【Review】子どもの頃のぬくもりは、大人になっても色あせない -『イロイロ ぬくもりの記憶』 text くりた

© 2013 SINGAPORE FILM COMMISSION, NP ENTERPRISE (S) PTE LTD, FISHEYE PICTURES PTE LTD

1997年、シンガポール。11歳のジャールーは学校では問題児として先生に目を付けられている。そしてジャールーが学校で問題を起こすといつも母親が迎えに来てくれる。その時に母親が言う言葉は決まって、「私を殺す気!?」だった。そんな時ジャールーは、泣きもせずただ呆然と母親の顔を見返すのだ。ジャールーは泣かない。母親に怒鳴られても、先生に怒られても、意地悪な同級生の嫌がらせにも、泣いたことはない。

ジャールーの両親は共働きで日中はほとんど家を空けている。不器用で口下手な父親はどうやら不況の煽りを受けてリストラにあってしまったようだ。しかし家族には言い出せず、仕事へ行くふりをして今日も面接に向かう。妊娠中の母親は職場でも忙しく、リストラの心配はないようだが代わりに同僚の解雇通告書を作成する毎日に心身ともに疲弊している。そんな折り、ジャールーに手を焼いた母親はフィリピン人の家政婦を雇うことに決める。それがジャールーとテレサとの出会いだった。テレサにまったく心を開こうとしないジャールーだったが、ある事件をきっかけに少しずつ変化を見せるようになる。

映画の前半、ジャールーには“怒り”こそあるものの、その他の感情を見せることがほとんどない。同級生と遊ぶことはあっても特別仲の良い友人もいないようだ。決まってやることと言ったら「たまごっち」の育成と宝くじの当選番号のチェックだけだ。小学生にしては実に淡々とした日々を過ごしているように見える。しかし人の気持ちに敏感で臆病なところや、何に対しても不満げな子ども特有の図々しさを見るにつけて、いわゆる“少年らしい少年”なのだということも分かってくる。そのジャールーを演じる子役はオーディションで選ばれた演技経験のない小学生らしいのだが、その甲斐あってか如何にも“演技をしている”感が全くないためドキュメンタリーさながらの瑞々しさを発揮しており、憎たらしささえ感じるほどだ。

また主人公一家を取り巻く環境も、何も特別なものではない。シンガポールでは中流家庭でも家政婦を雇うのが一般的で、フィリピンやインドネシアといった東南アジアからの出稼ぎ労働者は珍しくない。舞台がシンガポールといえど、本作で描かれるような家庭内不和、社会問題、そして1人の少年の成長は世界各国に共通する普遍的なテーマだと言える。監督であるアンソニー・チェンはその複数に渡るテーマをジャールーという孤独な、けれど純粋な少年の眼差しを通して描くことによって文化や人種の違いという壁をさらりとかわし、誰もが親近感を抱く身近な作品に仕上げている。

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聞くところによると本作は、アンソニー・チェン監督の幼少期の体験が元になっているのだとか。家庭にも学校にも居場所のない孤独な少年のやり場のない怒りと悲しみ、そして監督自らの実体験を元にした処女作、と聞くとかのフランス映画を思い出す映画ファンも多いのではないだろうか。そう、監督自らが語っているようにこれはフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』にインスパイアされた作品でもあるのだ。『大人は判ってくれない』においてのアントワーヌ(ジャン=ピエール・レオ)にトリュフォーが自分自身を投影していたのと同じように、本作においてのジャールーはアンソニー・チェン自身なのである。

また、もうひとつ注目しておきたいのは作品名の『イロイロ』という言葉だ。初めてタイトルを読む人(聴く人)の多くは、きっと頭の中で“色々”と変換するのではないだろうか。しかし監督によると、この『イロイロ(ILO ILO)』とはフィリピンにある地名なのだという。実際に4歳から12歳までの間、家で雇っていたフィリピン人家政婦の故郷が、その『イロイロ』という都市なのだとか。劇中では家政婦が故郷について語ることはほとんどなく、地名さえも出てこない。ただ、彼女は夜中になると、置いてきた我が子にこっそりと電話を掛ける。描写がそれだけに留められているにも関わらず、ジャールーとの関係性を通して彼女の母親としての側面をも浮かび上がらせ、故郷の存在感を物語の背景にそっと忍ばせている。『イロイロ』という響きが遠い日の記憶となった今、子どもの頃の思い出と、心を通わせた家政婦の故郷への想いが密やかに重ね合わされ、スクリーンに広がって人々の心へ届こうとしている。そして映し出されたその世界は、アンソニー少年から観た色あせることのない記憶であり、ほんのひとときを共にしたあの家政婦のぬくもりなのだ。

劇中でジャールーは何度も彼女の頭に鼻を寄せてこう言う。「髪の毛がくさいよ」。その度にテレサは「バカ言わないで」と、笑いながら返す。学校からの帰り道には古びたウォークマンのイヤホンを分け合い、二人でテレサの故郷の曲を聴いた。何でもない、毎日繰り返されるたわいのない会話、におい、そして音楽。こんな何気ない瞬間が、ジャールーの、そして観る者にとっての掛け替えのない思い出となっていたことにふと気づかされる。いつも不満そうにしていた1人の少年は、テレサのぬくもりに触れることで少し大人になった。そして安寧や優しさを知ると同時に、それを失うことの悲しみや痛みをも知ることになる。いくつもの喪失を経てた後に訪れる再生へと向かうエンディングは、ジャールーとその家族の明るい未来を暗示しているようだった。かつてのアンソニー少年の色あせない記憶が、現在の彼の心に残っているように、これからのジャールーの中にも同じように生き続けるだろう。それが遠い日の記憶となろうとも、決して消え去る事は無い。誰の心にも残っている幼い日のぬくもりと同じように。

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【公開情報】

『イロイロ ぬくもりの記憶』
(2013年/シンガポール/99分/北京語・英語・タガログ語)

原題『爸媽不在家』・英題『ILO ILO』
配給:Playtime 提供:ポリゴンマジック/アクシー 後援:シンガポール共和国大使館 協力:シンガポール政府観光局

2013年第66回カンヌ国際映画祭 カメラドール(新人監督賞)受賞
2013年第14回東京フィルメックス 観客賞受賞 他

公式サイト:http://iloilo-movie.com/

12月13日より、新宿 K’s cinemaほか全国順次公開



【執筆者プロフィール】

くりた
WEBデザイナー兼、雑食映画ライター(近年はデンマークの映画・ドラマ・音楽に重きを置く)

Twitterアカウント:@nnnnotfound