【自作を語る】『アジア映画の森 新世紀の映画地図』 text 夏目深雪・佐野亨


夏目深雪 編集・執筆

最初に断っておくと、書籍「アジア映画の森 新世紀の映画地図」は、自作というよりは、5人の監修者と私を含めた2人の編集者、24人の執筆者+αの共同作品である。あくまで私の視点からの出版の動機といきさつ、そして出版を振り返っての話をしたい。


|始まり~
アジア映画の熱狂~

7年ほど前に遡る。一度きちっと映画理論を勉強してみたいと思い、母校である明治学院大学の芸術学科の聴講生となった。レスリー・チャンが飛び降り自殺した次の次の春だった。私はアジア映画にどっぷりと浸っていた。時代もそういう時代だった。ウォン・カーウァイ、レスリー・チャン、ヨン様、私たちはアジア映画を愛し、その熱狂の中にいた。いや、むしろ2005年といえばその熱狂はすでに沈静化していた頃だろうか。

聴講生となった斉藤綾子氏の授業は「新・映画理論集成」(フィルムアート社)をじっくり読み込むというものだった。それらはとても面白かったのだが、疑念も抱かずにはいられなかった。「これらの理論が果たしてアジア映画に当てはまるのだろうか?」。否、と私は即答した。西洋の映画研究者の論理なんて、アジア人たちは、ましてや実作者は全然関係ないところで作っている。それらはあくまで西洋から見たアジアに過ぎない。

いつかアジアを縦断するような映画の批評集を作りたい。それは新しい理論、新しい映画の観方を発見しながらの作業となり、とてつもなくワクワクしたものになるだろう。その時母校の図書館で芽生えたそんな思いは少し壮大過ぎたが、しかしそれだけに、大航海時代から連綿と人類が持ってきたであろう探検心を刺激したのか、心から離れなくなってしまった。


|新世紀のアジア映画~
映画祭通いのなかで~

土台は徐々に整っていった。2000年代はアジア映画が中華圏から、より西に西に視線を延ばしていった過程と重なるだろう。私たちはアピチャッポンを、ヤスミンを、ファルハディを発見していったのであり、それにはそれらの作家を精力的に紹介してきた東京フィルメックスやTIFFなど映画祭の存在が大きかった。中華圏でさえ、中国といえばチャン・イーモウとチェン・カイコーだった時代から、ジャ・ジャンクー、ワン・ビン、ロウ・イエなど既存の映画作りから逸脱したドキュメンタリー作家や家庭用デジタルカメラ等でゲリラ的に撮影するインディペンデントの作家が跳躍する時代に突入した。映画祭で垣間見える、イスラエルやアラブ諸国などまだまだ紹介されていない地域の映画への恋心も募った。

2009年の東京フィルメックスで開催された「映画祭を考える」というフォーラムに参加したTIFFアジアの風プログラミング・ディレクターでこの本でも監修を務めた石坂健治氏は、「映画祭で紹介してきた作家のカタログ作りをやりたいと思っている」と抱負を述べている。それはアートフィルムの劇場公開が厳しい時代になり、せっかく映画祭で紹介しても、劇場公開作に較べれば明らかに少ない人数にとどまる観客。そしてその少ない観客も、批評が滞りなく機能しているとは言い難い状況の中で、きちんとその作家の位置づけがされない。優れたアジア映画が毎年「そのまま流れていってしまう」ことへの危惧があったのではないか。私自身非常に勿体ないことだと思っていて、WEBに映画祭レポートを寄稿したり来日した監督へのインタビューを行ったりはしていたのだが、一人でできることは限られている。批評家や映画ライターも気の利いた人はアジアへの目配せが感じられ、気運の高まりを感じていた。

 そんな時、2010年の年末、ライターとして参加した「ゼロ年代アメリカ映画100」(芸術新聞社)の打ち上げの席にて、編集者の佐野亨氏に「昔アジア映画の本を企画したことがあって…」と持ちかけられた。私が飛びついたのは言うまでもない。


|「アジア映画の森」でありながら「批評の森」

基本的な編集方針は、2000年代を中心に、映画祭で上映しただけの作品もカバーすること。作家論を中心とし、重要作家はある程度の字数を設け批評家にがっつりと論じてもらう。国の冒頭に来る総論でその国の歴史的側面を総ざらいし、コラムで拾いきれない作家や複数の国に跨るテーマをカバーした。そしてなるべく多様な執筆陣を集めることである。執筆者もかなりかぶるので2003年に出版された「思想読本⑨ アジア映画」(四方田犬彦編、作品社)を親本のような扱いにはしたが、もう少し裾野を広げたアジア映画ファンの多様性を、アジア映画の多様性とともに伝えたいと思った。

