【Review】マニアたちの幸福 〜映画『Room237』に寄せて text 鈴木並木

ROOM237mb今さらながらではあるけれど、たいていのひと・もの・ことにはそれぞれマニアと呼ばれるひとたちがいて、常人には想像もつかないほどの時間やお金や情熱や才能をつぎ込んでいたりする。『ROOM237』は、5人のマニアたちがスタンリー・キューブリックの映画『シャイニング』の「隠された意図」を徹底的に分析するドキュメンタリーだ。……ドキュメンタリー? ここには関係者へのインタビューは一切ない。未公開資料が出てきて新事実があかされることもない。それどころか、この映画はワーナー・ブラザーズやキューブリックの家族に承諾すらされていない。あるのは、材料となる『シャイニング』とその他の映像だけ。5人が推理と妄想と眼力でもって(勝手に)挑むのは、IQ200の天才監督、名うての完璧主義者、キューブリックの頭の中だ。

晩年のキューブリックは当然、インターネットにもかかわっていただろうが、にしてもそれから10年かそこらで、ネットの発展とともに、深読みといちゃもんが渾然一体となったメンタリティがこんなにも一般化するとは想像もしていなかったに違いない。ただしこの映画を見ると、それもそんなに悪いことではない気がしてくる。ここに出てくる(声と名前だけで、姿は現れない)5人は、ずば抜けてはいるけれども決して特殊な存在ではなく、キューブリック・マニアたちは世界中にいて、鵜の目鷹の目、インターネットの網の目でもって彼を包囲し、追い詰め続けているのだろうと想像できる。ここには、単なる傾倒や熱狂を超えて、あわよくば作品そのものを乗り越え、なぎ倒し、転覆しようとする野蛮さが満ち満ちている。

のではあるが、のっけからひとりの証言者の突飛な意見が披露されるもので、思いっきりのけぞらされることになる。曰く、『シャイニング』は白人によるアメリカ先住民の虐殺を描いた映画だ、と。驚いていると、ホロコーストの暗示だ、とか、アポロ11号の月面着陸の映像は捏造で、製作にかかわったキューブリックが事実を暴露するために撮ったのがこの映画だ、とか、大胆な仮説の数々が次々に飛び出してくる。内容をそのまま紹介するだけで、書いているわたしまでが正気を疑われそうだ。わたし個人としては、映画批評は必ずしも仮説をすべて証明しなくてもよいと考えていて(大学で研究しているひとには学会のローカル・ルールがあるでしょうが)、おもしろくあるべきことのほうをはるかに優先しているので、飛躍も破綻も大歓迎なのだけど。

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おっと、だからといって、5人のマニアたちの発言がなんの根拠もないオタクの戯言だと早合点してはいけない。一見突拍子もない彼らの意見は、基本的には『シャイニング』の画面をそれこそ穴が開くほど見つめるところからスタートしている。決してキューブリックから「電波」を受け取っているわけではない。いや、そうではなくて、誰もが受け取っていながら漫然とやり過ごしている微弱な電波を、超高感度で受信し、増幅し、誰にでもよく見えるように変換しているのだと言おうか。わたしは本作鑑賞の直前に『シャイニング』をDVDで見たので、忘れている箇所こそなかったが、そのため逆にいっそう、視界に入っていたはずなのに見えていなかったものの多さに衝撃を受けることになった。こうなると、もはや映画の分析のレベルを超えて、「(映画を)見る」とはいったいどういうことか、という、生理学的/神経科学的/量子力学的/哲学的/神学的問題ですらある。

かといって、『ROOM237』の手続きのすべてに賛成できるかというと、そうでもない。5人が証言する声にあわせて引用される、『シャイニング』をはじめとしたキューブリック作品、そしてその他の映画やアーカイブ映像。その取捨選択があまりにも自在で恣意的/ジャイアン的すぎる。もうひとつわたしが気になるのは、『シャイニング』の細部すべてに隠された意図があると言わんばかりの5人の口調で、見ながら何度か、「いや、キューブリックとはいえ、いくらなんでもそこまではしてないだろう、偶然じゃないの?」と噴き出しそうになってしまう。しかしその問いは、「なぜ意図してないと言える?」との問いになって戻ってくるわけで、このせめぎあいはたまらなくスリリングだ。

