「見えないものを見ようとした人々の、ものがたり。」
明治末期に絶滅したといわれるニホンオオカミ。この幻の獣に酷似した動物を目撃して以来、もう一度出会う悲願のため情熱を燃やし続ける男性がいる。痕跡を求めて調査していくうち、奥秩父を中心としたオオカミ信仰、「おイヌさま」の存在が次第に大きく浮かび上がってくる……。
『見狼記~神獣ニホンオオカミ~』は今年(2012)年2月にNHK Eテレの「ETV特集」枠で放送されて大きな反響を呼び、5月には異例の2週連続アンコール放送を果たした。“見えないもの”を主人公にした異色ドキュメンタリーを、スタッフはどのように育て、題材と格闘したのか。
制作スタッフの2人とプロデューサー、3人の証言から『見狼記』の世界を探る。
インタビュー1
ディレクター 新倉美帆
制作プロデューサー・カメラマン 金尾礼仁
(取材・構成=若木康輔)
|オレも見たことがあるんだよ!
――フリーランスの新倉さん、制作プロダクション「うぇいくあっぷらんど」の金尾さんのお二人は、これまでもコンビを組んでNHKや他局の番組を手掛けてきたそうですね。
新倉 金尾さんと仕事をする時は対外的には「うぇいくあっぷらんどの新倉」というかたちで、最近はNHK BSの『熱中人』に一緒に参加していました。『熱中スタジアム』のなかの、毎回なにかに熱中している人に密着するコーナーで、後に15分番組として独立したものです。ここでニホンオオカミを探し続けている八木さんと会ったんです。
この時、『熱中人』のプロデューサーだった宮田さん(※宮田氏のインタビューはこの記事の後半に)から「この題材は膨らませられる。1時間枠にできるのでは」とアドバイスを受けたのが『見狼記』のはじまりです。八木さんのエピソードのOAは2010年11月でしたが、その頃にはEテレ向けの提案書を練っていました。
――1996年に奥秩父の林道でニホンオオカミらしき動物を偶然目撃し、その時撮った写真が全国紙に掲載されて話題となった八木博さん。『見狼記』でも憑かれたような情熱でニホンオオカミを探し続ける中心人物ですが、八木さんと会ってニホンオオカミの存在に興味を?
金尾 もともとは私自身の体験なんです。1993年頃、ある番組のロケハンで秩父の秘湯を探していて、夕暮れ時にある峠を車で越えたら、右手の沢からチョコチョコッと上がって来たんですよ。それを見た瞬間まず脳裏を走ったのが、(あ……これはイヌじゃない)。
――……はい。え? それは番組で語られる八木さんの目撃談でしょう。
金尾 だから、八木さんとそっくりな体験を私もしたんですよ! イヌ科の動物だけどキツネでもタヌキでもない。本当に分からなかった。3年後に八木さんの写真が新聞に載った時は、オレが見たのと一緒だと仰天しました。でも、その時点では世間話のレベルでしたね。すぐに信じてくれる人なんていないから。
それが、『熱中人』のネタ打ち合わせでなにか無いかと考えている時、急に思い出した。「オレはニホンオオカミ(らしき動物)を見たことがあるんだ!」(笑)。そこから専門家を探し、八木さんにアプローチして始まった話です。
――『熱中人』は八木さんひとりがメインの15分。『見狼記』ではさらに民間のオオカミ信仰の話題が広がり、2本柱になっています。
新倉 『熱中人』のロケハンで秩父山中の風布にある「大口真神」の碑を見つけた時、私たちはかなり強烈な印象を受けたんですよ。昔、この集落にニホンオオカミが現れて火縄銃で撃ち殺したら、その後になぜか病人が続出した。「おイヌさま」のたたりを鎮めるために建立した、という碑です。「大口真神」はオオカミのことで、『万葉集』に出てきた言葉です。
こんなものを小さな集落が建てたぐらいだから、信仰は本物の本物だぞと。それでどの家の柱にも貼ってあったお札、御符を出しているのは風布の釜山神社だと聞いて、宮司さんにお会いしました。『見狼記』の一方の中心人物となってくれた方です。この周辺取材の時点で、山頂の奥の院まで月に一度上ってオオカミにご飯をお供えする神事「お炊き上げ」があることを知りました。
金尾 でも『熱中人』はきっかけで、取材は一からまた仕切り直しです。取材を重ねれば重ねるほど、奥秩父の村や集落から「おイヌさま」信仰がどんどん出てくる。オオカミを神の使い、御眷属と祀る秩父市の三峰神社を中心にして、関東一円に広がっているのが分かった。
|どの要素も手が抜けなかった
――ニホンオオカミはまだいるかも! と強力なツカミで始まるけれど、結局は番組の中で発見はできない。即物的に言えば、なーんだ、見つからなかったじゃないかと文句をつけられても仕方ない番組です(笑)。しかし、山の中にはまだ現代人の及ばぬ力は確かにあるのだと、見る人の気持ちを次第に別の階層に導いていく。予定調和の予断を持たせないユニークな展開ですが、全体の構想は当初から固まっていたのですか。それとも、撮りながら徐々に?