従って、執筆者はほとんど何でもありである。映画祭のプログラミング・ディレクターを中心に気鋭の批評家、アカデミズムの世界に身を置いている研究者、「映画秘宝」のライター、映画人、そしてアマチュアの方まで。その意味でこの本は「アジア映画の総覧」でありながら現時点での日本の「批評の総覧」でもある。新世紀に入り、ますます新たな可能性に満ちてきたアジア映画の息吹を読者に感じてほしかった。さらに言えば、製作側と批評側など相反する立場から論ずることで、「映画とは何か」という問いに答えることにもなると思った。それは冒頭で述べたように、まだ理論的には確立されているとは言い難いアジア映画だからこそできたことかもしれない。この本では地誌学的、社会学的、テマティックに、ジャンル論として、製作の立場から、実作者として、様々な観点からの論考やコラムがひしめき合っている。それらがそれぞれに光を放ちながら、様々な固有の文化と歴史を持ち、一見掴みづらく流動的な「アジア映画の森」を、多角的に照らし出してくれるといいと思った。その編集意図は、執筆者たちの情熱と頑張りによって、期待以上のものとなったのではないだろうか。編集側も大人数をまとめる苦労は大きかったのだが、少ない稿料と流動的にならざるを得ないスケジュールの中で、頑張って頂いた執筆者のみなさんに改めてお礼申し上げる。

細かいことを言えば、扱っている地域も広く、「もっとこれを扱ってほしかった」などというご意見も頂いている。ぜひこの本をスタート地点として、アジア映画の森を探索する旅がこれからも続いていけばいいと思っている。

佐野亨 編集・執筆

もう6、7年前になるだろうか。僕は当時、アジア映画の専門誌(といっても、当時は日本における韓流ブームが隆盛を誇っていたころだったので、ほとんど韓国エンターテインメント情報誌と化していたのだけれど)「ムービー・ゴン」の編集部でアルバイト編集者として働いていた。発行元となる小出版社は、かつて洋泉社で「キーワード事典」シリーズなどを編集していたS氏という人物が代表をつとめており、当初は書き下ろし単行本をメインに出していたが、ウォン・カーウァイの『恋する惑星』を機に巻き起こった香港映画の新しいムーブメントを受けて、「ムービー・ゴン」を創刊。90年代中頃から2000年代にかけて、アジアの映画やエンターテインメントを好む読者のあいだでは、それなりに存在感を示した雑誌だったと思う。

あるとき、そのS氏が久々に映画のムックシリーズをつくりたいと言い出し、僕もいくつかの企画を考えなければならなくなった。編集の仕事もひととおりおぼえて、血気さかんな若造だった僕は、読者として、かねてよりこんな映画本を読みたい、と夢想していた企画をここぞとばかりに提案した。すでに企画書のデータが手元に残っていないのが残念だが、たしかドキュメンタリー映画に関する本と、2000年代以降の活躍ができそうな日本映画の監督たちに関する本と、そしてアジア映画についての本の企画を出したはずだ。

その結果、S氏から、とりあえずGOサインが得られたのは、アジア映画についての本の企画だった。

企画書には、石坂健治さん、市山尚三さん、野崎歓さん、松岡環さん、門間貴志さんらの名前が並んでいた。真っ先にお声がけしたのは、「ムービー・ゴン」にも毎号のようにご寄稿をいただいていた松岡環さんだった。それから当時、『香港映画の街角』(青土社)という滅法面白い香港映画論集を上梓されたばかりの野崎歓さんにもお電話差し上げたことを記憶している(まだ小さかったお子さんの泣き声が電話口から漏れ聞こえていた)。

こうして本の企画が動き出していたにもかかわらず、その直後、僕は、この出版社をなかば衝動的に辞めてしまった。S氏とのさまざまな行き違いが積もり積もって、日常的な業務を続けるのが困難な状況となったためだ。

その後、僕は、なんだかんだと仕事の口を見つけ、今日までフリーランスの編集・文筆業を営んできた。

ここ数年で、アメリカ映画についての本を三冊、編集した。そのうちの一冊『ゼロ年代アメリカ映画100』にご協力いただいたライターの夏目深雪さんと雑談しているとき、僕が言い出したのか、夏目さんが言い出したのか、はっきりとはおぼえていないのだが、「アメリカ映画についての網羅的なガイドブックが出来たのだから、こんどはアジア映画のガイドブックをつくってもいいんじゃないか」というようなことを、おそらくどちらかが口走ったのだと思う(筆者註:夏目さんの原稿を読んだところ、僕が「昔アジア映画の本を企画したことがあって……」と切り出したというのが正解のようだ)。いずれにせよ、夏目さんはご自身、東京国際映画祭の運営にかかわり、アジア映画に対する情熱は並々ならぬものがある。それは、ただやみくもな情熱というよりも、現在のアジア映画をとりまく情況に対する問題意識として、明確な形をなしているように感じられた。じっさいにそれがどのようなものであったかは、このサイトに掲載される夏目さんの文章にあたっていただきたいが、その萌芽となったいくつかのできごとを、夏目さんが明治学院大学映画学科の聴講生として経験していた時期と、僕が出版社でアジア映画本の企画を練っていた時期がほぼ重なっているのは奇妙な偶然と言うべきか。

