【ゲスト連載】Camera-Eye Myth/郊外映画の風景論 #05「Neighbors(1) / Daydream/そこそこ楽しい故郷に生きる」 image/text 佐々木友輔


 

does generic viagra work Camera-Eye Myth : Episode. 5 Neighbors(1) / Daydream

朗読:菊地裕貴
音楽:田中文久

主題歌『さよならのうた』
作詞・作曲:田中文久
歌:植田裕子
ヴァイオリン:秋山利奈

Buy Clomid 郊外映画の風景論(5)
そこそこ楽しい故郷に生きる

1. そこそこ楽しい郊外

犯罪現場の近くにはなぜかジャスコがある。そんな挑発的な見出しで話題を呼んだ三浦展による郊外化批判の書 http://propeciaonlineinfo.net/ Buy Generic Propecia Online 『ファスト風土化する日本——郊外化とその病理』の中で、唯一取り上げられている映画作品が中島哲也監督の http://viagra-online-sr.com/ Viagra online 『下妻物語』(2004年)である。ロリータ・ファッションの桃子がロードサイドや田園に佇む風景が印象的なこの映画では、かつて全国展開していたショッピング・センター・ジャスコが実名で登場し、その看板がでかでかと映し出される。これを三浦は、「ファスト風土」化した地方への風刺として読み取っている。彼にとってジャスコとは、郊外化によって共同体が崩壊した、現代の農村型消費社会を象徴するものなのだ。

しかし実際に『下妻物語』を見てみれば、そこに三浦が言うほどの否定的な印象は感じられない。確かに長い時間をかけて代官山まで通う桃子は故郷の退屈な風景に不満を抱いているが、それは都市出身であれ田舎出身であれ、長く地元・親元に暮らす者であれば必ず一度は抱くような種類の感情である。さらに、もうひとりの主人公であるレディースのイチゴや下妻の人びとがジャスコの魅力を笑顔で語るシーンでは、むしろジャスコを媒介として地域共同体が機能しているようにさえ見えるだろう。

団地やニュータウンで生まれ育った世代が成長するに連れて、 cheap levitra 20mg 『SR サイタマのラッパー』 『ガール・スパークス』など、ディストピアともユートピアとも異なる郊外の姿を描いたフィルムが現れてきた。これらの作品にも、地方の郊外に退屈さやつまらなさを感じ、不満を漏らす人物たちが登場する。しかし彼らは、その場所を自らが生きていく上での前提条件として受け入れ、そこにささやかな喜びや楽しみを見出していこうとする。現状を完全に肯定することはできなくても、それなりに楽しい日々を過ごしていたり、見慣れたこの退屈でつまらない風景こそが自らの故郷なのだと気づき、その場所への愛着が芽生えたりするのである。こうした郊外観を、わたしは「そこそこ楽しい郊外」と呼び、ディストピアやユートピアとしての郊外を描いた作品群と区別している。

2. 空間派と物件派

『下妻物語』の中でひと際目を惹くのが、物語の終盤に登場する牛久大仏だ。下妻から数10キロ離れた牛久市に建てられた、全高120m、世界最大のブロンズ立像である。周囲の景観を無視するようにしてだだっ広い土地にそびえ立つこの大仏は、郊外のヘテロトピーについて考える上で多くの示唆を与えてくれる。

建築家・建築史家の藤森照信は『路上観察學入門』において、路上観察の態度に「空間派」と「物件派」という区別を設けている。空間派とは、ある空間を構成する様々な要素とその関係性に注目し、視覚的印象をひとつにまとめあげる秩序や調和した全体といったものを読み解こうとする立場である。藤森は、空間派が決まって「古き良き秩序」を持ち出し、「秩序ある空間を混乱させ破壊した近代という時代を槍玉にあげ」る傾向があると指摘しているが(p.16)、このような立場からすれば、牛久大仏もまた、土着性や歴史性を欠き、その土地の場所性を破壊するものとして批判の対象となってもおかしくはない。牛久という土地が選ばれたのは偶然に過ぎず、別の場所でも有り得たのだから(一応、大仏建立の根拠は「牛久が親鸞上人のゆかりの地であるから」と説明されているが、そもそも「親鸞ゆかりの地」は全国各地に存在するのであり、必ず牛久でなければならないというほどの説得力は持たない)。多くのひとにとって、牛久大仏は信仰の対象であるというよりも、行政や宗教団体などが突然地方に建ててしまうキッチュな建造物のひとつなのだ。

さて、一方の物件派は、その名の通り「物件(オブジェ)」に注目する。それは、空間の秩序からズレて、はみ出してしまったようなものである。物件派からすれば、空間派が尊ぶような空間に調和しているものはあまり面白くなく、刺激がうすいという。インターネット上を見渡してみると牛久大仏の見学リポートを載せたブログ記事やB級スポットの専門サイトが数多くヒットするが、彼らの態度も物件派に近いと言えるだろう。空間よりも、「個別の物体のブツとしての表情にチョクに反応する」感性を持つのが、物件派の特徴なのである(p.17)。

ただし物件派が、本当に物件だけを見て、周囲の空間や風景に全く気を配っていないというわけではないだろう。そもそも周囲との関係性があってはじめて「ズレている」や「はみ出している」といった評価が可能になるのだし、物件派の代表的存在と言える芸術家・赤瀬川原平が『超芸術トマソン』において行っている、物件を発見した位置や日時、周囲の状況を丁寧に記述していく作業は、その物件が在ることを通じて組織された空間の秩序を読み解く作業であると言い換えることもできるはずだ。わたしの理解では、空間派と物件派の違いとは、風景の中に大仏がある(すでに調和していた空間に異物としての大仏が混入している)と見るか、大仏のある風景(そこに大仏が存在することが前提条件としてある)と見るかの違いである。確かに牛久大仏の建立は、これまでの風景のあり方を撹乱するような事態であっただろうが、それは同時に、新しい風景の誕生でもあるのだ。

