原発がもたらした「時間」の被害
――今回の『第二部』が描いている年月は、避難の「298日目」から「1111日目」まで、2年以上にわたります。その中で監督には、どのような考え方の変化があったのでしょうか。
舩橋 「反原発」というスタンスは変わりませんでしたが、原発事故の忘却、また風化がどんどん進んでいくことに対して、「防波堤」として自分が活動しなくてはならないと新たに思うようになりました。「忘却」にはいろいろとありますが、特に東京オリンピックですね。オリンピックという巨大な、忘却のための打ち上げ花火を、日本人は手に入れてしまったわけです。打ち上げた花火を見て、みんなが楽しいと言っている間に、下にいる福島の人たちはどんどん忘れられていく。空で輝く花火よりも、花火の下にある苦しみについて考えていかなければならないと、映画監督としての僕は思っています。
映画に携わる者として特に考えたいのは、「時間」の問題です。テレビのニュースや一枚の新聞記事では、時間の重みを伝えることは非常に難しいと思います。例えば、寝ても起きても同じ場所にいるという、避難生活の先行きの見えない不安についてですね。こういった、放置の時間の積み重ねによって生まれる不安は、単発の記事や映像ではとても伝えられません。映画こそが、そうしたことを伝えるのに一番適したメディアであり、また映画こそが、伝えなければならないことであると思っています。
原発がもたらした最も大きな被害は、「時間」の被害であると思います。これまで続いてきた「歴史」を失うし、ずっと暮らしてきたコミュニティの「現在」や、それから続いていくであろう「未来」についてもまた然りです。そうした喪失を描くためには、やはり映画でなければならない。映画とは、時間を描くメディアであり、それが原発避難という題材に、本質的に合致しているんですね。
――「時間の経過」という点は、やはり映画内でも重要なキーポイントであると感じます。3年間の中で、井戸川氏から伊澤氏への町長の交代や、それを受けての町役場の移転、また旧騎西高校からの被災者の完全撤退など、さまざまな動きがありましたが、舩橋監督から見て、「双葉町」はどのように変わられたと思いますか。
舩橋 バラバラになった。その一言に尽きると思います。双葉町民が避難した区域は全国39都道府県にわたっていますから、物理的な意味での離散は否定できないですし、またそれに伴って、精神面での「つながり」も確実に壊れていっています。新しい場所で大人が仕事、子どもが学校を得て根付いていくと、どうしてもそこに意識が集中してしまうし、そうなるともう、過去のものである双葉町と距離ができてくるわけですね。だからまさに、双葉町から「遠く離れて」いってしまう。双葉町が急速に「過去」になっていくことを、誰もせき止められなくなってきている状態ですね。
――舩橋監督自身が、それを最も感じられたのはどのような時でしたか。
舩橋 今年の4月に、双葉町の学校再開があった時ですね。対象となったのは、双葉町立の幼稚園、小学校、中学校ですが、その合計人数はどれくらいだったと思いますか? 11人です。もともと双葉町の人口は7000人で、子どもも600人はいたにも関わらず、それだけしかいなかったんですよ。それが3年間、避難生活でみんながバラバラになってしまった結果なんです。
普通の親だったら、避難した先で学校に通わせますよね。そこで友達ができて3年たったら、わざわざ福島にもどって、双葉町の学校に通わせようとはあまり思わないわけですよ。生活をする上で一番重要なのは、やはり過去ではなく「いま」なんですね。だから、どんなに双葉町の学校が良いと思っていても、「いま」の生活に慣れてきてしまったら、もう昔のライフスタイルに、戻ることはできないという。当たり前の事実なんですけど、数字で表わされると改めて痛みを感じましたね。
あくまで「映画」であるということ
――私自身の所感としても、第二部は双葉町という町が「消えていく」過程を描いた映画だと感じました。舩橋監督は制作の過程で、そのようなことは意識されていたのでしょうか。
舩橋 いえ、最初から何も計画せずに撮っています。つまり、双葉町の方に寄り添って避難の日々を撮っているので、今日はこれを撮ろうというように決めているわけではないんですね。彼らの生活にひたすら寄り添って、そこから見えてきたものを、編集で考えるということです。だから、編集で落としたものはたくさんあります。
「落とした」理由に関しては、撮影の過程でミスがあったとか、単純なことも多いですね。自分は現場ですごい瞬間に立ち会ったと思ったんですけど、映像を技術的にきちんと撮れていなかったということが、いくらでもあるんですよ。その場合、シーンとしては重要だとしても、映画としては、やはり退屈になってしまう。
映画の作り手として重要なのは、現実に起きたことをつぶさにカメラの中におさめて、密度の高いシーンとして再現できるようにすることなんです。どんなに重要だと言っても、つまらなかったら結局は見てもらえない。社会的な関心、つまり原発問題に興味があるから、この映画を見るという人は世界的に見てごくわずかで、「映画として面白そうだから」で見る人の方がほとんどなんです。そこが誤解できないところで、僕自身は「原発避難を世界に伝えたい」という思いで作品を作っているんですけど、映画自体がどう見られるかというところには、やはり冷徹にならなければならない。
シーンを構成する過程では、あくまで映画としての力の有無を前提としなければならないので、どんなに「これは描かなければならない」と思っていても、映画としてきちんと撮れていなかったら、落とさざるを得ないんですね。だから、撮影データの合計は最初400時間くらいあったんですけど、編集したら30時間くらいになったんですよ。