新倉 提案書はかなり宮田さんとも練りましたから、企画の段階で撮りたい要素自体はある程度は揃えてはいました。冒頭とラストを釜山神社の宮司さんの姿にしたのは、ロケを段々と積み重ねながら固まっていったことです。釜山神社はふだん訪れる人も少ない、原始的なぐらいの風景のなかにある神社で、最初に行った時に凄く直球で(なにかある!)ときていたんですよ。宮司さんも言葉をまったく飾らない人だし。だからここから始まって、ここで終わりたいと。「番組全体を不思議な世界観にしよう」は、宮田さんと3人の合言葉でしたね。
でもそれだけで、後ははっきりした構成をもとに撮影していませんから、苦労しました。私の良くないところかもしれないけど、展開のイメージを決めなさ過ぎるのは不安なんです。宮田さんは現場にプレッシャーをかけてこない方なので、私たちのほうから「大体これぐらいまで取材撮影しました」と連絡しては進捗状況をぶつけてみる。それに宮田さんが応えて、さらにインスパイアしてくれるやり方で進めましたが、いつも言ってもらう言葉は「編集で考えればいいよ」。宮田さんならではの考え方、意図があるのだろうと理解はしていたんですが。
――主人公はニホンオオカミ。いわば中心の姿が無い、かなり難しい作りです。
新倉 他の番組では、こうしたい、こう終わらせたいという帰結のイメージは大体でもあるわけです。『見狼記』ではそれが見えなくて。そこが今までやってきた番組との一番の違いですね。「結論は急いで決めなくていい」と言う宮田さんの言葉に従い、途中からはまずどれぐらいの素材を集められるかに特化しました。
でも、これがまた大変で、どの要素も全力で突っ込まなくてはいけない。編集でどれが本筋に育つか分からないし、今は分からないものが後で私に啓示を与えてくれるかもしれない期待もあるから。どれも手が抜けないわけです。八木さんと宮司さん以外の要素も周辺情報とは決めず、同じぐらい調べて同じぐらい通いました。
――極端な話、ニホンオオカミさえ見つかればこんな素晴らしい結末はありません。八木さんの調査に同行し、一緒に山に上りながら、思いは共有していましたか。
新倉 もちろんです。作り手が題材に溺れてしまわないよう一定の距離を保つことは大事ですが、取材対象者の気持ちに寄り添ってこそ引き出せることも大きい。八木さんに対してもそれは同じです。100%純血、イヌと雑交しないニホンオオカミの存在は、遺伝学的にも(種の保存のため)ありえないことは学習しました。でもオオカミの血を少しでも継いでいるものが、せめて八木さんが山中に設置した監視カメラに写っていないかは期待していました。
八木さんの96年の写真の力はやはり大きいし、金尾さんも似た動物を見ている。その上でいつも八木さんの話を聞いていれば、制作中はニホンオオカミの存在を信じますよ。いないわけがないだろうと。奥秩父の山は少しでも入ったら、もう自分がどこにいるのか分からなくなります。自然の力強さに圧倒されて、なぜ自分みたいなちっぽけな存在がこの山にニホンオオカミがいないと否定することができるか。そこまでの気持ちになります。
金尾 私は八木さんの気持は最初からよく分かったけど、当初はやはり自分たちの身が可愛いし、ロケでケガをしてもいけない。奥秩父には本州で見られる大型哺乳類の全てが生息しています。特に(八木さんの監視カメラにも写っている)クマは怖かった。飛龍山の第1回の撮影の時は、鈴を服に付けたり笛を持って山に入ったんです。そうしたらクマどころか、シカ一匹出てこない。動物の気配は微かに感じるんだけど、絶対に我々の前に姿を現さない。よく考えたら、そんなチャラチャラと音を立てるところに野性動物が出て来るわけがないよね(笑)。「探そうと思う気持ちがあると出会えない。気配が伝わる」というナレーションは、番組に登場した山岳救助隊の方に教わった言葉であり、我々の実感でもあります。
