【Review】人の心をざわつかせる場所〜『アラヤシキの住人たち』 text 皆川ちか


雪の降り積もった山道を、ヤギを連れて奥の方へ、奥の方へと進んでいく一行。先頭を歩くのは賢者のような、「ロード・オブ・ザ・リング」に出ていてもおかしくないような風貌の初老の男性。続く若い女性ふたりとヤギ。穏やかとも不穏とも、現実とも幻想ともつかない画から映画ははじまる。

題名のアラヤシキは、プレス資料では「新屋敷」と表記されている。

新しい屋敷、アラヤシキ。別名、共働学舎。キリスト教精神に基づいた学校「自由学園」の教師だった宮嶋眞一郎氏が、1974年に設立。「競争社会ではなく、協力社会を」という理念の元に、男女数十人が農業・酪農・工芸などにたずさわりながら共同生活をしている。

車さえも入れないほど奥深い山の廃村となった場所を受け継いだ、ここ、共働学舎は、文字どおりの“自給自足”を実践している。春には田植えをして米を作り(しかも手植えだ)、夏には食卓にのせる野菜を収穫し、ヤギや鶏といった家畜も飼育する。生活に必要な物資は、山麓の町まで一そこ時間半かけて歩いて調達しにいく。宮嶋氏の息子、信さん(冒頭の賢者)をリーダー的存在として、共働学舎の人びとの姿が映し出される。

共同体とはいえ、出入りは比較的自由のようだ。先に書いた若い女性ふたり、共に大学生のりなさんとさきさんは、春からの1年間だけここで暮らすと前もって明言している。ヤギの世話を担当していたリョウマくんは、3年間をここで過ごした後、“卒業”していく。突然姿を消し、突然戻ってきて古参メンバーとの間に摩擦を生むことになるエリヤくんなる人物もいる。

30年以上、いわば人生の大半をここで過ごす人がいる一方で、人生の中のほんのいっときだけ滞在する人もいる。この場所で暮らす人、暮らし続ける人、やってくる人、出ていく人、帰ってくる人、生まれる人、そして死ぬ人。様ざまな人びとが出会い、生活を共にし、それぞれに生き方を模索する。強制はしない。だからこそ難しい。

この暮らしは一見して桃源郷のようにも、あるいはロハスなライフスタイルのようにも見える。実際、映像は端正でいて美しく、牧歌的だ。

自然と共生した、必要最少最低限のものだけでやっていく生活。強制も競争もない、ただ、協力に基づいた共同体。それを実現し、維持することはどれほど大変であることか。

一般的に共同体を運営するには、賃金制度を取り入れたり、ピラミッド型の役職システムをつくったりした方が、部外者にとっては理解がしやすいし、また受け入れやすい。金と権力は万国万人に通じる手段であるから。けれど、共働学舎はそれらを用いない。人の心の優しさ、モラル、善性にのみ則って、この場所を可能にしようとしている。し続けている。現代社会においてそのやり方は、異様とも異形とも受け取られかねない。

もっとも、注意深く見ていると、共働学舎内にも温度差らしきものが感じとれる瞬間はある。たとえば前述したエリヤくんと、彼の行動に意見する古参の宗さんとのやりとりだ。

連絡せずにいなくなり、突如戻ってきたエリヤくんに対して、「僕はちょっとわだかまりがある」「はい、どうぞどうぞとは言えない」と、心情を吐露する宗さん。対して、「今までずっと逃げてきたから、死ぬまで逃げ続けるのはいやだな、と思ったのでここへ来た」と言うエリヤくん。

共働学舎の中にも、パワーバランスは存在する。

宗さんは子どもの頃からこの場所で育ち、慣れ親しみ、大人になった現在は共働学舎の中心人物としてみんなから一目置かれている。ここで結婚し、子どもも授かった。対照的にエリヤくんはヨソ者であり、新参であり、共働学舎に波紋を投げかける存在としても映し出される。

宗さんにとって共働学舎は、自分の居場所そのもの。であるからこそ、秩序の乱れに、その萌芽にも敏感に反応しているのかもしれない。エリヤくんにとって共働学舎は、彼の言葉に倣うなら“逃げ場所”のひとつにすぎないのかもしれない。あるいは通過地点かもしれない。それとも終点かもしれない。それは分からない。おそらく当人にも。

共同体の中で共同生活を送っているからといって、だれにとっても共働学舎が同じ意味を持っているとは限らない。金や権力による共同体ではなく、協力による共同体。それぞれの個性と意思を尊重し、留まる自由も出ていく自由も等しくある。そういう場所で生きるには、自分の心にどうしても向きあわざるを得なくなる。

本作の題名であるアラヤシキは、彼らの暮らす二階建ての茅葺きの家を指しているが、大乗仏教用語の「阿頼耶(あらや)(しき)」にもかけているという。人間の意識の奥底にある、すべての心のはたらきの源となる貯蔵庫のようなもの。それがアラヤシキ。

次第にこの共働学舎という場所が、宗教が本来もっている厳しさと物語性を兼ね備えた、宗教的な空間のように感じられてくる観客も、いるだろう。私がそうだったように。

その意味では、1年間という期間を予め設けてここを訪れた冒頭の彼女たちは、賢明だ。この場所に長くいすぎると、たぶん世間に戻れない。また、世間の価値観に順応している人にとっては、きっと異様な場所でしかない。そして、世間の価値観に沿って生きながらも違和感を抱えている人にとっては、心をざわつかせるだろう。動揺させ、不安に、不穏にさせるだろう。

人の心をざわつかせる場所――まさに阿頼耶識だ。

 【映画情報】

『アラヤシキの住人たち』
(2015年/日本/117分/HD/カラー/ステレオ/ドキュメンタリー)

監督:本橋成一 撮影:一之瀬正史
編集:石川翔平/録音・MA:石川雄三/助監督:佐久間愛生/宣伝美術:大橋祐介/制作進行:中植きさら/特別協力:NPO法人共働学舎/後援:長野県北安曇郡小谷村、信濃毎日新聞社/宣伝:猿田ゆう(ウッキー・プロダクション)/製作・配給:ポレポレタイムス社、ポレポレ東中野

5月1日(金)よりポレポレ東中野ほか、全国順次公開

公式サイトhttp://arayashiki-movie.jp

写真は全て©本橋成一 ポレポレタイムス社

【執筆者プロフィール】

皆川ちか
新潟県出身、東京在住。雑誌『韓流旋風』でコラム連載中。別名義でWEB小説マガジン「fleur(フルール)」(http://mf-fleur.jp/)で小説を執筆。ライター、漫画原作など諸々。

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