【Book Review】「時代」を読み解く感覚―大木晴子+鈴木一誌編『1969 新宿西口地下広場』 text 若林良

映画『新宿西口地下広場』より(付属DVDよりキャプチャ)

その中でも興味深いのは、なぎら健壱の「フォークゲリラがいた」である。彼は2月28日に始まったフォークゲリラ運動が、同年の7月には姿を消してしまったことを受けて、「(フォークゲリラ運動が)結局は時代の中の一過性以外の何ものでもなかった」と述べる。高田渡の言葉を借りれば、結局はベ平連の中心にいた小田実のような、知識人に良いように利用されていただけなのであり、膨れ上がった聴衆を、歌の力だけでコントロールすることはもはや無理であったのだと。事実、7月19日に行われた最後の集会に集まった1万人近くのうち、ほとんどの参加者は野次馬であり、警察の排除活動に対しては、あっさりと退散をしてしまった。それから活動が再開されることもほとんどないまま、フォークゲリラ運動は、歴史の表舞台から姿を消すこととなる。

私自身は、フォークゲリラこそが「あの時代」における若い活力の象徴なのであって、それは時代におけるひとつの金字塔であるように思っていた。しかし、なぎらはあくまで客観的に若者たちの行動を分析し、聴衆たちを、ひいては歌い手たちを「人の尻馬に乗って騒ぎ立てていただけ」と喝破する。引用によって、森達也や小室等などもフォークゲリラに対して違和感を抱いていたことが示されるが、なぎらの考察はそれらを踏まえた上での、より否定色が強まったものとなっている。本著における、他のフォークゲリラに関する記述が概ね好意的であるだけに、彼の姿勢の異色さは際立ち、それゆえに私たちに対して、強い訴求力を持って迫ってくることとなる。

実際、「歌」という表現方法の特性を考えると、短期的に人に対して影響を与えるには適したものであると言えるが、それを持続させることや、政治的・社会的な主張を付与することはけっして容易ではないだろう。歌は、政治運動に興味を持たせる一つのきっかけとはなっても、その中心となるイデオロギーを代弁することは、おおざっぱなかたちでしかできない。つまり、歌を通して聴衆を本質的な理解へと導くことは、ほとんど不可能に近いのである。

そう考えれば、フォークゲリラが短期で収束したことはむしろ当然かもしれない。逆に言えば短いものであったからこそ、私たちに与えた印象は鮮烈なものとなり、その時代の「カラー」にもなり得たのだろう。なぎらが示したような否定面は、歌という存在の、ひいては若者たちの刹那的な熱情を両義的に捉えたものとも言える。

本著においては、肯定も否定も交えてフォークゲリラの特性、また過程が詳しく記されているが、しかし冒頭にも書いた通り、これらはそのままでは“正確な理解”へは繋がらない。というのは単純な話で、文章の力でフォークゲリラの刹那性を伝えることには結局は限界があり、聴覚的な理解もまた必要になるからである。つまり、本著に記された膨大な曲を聴いたうえで、その時代の感性を体感すること。これとセットになって、私たちは初めて「あの時代」を理解するスタートラインに立つのだと言えよう。

作者たちは、そうした媒体としての本の限界も熟知しており、また、「時代を理解し、検証する」ための多様なアプローチを用意してもいた。それゆえに、本著には付録として、先述のドキュメンタリー『`69春~秋 地下広場』のDVD、また同作のシナリオも加えられている。本作についての詳細な説明は省くが、当時の集会や歌という存在が、画面のすみずみにまで根付いているような作品である。88分と短い作品でもあるため、本著の読書にはぜひ、こちらも併せての鑑賞を勧めたい。

「本」という媒体への偏愛や自閉から得られるものも多大ではあるが、時代を読み解くためには、やはり聴覚や視覚を含めた「感覚」というものの複合性に、私たちは目を凝らしていく必要があるだろう。批評だけではなく、詩やシナリオ、またDVDまで含まれた本著は、「記録する」とはどのようなことなのか、それ自体を問いかけているようにも思える。

こうした問いかけは、記憶を継承するうえで重要なエッセンスであり、これから先の「記録する」行為の、ひとつの試金石ともなり得るだろう。それは本著が、まぎれもない「入魂の一冊」であるという、そのことの証明に他ならない。

『新宿西口地下広場』p122-123より(当時の雑誌)

 【書誌情報】

1969 新宿西口地下広場
大木晴子・鈴木一誌 編   新宿書房

A5判/並製/208頁/DVD映画『地下広場』付
本体3200円(税別)
ISBN978-4-88008-438-1 C0036

付属DVD
『’69春〜秋 地下広場』
(監督:大内田圭弥/1970年/白黒/84分)

【執筆者プロフィール】

若林良 Ryo Wakabayashi
1990年生まれ。早稲田大学大学院在学中。映画批評誌「MIRAGE」編集&ライター。現在映画サイトを中心にライター活動に注力中。第二次世界大戦を題材にした国内外の作品群に強い関心を持つ。