新倉 それなりの装備をしてスタッフ7、8人で行き、すごく寒い、辛い思いをしてシカ一匹出てこなかった。これは悔やまれました。これは絶対に私たちのほうが悪い、少人数でもう一回上ろうと、下山の途中で決めました。2回目の撮影はもう入山ギリギリのタイミングだったから、寒くて寒くて生きた心地がしなかったけど。
金尾 本当に険しい自然林の山で、新倉の足の親指の爪は両方とも割れてしまいましたからね。
2回目は機材を運んでくれるウチのスタッフと二手に分かれて、私がカメラを持ってまず1人で歩いていた。疲れて頭の中は真っ白ですよ。すると50mぐらい先でカサカサッと音がして、初めてシカが顔を出した。それを番組で使っています。色気が少しでもある時はダメだったのに。(オレたちをどうこうする気は無いな)と分かってくれれば、出て来てくれる。不思議でした。皮肉な話でもあります。ニホンオオカミが見たいと情熱を燃やせば燃やすほど、出て来てくれなくなる。
新倉 「私が死んだら山の中に浅く土葬してほしい。ニホンオオカミがほじくり返して食べてくれたら本望」と八木さんが言っているのは、本心なんですよ。クライマーで心から山を愛してもいるから、火葬されて二酸化炭素を増やすよりは浅く土に埋められて、死後でもいいからオオカミと出会いたい。そういう方でした。
|カメラには忍者になってもらった
――金尾さんもディレクターであり、新倉さんと組む時は現場でカメラマンに徹している。ドキッとするほど思い切り表情に寄ったり、鋭角的にあおったり、アングルが独特です。
金尾 『見狼記』では新倉の掌で遊ばせてもらいました。よく言われる言葉ですけど、カメラマンは空気になれと。本当はスタッフがその場にいる時点でそこはもういつもの空間ではない。そのなかでどうしたら空気になれるかな、と撮影する時はいつも考えています。
取材対象者がカメラを意識せず自然と話せるようにするためには、目線に入らないのが一番ですよね。アングルを下に置いたり上に置いたりすれば目線から外れることができる。さらにインタビューを頭の真上から撮ってみたり、障子に隠れてみたり(笑)。変わったアングルは視聴者にとっても新鮮なものになりますし。それでも撮影している以上は、取材対象者の意識から完全に消えることは無理です。
――取材対象者に自然であってほしいと望みながら、カメラを回す。そこはどうしたか、もう少し詳しく聞きたいです。
新倉 そこまで持っていくのに何度も足を運んで、思うままに話してもらえるだけの関係を作るんですよ。『見狼記』でそれぞれの人を何回撮りに行ったか、若木さんにもなかなか想像してもらえないほどだと思います。
自分のことを話したくない人は、本当はいないと私は思っています。でも、民間信仰については、話すと神性が落ちてしまう、禁忌に触れると感覚で思っている方が多かった。出たくない、喋りたくない、という人の多さも『見狼記』と他の番組との決定的な違いでした。
現場では、かなりそこに筋力を使いました。難しい人ほど2人だけで会いに行き、私との話に夢中になってもらうあいだに、金尾さんには、私さえどこにいるか分からない盲点の場所から忍者みたいにカメラを回してもらって。私の持てる限りの関係づくりと金尾さんの忍者技で場を作る。こういうやり方を何回も繰り返しました。
金尾 そういう意味では、私が撮影監督でありつつディレクションも考えているし、新倉はディレクターであると同時に撮影監督でもあるんですよ。ディレクターの予想や期待を上回る絵や表情、しぐさを外さないで撮るのもカメラマンの責任なんですよね。後で素材を見て、ああよく聞いてくれた、喋ってくれたという瞬間にカメラがはまっている時は、なんともいえない喜びがありますよ。そこらへんは、あうんの呼吸でしょうね。今回は特にその面白味がありました。
