東日本大震災から1年。私たちは、今なおその影響が続く地震、大津波、原発事故という一連の出来事を、どのように認識し「記憶」しているだろうか。木々や家をなぎ倒していく真っ黒な津波のニュース映像、避難を呼びかけるアナウンサーの切迫した声、煙を上げる福島第一原発の建屋、日々増え続ける死者・行方不明者の数、Twitterや各種SNSサイト上を流れて行く膨大な情報、文字。「記憶」と呼ぶにはまだ生々しすぎる経験だが、筆者を含む被災3県の当事者ではない大部分の人々が、「東日本大震災」と聞いてまず思い浮かべるものは、おそらくそうした映像や文字の断片だろう。
※2011年5月、宮城県亘理郡山元町にてYIDFFスタッフ撮影
そもそも「記憶」とは何か。歴史学者マリタ・スターケンはかつて、国家レベルの「正史」としての歴史ではなく、人々が日々触れるメディアやパブリックイメージなどを通して互いに共有するような歴史の記憶を「文化的記憶」と呼んだ。人々の記憶とは本来、単に経験に基づいた「事実」ではなく、今を生きる人々が作りだす解釈の一形式なのであって、一種の物語であり、それはつねに書き直され、変化していくものとしてある。そのような記憶の物語は、現代であればとりわけ、記憶のテクノロジーとも呼ぶべきもの、つまり写真や映像、アート作品といったメディアの表現によって複雑に構成され、日常的に補完され、具体化されていく。
私たちが現在持っている震災の記憶も、地震発生以降絶え間なく目にしてきた、おびただしい量の新聞記事、雑誌、テレビや映画、そしてネット動画共有サービスによる映像などのさまざまなメディア表象の集積でできている。そしてそれらは日々更新されている。多くの人がスマートフォンを持ち歩く今、その更新のスピード、頻度、そして強度は、例えば17年前の阪神淡路大震災のときのそれらとは比べものにならないほどに増しているにちがいない。
日常の何気ないメディア・イメージへのアクセスと、それによる記憶の更新作業。だが、例えばテレビモニターやPCの前に座り、お茶を飲みながら津波の映像や被災地の写真を眺める、あるいは昼休みのオフィスや電車の中で、携帯やタブレットPC上に映像を呼び出しそれらを眺める、といったそのような行動には、何かうしろ暗い感覚がつきまとう。それはおそらく、安全な場所で前と変わらぬ生活を送っている自分が、大津波で命を落とし、あるいは今もなお不便で切迫した生活を強いられている人々を「眺め」、大変なことが起きたのだ、と改めて思いながらもその場にとどまり、モニターを見続ける、というその立場の埋めようのない落差に由来している。行為の質としてはパニック映画を楽しむこととなんら変わらず、それを平然と行うことのできる自分の鈍さと偽善に、気づかぬふりをしているだけなのだ。
ではなぜ私たちは、それらのイメージを見続けてしまうのか。
断片的な映像を見聞きし日々新たなイメージに触れることで、私たちは、歴史的事件の「真実」、もしくはそれに近い何かに一歩ずつ近づいている、と錯覚する。そしてそうしたイメージに囲まれることで、自分もまた「その場所」にいた、その事件を「目撃した」という疑似体験を得ることができるのだ。そしてそれは、実際にはその現場に立ち会えなかった自分への癒しの効果をもち、さらには神の視点に同化するような、一種の開放感や快楽さえも与えてくれる。私たちが感じるこうしたカタルシスは、例えば、ベトナム戦争を繰り返し描いてきたハリウッド映画において、ナショナリズムと強く結びつく形で顕著に現れているとスターケンは指摘しているのだが、現代の東北で「史上類を見ない」規模で起き、私たちの視線を釘付けにしてきた大津波の映像にも、間違いなく、このような「追体験」への欲求が上書きされている。(今回は、被災者でないにも関わらず、昨年3月11日以降こうした映像をライブで見続けたために強烈な疑似被災感覚から抜け出せず、鬱状態に陥った人も多くいたと聞く。)