3. 場所性と結びついたサスペンス

『下妻物語』に登場する牛久大仏もまた、一見すると、ヤンキーにロリータ、田園にジャスコといった雑多な事物が混在するヘテロトピーの一環であるように感じられる。だだっ広い土地の上にそびえ立つ唐突さと、その途方もない巨大さとが相まって、場所性が撹乱されたヘテロトピックな風景の印象はさらに強まる。しかし慎重に見ていくと、この牛久大仏が、ただチグハグな風景を強調したり、画面をファンシーに彩ったりするためだけに用いられているわけではないことに気がつくだろう。

映画の終盤、牛久大仏の裏手の空き地で、レディース仲間と対立して窮地に陥ったイチゴを救うため、桃子が下妻からオートバイに乗って駆けつけるシーンを見てみよう。出発前、牛久大仏への行き方を聞く桃子に対して、すぐさま「294号線から125に出て霞ヶ浦、土浦越えて阿見坂下を右に曲がると馬鹿でかーい大仏が」と答える彼女の祖母。そして、桃子がオートバイで駆け抜けていくショットと、レディースたちに囲まれているイチゴのショットがクロスカッティングで交互に映し出され、やがて二人は同じひとつのショットに収まることになる。

ここでは、隔たった場所に置かれた二人が一刻も速く距離を縮め、出会わなければならないというグリフィス的なサスペンスと、現実に下妻と牛久大仏との間にある数十キロの距離が、巧妙にかさね合わせられている。もしもこの映画が、牛久大仏を視覚的なインパクトのためだけに利用しようとするのであれば、現実には存在しない架空の大仏として登場させるという選択肢も有り得たかもしれない。しかし作中でわざわざ「牛久大仏」と明言し、そもそもタイトルが『下妻物語』である以上、牛久大仏は必ず下妻との現実の位置関係の中で描かれなければならないのだ。映画の舞台である下妻が他のどこでもない茨城県の下妻であり、牛久大仏が他のどこでもなく現に牛久という土地に建てられているという入れ替え不可能な場所の固有性が、大切なひとのもとへと急ぐ時間の不安や焦燥感と結びついているからこそこのシーンは感動的なのであり、また「下妻」という語を用いる正当性を得るのである。

このようにして『下妻物語』は、ヘテロトピックな郊外における場所性の喪失という側面と、新たな場所性の創出という側面の二重性を同時に捉えてみせた。桃子とイチゴにとっては、広大な田園もジャスコも——時として退屈ではあるが、それでもかけがえのない——故郷の風景を構成するものであり、また、少し離れた場所に建つ牛久大仏は、二人がそれぞれの絆を確認し合った思い出の地として意味付けられるのである。

|参考文献/関連資料

三浦展 著『ファスト風土化する日本——郊外化とその病理』、洋泉社、2004年
荒海美子、牛久きちい、大谷淑子 著『牛久大仏忽然の貌』、BeeBooks、2007年
赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊 著『路上観察學入門』、筑摩書房、1986年
赤瀬川原平 著『超芸術トマソン』、ちくま文庫、1987年
中島哲也 監督『下妻物語』、2004年
入江悠 監督『SR サイタマのラッパー』、2009年
石井裕也 監督『ガール・スパークス』、2007年
山崎貴 監督『ALLWAYS 三丁目の夕日』、2005年

 

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|プロフィール

佐々木友輔 Yusuke Sasaki (制作・撮影・編集)
1985年神戸生まれの映像作家・企画者。映画制作を中心に、展覧会企画や執筆など様々な領域を横断して活動している。イメージフォーラム・フェスティバル2003一般公募部門大賞。主な上映に「夢ばかり、眠りはない」UPLINK FACTORY、「新景カサネガフチ」イメージフォーラム・シネマテーク、「アトモスフィア」新宿眼科画廊、「土瀝青 asphalt」KINEATTIC、主な著作に『floating view “郊外”からうまれるアート』(編著、トポフィル)がある。
Blog http://qspds996.hatenablog.jp/

菊地裕貴 Yuki Kikuchi (テクスト朗読)
1989年生まれ、福島県郡山市出身。文字を声に、声を文字に、といった言葉による表現活動をおこなう。おもに朗読、ストーリーテリング中心のパフォーマンスを媒体とする。メッセージの読解に重きを置き、言葉を用いたアウトプットの繊細さを追究。故郷福島県の方言を取りあげた作品も多く発表。おもな作品に「うがい朗読」「福島さすけねProject」「あどけない話、たくさんの智恵子たちへ」がある。
HP http://www.yukikikuchi.com/

田中文久 Fumihisa Tanaka (主題歌・音楽)
作曲家・サウンドアーティスト。1986生まれ、長野県出身。音楽に関する様々な技術やテクノロジーを駆使し、楽曲制作だけでなく空間へのアプローチや研究用途等、音楽の新しい在り方を模索・提示するなどしている。主な作品に、『GYRE 3rd anniversary 』『スカイプラネタリウム ~一千光年の宇宙の旅~』『スカイプラネタリウムⅡ ~星に、願いを~』CDブック『みみなぞ』など。また、初期作品及び一部の短編を除くほぼ全ての佐々木友輔監督作品で音楽と主題歌の作曲を担当している。
HP http://www.fumihisatanaka.net/