新倉 金尾さんと仕事をする時はいつもそうですけど、『見狼記』は目に見えないものをテーマにしているから、特にそこに気をつけました。行く前に概要は伝えますが、後はどこにカメラがあろうとお任せです。取材対象者が私との話に熱心になってくれさえすれば、忍者になってくれるから。よほどの場合以外は、あそこから撮って、これを撮って、と言うことはありません。演出を熟知している上で高い技術で撮ってくれる。そういう人はなかなかいません。自分が納得できる番組を作る上での金尾さんの存在の大きさは、組むごとに分かってきましたね。現場で意見が食い違ってぶつかることはしょっちゅうですけど(笑)。
――「どの構成要素も手を抜けなかった」とさっき新倉さんに伺いました。金尾さんのカメラも同様ですか。
金尾 取材先ではそのつど撮るべきものがあり、取材対象者がいてその人独自の物語がある。それを表現するには必然的に、その現場だけでストーリーが完結できる絵作りをしなくてはいけない。私自身の考え方はどの現場においても変わらないかな。
最終的な編集ではこの絵は使わないだろうと分かっているけど、内容を引き出すためにカメラを回す。こんな場合もよくあるわけです。逆にそうしないと、どう構成されても使える強度の映像にはならない。
新倉 それにお話を聞いた多くの方は高齢者でしたから、話の聞き方にも配慮が必要でした。もっと聞きたいけど今日はこれぐらいで遠慮しておこう、と慎重に進めたり、時には大きな声を出したり。例えば、毎月オオカミ講を組んで民間で「お炊き上げ」をしている上新田地区の齋藤峰市さん。峰市さんは90歳で耳が遠くなっているから、流れるような会話にならない。断片的に聞いたんですよ。「見たんだよ!」「なにを!」「オオカミ様だよ!」「どこで!」「ここだよ!」「ここって、どこ!」(笑)。こっちが元気よく声を出さないと相手もその気になってくれないし。編集ではその単体の言葉をつなげるから、オフの私たちの声を消すのに苦労しました。もともとやりたくないほうだし、今回はさらに徹底したかった。絶対にどんな場面でも作り手の存在なんかあってはならないと思っていたから。
なんかね、こっちが手綱を引いているようで、ホントに聞きたいのか、撮りたいのかといつも試される気がするの。峰市さんは耳が遠いけど、実は聞こえてない振りをしてるんじゃないかとかね。言うことに含蓄はあるし神秘的だし、もう神さまの一部になっているような雰囲気がある。風布のおばあさんもそうでした。おっとりしているようで時々、目がキッと鋭くなって「撮ンじゃねえよッ」。理屈じゃない凄み、迫力があの土地の高齢者にはありました。
だから、いつも敬意を払う。そうしていれば何かが見えてくるかも。この口の重い人たちを追うことがひとつのキーになっていくかも。その緊張感は最後までありました。
――新倉さんの、現場での取材対象者との関係づくり。どこで学んだものですか。
新倉 私が若い頃から主にやってきたのは、NHK教育の子ども番組なんです。『ひとりでできるもん』という食育番組のレギュラー演出が一番長かった。子どもに料理に挑戦してもらうものだから、現場は意外とドキュメントの手法がベースなんですよ。特に、野外で一般の料理好きの子どもたちにやってもらうコンセプトの2年間は、難しいけれど面白かった。まず考えるのは天気が晴れか曇りか雨か。それに子どもの体調と食べ物の好き嫌い。これをどれだけ自分でシュミレーションしながら、大勢のスタッフがスムーズに動けるようにするか。当時は結構なプレッシャーでしたよ。それに子どもはカメラの前では変わるし、ほら、予想外の行動をとる時には物凄いから(笑)。その変化に合わせてこちらも反射する。この経験は今、海外ロケの紀行番組など他の仕事でも役に立っていると分かりますね。
|見てはいけないものは撮らない
――ニホンオオカミにご飯を供える神事「お炊き上げ」は、人に見られてはいけない。カメラが遠慮して釜山神社の宮司さんから離れ、オフの祝詞の声のみを拾う場面がとても良かったです。「見えないものを見ようとした人々の」話であるというナレーションで始まるけれど、この釜山神社の「お炊き上げ」の撮れなかった/撮らなかった場面以降は、見えないものを無理に見る必要があるのか、さらには、人間にその権利すらあるのか、とナレーションに託しながら作り手が反問していく。ひとつの番組のなかで、作り手の価値観がうねっていく。このタッチは『見狼記』の特長です。