ずっとあとのほうには、『シャイニング』の通常の再生と、エンディングから冒頭に向かっての逆再生を重ねると、それによって新たな意味が浮かび上がる、との説まで出てくる。たしかに、そのように重ねて作られた(とされている)引用映像を見ると、なるほどよくもまあ、と感心するが、同時に、ここまで行くと、だからどうした、とも言いたくなってしまう。まあ、それを言っちゃあおしまいよ、なのだが……。

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はっきり言って、この作品に最もふさわしい鑑賞方法は、映画館のスクリーンでではなく、何人かが集まって、アルコールかソフト・ドラッグの影響下で見ることだろう。もちろん『シャイニング』との2本立てで。あるいはTV放送とツイッターでの実況の組み合わせでもいい。笑いとツッコミを封印して黙って見るのはあまりにももったいないし、スクリーン鑑賞ではおそらく見つけられないがDVD鑑賞だと比較的気付きやすい仕掛けが、少なくともひとつは用意されているからだ。ただしこの作品の日本でのDVD発売が可能なのかどうかは、また別の話だが。

肉体的な反応を見る者に呼び起こすのがいい批評の条件だとしたら、『ROOM237』は映画批評の最良のかたちのひとつだ。笑いとツッコミのあとには唸り声と全身の震えがやってくるし、劇場を出たら『シャイニング』をレンタルせずに家に帰ることは難しい。次の休日には家族でホームセンターに行かざるを得まい。お父さんは斧を、お母さんはバットを、息子には三輪車を。

がしかし、分析が重ねられば重ねられるほど、キューブリックのてのひらは際限なく拡大していくようで、いつまでたっても外に出られない軽い絶望感が漂ってくる。もっとも、あえてなのかどうか、関係者へのインタビューをおこなうことなくこの映画を作ってしまったのだから、監督たちはそれでよしと思っているのかどうか。

いずれにしても、キューブリックのてのひらが、いい歳の大人たちがよってたかってはしゃぎ回る遊び場として、申し分ない広さと複雑さがあることだけは確かだ。

いちばん最後のあたりで、証言者のひとりが、『シャイニング』にのめり込み過ぎて自分の人生が『シャイニング』みたいになってしまった、と述懐する。ミイラ取りがミイラ。自分からワナにはまる必要はない、と言いたいところだが、返ってくる答えは想像がつく。虎穴に入らずんば虎児を得ず。映画と観客とのあいだに、これほど美しい関係はそうそうない。なんならそれを、幸福と呼んでもいい。

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【映画情報】

『ROOM237』
(2012年/アメリカ/英語/103分/原題:ROOM237) 

監督:ロドニー・アッシャー
プロデューサー、ティム・カーク

『2001年宇宙の旅』(1968)、『時計じかけのオレンジ』(1971)、『フルメタル・ジャケット』(1987)など、幾多の名作を遺した20世紀最高の巨匠のひとり、スタンリー・キューブリック。そのフィルモグラフィの中でひときわミステリアスな魔力を放つ恐怖映画が、スティーヴン・キングの同名小説を映画化した『シャイニング』(1980)。この映画には未だ答えがはっきりしない、一般的に認知すらされていない謎が数多く残されている。世界中のファンと同様、その謎に取り憑かれた新進映像作家ロドニー・アッシャーとプロデューサー、ティム・カークのコンビは、『シャイニング』のあちこちにこびりついた奇怪なミステリーの解明に挑んだ。キューブリックの長編デビュー作『恐怖と欲望』(1953)から遺作『アイズ ワイド シャット』(1999)までの全作品の場面映像を引用し、不世出の天才監督の脳内を分析するかのような、驚くべきドキュメンタリーを完成させた。

2014年1月25日(土)より、シネクイントほか全国順次公開

【執筆者プロフィール】

 鈴木並木 すずき・なみき
1973年、栃木県生まれ。派遣社員。ドキュメンタリー関連の最近のいちばんのびっくりは、年末に見た『ある精肉店のはなし』(纐纈あや監督)の一家が、知り合いの知り合いだったことです。