【Review】作家•佐藤泰志という光と闇−−呉美保監督『そこのみにて光輝く』 text 小川学

 

函館で産まれ育ち、山の採石場で水晶等の鉱物を掘削する仕事をしていた達夫(綾野剛)は部下を事故死に追いやってしまった事に自らの責任を感じ、辞職してからも忘れられず、夢で繰り返し幾度とうなされるトラウマを抱えたまま、海沿いの町にアパートに独り住み、パチンコ屋への入り浸りを繰り返す、一見無益とも思える日々を送っていた。

達夫はある日、近所のパチンコ店で、偶然に拓児(菅田将暉)という年下の青年に出会う。拓児は達夫に遠慮なくライターを貸してくれと言う。面倒くさそうにライターを貸す達夫はすぐにパチンコ店を後にする。店を出るなり拓児が追いかけ、共に向かった先は拓児の自宅であった。すぐ裏手には砂浜の海岸線が続く原っぱにポツンと建てられたバラック小屋が拓児の実家である事が分かる。家に着くなり出迎えるのは拓児の母、節子(伊佐山ひろ子)であった、彼女は達夫を見るなり「刑務所の知り合いかい」とぶしつけに達夫に質問する。奥の襖絵の奥から病人と思われる老人(田村泰二郎)の苦しむ声が聞こえる。そして、違う部屋から千夏(池脇千鶴)が現れる。拓児が千夏にチャーハンを作る様に言いつける。

千夏は脳梗塞で倒れ、寝たきりの父の介護と、高齢の為、働けずに家にこもる母、定職にも就かない不安定な弟を養うため、昼は地元の水産加工工場でイカを捌くパートに就き、夜は呼び込みスナックで娼婦として生活費を稼ぐ生活を送っている。伸びっぱなしの髪、くたびれた身体、どうにもこうにもいかない気持ちが表情や仕草から伺える。そして、達夫と千夏は少しずつ其々の身の上を話す内に、互いに惹かれ合う。運命に導かれる様に交じり合う心と躯。言葉数が少ない達夫だが、不器用にも千夏に対し一途に愛を注ぐ。そんな中ある事件が起こる――

千夏と「腐れ縁」であるという中島(高橋和也)は達夫に「家族を大事にしろ」という言葉と共に千夏との関係を断ち切る様に迫られるが「大事にしているからこそ、おかしくなる」と言い放ち達夫を受け付けない。物欲、所有欲、金、名誉、名声にこだわり、取り付かれた様に孤独に怯え、常に仲間を引き連れる男、中島は達夫の存在と対照的に描かれる「闇」としての存在である。己の感情に真っ直ぐな達夫は「光」として千夏や拓児をあたたかく包み込む。達夫と中島の関係こそが実は、原作者である佐藤泰志が持つ、深い因果や運命を象徴している様に私には感じられた。それは、私が作家•佐藤泰志という1人の人間を調べていく過程で見つけたある新聞記事にあった。

以下は平成23年2月12日の北海道新聞朝刊に掲載された故•佐藤泰志の長女・朝海さんの「家族が一つになれた」というインタビュー記事をまとめたものである。

「酒に溺れ、家族に暴力を振るう。12歳の時に死別した父の記憶はずっと封印してきた」と娘の朝海さんは語る。朝海さんは3人兄弟の長女。東京都国分寺市で過ごした子供の頃、家は貧しかった。6畳、4畳半の2部屋に家族5人で暮らした。平屋の2軒長屋に隣接した狭いプレハブ小屋が父の仕事場だった。父は体を丸めて居間の窓から小屋に入り、原稿に向かった。執筆中は神経をとがらせ、テレビをつけただけでも怒鳴られた。父、泰志の心はガラス細工のようにもろかったという。新鋭作家として注目され、芥川賞にノミネートされたが、落選し続けた。自律神経失調症に悩み、酒を飲むと母や弟を殴っていた。朝海さんが学校から帰宅し最初に母に言う言葉は「お父さんは、どう?」母が表情を曇らせると、寝室に逃げた。ふすま越しに聞こえる怒声に息をひそめた。父の自殺前夜、酒に酔った父と母の口論が始まった。翌朝、父の姿はなく母が泣いていた。父はもう帰らないと直感した。「父が死ぬか家族が死ぬか。そう思っていたから父の死でほっとした」と思い、死後ずっと家族の間で父の話はタブーだった。朝海さんは「父親の職業を聞かれたら小説家と答えなさい」と子供のころ、父から言い聞かされていた。しかし「私の父は小説家です」と胸を張って言えたことは一度もなく、父の作品を読んだことさえなかった。


これは佐藤泰志が持つ、そして生きる上で人間の誰しもが持ちうるであろう「心の闇」の一部分である。『そこのみにて光輝く』は「家族の物語」であった。朝海さんの詳言から読み取れる事は、佐藤自身が心の奥底に抱えた闇こそが、実は作品を産み出させていたのではないだろうか、ということだ。中島を描く事は佐藤にとって非常に辛い作業であったはずだ。中島とは佐藤泰志の闇そのものだったのだからだ。しかし佐藤は、中島という人物描写を描く事で、己の悪を認め乗り越えようとしたのではないだろうか。それは、脚本家の高田が、シナリオを書く段階で、原作で描かれている中島という闇の像を、より狂気を含んだ存在として強調させる事によって、非常によく現れていた。中島の「(家庭を)大事にしてっから、おがしくなんだべや」の台詞が実は佐藤自身が抱え続けた本音だったのである。

幸いな事に、この新聞記事は、朝海さんの非常に前向きな言葉の数々で締めくくられていた。「再び父に命を吹き込んでくれた人たちに感謝しています」と。近年、佐藤の再評価が進んでいる。作品集が東京都武蔵野市にある図書出版クレインから刊行された。記憶の底に押し込んでいた父が、本という形で娘の前に現れたのだ。朝海さんは大人になり結婚し家族を作った。そして、父の作品を初めて読み、青春のまばゆい群像、地方都市の人々の暮らし、どの作品も一字一句磨き抜かれた言葉で描かれていた事に強く感銘を受けた。朝海さんは「父は人生をかけ、魂を削って書いていた。小説が人生の全てだったんだ」と語っている。「海炭市叙景」の映画化は、父と家族の絆を再確認するきっかけになった。「家族がやっと一つになれた」という一文で記事は締めくくられていた。朝海さんは、父を赦し、受け入れたのだ。

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