新倉 今回踏み込まなかったのは、番組を成立させるための現実的・必然的な選択でした。そもそも宮司さんは、撮影なんかしてほしくない人なんですよ。信仰に関わることだし、ましてや私は女ですから。
「お炊き上げ」の撮影はNGと最初から言われていましたが、宮司さんとうまく関係を作りさえすればチャンスはあると当初は思っていた。でも、言葉にした部分もあるし、しなかった部分もあるけど、女の私がお供えをする奥の院まで立ち入ることに拒否反応を示されました。心配してくれている節もありましたしね。「なんかあったら困るから。今まで(女性を)入れてこなかったんだから」という言葉を使って。そこで、ああ、そういうものなんだと凄く認識させられたんですよ。
それを破ると宮司さんと関係を保てなくなるどころか、これ以上は撮らせてもらえなくなる。だからそこの線引きはキチンと守り、絶対に欲張らないと決めた。それこそ私達の撮りたいものは見えないものですから、敬意を払うことが大前提でした。
――しかし、上新田地区のオオカミ講、各家が毎月交代で祠にお米を供える民間の「お炊き上げ」の姿は撮っていますね。民間の信仰とはいえ、あそこも釜山神社同様、本来は見られてはいけない、撮ってはいけないところでしょう。正直、あの場面は無いほうが全体の意味合いが締まったのに、と感じました。
金尾 うーん……。指摘されてしまいましたね。あの、夜にお供えするなんともいえない雰囲気がとても良かったから。あそこも宮司さんのように「撮っちゃダメだ」と言われたら撮りませんよ。ところが快く「どうぞどうぞ、こちらです」という感じだったから(笑)。目の前に魅力的なものがあって何も言われなければ、我々は撮ってしまう。
新倉 あそこは「うぇいくあっぷらんど」のみんなに手伝ってもらって、しらみつぶしに調べてようやく見つけたんです。平成の今でも民間で「お炊き上げ」を続けている村があるなら、その信仰は絶対に本物だと。ニホンオオカミを研究した動物学者・今泉吉典氏の言葉「いないと思った時に終わる」と、同じ気持ちでした。
そのぶん、大事に考えていたシークエンスではありました。私たちの仕事の場合、内容が違えば、ダメと言われている境界線を越えるところから勝負が始まる場合もあるでしょう? 他の人が撮らない/撮れないものに迫り、他の人よりも関係を作っていくところでいかに作るか。どちらかといえば、そこでしのぎを削る仕事です。だから、甘えられる時には遠慮なく甘える。いつもの仕事の仕方が出てしまった部分かもしれません。
――制作の途中で、2011年3月11日を迎えていますね。オオカミを祀る福島県飯館村の山津見神社を訪れる中盤のシークエンスは、初見ではやや本筋と離れた印象を受けますが、実はニホンオオカミがいるかいないかの興味から、人と自然との関わりを内省する後半へとトーンを変える重要な分岐点になっています。いわゆる「311」で、番組の考え方は変わりましたか。それとも、より深くなりましたか。
新倉 深くなったんだと思います。必要要素を出している時に東日本大震災が起きて、現代の視点を入れないわけにはいかないだろうと。ここは特に宮田さんに引っ張ってもらった部分です。宮司さんは「木にも草花にも命がある」と前取材の時から話してくれていて、それが強く残っていましたから。
ニホンオオカミを通して、万物の魂を信じるアニミズム的な世界観を出したいことは当初からテーマのひとつでした。それが「311」を経てより強くなった。あの時は誰もが自然の力に慄いたし、人間の存在の小ささを思い知らされる経験をしましたよね。そういうことを真剣に考える精神的な土壌が世の中に生まれたと思い、内包していたメッセージをより具体的に構成に取り入れました。
|いくら引いても編集中は埋没する
――現場でどの要素にも全力投球して、編集段階で形にしていく作り方。編集は時間がかかりましたか?
