【Interview】なぜ今、セルフドキュメンタリーを探るのか〜newCINEMA塾  原一男監督10,000字インタビュー

「CINEMA塾」は、原一男監督による“映画の私塾”である。1995年以来、山口・東京・大阪など様々な場所とかたちで、映画に関する合宿・講座・ワークショップが断続的に行われてきた。小林聖太郎(『かぞくのひけつ』)、リム・カーワイ(『恋するミナミ』)飯田基晴(『犬と猫と人間と』)など、後に映画監督になった受講生も少なくない。
今回「new CINEMA塾」として、装いもあらたにアテネ・フランセ文化センターで開かれる講座(4/26より毎月第4土曜日、月1回)で取り上げられるテーマは、自分や自分の家族を撮る「セルフドキュメンタリー」だ。古今東西のセルフドキュメンタリーを鑑賞したあと、監督や関係者を呼んで徹底的に討議する。自身も『極私的エロス・恋歌1974』(1974)という先駆的な作品の作り手として名を残す原一男が、なぜ今セルフドキュメンタリーという手法にこだわるのか。話を聞いた。

(取材・構成:佐藤寛朗)
 
※本文中、監督の敬称略



『極私的エロス・恋歌1974』の時代に“自分を撮る”こと


——今回、
18年ぶりにnew CINEMA塾の連続講座が立ち上がりましたね。公式サイトによると、監督は「ドキュメンタリーとはなんだろうか?という本質的な問題について、改めて、猛烈に勉強をしたくなった」そうですが、なぜですか。

 俺の中で時々ね、「映画って何だろう?」ということを考えたくなる時期があるんだよ。具体的には今回、セルフドキュメンタリーを取り上げるんだが、セルフドキュメンタリーの歴史を振り返りたいわけじゃない。セルフを通して、その背後にある<私>という意識がずいぶん変わった感じがあるもんだからさ、いろんな人と話しながら、その変容をはっきりと自分の中でつかんでおきたい、ということだよ。

——監督は1974年に『極私的エロス・恋歌1974』(以下『極私的エロス』)というセルフドキュメンタリーを発表しています。これはセルフの中でも早い時期に作られた作品ですが、どういう発想で撮られた作品なのですか?

原 “自分を撮る”という発想が当時どこから影響を受けたかというと、全共闘運動なんだよね。革命が起きるかもしれないという時に、革命を担うのはひとりひとりの個人である。その個人が強くならなければ、革命を担うであろう人たちは集団になった時に強くならないだろう、というふうに考えた。

じゃあ、その個人を強くする為にはどうするか。それは逆に、個人の中にある弱さを見つけて、それに対して鍛錬していく。うちらはドキュメンタリーをやっているから、その鍛錬をドキュメンタリーでやってみよう、と。全共闘運動から受けた影響を、映像を作っている自分が受け止めるとすれば、自分を撮ることを通してしかないだろうって。

ただ“自分を撮る”というのは、言うほどかっこ良くはないだろう、とも思っていた。自分というのは、例えば自分の家族のこと。まだ幼いかたちの家族だったけど、必ずしもうまくいっているわけではなかったから、男女の関係も、自分の弱さも、全部丸ごとそこに凝縮されている、と。

でも自分の弱さに自分で向き合うとなると、自分の弱さを映画に晒すことになるわけだから、本人としてはおびえるよな? 怖いなあ。嫌だなあ。恥ずかしいなあ。できれば避けて通りたい……。そういうネガティブな思いを自分の中に持つからこそ、逆に「逃げちゃダメだ」と自分を鼓舞するんだ。そういう意識は今でもあるよ。

要するに逃げちゃいけない、それ以上下がっちゃいけない、という“背水の陣”みたいな意識があったわけ。個をとにかく鍛え直して、自分の中の弱さとか、怯えとか、怠惰とか、ずるさとか、マイナス要因をひとつひとつ洗い出して、そのことの正体を見極めよう、という発想さ。強くなりたい、強くありたいと思っていたからね。

 ——でも当時は一般論として、ドキュメンタリー映画に「個を撮る」という意識は、そんなになかったような気がします。

 なかったよ。小川紳介さん、土本典昭さんの影響がとても強かったからね。ドキュメンタリーとは「社会的弱者に共感を持って身を寄せていく社会的なもの」という意識が強かったと思うの。だけど俺は、文脈はちょっと違うけど、自分たちのアプローチが、そういう社会的なものでいいのかどうか、ということも考えていた。小川さん、土本さんの世代からひとつ下なわけだから、違うアプローチの仕方を考えなければいかんだろう、って。そこで、全共闘運動に影響された自分にできる話は……という最初の話とつながっていくわけだよ。

——『極私的エロス』の公開当時の反響は、今の評価とは違いましたか?

原 男と女の話なんで、こちらの思惑と違うところで受け取られた部分はあったな。まあそれは映画だから大いにあり得るんで、いい悪いの評価とは別だけどね。

分かりやすくいえば、武田美由紀的な生き方に共感する人と、反感を持つ人、って極端に分かれた。だけど全体としては、自分でいうのも恥ずかしいけど、自分の弱さを自分で晒すことに「勇気がある」という評価があったと思う。当時誰もやらなかったことに対して「よく頑張った」と受け入れてくれたんだと思うよ。

——いわゆる社会派のドキュメンタリーから見て邪道だ、みたいな言われ方はされたりしたのですか?

 邪道だ、という声は無かったなあ。むしろドキュメンタリーの作り方はいろいろあって、これから変わるかもしれない、という可能性を評価される感じが大勢だったと思うけど。

原一男『極私的エロス・恋歌1974』(1974年)

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