そして、夏目さんの情熱とはべつに、僕自身のなかにも、ある思いがわきあがってきた。それは、かつて出版社に勤めていたころ、企画倒れになってしまったあのアジア映画本の企画を、いま、もういちど復活させたいという思いだった。

ここしばらく映画祭通いから足を洗っている僕はともかく、夏目さんは筋金入りのアジア映画プロパーだが、それでも韓国からトルコまで、あらゆる地域をカバーした網羅的なガイドブックとなると、やはり専門家の協力を仰がねばならない。夏目さんはすでに石坂健治さん、市山尚三さんらと面識があり、僕もかつて出した本の企画でお名前を挙げていたから、お二人を監修者に迎えることについてはすぐに意見が一致した。それに、この手の本をつくるなら欠かすことの出来ない門間貴志さんも。ほかにはだれがいるかしら? と夏目さんに問われて、僕は、野崎歓さんと松岡環さんのお名前を挙げた。こうして、僕が是非にと参加を願っていたアジア映画の伝道師のみなさんにご参加いただくことが叶い、約一年という歳月を費やして本書『アジア映画の森』を完成することができた。

思えば、僕が「アジア映画」と出会ったのは、小学生のころ。TVでブルース・リーやジャッキー・チェン、また折りしも最初で最後の大旋風を巻き起こしていたキョンシー映画の数々を観たのが最初だった。青年になってからは、佐藤忠男先生が解説をつとめておられたNHKの世界名画劇場で韓国やインド、イランの映画を観たり、アジア映画ファンには定評のあった千石・三百人劇場の特集上映にも時折、足を運んだ。横浜中華街のうらぶれた雑貨屋で海賊版ビデオを買いあさっていた時期もある。

前述の通り、最近は忙しさにかまけて、そのような新しい映画との出会いの機会を失っていたが、本書の編集作業をとおして、僕も久々に「アジア映画の森」へ分け入りたいという気持ちがふつふつとわきあがってきたのは言うまでもない。

|プロフィール

夏目深雪 なつめ・みゆき
批評家、編集者。雑誌やWEB、書籍に映画評、劇評を寄稿。『ゼロ年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。映画祭のコンペ選考業務にも携わり、アジア映画の未公開作品などを多く鑑賞。興味は映画のみならず演劇、ダンス、文学、思想と幅広く、「批評」と「編集」によって世界を切り取ろうと奮闘中。2011年『反スペクタクルに踊ろう/踊らなかったりしよう』でF/T劇評コンペ優秀賞受賞。

佐野亨 さの・とおる
編集・執筆。1982年東京都生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒。出版社勤務を経てフリーランス。編書に『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』『教育者・今村昌平』(キネマ旬報社)、『ゼロ年代アメリカ映画100』『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。

|刊行記念イベント

JUNK連続トークセッション「アジア映画の最前線」

グローバル化とクロスメディアの波のなかで、進化しつづけるアジア映画。その現在を読み解くための決定版ガイドブック『アジア映画の森――新世紀の映画地図』の刊行を記念して、監修者4人による座談会を行ないます。東は韓国から西はトルコまで、鬱蒼たる「映画の森」に分け入るための羅針盤としてのトークセッション。さあ、ともにアジアの森へ!

日 時|2012年7月7日 19:30-
会 場|4階喫茶室
入場料|1000円(ドリンク付)
定 員|40名
受 付|1階案内カウンターにて。電話予約も承ります。
問い合わせ|ジュンク堂書店 池袋本店 Tel 5956-6111 Fax 5956-6100

石坂健治 いしざか・けんじ
1960 年東京都生まれ。映画祭ディレクター、映画研究者。1990~2007 年、国際交流基金専門員としてアジア中東映画祭シリーズを企画運営。2007 年より東京国際映画祭「アジアの風」部門プログラミング・ディレクター。11年開学の日本映画大学教授を兼任。共著書に『ドキュメンタリーの海へ 記録映画作家・土本典昭との対話』(現代書館)等。

市山尚三 いちやま・しょうぞう
1963 年山口県生まれ。オフィス北野・映像制作部に在籍。プロデュース作品に侯孝賢(ホウ・シヤオシエン)『フラワーズ・オブ・シャンハイ』、賈樟柯(ジヤ・ジヤンクー)『プラットホーム』等。映画祭「東京フィルメックス」のプログラム・ディレクターも務める。訳書にハミッド・ダバシ『闇からの光芒 マフマルバフ、半生を語る』(作品社)がある。

野崎歓 のざき・かん
1959 年新潟県生まれ。東京大学大学院・文学部教授。フランス文学者、翻訳家、エッセイスト。映画関連の著書に『ジャン・ルノワール 越境する映画』、『香港映画の街角』(以上青土社)がある。

門間貴志 もんま・たかし
1964 年秋田県生まれ。山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局等を経て、明治学院大学准教授。東アジアを中心に映画の研究を行なう。著書に『アジア映画にみる日本』(Ⅰ・Ⅱ、社会評論社)、『朝鮮民主主義人民共和国映画史』(現代書館)等。