【新連載】ワカキコースケのDIG! 聴くメンタリー 第1回「ダーリンと和枝」(「平凡」1962年12月号第2付録)

|ちょっと長い前説―レコードがアナログだったころの記憶

子どもの頃、家に変なLPがあった。音楽じゃないレコードだ。

たしか、≪激動の日中国交ドキュメント≫のようなタイトルで、ジャケットは、いかめしい顔の老人ふたりが握手している写真。率直に言って、不気味だった。
不気味だとかえって気になる。父のステレオをいじって「ガメラ」や「ゲゲゲの鬼太郎」のおはなしレコードを聴く合間に、試しに針を乗せてみた。まず、ギギュイーンというジェット機の離陸音(のSE)。その後、たくさんの人が集まっている場らしい音が聞こえてきて、何かの演説が始まった。
その物々しさ―ザワザワ、ヒソヒソとした音や咳払い―は、警戒していた以上に怖かった。映像で見たほうがなんぼかマシだったと思う。音だけだと、一体なにが起きているのかと想像しなくてはならない。その、想像を駆り立てる力が、子どもの許容範囲を越えていた。暗くて重たいものが身体に侵入してきた気がして、すぐに針を戻し、ジャケットも見たくないので裏返しにした。以来、二度と手にしなかった。

あれはよく考えれば(考えなくても)、1972年に田中角栄と周恩来が調印した、日中国交正常化共同声明のようすを収めたレコードだった。歴史的実況録音ゆえの市販化。そう了解した時には、レコードは家になかった。僕か兄貴かどっちかが盛大にジュースをこぼし、ベタベタになった『カラヤン全集』と一緒に母が捨てていた。
中学生になると、レコードとはすなわち、歌謡曲やロックやポップスのシングルやアルバムのこととなり、音楽じゃないレコードの存在はすっかり視界に入らなくなった。レコードの形態がアナログからCDに変ってからはなおさら。

ただ、割と早いうちにターンテーブルを買い直して、アナログのレコードを聴く習慣は戻した。
CDはノイズは無いし、A面とB面を引っくり返したりホコリを掃除したりの手間がかからない。その優位性は存分に享受しつつ(高校生の頃はデジタル時代の到来バンザイ、ぐらいに歓迎していた)、しかし手間も含めて聴く時間が楽しいのだと、CDやMDしか聴かない期間が教えてくれた。回転する盤の溝に針を自分で乗せるわけだから、乱暴に扱ったら傷を付けてしまう。そういう注意や集中力が必要なのも込み。

コーヒーを呑むのに豆を挽くところから始めるひとの気持ちに近いでしょうか。豆殻を少し残しちゃって苦くなる、その雑味まで自分のカスタムとして満足できる、みたいな。

一時は、アナログをまた買い集めるなんてノスタルジイ趣味では……と考えてしまうこともあった。それでも、手に取ると気持ちがスーッと落ち着く、何かがある。21世紀に入ると、針が盤に落ちるときのボスッという響きや、プチプチ、サラサラした擦れ音は、むしろ新鮮に聞こえるようになった。ノイズは実は贅沢な「雑味」なのだと価値観がコロッと変わってからは、多少のキズや反りがあるBランク、Cランクの盤だろうと構わず買うようになった。

 

|音盤にもドキュメンタリーがあった

そうこうしているうちに、気が付けば数年前から、中古盤屋で音楽じゃないレコードを見つけては、少しずつ買うようになっていたのだ。

著名人の談話やインタビュー、各地の風物の実況録音などなど。別にそんなに聴きたくもないのに、なにか、買っておかないといけない気持ちになる。一度でも《激動の日中国交ドキュメント》を耳にしてしまったことが、恐怖体験のひとつとしてずっと引っかかっていたから。としか説明しようがない。
といって、買い集めたところでなにかの資料になるわけでもなく、サブカル・ネタにして遊ぶでもなし。

neoneoに参加することになってしばらくしてから、ハタと思い至った。

ああ、そうだ。ビデオが普及する前の時代、1970年代までは音盤にもドキュメンタリーは存在していたのだ。見るのではなく、聴くドキュメンタリー。ドキュメンタリー愛好家でもないのにこのジャンルに取り組まなければならないと考える僕のオブセッションは、《激動の日中国交ドキュメント》が原点だった。

やっと回路がつながった途端、ささやかながら使命感が芽生えた。
ほとんどがまずCD復刻されない、中古盤屋の「その他」コーナーや投げ売りの箱のなかで静かに眠っているアナログ・レコードたちに、ちょっとした光を当ててみたい。
これからそんな「聴くメンタリー」を毎回、紹介していきます。

 

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