【Review】作家•佐藤泰志という光と闇−−呉美保監督『そこのみにて光輝く』 text 小川学

最後に「拓児という存在」について考察する。彼は劇中で、最も明るい性格を持つ人懐っこい存在として描かれている。前科者の拓児は、直情径行な性格が災いし、物語の終盤に取り返しの付かない傷害事件を再び起こしてしまう。しかしそれは姉、千夏への深い愛情と慈しみからくるものであった。佐藤は拓児を謂わば「天使のような存在」として描いた。それは、目的もなく独りぼっちだった達夫にとって、最も幸運な出来ごとだった。達夫は拓児に出逢う幸運を掴んだ事で千夏と出逢い、遂には「家族を持ちたい」という強い願望、生きる目的を得る事が出来たからだ。今作の原作本にある、達夫の台詞に「拓児とは(喧嘩は)何があってもやらない」という言葉が出てくる場面が1番印象深い。これは何が起こったとしても、拓児の全てを必ず受け入れるという達夫の強い決意の表れであり、義理の弟になろうとする拓児への情愛を意味していた。そして、この原作本には、見開きのすぐのページに「妹へ」という二文字が掲げられている。単行本『そこのみにて光輝く』が刊行される2ヶ月前の1989年1月に佐藤の妹が急折してしまったからだ。この二文字を見るだけでも佐藤が妹にどれだけの信頼や思いを抱いていたのかが分かる。妹という存在は、劇中にも「手紙」という形だけで出演する。映画にとって非常に重要なシーンを表していた。そして何よりも妹は実生活においても佐藤にとって非常に良き理解者だったという。「拓児という存在」は佐藤にとって絶対的に必要な、無条件に信頼できる絶大なる信頼を持った「妹」を表していたのだろう。

映画『そこのみにて光輝く』を鑑賞し、私は昔、家族旅行で行った北海道の函館山から見おろした街の夜景をふいに思い出した。そして、あの時、私の視界を埋め尽くす様に煌めいていた夜景の中で、もしかしたら光を灯していたかもしれない誰かの存在の事を今思うと、何か腹の奥底から、ぐっと込み上げてくる強い感情がある。今一度、じっと考えてみると「光輝くもの」とは案外、普段の生活の様々な場所に点在している、実は身近なものなのではなかろうかと思えてくる。それは例えば、一家団らんの食卓に灯される、ささやかではあるが、決して誰かから不意に消される事の無い、暖かい光である。私は闇の中で輝く星の様に、佐藤泰志の創り出した人々が輝いて見える気がしてならない。佐藤は死して今尚、書物の中、物語の中に生き続けており、私たちは、彼の作品に触れる事で作家•佐藤泰志に出逢う事ができる。そして、スクリーンから放ち続けられている輝く光。それは今作のラストシーンで達夫と千夏を祝福する様に包み込んだ立ち昇る朝日。映画『海炭市叙景』の正月の朝に、神々しく昇っていた太陽の光。達夫と千夏がその後、授かる事となる生命のひかり。それは生物が太古の海から産まれるときに1番に必要だった「輝く暖かい光」と同じものに違いないのだ。

佐藤の自死の理由は現在も解らないままだが、私は彼が自身の作品の中に生きる為に死んだのではなかろうかと思っている。しかし、死を選んだ理由など他人には決して解るはずがないのだ。それは、生きることへの絶対的な理由がない事と同じように。作家•佐藤泰志は光となったのだ。


参考文献

「そこのみにて光輝く」佐藤泰志著(河出文庫)
「海炭市叙景」佐藤泰志著(小学館文庫)
「映画芸術2014年春号」(編集プロダクション映芸)
「朝日新聞朝刊(没後24年 佐藤泰志に光)」平成26年4月3日 大脇和明
「北海道新聞朝刊(ひと語り もの語り)」平成23年2月12日 函館報道部 酒井聡平

【映画情報】

『そこのみにて光輝く』
(2014年/日本/シネマスコープ/120分)

監督:呉美保 原作:佐藤泰志(河出書房新社刊) 脚本:高田亮
出演:綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平、伊佐山ひろ子、田村泰二郎
音楽:田中拓人 撮影:近藤龍人(J.S.C)照明:藤井勇 録音:吉田憲義 美術:井上心平
配給:東京テアトル+函館シネマアイリス(北海道配給)
©2014佐藤泰志/「そこのみにて光輝く」製作委員会

第38回モントリオール世界映画祭ワールドコンペティション部門正式出品

公式サイト http://hikarikagayaku.jp

全国にて絶賛公開中、8/30よりテアトル新宿にて再上映決定!
(公式サイトをご参照ください)

【執筆者プロフィール】

小川学 Manabu Ogawa
1981年生まれ。武蔵野美術大学卒業。フリーランスライター。映画批評。文学を原作とする映画作品や、国内におけるインディペンデント映画に強い関心を持つ。