※2011年5月、宮城県亘理郡山元町にてYIDFFスタッフ撮影
だが、ありきたりな指摘になるのを承知でいえば、私たちが目撃するこうしたスペクタクル・イメージは、もちろん世界の「真実の姿」を写し取った映像ではない。石巻や気仙沼の町を飲み込む津波のニュース映像――多くが山の中腹やヘリコプターからの俯瞰映像――は、今回の震災を象徴する悲劇的なイメージとして、多くの人々に共有されている。それらはしかし、その場に居合わせた撮影者=ビデオカメラによってある一つの視点から得られたものであり、またテレビ等で放送される際にはさらに、報道の意図に沿うよう編集が加えられた作為的な映像である。重要なことは、こうした恣意的なスペクタクル映像が、主要メディアに繰り返し登場しつづけることにより、人々の震災の記憶の中心を形づくっていくという点にある。そして同時にそれは、その他の表象されることのない微細な記憶を圧倒し、隠蔽し、ついには忘れさせてしまうのだ。
歴史的事件の文化的記憶はこうして単純化されていき、単純化された物語は、その後さまざまな形で社会や政治のあらゆる場面で利用されていく。原発事故の後処理のため決死の覚悟で現場に入る作業員たちを、海外のメディアが当初Fukushima 50としてヒロイックに持ち上げていたのも記憶に新しいが、国内でも最近、がれきの中を歩く白い防護服を着た警察官らしき人物の写真を、福島県警が警官募集ポスターに使ったというニュースがあった。敗戦以降最大の国家的危機、と声高に唱えられる中で、こうした「前線」のイメージが、国のための自己犠牲を美徳とする物語へとたやすく結びつけられていくこの陳腐なプロセスを、私たちは再び経験している。
「記憶のテクノロジー」は今や、個人では追い切れないほどに多種多様だ。情報と映像が溢れ、その中で何が必要で何が不要かを選別するのも難しい。だが記録メディアがあらゆる場所に遍在する現代のこの状況は、ますます進む監視社会化が危惧される一方で、歴史的な事件や災害について、より冷静に、多角的な視点から見る機会を与えてくれるものでもある。最近必要があって見直したハルン・ファロッキの『ルーマニア革命のビデオグラム』(1992;YIDFF ‘95の特集でも上映)は、この点においてとても示唆的だ。この作品の主役は、歴史を同時に目撃し記録した複数のTV/ビデオカメラである。革命を生々しく経験させてくれる複数の場所での記録は、一方で、二つの映像が同一画面に埋め込まれたり、また映像そのものが語り手によって検証されることで、記録映像の技術的な側面を強調している。それぞれの映像が互いを補完し、注釈を与え、あるいは互いの反証として機能しているこの作品は、「歴史」を相対化する複数のまなざし、そして映像と映像の間にある表象され得ない何かに目を向けることの重要性を、私たちに思い出させてくれる。
改めて心に留めておきたいことは、情報の選択の一切をある特定のメディアだけに委ねない、一方的に供給される映像だけで自分の記憶を埋めてしまってはならない、ということだ。繰り返し現れるスペクタクル・イメージの誘惑に負けず、その力の出所を、その裏側を見つめること。そこから離れ、表象されないものに意識的に目を凝らし、耳をすますこと。私たちに求められているメディアリテラシーとは、そのようなものではないだろうか。自戒を込めて。
(※本稿は、山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局が配信している『YIDFFニュース』4月号掲載文に加筆修正したものです。)
【執筆者プロフィール】 畑あゆみ 71年愛知県生。名古屋大学大学院国際言語文化研究科修士課程修了、英アルスター大Ph.D.候補生。2011年4月より山形国際ドキュメンタリー映画祭山形事務局勤務。発表論文に「「運動のメディア」を超えて―1970年前後の社会運動と自主記録映画」(『日本映画史叢書第14巻 観客へのアプローチ』所収、2011年、森話社)など。