました。

——そこも2人に会うなかで見えてくるかたちにしたかった?

伊藤 どちらかというと、私は、バッシングをした人達の話も聞きたかったんです。するに至った気持ちや理屈みたいなものを知りたかった。ただ、広瀬はその切り口については時間が足りなくなることも含めて乗らなくて、それより、高遠さんや今井さんの取材を厚くするほうが意味があると。実際そこまで取材はできなかったんですが、描きたかった思いはあります。

FJ_sub05b        『ファルージャ』より © 2013 有限会社ホームルーム 一般社団法人全日本テレビ番組製作社連盟

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