金尾 宮田さんからはNHKの編集マンを別に立てたほうがいいと言われたんですが、お断りして2人でやりました。苦労すると分かっていたけど、覚悟の上で。でも、この年になってまだこんなことをしてるのか、え、ホントに!? と自分を疑うぐらい二徹、三徹が続きましたよ。そういう意味では本当に久し振りに、編集したな! という気持ちを味わった(笑)。
新倉 トータル1ヶ月ぐらいはお互い、ほぼ寝られない状態が続いたかな。7、8つの大きなブロックの要素をワーッとプロットとして書き出し、それを並べ替えながら構成していったんです。完成した形に至るまでは、宮田さん、金尾さんと3人で何度も話し合いました。
さっきも話しましたが、結論が見えないものを作ることは、私にとって大きな苦悶でした。特に終盤が自分の中ではハッキリできなくて。どうやってラストに持っていこうかと、うなされるぐらい四六時中考えていました。「こう終わったらどうなる」「こうしたらどうか」と相談しては、リサーチを重ねたり参考資料の本を何冊も読んだり。不安をかき消すためにいつも一緒懸命だった気がします。
ゴールが見えないといっても、分からないんじゃなくて、言いたいことはあるんですよ。それをどうやって上手く形にするかが大変だった。ここにある素材を使うんだ、でもどの素材から? 途方に暮れる繰り返しでした。終った時に宮田さんに、「提案書だけで見えてしまうものはつまらない。なにか分からないものだからこそやる価値、追いかける価値があった」と言ってもらって、ずいぶん納得することができました。
――3人の共同作業の中で、みんなでハマってしまい誰かがジャッジしなきゃいけない局面が出た場合。番組では、ジャッジ役はディレクターですか、プロデューサーですか。
新倉 『見狼記』の場合は、完全に宮田さんが役割を買ってくれていました。私が引かなきゃいけないんだけど、いくら引いたって編集中は埋没するからね。だから最後のほうは宮田さんが、引くように引くように意識してくれていた。仮編集試写の際の、「ETV特集」プロデューサーの増田秀樹さんやデスクの北川朗さんのアドバイスも的確で助けられました。パンパンになっている脳にじゃなく、心にまっすぐ響くサジェスチョンをしてくれてね。
編集段階ではけっこう宮田さんとも戦いましたよ。ナレーションも、私が書いたものを宮田さんが書き直す。力があるから、タッチは自然と宮田カラーになる。現場に通った私たちのほうが内容をよく把握しているようなものなんですが、宮田さんはそれをもっと俯瞰して、モヤモヤしていたものを引き出す。納得させられます。宮田さんに言われて、ああ、そうだったんだと思うことはよくあって。だから、チームプレーとしてはすごくいい作用がありました。本当に、宮田さんがいなければ完成できない番組でした。
――反響の大きさに、苦労が報われた思いはありますか。
新倉 それは、嬉しいです。ものすごく有り難い。暗闇を手探りで進むような編集中の拠りどころは、番組には視聴者がいる、見てくれる人がいる、でしたから。
でも『見狼記』では、最終的に切った要素があまりに多いのが辛かった。好意でインタビューに応じてくれた一般の方の場合はなおさらです。血肉にはなっているんですよ。そのものは使えなくてもナレーションの要素として活かすとか。結果的には使わなくても、誰もが完成までの思考回路を助けてくれた人たちでした。
「捨てる」可能性が半分あるならカメラを用意して訪問すべきか、その度に何度も考えました。カメラがそこにあれば、もしかしたら番組で使われるかも、と期待させてしまうから。それぐらいの姿勢で人と接しなければ自分の腕も磨かれないと思っていますし、やみくもに多くを回さない信念を持っています。それでも多くを回さざるを得なかった今回は、苦い気持ちが残っています。自分にもう少し力があれば結論を出す過程がまた変わって、迷惑をかけることも無かったかもと考えてしまう。
金尾 確かに方々に手を広げたぶんカットする要素も増えて、期待に添えなかった部分はあります。私にも新倉のように複雑な思いはある。でも、それだけのお力添えがあったからこそ番組にすることができた。そう理解して頂きたいと願っています。
新倉 正直に言うと番組が好評を頂き、こうして若木さんに取材までしてもらえるのは、苦労が報われた喜びの反面、後遺症をほじくり返されるような苦しさもあるんです。(オマエあの映像を捨てただろう)という声が聞こえてくるのね。行く度にみなさん、真剣に話してくれたから。それをかなりの部分、カットした。好意を無にしたことを思い出せと、アンコール放送のたびに迫られる。撮影中も苦しいし編集中も苦しいし、切った要素をひきずる後遺症でも苦しいし。今の私にとってはまだ、『見狼記』はそういう番組なんです。