例えば落とした中では、福島のいわきの仮設住宅で、夫婦が子育てをする過程を映したものがありました。若いカップルで、かなり密着して撮らせていただいていたのですが、やはり全体のバランスで落とさざるを得なかったんです。拙著「フタバから遠く離れて II ~原発事故の町からみた日本社会」(岩波書店)にテキストとして書いていますが、やはり自分としては悔しかったですね。いろんな人を撮らせていただいたけれど、ごめんなさいと、謝らなければならない部分もたくさんあったんです。
「ドキュメンタリスト」としての作法
――ドキュメンタリーの作法について、お伺いできればと思います。舩橋監督は著作の中で、フレデリック・ワイズマンから多大な影響を受けていることを述べられていました。ワイズマンの「ナレーションなし、インタビューなし、音楽なし、字幕なし」というスタイルに対して、舩橋監督は字幕やインタビューは採用されていますが、ワイズマンの「賞味期限のない、ユニバーサルな映像世界」というコンセプトは踏襲したと語られています。自身のドキュメンタリー・スタイルは、どのように確立されているのでしょうか。
舩橋 固定はしていないです。去年NHKで『小津安二郎・没後50年 隠された視線』を制作したのですが、それには大杉漣さんのナレーションをつけていますし、音楽に関しても、小津映画に使われた楽曲を使用しています。テーマによってそれに適した作り方がありますので、どの話法が絶対的にいいと思っているわけではないです。ただ、『フタバ』に関して言えば、できるだけ作り手のメッセージを削いだ形で、双葉町の原発避難や、仮設住宅の現状について「ありのままに」提出することは意識しました。
その理由は2つあります。まず、映画は時間を描くものであるから、観客が映画内で流れる時間に、そのまま入り込んでほしい。僕がこう見たというんじゃなくて、「観客がこう見た」というようになってほしいんですね。ただ、これは主観を完全に排除するということではありません。ワイズマンの作品はobservational cinema(観察映画)と呼ばれていますが、あれにも「編集」という主観は入っていますね。どういう順番に並べるか、それによってどのような見え方を編み出すかということで、一見すると「客観」のように感じられる主観ということです。そういった主観を保持した上で、観客の感受性と思考に映画を委ねる姿勢が、この作品にふさわしいと思った。
もうひとつには、原発を題材にした映画は信頼ならないというのがあるんですね。単なるプロパガンダに終始した作品も多いですし、1960年代に作られた原発の映画であれば、それこそ「原発バンザイ」みたいな内容になっています。要は、原子力というのは人間の理解を越えた、人間以上のものだと思うんですね。だから、原子力に対する人々の認識が、10年後、20年後になるとまったく別なものになっていると。そういうことが歴史上繰り返し起きています。それは原子力をどのように擁護するかというレトリックが変わり続けてきたということでもあります。
例えば、先ほど申し上げたように平和利用のためであるとか、原子力は資源を使わないから、日本のような資源の少ない国には最適であるとか。また、環境を汚さないとか、安価なエネルギーであるとかですね。全部嘘なんですよ。結局、意図的であれ無意識であれ、良くわかってないのに、嘘で塗りたてて何とかごまかしているわけですよね。原子力の本質は、未だに誰もわかってないと思うんですよ。
つまり、わからないものについての映画を、我々は撮ろうとしているわけです。そうしたものを自分の主観だけで描けば、10、20年たって改めて見返して、なんだ、舩橋はこんなことを思っていたのか、ばかみたいと、そうなる可能性が大きいはずです。だから、自分の主観を疑ってかかり、あくまでもそこに起こってきたものをありのまま描くというやり方が正しいと思った。理由としては、このふたつですね。
――作り手の主張を提示するのではなく、解釈は映画を観た人に委ねるということですね。
舩橋 原発反対とか、原発を廃止するためにとか、そういったタイトルをボンとだすと、内容が簡単に予想できるじゃないですか。そうなると、まず映画としてつまんない。さらに、原発推進派の人が観ることはまずありません。原発がイエスでもノーでも、両方の人が見られるものが、映画であるべきだと僕は思います。映画はプロパガンダ装置ではない。
『フタバ』の第一部は公開後、色々なところから上映会のお誘いをいただいています。教育委員会のようなところにも呼んでもらえたりして、それは反原発プロパガンダ映画だと、まずあり得ません。何か偏った思想を植え付けるのではないか、ということですね。『フタバ』は単に、原発事故で大変な思いをしている方々を描いているだけで、それは現実そのものだから、いいも悪いもないと。そういった映画の方が、受け入れられやすいんですね。
ただ、この映画をつぶさに、きちんと観ていただければ、原発を続けることへの疑問が、自然と生まれてくると思います。それは見る人間の感性や思考を信じているということです。プロパガンダは観客を、映画をバカにしていることであると思いますし、映画の作り手は、観客の思考を信じなければならないと思います。最初から言うことが決まっているのであれば、1枚のチラシで十分ですし、映画の2時間を使う必要はありません。映画をみる時間を費やしてもらうからには、単なるイデオロギー以上のものを提示するべきだと思うんですね。
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