【Interview】なぜ今、セルフドキュメンタリーを探るのか〜newCINEMA塾  原一男監督10,000字インタビュー



セルフドキュメンタリーが、なくてはならないものになった

——今回、セルフドキュメンタリーをたくさん取り上げて、探ろうとする理由はなんですか?

 歴史的なことに触れておくと、かつて日本映画学校(現・日本映画大学)の講師だった山谷哲夫(映画監督 『沖縄のハルモニ』など)が、『極私的エロス』を気に入って、彼のクラスで毎年見せたり、学生に俺らのインタビューをさせる課題を出したりしながら『妻はフィリピーナ』(1993)や『ファザーレス』(1997)というセルフドキュメンタリーを、生徒の卒業製作につなげていったことがあった。全てが『極私的エロス』の影響とは言わないが、それはセルフという方法が、若い連中の自己表現の中で大事なやり方なんじゃないか、と彼なりに捉えたからだと思うの。

若い連中が自己表現をしようとするときに、他人にカメラを向けていくのがヘタクソである、と。でも自分と自分の家族なら撮れる。相手と関係を作るという点では、家族はある意味オートマチックにできているわけだから。それが、家族そのものがだんだん解体されつつある状況と相まって、自分の家族に問題がある映画学校の学生に、セルフという方法がぴったりハマったんだ。

それで映画学校でセルフドキュメンタリーが多作され、また映画学校からセルフ、ということに、理論的より感情的な批判があった。正直いうと、俺もそういう感じだった。「いい加減にせいよ、お前ら」って。それに対して故・佐藤真(映画監督 『阿賀に生きる』など)がはっきり批判的に言ったら、安岡卓治(プロデューサー 『A』など。現・日本映画大学教授)が学生を弁護するかたちで「セルフドキュメンタリー論争」※1になった。ただその論争自体は、2人の間で何回か繰り返しただけで収束してしまった。

——現実には、その後も続々とセルフ・ドキュメンタリーの作品が作られています。

 寺田靖範が『妻はフィリピーナ』(1993)で日本映画監督協会新人賞を取ってからしばらくたって、砂田麻美の『エンディングノート』(2011)も新人賞を取った。これもセルフ。それからヤン・ヨンヒの『ディア・ピョンヤン』(2005)もセルフ。映画学校の生徒が作ったセルフは「病気もの」というか、家族の抱えている病理みたいなものを描いた作品が多いので、そのような印象を持たれた側面があったけど、『エンディングノート』は、あれはあれでエンターテインメントとして作られたわけだし、『ディア・ピョンヤン』は、政治的な切り口があったからこそ描き得た、と思うわけ。

つまりセルフという手法が、映画的な表現の世界を押し広げていったという感じがあるんだよ。今の作り手が何かを考えていこうとする時に、セルフは単にいろんな手法のひとつというよりは、もっと根強い、なくてはならない技法のひとつとしてあるような気がするんだ。何かのアンチではなくて、大前提として空気のようにある<私>というのが、作品を作る出発点にある。0、1、2、3……のゼロにある<私>をそのまま押し出したら、セルフ・ドキュメンタリーというかたちを取る、というか。

作り手の意識の中で、セルフということに対する意識が様変わりした感じがするんだな。俺らが『極私的エロス』を撮った時には、<集団>に対しての<個>だからセルフ、という、際立った特別な手法として意識的にやる感じだったけど、今はそうではないもんね。まずセルフ的な価値観から物事を考えはじめる。そこはえらい違いだと思うの。それがどういう意味を持っているのかを考えてみよう、というのが、今回のCINEMA塾の発想というか、出発点だよな。

——一方で、原さんはこの十数年、映画を学生に教える仕事をしています。若者の作品作りと接してきて、<私>に対する意識の変化を感じる部分はありますか?

原 大学の先生(大阪芸術大学)をやっていると、学生の作品作りに否応なくつきあうわけだが、どんな授業をやれば良いのか試行錯誤するなかで受ける印象でいうと、ある年、こういうことがあった。2回生で、ホップステップジャンプのホップ、ということで、短編を作る授業をする。「職人さん」というテーマで課題をだして、製品や商品を作る人たちを撮って、20分ぐらいの作品にしてごらん、ということがあった。

それが全滅だったね。全滅。撮るほうは必然性を持って会いに行くけど、撮られるほうはふつうは面倒くさいと思うじゃん。全員が全員、撮っていいよ、とは言わないわな。そこでイヤだと断られて、つまづくわけ。一回断られたら別の人を探そう、という話にならない。これはアカンと意気消沈して、それで終わり。

それで、他人にこだわって断られるより、まずはドキュメンタリーをやらせることが大切だと思って、しゃくだけど、自分の家族を撮りなさいというふうに、課題に変えてみた。そうしたら、撮ろうとする学生が現れて、実際に何本か作品を作りよった。そういう学生は、お父さんと母さんの仲が悪いとか、お母さんの再婚した連れ会いとうまくいかいないとか、自分の家族にいろいろな事情があるんだな。親の方も、自分に子どもに一生懸命話をする分、作品になった時のクオリティもそこそこ保証されるんだ。

でも、そういう段階で面白いと思ってホップからステップへいくかというと、いかない。次は他人を撮ってみようと、連続して思わないわけだよ。そんなことをやりながら思うのは、今の学生にいきなり社会的なことを求めても無理だ、という気がするのね。まずは自分のことを考える中で、それとリンクさせるかたちで社会性に気付いていく。自分のことを飛ばしていきなり他者に行く学生なんて、まずいないね。

俺らの頃は、まず社会があって、その中で他人に飛び込んで逆照射されながら「自分とは何だろう」と考えていたはずなんだが、今は逆だよね。最初に「自分とは何だろう」という意識があって、そこから他人の世界におずおずと入り込んでいく。自分を意識のベースに持っておかないと、他人を撮る時に出て行けない感じがするんだな。ベクトルが全くひっくり返っている。それは時代が違うんだろうと思わざるを得ない。

大阪芸大の卒業製作 石田未来『愛と、生きる』(2008)

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