インタビュー2
プロデューサー 宮田章(NHKエンタープライズ)
(取材・談話構成=若木康輔)
|予想外だった大きな反響
『見狼記』には、実はそんなに視聴率や反響を期待していませんでした。ファンタジーやゲームなどが好きな、ふだんNHKのドキュメンタリーとは距離がありそうな若い方が多く見てくれていたと知り、頭の片隅にも想定していなかったので驚きました。しかもアンコール放送のたび数字が伸びている。あまり私も経験が無いことで、嬉しい限りです。
ニホンオオカミが見つかる可能性はほぼ無いと『熱中人』の時に分かっていましたから、オオカミ探しだけで1本にはならない。新倉さんと金尾さんに周辺を調べてもらうと頭骨信仰があったり、民俗的な部分が非常に厚いことが分かってきた。それで、これはなんとかなるんじゃないかと。八木さんが現実にニホンオオカミを探す部分と、信仰の姿を通して日本人の心の中にあるオオカミ像を探る部分、この2つをどう噛み合わせるかがキモになるぞと、「ETV特集」枠に企画を出す段階から考えていました。
|ニホンオオカミを通して訴えたかったもの
取材期間を長期に設けて、新倉さんと金尾さんとは定期的に会って。試行錯誤はかなり重ねました。非常に難しい構成の番組でしたから、終盤はけっこう本気でやりました。互いの意識のズレ? 無かったと私は信じています(笑)。
山の聖域には入らず、宮司さんの「お炊き上げ」を撮らなかった現場の選択はひとつのポイントだと思います。見ない/撮らないことによって、目に見えない世界や価値観が浮かび上がる場合がある。肉眼だと大事なものがかえって見えなくなることもある。見ないことも対象を魅力的にし、神聖たらしめるひとつの方法なんです。
放射能について触れた福島県飯館村のシークエンスについては全体から浮いているというご批判も頂きました。私自身はゴーサインが出た後も、今この番組を放送する意味、大義名分はなんだろうとずっと考えていました。もうロケは始まっていた初夏の頃、オオカミを祀る飯館村の山津見神社には拝殿の天井に231枚のオオカミの絵があると知り、ああ、これだと。ニホンオオカミを通して自然への畏怖を問いかけることが番組のメッセージなんだと私なりに掴めた。今この番組をやる意味はあそこにあるんです。だから、挿入しました。テーマが立っているから、後半からはその気持ちで見られるようになっています。
|異色だが、かつてはあった作り方
対象がニホンオオカミと大神信仰ですから、真ん中がモヤモヤと揺れて、安定していない作りです。だから、我々はこの事実をこう見ているとストレートに差し出す作りは土台無理でした。こっちも一緒に揺れていかないと魅力的な形には差し出せません。ニホンオオカミは見つからなかった、でも見たと言う人はいる。信仰上のオオカミはとても強固に生き残っている。現代人が忘れかけているものがある、というところまでいけるし、実際いけた番組だと思います。作り手の頭の中で反問しながら成長していく様だって、ドキュメントですからね。作り手の考えが精製されていく過程をそのまま差し出して、視聴者に共有してもらう。こういう作り方が私は好きなんです(笑)。
昔は多かったんですよ、こういう作りは。Eテレが教育テレビだった時代は、先輩方がこうした民俗もののテーマのドキュメンタリー番組をよく作っていた。私としては『見狼記』はそういう系譜のつもりでした。
ドキュメンタリーは見せるべきものをしっかり見せる、或いは、隠されているものを暴く考え方が主流です。でも、そうじゃないアプローチがあるんですよね。嘘か本当か分からない世界を往来しながら見えないものを追いかけて、あれは一体なんだったのだろうと思わせる。この20年位のうちにテレビ・ドキュメンタリーのなかでは絶滅危惧種に近くなってしまったけど(笑)。近世までの日本では、むしろ『今昔物語』のような説話の世界のほうが表現の主流だったと思い返してみたほうがいい。
初放送の後に実家の弟が電話をかけてきて「ニホンオオカミは確かにおるね!」。すっかり八木さんと同じ気持ちになっている(笑)。一方で、奥様を亡くされた後も神事を続ける宮司さんの姿に胸を衝かれたという女性もいらっしゃって。意味合いが何層にもなるように作っていますから、多様に見て頂けることは本望です。『見狼記』は我々の手を離れて、ひとりで育っている番組です。それもまた題材の力なのかもしれません。
『見狼記~神獣ニホンオオカミ~』
NHK Eテレ「ETV特集」 初放送2012年2月19日
ナレーション:平泉成
「ETV特集」毎週日曜日 夜10時からEテレで放送
公式サイト http://www.nhk.or.jp/etv21c/