【Review】“人間”こそが持つおかしみ――ウディ・アレン監督『ブルージャスミン』 text 若林良

Photograph by Jessica Miglio © 2013 Gravier Productions, Inc.

本作を観ながら、溝口健二の『祗園の姉妹』(1936)が私の脳裏をよぎった。義理人情に従順な姉と、封建的社会に批判的な妹。2人の対立を通して、男性本位で動く社会への批判が鋭く描かれる。山田五十鈴を中心とした役者の好演も相まって、溝口の代表作の1つと目されており、後世のいわゆる「女性映画」に対しても、大きな影響を与えた作品である。

『祇園の姉妹』から80年近くを経た、ウディ・アレンによる『ブルージャスミン』も、構造的にはまた近いものを持っている。すなわち、シャネルやルイ・ヴィトンなど一流ブランドの商品を身につけ、高飛車に構える癖が抜けない姉ジャスミンと、スーパーで働きながら2人の子を育て、身の丈に合った恋愛を育む妹ジンジャー。本作は実業家の夫が逮捕され、一文無しになったジャスミンが、妹の住むサンフランシスコを訪れるところから始まる。血のつながりはないとはいえ、2人の姿勢は実に対照的であり、主に恋愛をめぐっての彼女たちの衝突が、ドラマの進行における大きな軸となっていく。

ただアレンは、彼女たちの対立を通して「社会の矛盾を描く」ことには強い関心を持ってはいない。ジャスミンのニューヨーク時代の回想を通して、数々のセレブたちが登場し、いずれも傲慢で鼻持ちならない人間として描かれるが、かといってジンジャーを始めとした労働者階級は素晴らしい、という風にもならない。彼女たちもまたずるくて自堕落な側面が描かれ、観客にとっての安易な感情移入は許されない。それゆえに一人ひとりが個性を放ち、ケイト・ブランシェットを始めとした熟練な役者陣が、存分に腕を振るうこととなる。

 

アレンの主眼は、あくまで「リアルな人間を描く」ことにある。「僕が撮る映画はいずれも、ストーリーから浮かび上がる人間臭さを最重要視していると思う」。彼はインタビュー(『キネマ旬報』2014年5月下旬号より)でこのように語っており、同時に、だからこそ本作のような悲劇的なストーリーでも、おかしみを感じる部分が存在するのだとも。

事実、スーパーでジェニーとその恋人が口論するシーンや、ジャスミンに歯科医が言い寄るシーンなどは、当人たちにとっては真剣な場であるはずなのに、そこに対峙する私たちが覚えるのは、何とも形容しがたいおかしさである。これはいわば、個々の人間性の微差から生まれてくる類のおかしさであり、類型化された描き方からは、決して生まれることのないおかしさであると言えよう。それを違和感なく享受する私たちは、78歳のアレンの、人間に対する洞察の確かさを実感することができる。

また、そうしたおかしみがあるからこそ、ジャスミンの悲劇性もよりリアルに私たちには浮かび上がる。彼女は次第に精神の安定を崩し、薬や酒に溺れる日々となるが、その描写はことさら悲劇性を帯びているわけでもなく、あくまで淡々とした形で進む。

子どもたちとの会話のシーンなどから、ジャスミンの精神は明らかに異常をきたしていることが推測されるが、その話し口、またそれを受けての子どもたちの反応は、逆にユーモアを感じさせるものにもなっている。私たちは自然と笑いが込み出てくるような、しかし笑ってもいいのだろうかというような、宙ぶらりんな状態で画面に対峙することとなる。

実際に私たちがジャスミンのような人間に遭遇した際には、恐らく見ないようにしてやり過ごすことになるだろうが、そこに加えられるのが、アレン特有の絶妙なスパイスなのだ。子どもという無垢な存在と、映画そのものがもたらす距離感。この2つが巧妙に混ざり合い、ジャスミンの内包する狂気を、笑いの対象へと自然と変えていくのである。

Photograph by Merrick Morton (c) 2013 Gravier Productions, Inc.

一見すると釈然としないが、それは本作の「欠点」などとはならない。なぜなら、そうした「釈然としなさ」こそが人生の縮図なのであり、私たちはそれだけ自分のこととして、登場人物に向き合うこととなるからだ。理想化されたロールモデルなどはこの映画には存在せず、私たちが画面に見出すのは、あくまで「等身大の私たち」なのである。

そしてラストの、名曲「ブルームーン」をバックに、すべてを失ってベンチに呆然と佇むジャスミン。本来救いのないはずの終わり方に、私たちが覚えるのは一種の清々しさでさえある。それは軽妙洒脱なアレンの演出が、一筋縄ではいかない「人間」というものの本質を垣間見せたような、そうした解放感から来るのかもしれない。いずれにせよ、ジョン・カサヴェテスの『こわれゆく女』(1974)などとはまた違った、ウディ・アレンのみが達する女性映画の境地であることは確かである。

近年『恋のロンドン狂騒曲』(2010)、『ローマでアモーレ』(2012)などコメディ路線が続いていたアレンにとって、『ブルージャスミン』は久しぶりのシリアスな作品となったが、本作もまた、アレン特有の“喜劇性”がかえって際立つような、十分な見応えのある秀作となった。すでに新作が待機中のアレンの、今後の動向にも今から期待は尽きない。

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|公開情報

『ブルージャスミン』 Blue Jasmine
監督・脚本:ウディ・アレン
出演:ケイト・ブランシェット、アレック・ボールドウィン、サリー・ホーキンス、ピーター・サースガード
提供:KADOKAWA、ロングライド
配給:ロングライド 宣伝:樂舎
2013年/アメリカ/1時間38分/カラー/英語
公式サイト http://blue-jasmine.jp/

★新宿ピカデリーほか全国ロードショー公開中!

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|プロフィール

若林良 Ryo Wakabayashi
1990年生まれ。早稲田大学大学院在学中。映画批評誌「MIRAGE」編集&ライター。現在映画サイトを中心にライター活動に注力中。第二次世界大戦を題材にした国内外の作品群に強い関心を持つ。